このページでは、河野氏(越智氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
河野氏の略系図
2 彦狭嶋命→彦狭嶋命~河野時高の系図
41 為綱→河野為綱~親清の系図
45 通清→河野通清~通久の系図
48 通継→河野通継~通直の系図
49-A 通種→林通種の系図
52-A1 通之→河野通之~盛政・照長~照辰の系図
52-A2 通利→河野通利~通顕の系図
52-A3 通重→河野通重~通成の系図
52-A4 通良→河野通良~通明・通常~通古の系図
52-A5 照良→河野照良~通任・通虎~通顕の系図
52-A6 通親→河野通親~通昭の系図
52-A7 通直→河野通直~通馨の系図
53 通義→河野通義~通直の系図
56-A1 治伝→河野治伝~通宗の系図
56-A2 通重→河野通重~通致の系図
56-A3 通房→河野通房・通休の系図
56-A4 通頼→河野通頼~通明の系図
彦狭嶋命~河野時高の系図
彦狭嶋命(ひこさしま)/日子寤間命(ひこさめま)
祖父 孝安天皇・父 孝霊天皇→孝安天皇・孝霊天皇の系図
祖父 和知都美命→安寧天皇の系図
子 王子(2人)(『系図纂要』による。)
小千御子(おち)(以下、『系図纂要』による。)
伊予国小千郡に住み、子孫は小千を称した。
小千天狭貫(あまのさぬき)
小千天狭介(あまのさすけ)
小千粟鹿(あわが)(『寛政重修諸家譜』による。)
『系図纂要』にはみえない。
小千三並(みつなみ)
小千熊武(くまたけ)
小千伊但馬(いたしま)
小千喜多守(きたもり)
小千高縄(たかなわ)
小千高箕(たかみ)
小千勝海(かつうみ)
小千久米丸(くめまる)
小千百里(ももさと)
小千百男(ももお)
小千益躬(ますみ)
小千武男(たけお)
小千玉男(たまお)
小千諸飽(もろあき)
小千万躬(かすみ)
小千守興(もりおき)
子 河野玉澄〔養父:河野玉興〕
河野玉興(たまおき)
河野玉澄(たまずみ)/玉純(たまずみ)
実は河野玉興の子。姓を越智に改めた。
河野益男(ますお)
河野実勝(さねかつ)/真勝(さねかつ)
河野深躬(ふかみ)/洋躬(ようみ)
河野息村(やすむら)
河野息利(やすとし)
河野息方(やすかた)
河野好方(よしかた)
河野好峯(よしみね)
河野安国(やすくに)
河野安躬(やすみ)
河野元興(もとおき)
河野安家(やすいえ)/元家(もといえ)
河野家時(いえとき)
河野為世(ためよ)
実は皇胤。
河野為時(ためとき)
河野時高(ときたか)/時孝(ときたか)
子 為綱・孫 親孝→河野為綱~親清の系図
河野為綱~親清の系図
河野為綱(ためつな)
祖父 為時・父 時高→彦狭嶋命~河野時高の系図
子 宗綱
父は河野時高(→彦狭嶋命~河野時高の系図)とも。
河野親孝(ちかたか)
子 兼高/兼孝
孫 安綱/康綱
河野親経(ちかつね)
河野親清(ちかきよ)
実は源頼義(→源頼義の系図)の子。
子 通清・孫 通信→河野通清~通久の系図
子 盛家【?-1181】
河野通清~通久の系図
河野通清(みちきよ)【?-1181】
源頼朝の挙兵に応じ、高縄山城で挙兵した。後に西寂らに討たれた。
祖父 親経・父 親清→河野為綱~親清の系図
子 通経(みちつね)
源義経の烏帽子子。武芸に優れ、甲冑五郎と称された。
孫 通秀
父は河野通経とも。
子 通貞【?-1211】
子 宗賢(むねかた)【?-1222】
承久の乱で京方についた。
子 通親
父は河野通経とも。
河野通信(みちのぶ)【1156-1223】
