このページでは、佐野氏(藤原氏北家・藤成流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
佐野氏の略系図
1 基綱→佐野基綱~信吉の系図
16-A 公当→佐野公当~茂好の系図
17 久綱→佐野久綱~直行の系図
20 察行→佐野察行~貴行の系図
佐野基綱~信吉の系図
佐野基綱(もとつな)
佐野氏の祖。下野国佐野荘地頭。奥州攻めや承久の乱で活躍した。
祖父 家綱・父 有綱→足利成行~有綱の系図
子 忠家(以下、『系図纂要』による。)
孫 春継(以下、『系図纂要』による。)
佐野国基(くにもと)/国綱(くにつな)
子 景綱/豊綱
子 宗綱・行綱・親綱(『系図纂要』による。)
子 為綱(以下、『系図纂要』による。)
子 重綱・孫 重村→佐野重綱~田沼意行・意誠~意英の系図
佐野実綱(さねつな)
子 頼綱・国広・弁清(『系図纂要』による。)
佐野盛綱(もりつな)/成綱(なりつな)
子 是綱・増綱・高綱・利綱(『系図纂要』による。)
佐野広綱(ひろつな)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
佐野貞綱(さだつな)/興綱
佐野資綱(すけつな)
佐野師綱(もろつな)
佐野重綱(しげつな)
佐野季綱(すえつな)/宗綱
佐野盛綱(もりつな)【?-1527】
佐野秀綱(ひでつな)【?-1546】
佐野泰綱(やすつな)【?-1560】
子 泰綱の娘(2人)(『系図纂要』による。)
佐野豊綱(とよつな)【?-1559】
子 昌綱(まさつな)【?-1574】
孫 宗綱(むねつな)【1560-1585】
曾孫 氏忠(うじただ)/氏能【1547/48-1593】
実は北条氏康(→北条氏康の系図)の子。下野国の唐沢山城主となった。小田原攻めの後は伊豆に移った。
曾孫 宗綱の娘〔養父:佐野房綱〕
曾孫 宗綱の娘(『系図纂要』による。)
孫 重綱(『系図纂要』による。)
子 豊綱の息子・虎松・綱千代(『系図纂要』による。)
佐野房綱(ふさつな)【?-1601】
小田原攻めで功をあげて唐沢山城主となった。
佐野信吉(のぶよし)/信種/政綱【1566-1622】
下野国佐野藩主。実は富田知信(→富田知信の系図)の子。兄の富田信高の改易に連坐した。
妻 佐野房綱の娘
実は佐野宗綱の娘。
子 久綱・孫 盛綱→佐野久綱~直行の系図
妻 新井氏
子 公当・孫 勝由→佐野公当~茂好の系図
佐野公当~茂好の系図
佐野公当(きんまさ)/直次(なおつぐ)【1706-1682】
祖父 房綱・父 信吉→佐野基綱~信吉の系図
妻 本庄宗正の娘
妻の父 本庄宗正→本庄宗正の系図
子 茂包〔養父:佐野勝由〕
子の夫 富田知儀→富田知儀の系図
子の夫 大沢基哲→大沢基哲の系図
佐野勝由(かつよし)【1646-1710】
妻 本庄道芳の娘
妻の父 本庄道芳→本庄道芳・道高の系図
妻 渡辺氏
子 本庄資訓〔養父:本庄資俊〕→本庄資訓~資尹の系図
子 彦太郎
実は本庄道高(→本庄道芳・道高の系図)の子。
子 勝由の娘(2人)〔養父:佐野茂包〕
子の夫 本庄資俊→本庄資俊の系図
子の夫 大岡忠陣→大岡忠品~忠卿・忠厚~忠正の系図
子の夫 堀田正清→堀田正清の系図
佐野茂包(もちかぬ)【1663-1717】
妻 牧野正通の娘
妻の父 牧野正通→牧野正通の系図
子の夫 間宮信盛→間宮信盛の系図
子の夫 城厚茂→城厚茂の系図
子の夫 山高信蔵→山高信蔵の系図
佐野茂承(もちつぐ)【1703-1786】
妻 佐野直行の娘
