このページでは、伊達氏(藤原氏北家・魚名流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
伊達氏(陸奥国仙台藩主)の略系図
1 朝宗→伊達朝宗~成宗の系図
13 尚宗→伊達尚宗・稙宗の系図
15 晴宗→伊達晴宗・輝宗の系図
17 政宗→伊達政宗の系図
18 忠宗→伊達忠宗の系図
19 綱宗→伊達綱宗・綱村の系図
21 吉村→伊達吉村の系図
22 宗村→伊達宗村の系図
23 重村→伊達重村~宗基の系図
伊達朝宗~成宗の系図
伊達朝宗(ともむね)
伊達氏の祖。母は『寛政重修諸家譜』による。71歳で亡くなった。
祖父 家親・父 光隆→藤原定任の系図
祖父 源為義→源為義の系図
子 伊佐為宗・資綱・為家・為行・伊達崎実綱・延厳・朝基・寺本為保(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 源頼朝→源頼朝の系図
伊達宗村(むねむら)/為重(ためしげ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
伊達義広(よしひろ)【1185-1256】
伊達政依(まさより)【?-1301】
伊達宗綱(むねつな)
伊達基宗(もとむね)
伊達行宗(ゆきむね)/行朝(ゆきとも)/朝村(ともむら)【1291-1348】
伊達宗遠(むねとお)【1324-1385】
子の夫 最上直家→最上直家の系図
伊達政宗(まさむね)【1353-1405】
妻 通清の娘【1356-1442】
妻の父 通清→通清の系図
伊達氏宗(うじむね)【1371-1412】
伊達持宗(もちむね)/泰宗(やすむね)【1393-1469】
子 義宗〔養父:懸田詮宗〕
子 小梁川盛宗(もりむね)【1440-1500】
子 郡宗〔養父:留守重家〕
子 蘂源(すいげん)【1451-1524】
伊達成宗(なりむね)
妻 大崎教兼の娘
妻の父 大崎教兼→大崎教兼の系図
子 尚宗・孫 稙宗→伊達尚宗・稙宗の系図
子 宗清〔養父:葛西満重〕
伊達尚宗・稙宗の系図
伊達尚宗(なおむね)【1453-1514】
祖父 持宗・父 成宗→伊達朝宗~成宗の系図
祖父 大崎教兼→大崎教兼の系図
妻 上杉定実の娘
妻の父 上杉定実→上杉定実の系図
子 景宗(かげむね)【?-1551】〔養父:留守藤王丸〕
子 久松丸【1500-1505】
子の夫 最上義定→最上義定の系図
伊達稙宗(たねむね)【1488-1565】
陸奥守護。塵芥集を制定した。
妻 芦名盛高の娘
妻の父 芦名盛高→芦名盛高の系図
子 晴宗・孫 輝宗→伊達晴宗・輝宗の系図
子 義宣〔養父:大崎高兼(→大崎高兼の系図)〕
子 実元(さねもと)/真元(さねもと)【1527-1587】
子の妻 伊達晴宗の娘【?-1591】
子の妻の父 伊達晴宗→伊達晴宗・輝宗の系図
子 玄蕃
8歳で亡くなった。
子の夫 相馬顕胤→相馬顕胤の系図
子の夫 芦名盛氏→芦名盛氏の系図
妻 大館
子 宗澄
母は『華族系譜』による。
子 稙宗の娘【?-1608】
母は『華族系譜』による。懸田俊宗に嫁いだ。
子の夫 二階堂照行→二階堂照行の系図
子の夫 田村隆顕→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図
妻 中館
子 四郎〔養父:桑折貞長〕
母は『華族系譜』による。17歳で亡くなった。
子 宗清
母は『華族系譜』による。
子 庸甫(こうほ)【1535-1618】
母は『華族系譜』による。
妻 亘理宗隆の娘
子 綱宗(つなむね)【1527-1543】〔養父:亘理宗隆〕
子 元宗(もとむね)【1530-1594】(以下、『系図纂要』による。)
曾孫 宗助/宗重
子 晴胤〔養父:葛西晴重〕
子 宗殖(むねふゆ)【1542-1604】〔養父:村田近重〕
子 宗栄〔養父:極楽院善栄〕
子の夫 相馬義胤→相馬義胤の系図
伊達晴宗・輝宗の系図
伊達晴宗(はるむね)【1519-1577】
弟の実元が上杉定実の養子となることに反対し、父稙宗を幽閉した。後に子の輝宗と対立した。
祖父 尚宗・父 稙宗→伊達尚宗・稙宗の系図
祖父 芦名盛高→芦名盛高の系図