西寂を討ち、屋島の戦い・壇ノ浦の戦い等で活躍した。承久の乱では京方につき、平泉に配流された。
妻 北条時政の娘
妻の父 北条時政→北条時家~時政の系図
孫 一遍(いっぺん)/通秀(みちひで)【1239-1289】
時宗の開祖。
河野通久(みちひさ)
承久の乱で幕府方につき、伊予国久米郡石井郷の地頭となった。
妻 工藤祐経の娘
妻の父 工藤祐経→工藤祐継・祐経の系図
子 通継・孫・子の夫 通有→河野通継~通直の系図
孫 林通種→林通種の系図
子 通時【?-1281】
河野通継~通直の系図
河野通継(みちつぐ)
祖父 通信・父 通久→河野通清~通久の系図
祖父 工藤祐経→工藤祐継・祐経の系図
河野通有(みちあり)
妻 河野通久の娘
妻の父 河野通久→河野通清~通久の系図
子 林通種→林通種の系図
河野通盛(みちもり)/通治(みちはる)【?-1362】
子 通遠(みちとお)【1318-1333】
子 通時/通明
河野通朝(みちとも)【?-1362】
細川頼之と戦って討ち死にした。
子の夫 西園寺公永→西園寺実俊~実遠の系図
河野通直(みちなお)/通尭(みちたか)【1348-1379】
子 通義・孫 通久→河野通義~通直の系図
子 通之・孫 通元→河野通之~盛政・照長~照辰の系図
河野通之~盛政・照長~照辰の系図
河野通之(みちゆき)【?-1384】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 通朝・父 通直→河野通継~通直の系図
子 四郎【?-1443】
河野通元(みちもと)
河野通春(みちはる)
孫 通存(『系図纂要』による。)
河野通安(みちやす)
河野通房(みちふさ)
河野通政(みちまさ)
89歳で亡くなった。
子の夫 太田昌安→太田昌安の系図
河野盛政(もりまさ)/盛利(もりとし)/通泰(みちやす)【1541-1617】
妻 太田昌安の娘
妻の父 太田昌安→太田昌安の系図
妻 小笠原長行の娘
妻の父 小笠原長行→小笠原長行の系図
子 通利・孫 通頼→河野通利~通顕の系図
孫 通良→河野通良~通明・通常~通古の系図
子 通重・孫 通成→河野通重~通成の系図
子 小笠原貞利〔養父:小笠原長行〕→小笠原貞利の系図
子 通安(みちやす)【?-1626】
子の夫 勝屋正成→勝屋正成の系図
河野照長(てるなが)/照久(てるひさ)/通照(みちてる)【1522-1590】
河野照盛(てるもり)/通長(みちなが)【1583-1638】
子 照良・孫 通有・通虎→河野照良~通任・通虎~通顕の系図
子 通親・孫 通真→河野通親~通昭の系図
子 通直・孫 通賢→河野通直~通馨の系図
河野照辰(てるとき)【?-1701】
河野通利~通顕の系図
河野通利(みちとし)【1576-1631】
祖父 通政・父 盛政→河野通之~盛政・照長~照辰の系図
祖父 小笠原長行→小笠原長行の系図
子 通良・孫 通重・通常→河野通良~通明・通常~通古の系図
河野通頼(みちより)【1606-1671】
妻 井戸直弘の娘
妻の父 井戸直弘→井戸直弘の系図
子 通要(みちとし)【?-1699】
子の妻 小笠原長利の娘
子の妻の父 小笠原長利→小笠原長利の系図
孫 通常〔養父:河野通矩〕
子の夫 横山一政→横山一政の系図
河野通矩(みちのり)【1656-1689】
妻 桑山一玄の娘
妻の父 桑山一玄→桑山一玄の系図
子の夫 平岡正親→平岡正親の系図
子の夫 平岩親賢→平岩親賢の系図
河野通常(みちつね)【1683-1737】
