間部氏(藤原氏北家・魚名流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、間部氏(藤原氏北家・魚名流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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間部氏(越前国鯖江藩主)の略系図

間部氏の略系図

1 満任塩川満任~為満の系図
19 一家塩川一家~間鍋詮清の系図
26 清貞西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図
29 詮方間部詮方・詮央の系図
31 詮茂間部詮茂~詮道の系図

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塩川満任~為満の系図

塩川満任~為満の系図

  塩川満任
 母は『華族系譜』による。

祖父 安親藤原安親の系図
 季随藤原季随の系図

 親任実任(『華族系譜』による。)


  塩川季任(以下、『華族系譜』による。)


  塩川満親
子の夫 大内惟義大内惟義~秀治の系図


  塩川惟親
 実は大内惟義(→大内惟義~秀治の系図)の子。


  塩川満国
 満直【?-1228】


  塩川満資【?-1233】


  塩川満貞【?-1270】


  塩川満長【?-1318】
 宗信【?-1332】
 宗長【?-1345】


  塩川満永【1288-1345】
 頼永【?-1362】


  塩川頼宗【?-1371】
 宗正【?-1408】


  塩川満重/宗重【?-1407】


  塩川満一【?-1423】


  塩川一宗【?-1441】


  塩川為宗【?-1475】


  塩川為満【?-1489】
 一家 信氏塩川一家~間鍋詮清の系図

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塩川一家~間鍋詮清の系図

塩川一家~間鍋詮清の系図

  塩川一家/満家【?-1509】

祖父 為宗 為満塩川満任~為満の系図

 満定【1510-1565】
 満勝【1548-1566】
曾孫 満一【1565-1596】
満定孫 一茂【1582-1671】
満定孫 一言【1596-1681】
満定孫 宗知【?-1681】
満定孫 一貞【?-1673】

満定孫 一徳【?-1694】

満定孫 一広【?-1614】

 国満【?-1585】
孫の夫 織田信長→織田信長の系図

曾孫 仁右衛門【1588-1675】


  塩川信氏【?-1555】
子の夫 池田之助池田恒利・信輝の系図


  塩川信行/信光【?-1535】


  間鍋詮光【?-1582】


  間鍋詮清【1591-1670】
 西田清貞 間部詮房 間部詮之詮衡西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図

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西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図

西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図

  西田清貞(きよさだ)【?-1711】

祖父 詮吉 詮清塩川一家~間鍋詮清の系図

 詮貞(あきさだ)【1668-1727】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 詮方〔養父:間部詮言〕→間部詮方・詮央の系図
 詮貞の娘(2人)〔養父:間部詮房〕

 詮言〔養父:間部詮房〕
子の夫 安部信美→安部信美の系図
子の夫 小坂雄重→小坂雄重の系図


  間部詮房(あきふさ)【1666-1720】
 上野国高崎藩主・越後国村上藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。徳川家宣に仕え、家宣が将軍になると側用人として正徳の治に携わった。
 小花和成武の娘
妻の父 小花和成武→小花和成武の系図

 詮房の娘
 実は間部詮貞の娘。内藤義稠に嫁ぐ予定であった。
子の夫 永井直英永井直清~直英の系図


  間部詮言(あきとき)【1690-1724】
 村上藩主・越前国鯖江藩主。実は西田清貞の子。
 阿部正喬の娘
 実は阿部正房(→阿部正房~正良・正員~政永の系図)の娘。
妻の父 阿部正喬阿部正武~正允・正明~正章の系図
 兵部【?-1720】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 間部詮方間部詮方・詮央の系図

 詮方 詮央間部詮方・詮央の系図


  間部詮之(あきゆき)【1674-1730】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 蒔田広蕃の娘
妻の父 蒔田広蕃→蒔田広蕃の系図

子の夫 細田時敏→細田時敏の系図


  間部詮綽(あきひろ)【1716-1771】
 実は間部詮衡の子。
 岡部長臧の娘
妻の父 岡部長臧岡部定直~長貴の系図
 小川正倖→小川正倖の系図

子の夫 糟屋義隣→糟屋義隣の系図


  間部方元(みちもと)【1742-?】
 実は間部詮方(→間部詮方・詮央の系図)の子。


  間部詮邦(あきくに)
 松平定胤の娘
妻の父 松平定胤松平定澄~定謐の系図


  間部詮衡(あきひら)【1681-1725】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 秋田季品の娘
妻の父 秋田季品→秋田季品の系図
 詮綽〔養父:間部詮之〕

 詮衡の娘〔養父:間部詮之〕
子の夫 駒井政潔→駒井政潔の系図


  間部詮長(あきなが)【1715-1766】
 秋田季成の娘
妻の父 秋田季成→秋田季成の系図

 遠山則象〔養父:遠山則幸〕→遠山則象の系図
子の夫 安部信正→安部信正の系図
子の夫 一柳直里一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図


