多治比(丹治)氏の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、多治比(丹治)氏の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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多治比(丹治)氏の略系図

多治比氏の略系図

2 上殖葉皇子上殖葉皇子~丹治武時の系図
13 武峯丹治武峯の系図
14 元房丹治元房の系図

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上殖葉皇子~丹治武時の系図

上殖葉皇子~丹治武時の系図

  上殖葉皇子(かみつうえは)/椀子皇子(まろこ)
 多治比氏の祖。「多治比」は丹治比・丹比・丹墀・多治とも書いた。

祖父 継体天皇 宣化天皇継体天皇〜宣化天皇の系図
祖父 仁賢天皇顕宗天皇〜武烈天皇の系図


  多治比王/多治比古王


  多治比島(しま)/嶋/志摩【624-701】
 左大臣。
 家原音那(おんな)
 夫の死後も貞節を守り、連の姓などを授けられた。

 池守(いけもり)【?-730】
 大納言。
 家主(やかぬし)【?-760】
曾孫 長野(ながの)【706-789】
 参議。
池守孫 真継(『系図纂要』による。)
池守孫 真宗桓武天皇の系図
真宗の子 葛原親王葛原親王・万多親王・仲野親王の系図

 県守(あがたもり)【668-737】
 中納言。遣唐使としても活躍した。
 水守(みずもり)【?-711】
 土作(はにし)【?-771】
 参議。
曾孫 今麿(いままろ)【753-825】
 参議。

 広足(ひろたり)【681-760】
 中納言。橘奈良麿の変で解任された。


  多治比広成(ひろなり)【?-739】
 中納言。遣唐使としても活躍した。


  多治比貞峯(さだみね)【799-874】
 多治比島の玄孫。


  丹治峯延/峯信(以下、『系図纂要』によるが、史料により異同が多い。姓は以下丹治で統一する。)
 広成から峯延(峯信)までについて、『大関家譜(下野黒羽)』は「広成─家隆─家広─家綱─頼景─家景─家義─家信─武信─峯信」とし、『青木家譜(摂津麻田)』は「広成─貞成─貞峯─家隆─家綱─頼景─家景─家義─家信─武信─峯信」とする。


  丹治武綱/武経


  丹治武時
 武峯丹治武峯の系図
 元房丹治元房の系図

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丹治武峯の系図

丹治武峯の系図

  丹治武峯/武平

祖父 武綱 武時上殖葉皇子~丹治武時の系図

 経房/恒房
 『大関家譜(下野黒羽)』・『中山家譜(常陸松岡)』は父を丹治基房(元房)とする。
 実光/実平/寛光【?-1221】
曾孫 実房(以下、『大関家譜(下野黒羽)』による。)
実光孫 大関高清大関高清~政増の系図

 時親(『中山家譜(常陸松岡)』による。)

曾孫 時綱/時親

時房孫 家時時経時光時賢(『中山家譜(常陸松岡)』による。)

 長房
 『青木家譜(摂津麻田)』は父を丹治経房とする。
 能房(『中山家譜(常陸松岡)』による。)

 元房丹治元房の系図
 信光
 『中山家譜(常陸松岡)』は父を丹治経房とする。
 成房/盛房
 『中山家譜(常陸松岡)』は父を丹治基房(元房)とする。
 成清【?-1205】(『中山家譜(常陸松岡)』による。)

 重光
 『中山家譜(常陸松岡)』は父を丹治基房(元房)とする。
 行房
 『青木家譜(摂津麻田)』は父を丹治経房とする。
 政広
 『中山家譜(常陸松岡)』は父を丹治基政とする。
曾孫 政信政経政家広方(『中山家譜(常陸松岡)』による。)

 基政(以下、『中山家譜(常陸松岡)』による。)

 俊貞(『中山家譜(常陸松岡)』による。)

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丹治元房の系図

丹治元房の系図

  丹治元房/基房
 『青木家譜(摂津麻田)』は父を丹治経房とし、『黒田家譜(上総久留里)』は父を丹治峯房とする。

祖父 武時上殖葉皇子~丹治武時の系図
 武峯丹治武峯の系図

 直兼〔養子:丹治実直〕
 『中山家譜(常陸松岡)』は父を丹治直房とする。
 有直(『中山家譜(常陸松岡)』による。)

 実直〔養父:丹治直兼〕
 『中山家譜(常陸松岡)』は父を丹治経房とする。
 実村(以下、『青木家譜(摂津麻田)』による。)
実直孫 青木重直青木重直~重成の系図

 経家(以下、『中山家譜(常陸松岡)』による。)
 家季【?-1205】

経家孫 光家【?-1305】
経家孫 助家【?-1305】

経家孫 規季【?-1402】
経家孫 氏季【?-1512】
経家孫 中山家勝中山家勝・家範・照守・直定の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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