妻の父 佐野直行→佐野久綱~直行の系図
子 大学【1728-1749】
子 茂承の娘〔養父:佐野茂幸〕
佐野茂幸(もちゆき)/晴寿(はるひさ)/俊門(としかど)【1727-?】
実は太田資晴(→太田資次~資晴の系図)の子。
妻 佐野茂承の娘
実は佐野仲行(→佐野察行~貴行の系図)の娘。
子の夫 太田資演→太田資演の系図
子の夫 佐野義行→佐野察行~貴行の系図
子の夫 鳥居成純→鳥居成勝~成純の系図
子の夫 安藤直温→安藤直利~直温の系図
佐野茂親(もちちか)/資次(すけつぐ)【1756-?】
妻 佐野茂幸の娘
実は佐野茂承の娘。
妻 本多助友の娘
妻の父 本多助友→本多助久~助詮の系図
夫 西尾茂教→西尾茂教の系図
佐野茂好(もちよし)
妻 池田政直の娘
実は池田治政(→池田継政~治政の系図)の娘。
妻の父 池田政直→池田政直~政保の系図
妻 池田政芳の娘
妻の父 池田政芳→池田継政~治政の系図
佐野久綱~直行の系図
佐野久綱(ひさつな)/定綱(さだつな)【1600-1679】
祖父 房綱・父 信吉→佐野基綱~信吉の系図
佐野盛綱(もりつな)/紀綱(のりつな)/正行(まさゆき)【1626-1688】
妻 小河政吉の娘
妻の父 小河政吉→小河政吉の系図
子 小川久高〔養父:小川正則〕→小川久高の系図
子 定行(さだゆき)【1676-1699】
子の妻 上田兼元の娘
子の妻の父 上田兼元→上田兼元の系図
孫 定行の娘〔養父:佐野直行〕
子の夫 島田守恒→島田守恒の系図
佐野直行(なおゆき)/安綱(やすつな)【1656-1722】
妻 植村政春の娘
妻の父 植村政春→植村政春~政広の系図
子 察行・孫 仲行→佐野察行~貴行の系図
子の夫 城維岡→城維岡の系図
子の夫 佐野茂承→佐野公当~茂好の系図
子の夫 河村伊昌→河村伊昌の系図
佐野察行~貴行の系図
佐野察行(あきゆき)/信行(のぶゆき)【1683-1753】
一橋家の家老となった。
祖父 盛綱・父 直行→佐野久綱~直行の系図
祖父 植村政春→植村政春~政広の系図
妻 植村政行の娘
妻の父 植村政行→植村政春~政広の系図
子 中根正明〔養父:中根政秀〕→中根正明の系図
子 酒井政用〔養父:酒井政栄〕→酒井政用の系図
子の夫 諏訪頼展→諏訪頼展の系図
子の夫 赤松恭富→石野氏照~赤松範善の系図
子の夫 石尾氏記→石尾氏記の系図
子の夫 植村家包→植村家貞~家包の系図
佐野仲行(なかゆき)【1709-1760】
妻 松平乗南の娘
妻の父 松平乗南→松平乗延~乗冬の系図
子 三枝頼音〔養父:諏訪頼直〕→三枝頼音の系図
子 松平忠光〔養父:松平忠如〕→松平忠光の系図
子の夫 神谷清俊→神谷清俊の系図
子の夫 佐野茂幸→佐野公当~茂好の系図
佐野徳行(とくゆき)【1738-1776】
妻 大久保忠郷の娘
妻の父 大久保忠郷→大久保忠郷の系図
子の夫 村岡良弼→村岡良弼の系図
佐野義行(のりゆき)/氏房(うじふさ)【1757-?】
実は植村家道(→植村家道~家壺の系図)の子。
妻 佐野茂幸の娘
妻の父 佐野茂幸→佐野公当~茂好の系図
妻 内藤政苗の娘
妻の父 内藤政苗→内藤政晴~政苗の系図
夫 大久保忠陽→大久保忠陽の系図
子 健行/貫忠
実は青木一貫(→青木一貫~重義の系図)の子。
子の夫 中川政武→中川政武の系図
佐野貴行(おきゆき)/長岑(ながみね)【1770-?】
実は伊東長詮(→伊東長詮の系図)の子。
妻 佐野義行の娘
実は三枝頼音(→三枝頼音の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。