このページでは、大友氏(藤原氏北家・藤成流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大友氏の略系図
1 能直→大友能直~頼泰の系図
4 親言→大友親言~氏泰の系図
8 氏時→大友氏時~親隆の系図
14 親繁→大友親繁~親治の系図
18 義長→大友義長~義親の系図
21-A 義孝→大友義孝~義智の系図
21-B 正照→松野正照~親裕の系図
大友能直~頼泰の系図
大友能直(よしなお)【1172-1223】〔養父:中原親能(→中原親能の系図)〕
父は源頼朝(→源頼朝の系図)とも。奥州攻めで功をあげ、御家人として活躍した。
祖父 景頼・父 能成→近藤脩行~能成の系図
祖父 大江維光→大江匡房~維光の系図
子 能秀【1198-1263】(以下、『系図纂要』による。)
子 泰広(以下、『系図纂要』による。)
泰広孫 鑑理/鑑直
鑑理の子の夫 大友義鎮→大友義長~義親の系図
泰広孫 鎮宣【?-1578】
泰広孫 高橋鎮種→高橋鎮種・立花直次の系図
子の夫 名越朝時→名越朝時の系図
大友親秀(ちかひで)【1193-1248】
母は『寛政重修諸家譜』による。『系図纂要』によれば、母は畠山四郎入道の娘。承久の乱で京方と戦った。
妻 水無瀬親兼の娘
妻の父 水無瀬親兼→水無瀬親兼~具隆の系図
夫 久我通光→久我通光の系図
子 戸次重秀(以下、『系図纂要』による。)
重秀孫 頼秀/直光
重秀孫 親載〔養父:戸次直繁〕
実は戸次直世の子。
重秀孫 直頼
実は戸次親載の甥。
重秀孫 能泰
実は戸次直頼の従弟の子。
重秀孫 親貞【1498-1570】〔養父:戸次能泰〕
実は戸次親載の子。
重秀孫 鑑連〔養父:立花親善〕→立花貞載~宗茂の系図
子の夫 資基王→資宗王の系図
大友頼泰(よりやす)/泰直【1222-1300】
母は『寛政重修諸家譜』による。蒙古襲来以降、九州に常駐するようになり、恩賞をめぐる争論に対応するため、豊後国図田帳を作成した。
子 親言・孫 貞親→大友親言~氏泰の系図
子の夫 北条宗頼→北条泰時~時頼の系図
大友親言~氏泰の系図
大友親言(ちかとき)/親時(ちかとき)【1236-1295】
母は『寛政重修諸家譜』による。文永・弘安の役で活躍した。
祖父 親秀・父 頼泰→大友能直~頼泰の系図
子 貞宗〔養父:大友貞親〕
子の夫 島津貞久→島津貞久の系図
大友貞親(さだちか)【1248-1311】
母は『寛政重修諸家譜』による。文永・弘安の役で活躍した。
大友貞宗(さだむね)【?-1333】
実は大友親言の子。豊後守護。鎮西探題北条英時を滅ぼした。
子 立花貞載・孫 宗匡→立花貞載~宗茂の系図
子 立花宗匡〔養父:立花貞載〕→立花貞載~宗茂の系図
子 氏時〔養父:大友氏泰〕→大友氏時~親隆の系図
子 貞順・即宗(『系図纂要』による。)
子 氏宗/宗行/氏行
大友氏泰(うじやす)【1321-1362】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 氏時・孫 親世→大友氏時~親隆の系図
大友氏時~親隆の系図
大友氏時(うじとき)【?-1368】
実は大友貞宗(→大友親言~氏泰の系図)の子。菊池氏と争ったが、筑後大保原の戦いで敗れた。
祖父 貞宗・父 氏泰→大友親言~氏泰の系図
子 親国/親有(『寛政重修諸家譜』による。)
子 氏能(『寛政重修諸家譜』による。)
孫 親著〔養父:大友親世〕
大友親世(ちかよ)【?-1418】
子 持直〔養父:大友親著〕
子 親隆〔養父:大友親経〕
子 親棟/著世(『寛政重修諸家譜』による。)
子 親直・親雄・福巌寺(『寛政重修諸家譜』による。)
大友親著(ちかつく)【?-1426】
実は利根氏続の子。
子 孝親(たかちか)【1394-1425】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 親経〔養父:大友持直〕