  間部詮番(あきつぐ)【1740-1782】
 安部信久の娘
妻の父 安部信久→安部信久の系図
 安部昌信〔養父:安部信要〕→安部昌信の系図

 長谷川正脩の娘
妻の父 長谷川正脩→長谷川正脩の系図


  間部詮芳(あきふさ)【1766-?】
 間部詮茂の娘
妻の父 間部詮茂間部詮茂~詮道の系図

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間部詮方・詮央の系図

間部詮方・詮央の系図

  間部詮方(あきみち)【1709-1785】
 鯖江藩主。実は間部詮貞(→西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図)の子。

祖父 詮房 詮言西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図

 間部詮言の娘
妻の父 間部詮言西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図

 有馬一準の娘
妻の父 有馬一準有馬清純~孝純の系図
 源太郎【?-1736】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 足立氏
 詮茂〔養父:間部詮央〕→間部詮茂~詮道の系図

 佐久間信邦〔養父:佐久間信喜〕→佐久間信邦の系図
 方元〔養父:間部詮綽〕→西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図
 田中方親〔養父:田中末吉〕→田中方親の系図
 方宣(みちよし)【?-1783】
 方喬(みちたか)【1749-1770】
 阿部正包〔養父:阿部正恭〕→阿部正房~正良・正員~正永の系図
 末子桜井供敦~供愛の系図
子の夫 九鬼隆貞九鬼隆貞~隆備の系図
子の夫 松平定胤松平定澄~定謐の系図
子の夫 高木貞一→高木貞一の系図
子の夫 曽我助簉→曽我助簉の系図
子の夫 松平忠房松平忠福~忠恕の系図


  間部詮央(あきなか)【1738-1771】
 鯖江藩主。
 朽木民
 朽木玄綱(→朽木稙治~綱貞の系図)の娘。
 内藤政苗内藤政晴~政苗の系図
子の夫 織田秀綿→織田秀綿の系図

 詮茂 詮煕間部詮茂~詮道の系図

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間部詮茂~詮道の系図

間部詮茂~詮道の系図

  間部詮茂(あきとお)/詮堅(あきかた)【1739-1786】
 鯖江藩主。実は間部詮方(→間部詮方・詮央の系図)の子。

祖父 詮方 詮央間部詮方・詮央の系図

 堀田久里
 堀田正亮(→堀田正亮の系図)の娘。
 丹羽喜
 丹羽高庸(→丹羽高庸の系図)の娘。
 松平直泰松平直泰・直之の系図

 山名義蕃〔養父:山名義方〕→山名義蕃の系図
 仙石久徳〔養父:仙石久功〕→仙石久徳の系図
 忠固〔養父:酒井忠貞(→酒井忠次~忠貞の系図)〕
子の夫 間部詮芳西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図


  間部詮煕(あきひろ)【1766-1812】
 鯖江藩主。
 牧野貞長の娘
妻の父 牧野貞長→牧野貞長の系図

 永田氏
 詮勝〔養父:間部詮允〕

 方苞【?-1810】
 詮煕の娘【?-1814】
子の夫 水野忠篤水野忠見~忠順の系図
子の夫 米倉昌寿米倉昌晴~昌言の系図


  間部詮允(あきさね)【1790-1814】
 鯖江藩主。藩校進徳館を創設した。
 亀井載
 亀井矩賢(→亀井矩貞~茲監の系図)の娘。
子の夫 永井直寛永井直進~直諒の系図


  間部詮勝(あきかつ)/詮良【1804-1884】
 老中・鯖江藩主。実は間部詮煕の子。条約勅許に奔走し、後に大老井伊直弼と対立して老中を辞任した。
 松平簾
 松平康任(→松平康定~康載の系図)の娘。
 右京【?-1825】
 松平信古〔養父:松平信璋〕→松平信明~信古の系図
 詮善【?-1848】
 詮勝の娘【?-1874】

 田子氏
 松平正質〔養父:松平正和〕→松平正升~正質の系図
 新次郎〔養父:菅沼新八郎〕
 大八郎〔養父:杉浦銃之進〕
 正祥〔養父:室賀竹堂〕
 錦〓
 〓は「衤」+「朋」。
 詮道〔養父:間部詮実〕
 〔養父:渡辺滋〕
子の夫 板倉勝弘板倉勝喜~勝弘の系図
子の夫 太田資美太田資言~資美の系図


  間部詮実(あきざね)【1827-1863】
 鯖江藩主。
 伊東祐相の娘
妻の父 伊東祐相伊東祐隆~祐帰の系図
 詮成【?-1854】


  間部詮道(あきみち)【1853-1892】
 鯖江藩主。実は間部詮勝の子。
 松平正和の娘
妻の父 松平正和松平正升~正質の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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