実は河野通要の子。
子 通常の娘〔養父:河野通賢〕
河野通賢(みちかた)【1720-1741】
河野通哲(みちやす)【1724-1787】
実は曲淵信興(→曲淵信興の系図)の子。
妻 河野通賢の娘
実は河野通常の娘。
妻 黒田直方の娘
実は永井元頼(→永井元孝~尚昉の系図)の娘。
妻の父 黒田直方→黒田直方の系図
夫 中島行道→中島行道の系図
夫 飯高胤節→飯高胤節の系図
妻 柘植正富の娘
妻の父 柘植正富→柘植正富の系図
夫 森等候→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
妻 佐脇安貞の娘
妻の父 佐脇安貞→佐脇安貞の系図
夫 石野広保→石野広保の系図
子 常昌
実は小林行孝(→小林行孝の系図)の子。
河野通同(みちあつ)【1761-1784】
実は橋本敬惟(→橋本敬惟の系図)の子。
妻 河野通哲の娘
実は設楽貞根(→設楽貞根の系図)の娘。
河野通顕(みちあき)【1778-?】
妻 斎藤利頼の娘
妻の父 斎藤利頼→斎藤利頼の系図
河野通良~通明・通常~通古の系図
河野通良(みちよし)【?-1689】
祖父 盛政→河野通之~盛政・照長~照辰の系図
父 通利→河野通利~通顕の系図
子 通悦〔養父:河野通重〕
河野通重(みちしげ)【?-1707】
河野通悦(みちよし)【1684-1732】
実は河野通良の子。
子 利通〔養父:河野教通〕
子の夫 田沢正勝→田沢正勝の系図
子の夫 新見正仲→新見正仲の系図
河野教通(のりみち)【1715-1786】
妻 三間政房の娘
妻の父 三間政房→三間政房の系図
子の夫 仁木知英→仁木知英の系図
河野利通(としみち)/通昆(みちひで)【1732-?】
実は河野通悦の子。
妻 田沢等高の娘
実は飯河国忠(→飯河国忠の系図)の娘。
妻の父 田沢等高→田沢等高の系図
子 松平正利〔養父:松平正保〕→松平正利の系図
子 竹川秀通〔養父:竹川秀実〕→竹川秀通の系図
妻 名取長恒の娘
妻の父 名取長恒→名取長恒の系図
子 利通の娘
実は名取信富(→名取信富の系図)の娘。
子の夫 松波勝興→松波勝興の系図
子の夫 花井忠寄→花井忠寄の系図
河野通明(みちあきら)【1759-?】
河野通常(みちつね)【1659-1747】
実は小笠原貞利(→小笠原貞利の系図)の子。
子 通常の娘〔養父:河野通勝〕
河野通勝(みちかつ)【1681-1758】
実は大津重信(→大津重信の系図)の子。
河野通虎(みちとら)【1704-1774】
実は大津重勝(→大津重勝の系図)の子。
妻 河野通勝の娘
実は河野通常の娘。
子の夫 近藤用章→近藤用政・用清・用常~用利・用貞~用容の系図
河野通直(みちなお)【1740-1796】
実は遠山則茂(→遠山則茂の系図)の子。
子の夫 遠藤準政→遠藤準政の系図
河野通古(みちひさ)【1769-?】
河野通重~通成の系図
河野通重(みちしげ)【1584-1651】
祖父 通政・父 盛政→河野通之~盛政・照長~照辰の系図
祖父 小笠原長行→小笠原長行の系図
妻 加賀美政光の娘
妻の父 加賀美政光→加賀美政光の系図
子 通利(みちとし)【1617-1642】
子 通賢(みちかた)【1648-1686】
子の妻 大沢基成の娘
子の妻の父 大沢基成→大沢基成の系図
孫の夫 森川盛房→森川重成~利雄・重定~定刑の系図
孫の夫 大沢基治→大沢基治の系図
子の夫 小宮山勝親→小宮山勝親の系図
河野通成(みちなり)/通定(みちさだ)【1620-1691】
妻 小笠原信盛の娘