子 親繁〔養父:大友親隆〕→大友親繁~親治の系図
子 直親(『寛政重修諸家譜』による。)
大友持直(もちなお)【?-1445】
実は大友親世の子。豊後守護。大内盛見を討ったことで、幕府に家督を没収された。
大友親経(ちかつね)/親綱(ちかつな)【?-1459】
実は大友親著の子。
大友親隆(ちかたか)【?-1470】
実は大友親世の子。
子・子の夫 親繁・孫 政親→大友親繁~親治の系図
子 親満/永世(『系図纂要』による。)
大友親繁~親治の系図
大友親繁(ちかしげ)【?-1482】
実は大友親著(→大友氏時~親隆の系図)の子。
祖父 親経・父 親隆→大友氏時~親隆の系図
妻 大友親隆の娘
妻の父 大友親隆→大友親繁~親治の系図
妻 竹中氏
子 親治〔養父:大友義右〕
子 日田親常/親武(以下、『系図纂要』による。)
子 日田親勝・親載・戸次親照・子 親繁の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
大友政親(まさちか)【1444-1496】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 大内政弘の娘
妻の父 大内政弘→大内政弘の系図
子 親治〔養父:大友義右〕
子 政親の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 島津忠昌(『寛政重修諸家譜』による。)→島津忠昌の系図
大友義右(よしすけ)/親豊(ちかとよ)/材親(きちか)【1469-1496】
母は『寛政重修諸家譜』による。
大友親治(ちかはる)【?-1522】
実は大友政親(『尊卑分脈』)・大友親繁(『寛政重修諸家譜』)の子。
子 義長・孫 義鑑→大友義長~義親の系図
子 親賢(以下、『系図纂要』による。)
子 元載/親元〔養父:戸次親載〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 詫摩鑑秀(『寛政重修諸家譜』による。)
大友義長~義親の系図
大友義長(よしなが)/義親(よしちか)【?-1513】
母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 義右・父 親治→大友親繁~親治の系図
子 菊池重治(しげはる)/国武(くにたけ)/義宗(よしむね)/義武(よしたけ)【?-1554】
孫 鎮成(『系図纂要』による。)
子 義長の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
大友義鑑(よしあき)/親安(ちかやす)/親敦(ちかあつ)【1502-1550】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 大内義長〔養父:大内義隆〕→大内義長の系図
子 義鑑の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
近衛家に嫁ぐ予定であった。
子 塩市丸・子 義鑑の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 一条房基(『系図纂要』による。)→一条教房の系図
子の夫 河野氏(『寛政重修諸家譜』による。)
大友義鎮(よししげ)/宗麟(そうりん)【1530-1587】
母は『寛政重修諸家譜』による。キリスト教を信仰・保護し、南蛮貿易を行った。勢力を大きく広げた。
妻 大友鑑理の娘
妻の父 大友鑑理→大友能直~頼泰の系図
子 門司親家・松野親盛(『寛政重修諸家譜』による。)
子 義鎮の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
毛利輝元に嫁ぐ予定であった。
子の夫 筑紫広門(『寛政重修諸家譜』による。)→筑紫広門の系図