妻 岩城重隆の娘
妻の父 岩城重隆→岩城重隆の系図
子 岩城親隆〔養父:岩城重隆〕→岩城親隆の系図
子 政景(まさかげ)【1549-1607】〔養父:留守顕宗〕
子 昭光(あきみつ)【1550-1622】〔養父:石川晴光〕
豊臣秀吉に小田原攻めへの不参加を咎められて領地を没収された。後に伊達政宗に仕えた。
子 盛重/政重〔養父:国分盛氏〕
子 直宗(なおむね)【?-1584】
子の夫 二階堂盛義→二階堂盛義の系図
子の夫 伊達実元→伊達尚宗・稙宗の系図
子の夫 芦名盛興→芦名盛興の系図
子の夫 芦名盛隆→芦名盛隆の系図
子の夫 佐竹義重→佐竹義重の系図
伊達輝宗(てるむね)【1544-1585】
妻 最上義守の娘
妻の父 最上義守→最上義守の系図
子 政宗→伊達政宗の系図
孫 秀宗→伊達秀宗の系図
孫 忠宗→伊達忠宗の系図
子 竺丸【?-1590】
伊達政宗の系図
伊達政宗(まさむね)【1567-1636】
陸奥国仙台藩主。奥州南部を勢力下に置いた。関ケ原の戦いでは東軍についた。
祖父 晴宗・父 輝宗→伊達晴宗・輝宗の系図
祖父 最上義守→最上義守の系図
妻 田村愛姫(めごひめ)【1568-1653】
田村清顕(→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図)の娘。
子 忠宗→伊達忠宗の系図
孫 綱宗→伊達綱宗・綱村の系図
子 宗綱(むねつな)【1603-1618】
子 五郎八姫→松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図
妻 飯坂宗康の娘
子 秀宗→伊達秀宗の系図
孫 宗利→伊達宗利・宗贇の系図
孫 宗純→伊達宗純~村信の系図
子 宗清〔養父:飯坂宗康〕
妻 柴田氏
子 宗高(むねたか)【1607-1626】
妻 多田氏
子 宗勝(むねかつ)【1621-1679】
陸奥国一関藩主。
子の妻 立花宗茂の娘
実は立花種次(→立花種次の系図)の娘。
子の妻の父 立花宗茂→立花宗茂の系図
孫 宗興(むねおき)【1645-?】
孫の妻 姉小路公景の娘
孫の妻の父 姉小路公景→姉小路公景~実武の系図
妻 村上氏
子の夫 京極高国→京極高国~高福の系図
子 宗泰(むねやす)【1602-1638】
伊達忠宗の系図
伊達忠宗(ただむね)【1599-1658】
仙台藩主。
祖父 輝宗→伊達晴宗・輝宗の系図
父 政宗→伊達政宗の系図
祖父 田村清顕→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図
妻 徳川振姫(ふりひめ)【1607-1659】
実は池田輝政(→池田輝政の系図)の娘。
妻の父 徳川秀忠→徳川秀忠の系図
子 虎千代【1624-1630】
子 光宗(みつむね)【1627-1645】
子の夫 立花忠茂→立花忠茂の系図
妻 櫛笥隆致の娘
妻の父 櫛笥隆致→櫛笥隆憲~隆方の系図
子 綱宗・孫 綱村→伊達綱宗・綱村の系図
妻 大野氏
子 田村宗良〔養父:田村宗顕、鈴木元信〕→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図
子 宗規〔養父:伊達国隆〕
妻 山戸氏
子 宗房〔養父:田手高実〕
孫 吉村〔養父:伊達綱村〕→伊達吉村の系図
子 宗章〔養父:飯坂定長〕
子 五郎吉〔養父:白石宗勝〕
子 宗倫〔養父:白石宗勝、伊達村直(→伊達綱宗・綱村の系図)〕
伊達綱宗・綱村の系図
伊達綱宗(つなむね)【1640-1711】
仙台藩主。
祖父 政宗→伊達政宗の系図
父 忠宗→伊達忠宗の系図
祖父 櫛笥隆致→櫛笥隆憲~隆方の系図
妻 三沢初子(はつこ)【1639-1686】
子 村和(むらより)/顕孝(あきたか)/村任(むらとう)【1661-1722】〔養父:伊達宗景〕
陸奥国水沢藩主。
子 宗贇〔養父:伊達宗利、石川宗弘〕→伊達宗利・宗贇の系図
妻 平田氏
子 村直/基永〔養父:伊達宗倫(→伊達忠宗の系図)〕
子 村景〔養父:伊達宗景〕
実は伊達村元の子。
子 綱宗の娘〔養父:伊達綱村〕
子 綱宗の娘
実は伊達村元の娘。石川村弘に嫁いだ。
子の夫 立花貞晨→立花貞晨の系図