妻の父 小笠原信盛→小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図
子の夫 大久保長好→大久保長好の系図
子の夫 小笠原広高→小笠原広高の系図
子の夫 水野勝久→水野勝久~勝吉の系図
子の夫 都筑法景→都筑法景の系図
河野通護(みちもり)【1656-1718】
妻 井戸良弘の娘
妻の父 井戸良弘→井戸良弘の系図
妻 牧野正秀の娘
妻の父 牧野正秀→牧野正秀の系図
子 通孝〔養父:河野通長〕
子の夫 本多栄寛→本多重良~繁文の系図
河野通長(みちなが)【1699-1764】
妻 松平信房の娘
妻の父 松平信房→松平氏清~信愛の系図
子の夫 堀直信→堀直昭~直喬の系図
河野通孝(みちたか)【1705-1778】
実は河野通護の子。
子 直久
実は堀直信(→堀直昭~直喬の系図)の子。
河野通成(みちしげ)/武成(たけなり)【1747-?】
実は久世広武(→久世広籌~広楽の系図)の子。
妻 戸田忠言の娘
妻の父 戸田忠言→戸田忠位~忠行の系図
河野照良~通任・通虎~通顕の系図
河野照良(てるよし)/通正(みちまさ)【?-1678】
祖父 照長・父 照盛→河野通之~盛政・照長~照辰の系図
河野通有(みちあり)【?-1692】
河野通眸(みちあきら)【1656-1733】
子 石尾氏茂→石尾氏茂の系図
子 森山茂十郎〔養父:森山実久〕→森山茂十郎の系図
河野賀通(よしみち)【1707-1769】
妻 森川氏従の娘
妻の父 森川氏従→森川氏時~氏林の系図
河野通候(みちとき)【1734-1780】
妻 小林正長の娘
妻の父 小林正長→小林正長の系図
子 小林正供〔養父:小林正芳〕→小林正供の系図
子 小林正矩〔養父:小林正察〕→小林正矩の系図
河野通任(みちひで)【1758-?】
妻 山木勝明の娘
妻の父 山木勝明→山木勝明の系図
妻 宮重信量の娘
妻の父 宮重信量→宮重信量の系図
夫 小野貞雄→小野貞雄の系図
河野通虎(みちとら)【?-1684】
河野通繁(みちしげ)【1676-1727】
妻 菊池重則の娘
妻の父 菊池重則→菊池重則の系図
河野通〓【1702-1778】
〓は「口」+「貢」。
子 通〓の娘
実は中島正良(→中島正良の系図)の娘。
河野通春(みちはる)【1713-?】
子 氏暁
実は志村光氐(→志村光氐の系図)の子。
河野通顕(みちあき)【1776-?】
実は守屋政弘(→守屋政弘の系図)の子。
河野通親~通昭の系図
河野通親(みちちか)【1626-1696】
祖父 照長・父 照盛→河野通之~盛政・照長~照辰の系図
孫 通寿〔養父:河野通真〕
孫 通虎〔養父:河野通寿〕
河野通真(みちざね)【1664-1723】
河野通寿(みちなが)【1689-1775】
実は河野通春の子。
子の夫 町野清安→町野清安の系図
河野通虎(みちとら)【1701-1783】
実は河野通春の子。
妻 飯室昌因の娘
実は稲富直広(→稲富直広の系図)の娘。
妻の父 飯室昌因→飯室昌因の系図
子 河尻鎮海〔養父:河尻鎮妍〕→河尻鎮海の系図
子の夫 大木親延→大木親延の系図
子の夫 浅井成央→浅井成央の系図
河野通恭(みちのり)
実は上坂政形(→上坂政形の系図)の子。
河野通昭(みちあき)【1753-?】
子 通昭の娘
実は望月君珍の娘。
河野通直~通馨の系図
河野通直(みちなお)【?-1674】
祖父 照長・父 照盛→河野通之~盛政・照長~照辰の系図
子の夫 赤井善幸→赤井善幸の系図