子の夫 一条兼定(『寛政重修諸家譜』による。)→一条教房の系図
子の夫 毛利秀包(『寛政重修諸家譜』による。)→毛利元就の系図
子の夫 日勝(『寛政重修諸家譜』による。)→日勝の系図
子の夫 奈多鎮元・臼杵統尚・一万田氏・大津留氏(『寛政重修諸家譜』による。)
大友吉統(よしむね)/義統(よしむね)【1558-1605】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
母は『寛政重修諸家譜』による。文禄の役で明と戦わず除封された。関ケ原の戦いで西軍についた。
子 松野正照・孫 親冬→松野正照~親裕の系図
子の夫 一尾通春→一尾通春の系図
孫 義孝・曾孫 義閭→大友義孝~義智の系図
大友義乗(よしのり)【1577-1612】
関ケ原の戦いで東軍についた。
妻 高橋鎮種の娘
妻の父 高橋鎮種→高橋鎮種・立花直次の系図
子の夫 上杉長員→上杉長員の系図
子の夫 畠山親元→畠山親元の系図
大友義親(よしちか)【1593-1619】
妻 今川範以の娘
妻の父 今川範以→今川氏真~氏尭の系図
大友義孝~義智の系図
大友義孝(よしたか)【1641-1711】
実は松野正照(→松野正照~親裕の系図)の子。大友氏を再興し、高家旗本となった。
祖父 吉統・母 佐子局→大友義長~義親の系図
子 義泰(よしやす)【1663-1687】
子の妻 遠山安算の娘
子の妻の父 遠山安算→遠山安算の系図
大友義閭(よしさと)/親方(ちかかた)【1665-1732】
妻 青山成政の娘
実は青山成路(→青山成政~成昌の系図)の娘。
妻の父 青山成政→青山成政~成昌の系図
子 松野親善〔養父:松野親移〕→松野正照~親裕の系図
子の夫 北山経武→北山経武の系図
子の夫 向坂言政→向坂言政の系図
大友義武(よしたけ)【1697-1773】
妻 大森頼隆の娘
妻の父 大森頼隆→大森頼隆の系図
子 義方〔養父:大友義珍〕
子の夫 松浦信程→松浦信勝~信好の系図
子の夫 牧野資成→牧野資成の系図
子の夫 松平忠勧→松平伊行~忠勧の系図
大友義珍(よしたか)【1728-1805】
妻 前田房長の娘〔養父:松平康般(→松平康敬~康瑞の系図)〕
実は松平康平(→松平康敬~康瑞の系図)の娘。
妻の父 前田房長→前田房長の系図
夫 松平康瑞→松平康敬~康瑞の系図
子 義智〔養父:大友義方〕
子の夫 岡野融暉→岡野融暉の系図
子の夫 川勝広英→川勝広英の系図
大友義方(よしまさ)/親賢(ちかかた)【1747-1817】
実は大友義武の子。
大友義智(よしとも)/親友(ちかとも)【?-1825】
実は大友義珍の子。
妻 山田利往の娘
妻の父 山田利往→山田利往の系図
子 義路(以下、『系図纂要』による。)
実は久世広誉(→久世広誉~広業の系図)の子。
松野正照~親裕の系図
松野正照(まさてる)
祖父 義鎮・父 吉統→大友義長~義親の系図
子 大友義孝〔養母:佐子局〕→大友義孝~義智の系図
松野親冬(ちかふゆ)【1640-1695】
妻 戸田忠辰の娘
妻の父 戸田忠辰→戸田正次~忠喬の系図
松野親移(ちかのぶ)【1686-1746】
妻 安藤定久の娘
妻の父 安藤定久→安藤定次~定堅の系図
松野親善(ちかよし)/頼啓(よりひろ)【1653-1782】
実は大友義閭(→大友義孝~義智の系図)の子。
妻 一尾安通の娘
妻の父 一尾安通→一尾安通の系図
松野照尹(てるただ)/親盈(ちかみつ)【1749-?】
妻 大原紹正の娘
妻の父 大原紹正→大原紹正の系図
子 照尹の娘〔養父:一尾通収〕
子の夫 朽木綱利→朽木元綱~綱利の系図
子の夫 夏目信彭→夏目信彭の系図
松野親裕(ちかひろ)【1772-?】
妻 松下昭永の娘
妻の父 松下昭永→松下昭永の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。