伊達綱村(つなむら)/綱基(つなもと)【1659-1719】
仙台藩主。
妻 稲葉仙姫
稲葉正則(→稲葉正則の系図)の娘。
子 吉村→伊達吉村の系図
孫 宗村→伊達宗村の系図
子の夫 本多康命→本多康慶~康敏の系図
伊達吉村の系図
伊達吉村(よしむら)/村房(むらふさ)【1680-1751】
仙台藩主。実は伊達宗房(→伊達忠宗の系図)の子。藩政改革を推し進め、中興の英主と呼ばれた。
祖父 綱宗・父 綱村→伊達綱宗・綱村の系図
妻 久我通誠の娘
実は久我通名(→久我通世~通名の系図)の娘。
妻の父 久我通誠→久我通誠~通兄の系図
子 宗村→伊達宗村の系図
孫 重村→伊達重村~宗基の系図
子の夫 池田継政→池田継政~治政の系図
子の夫 伊達村年→伊達村年の系図
孫 村候→伊達村候の系図
妻 岡村氏
子の夫 稲葉正益→稲葉正親~正弘の系図
妻 高橋氏
子 田村村隆〔養父:田村村顕、伊達村倫〕→田村建顕~村隆の系図
子 村良〔養父:伊達村倫〕
孫 田村村資〔養父:田村村隆〕→田村村資~崇顕の系図
子 吉村の娘
松平定邦に嫁ぐ予定であった。
子 吉村の娘
実は久我通名(→久我通世~通名の系図)の娘。伊達村胤に嫁いだ。
伊達宗村の系図
伊達宗村(むねむら)/久村(ひさむら)【1718-1756】
仙台藩主。
祖父 綱村→伊達綱宗・綱村の系図
父 吉村→伊達吉村の系図
祖父 久我通誠→久我通誠~通兄の系図
妻 徳川綱子
実は徳川宗直(→徳川宗直の系図)の娘。
妻の父 徳川吉宗→徳川吉宗の系図
子の夫 鍋島重茂→鍋島宗茂~重茂の系図
妻 坂氏
子 重村・孫 斉村→伊達重村~宗基の系図
子 堀田正敦〔養父:堀田正富〕→堀田正敦の系図
子 宗村の娘
松平容頌に嫁ぐ予定であった。
子の夫 酒井忠貫→酒井忠与~忠氏の系図
妻 佐野氏
子 土井利徳〔養父:土井利信〕→土井利徳~利教の系図
妻 橋本氏
子 村倫〔養父:伊達村胤〕
妻 林氏
子 土井利置〔養父:土井利信〕→土井利長~利信の系図
子の夫 松平治郷→松平宣維~定安の系図
妻 丹野氏
子 宗村の娘
稲葉正弘に嫁ぐ予定であった。
伊達重村~宗基の系図
伊達重村(しげむら)/国村(くにむら)【1742-1796】
仙台藩主。
妻 広幡長忠の娘〔養父:近衛内前(→近衛家久・内前の系図)〕
妻の父 広幡長忠→広幡長忠~忠礼の系図
子の夫 井伊直富→井伊直幸の系図
妻 大原氏
子の夫 伊達村寿→伊達村寿・宗紀の系図
妻 安田氏
子 生姫→池田治道~慶徳の系図
子の夫 土屋英直→土屋英直~挙直の系図
伊達斉村(なりむら)/祝村(ときむら)【1774-1796】(以下、『伊達家譜(陸前仙台)』による。)
仙台藩主。
妻 鷹司誠子
鷹司輔平(→鷹司輔平の系図)の娘。
妻 喜多山氏
子 斉宗〔養父:伊達周宗〕
伊達周宗(ちかむね)【1796-1812】
仙台藩主。
伊達斉宗(なりむね)【1796-1819】
仙台藩主。実は伊達斉村の子。
妻 徳川鍇姫
徳川治宝(→徳川重倫~茂承の系図)の娘。
伊達斉義(なりよし)【1798-1827】
仙台藩主。実は田村村資(→田村村資~崇顕の系図)の子。
妻 山本氏
子 慶邦〔養父:伊達斉邦〕
子 保子(やすこ)/佑姫(ゆうひめ)/和子【1827-1904】
伊達斉邦(なりくに)【1817-1841】
仙台藩主。実は伊達宗充の子。
伊達慶邦(よしくに)【1825-1874】
仙台藩主。実は伊達斉義の子。奥羽越列藩同盟に加わり、謹慎を命じられた。
妻 鷹司備子
鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の娘。
妻 徳川八代姫
徳川斉昭(→徳川斉昭~昭武の系図)の娘。
子 田村通顕→田村村資~崇顕の系図
実は田村邦行の子。
子 宗敦(むねあつ)【1852-1911】
実は伊達宗城(→伊達宗城・宗徳の系図)の子。
子の妻 伊達慶邦の娘(『華族系譜』による。)
実は広幡忠礼(→広幡長忠~忠礼の系図)の娘。
伊達宗基(むねもと)【1866-1917】
仙台藩主。
妻 松浦都子
松浦詮(→松浦清~詮の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。