子の夫 夏目次久→夏目次久の系図
河野通賢(みちよし)【?-1700】
河野通寿(みちなが)【1684-1723】
実は青沼政常(→青沼政常の系図)の子。
河野通林(みちしげ)【1707-1787】
妻 篠山春徽の娘
妻の父 篠山春徽→篠山春徽の系図
妻 三浦直輝の娘
妻の父 三浦直輝→三浦直輝の系図
子の夫 杉浦孝章→杉浦孝章の系図
子の夫 榊原忠庶→榊原忠庶の系図
子の夫 佐々長賢→佐々長賢の系図
河野通倫(みちとも)【1741-?】
河野通馨(みちか)【1757-?】
妻 大久保忠廉の娘
妻の父 大久保忠廉→大久保忠廉の系図
林通種の系図
林通種(みちたね)
祖父 通継・父 通有→河野通継~通直の系図
祖父 河野通久→河野通清~通久の系図
孫 通扶(以下、『稲葉家譜(山城淀)』による。)
通種孫 吉通/通忠
通種孫 通登【?-1549】
通種孫 政長【?-1572】
通種孫 政秀【?-1578】
通種孫 稲葉正成〔養父:稲葉重通〕→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
通種孫 政行
政行の妻 稲葉重通の娘
政行の妻の父 稲葉重通→稲葉重通~紀通の系図
通種孫 稲葉政貞〔養父:稲葉正成〕→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
河野通義~通直の系図
河野通義(みちよし)/通能(みちよし)【1369-1394】
伊予守護。
祖父 通朝・父 通直→河野通継~通直の系図
河野通久(みちひさ)/持通【?-1435】
河野通直(みちなお)【?-1500】
子 稲葉通貞・孫 通則→稲葉通貞・通則の系図
河野通宣(みちのぶ)【?-1519】
子 通昌(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
通昌孫 治伝→河野治伝~通宗の系図
河野通直(みちなお)【?-1572】
妻 宍戸隆家の娘
妻の父 宍戸隆家→宍戸隆家の系図
子 一柳宣高・孫 直高→一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図
子・子の夫 村上通康・孫 来島通総→村上通康~来島長親の系図
河野通直(みちなお)【1566-1587】
長宗我部元親に攻められて降伏した。
河野治伝~通宗の系図
河野治伝(じでん)
祖父 通長・父 通明→河野通義~通直の系図
孫 通重・曾孫 通喬→河野通重~通致の系図
河野松安(しょうあん)【1582-1648】
子の夫 桑山栄晴→桑山栄晴の系図
子の夫 伊東祐泰→伊東政世~祐泰の系図
孫 祐〓→伊東祐〓~祐之・祐忠~祐房の系図
子の夫 安部正広→安部正広の系図
河野通宗(みちむね)【1619-1679】
妻 織田順高の娘
妻の父 織田順高→織田順高の系図
子 通重〔養父:寿林〕→河野通重~通致の系図
子 通房・孫 通休→河野通房・通休の系図
子の夫 本田正信→本田正信の系図
子の夫 織田信輝→織田信輝の系図
子の夫 建部光成→建部高光~政宇・光延~政周の系図
河野通房・通休の系図
河野通房(みちふさ)【1654-1718】
祖父 松安・父 通宗→河野治伝~通宗の系図
祖父 織田順高→織田順高の系図
妻 石来吉加の娘
妻の父 石来吉加→石来吉加の系図
子 遠藤常実〔養父:遠藤常英〕→遠藤常実の系図
子の夫 建部政周→建部政周~政世の系図
河野通休(みちやす)【1676-1744】
妻 藤懸永次の娘
妻の父 藤懸永次→藤懸永次の系図
子 通頼・孫 通久→河野通頼~通明の系図
子の夫 伊与田正喜→伊与田正喜の系図
子の夫 藤懸永房→藤懸永房の系図
子の夫 土方勝満→土方勝満の系図
子の夫 高島兼通→高島兼通の系図
子の夫 林信言→林信言の系図
子の夫 伊勢貞恒→伊勢貞恒の系図
子の夫 遠藤常住→遠藤常住の系図
河野通頼~通明の系図
河野通頼(みちより)【1714-1793】
祖父 通房・父 通休→河野通房・通休の系図
祖父 藤懸永次→藤懸永次の系図
妻 河野通喬の娘
妻の父 河野通喬→河野通重~通致の系図
子 栗本亥五郎〔養父:栗本昌友〕→栗本亥五郎の系図
子 通敦〔養父:河野通秀〕→河野通重~通致の系図
子の夫 森春松→森春松の系図
子の夫 伊藤正威→伊藤正威の系図
子の夫 佐野政敷→佐野政敷の系図
河野通久(みちひさ)【1741-?】
妻 奥田忠英の娘
実は岡野成常(→岡野成常の系図)の娘。
妻の父 奥田忠英→奥田忠英の系図
妻 蜷川親豊の娘
妻の父 蜷川親豊→蜷川親豊の系図
子 森春久〔養父:森春松〕→森春久の系図
子 町野幸寧〔養父:町野幸行〕→町野幸寧の系図
子 塙直挙〔養父:塙直博〕→塙直挙の系図
子の夫 坂友昇→坂友昇の系図
子の夫 飯田易信→飯田易信の系図
河野通明(みちあきら)【1767-?】
妻 曲直瀬正雄の娘
妻の父 曲直瀬正雄→曲直瀬正雄の系図
河野通重~通致の系図
河野通重(みちしげ)【1652-1724】
実は河野通宗(→河野治伝~通宗の系図)の子。
祖父 治伝・母 寿林→河野治伝~通宗の系図
妻 金森可俊の娘
妻の父 金森可俊→金森可俊の系図
子 通重の娘〔養父:堀田正高〕→堀田正高の系図
子の夫 三上季信→三上季信の系図
子の夫 正木康村→正木康村の系図
子の夫 押田住勝→押田住勝の系図
河野通喬(みちたか)【1693-1756】
妻 朽木定盛の娘
実は山田勝重(→山田勝重の系図)の娘。
妻の父 朽木定盛→朽木宣綱・良綱~金綱の系図
子 仁賀保誠陳〔養父:仁賀保誠胤〕→仁賀保誠陳の系図
子 本田正鋪〔養父:本田章胸〕→本田正鋪の系図
子 織田規信〔養父:織田信守〕→織田規信の系図
子 桑山晴和〔養父:桑山延晴〕→桑山晴和の系図
子 小菅国英〔養父:小菅武第〕→小菅国英の系図
子 松平忠由〔養父:松平忠直〕→松平忠由の系図
子 大久保康寛〔養父:大久保康致〕→大久保康寛の系図
子の夫 前田直主→前田直主の系図
子の夫 大岡直往→大岡直利~直孝・直信~祥延の系図
子の夫 遠山為長→遠山為長の系図
子の夫 有馬尚久→有馬尚久の系図
子の夫 三上季良→三上季良の系図
子の夫 河野通頼→河野通頼~通明の系図
子の夫 大島義陳→大島義陳の系図
子の夫 佐野政親→佐野政親の系図
河野通教(みちのり)【1719-1743】
妻 井戸弘宰の娘
妻の父 井戸弘宰→井戸弘宰の系図
河野通秀(みちよし)【1740-?】
妻 細田時敏の娘
妻の父 細田時敏→細田時敏の系図
妻 浅野長寿の娘
妻の父 浅野長寿→浅野長恒~長盈の系図
夫 野一色義恭→野一色義恭の系図
妻 松平定武の娘
妻の父 松平定武→松平定昌~定規の系図
夫 逸見副長→逸見副長の系図
子 通敦
実は河野通頼(→河野通頼~通明の系図)の子。
子 通丼
実は酒井忠啓(→酒井忠正~忠求の系図)の子。
子の夫 桑山晴興→桑山晴興の系図
河野通致(みちむね)【1770-?】
実は富永泰房(→富永泰房の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。