このページでは、諏訪氏(清和源氏・満快流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
諏訪氏(信濃国高島藩主)の略系図

1 盛重→諏訪盛重~満隣の系図
10-A1 頼豊→諏訪頼豊・頼辰・頼親~頼兆の系図
10-A2 頼寛→諏訪頼寛~頼保・頼房~頼峯の系図
10-A3 頼兼→諏訪頼兼~頼寛・頼次~頼永の系図
11 頼忠→諏訪頼忠の系図
11-A 頼雄・頼広→諏訪頼雄・頼広の系図
12 頼水→諏訪頼水の系図
12-A1 頼郷→諏訪頼郷~頼存・頼以~〓格の系図
12-A2 頼常→諏訪頼常~頼武・頼弼~頼永の系図
12-B 頼長→諏訪頼長~頼保・頼範~頼高の系図
13 忠恒→諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図
13-A 頼蔭・頼久→諏訪頼蔭~頼軌・頼久~頼嘏の系図
14 忠晴→諏訪忠晴~忠厚の系図
18 忠粛→諏訪忠粛~忠礼の系図
諏訪盛重~満隣の系図
諏訪盛重(もりしげ)
信濃国諏訪城に住んだという。
祖父 信澄・父 信綱→源為公の系図
子 盛高(もりたか)【?-1257】
諏訪盛経(もりつね)
子 信重(『系図纂要』による。)
子 時継/時綱(『系図纂要』による。)
諏訪宗経(むねつね)
子 弘重(ひろしげ)【?-1333】
諏訪頼重(よりしげ)/盛高(もりたか)/盛隆(以下、『系図纂要』による。)
諏訪頼継(よりつぐ)
諏訪頼隣(よりちか)
諏訪信有(のぶあり)
諏訪政満(まさみつ)
諏訪頼満(よりみつ)【?-1539】
孫 頼重(よりしげ)【?-1542】
孫の妻 武田信虎の娘
孫の妻の父 武田信虎→武田信縄・信虎の系図
曾孫の夫 武田晴信→武田晴信・勝頼・海野信親~武田崇信の系図
諏訪満隣(みつちか)
子 頼豊・孫 頼辰→諏訪頼豊・頼辰・頼親~頼兆の系図
子 頼忠→諏訪頼忠の系図
孫 頼水→諏訪頼水の系図
孫 頼雄・頼広→諏訪頼雄・頼広の系図
子 頼辰【?-1582】
諏訪頼豊・頼辰・頼親~頼兆の系図
諏訪頼豊(よりとよ)【?-1582】
祖父 頼満・父 満隣→諏訪盛重~満隣の系図
子 采女正【?-1582】
子 源二郎【?-1582】
諏訪頼辰(よりたつ)【?-1644】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 頼寛・孫 頼忠・頼房→諏訪頼寛~頼保・頼房~頼峯の系図
孫 頼兼→諏訪頼兼~頼寛・頼次~頼永の系図
子の夫 伊藤季忠(『系図纂要』による。)
諏訪頼親(よりちか)
子 頼寛〔養父:諏訪頼記〕
子 頼徳〔養父:岡田道長〕(『系図纂要』による。)
子の夫 松下重利(『系図纂要』による。)
諏訪頼記(よりのり)【1671-1740】
子 頼寛【1672-1738】
実は諏訪頼親の子。
子 頼定〔養父:諏訪頼長〕→諏訪頼定の系図
子の夫 堀江成真→堀江成真の系図
子の夫 岡田正方→岡田正方の系図
諏訪頼整(よりかた)/頼斎(よりたか)【1723-?】
妻 跡部治義の娘
妻の父 跡部治義→跡部治義の系図
諏訪頼兆(よりかず)/頼慶(よりなか)【1752-?】
妻 岡野将共の娘
妻の父 岡野将共→岡野将共の系図
夫 伊藤利屋→伊藤祐信~利屋の系図
妻 青山忠雄の娘
妻の父 青山忠雄→青山忠雄の系図
夫 小宮山長竹→小宮山長竹の系図
諏訪頼寛~頼保・頼房~頼峯の系図
諏訪頼寛(よりひろ)/盛房【?-1664】
祖父 頼豊・父 頼辰→諏訪頼豊・頼辰・頼親~頼兆の系図
子 頼兼・孫 頼盛・頼次→諏訪頼兼~頼寛・頼次~頼永の系図
子の夫 石原好深・近藤政之(『系図纂要』による。)
諏訪頼忠(よりただ)/頼延/頼利【1629-1710】
子 頼安【?-1699】(『系図纂要』による。)
子 弥平次(『系図纂要』による。)
諏訪頼利(よりとし)【1694-1722】
妻 天野重供の娘
妻の父 天野重供→天野重供の系図
子の夫 東儀兼頭→東儀兼頭の系図
諏訪頼意(よりよし)/頼雪(よりゆき)【1704-1738】
実は諏訪頼次(→諏訪頼兼~頼寛・頼次~頼永の系図)の子。
妻 細井勝長の娘
妻の父 細井勝長→細井勝長の系図
夫 日根甚助→日根甚助の系図
子 頼紀〔養父:諏訪頼雄〕→諏訪頼兼~頼寛・頼次~頼永の系図
子 頼久〔養父:諏訪頼雄〕→諏訪頼兼~頼寛・頼次~頼永の系図
諏訪頼秋(よりあき)【1722-1789】
妻 伏見信景の娘
妻の父 伏見信景→伏見信景の系図
子 頼寛〔養父:諏訪頼長〕→諏訪頼兼~頼寛・頼次~頼永の系図
子の夫 大橋茂時→大橋茂時の系図
諏訪頼保(よりやす)【1744-?】
妻 三宅陳寛の娘
妻の父 三宅陳寛→三宅陳寛の系図
子 牧野成義〔養父:牧野成富〕→牧野成義の系図
諏訪頼房(よりふさ)
諏訪頼長(よりなが)【1675-1747】
妻 宮村勝之の娘
妻の父 宮村勝之→宮村勝之の系図
子 八十郎【?-1727】
実は八木十郎右衛門の子。
子 頼長の娘
諏訪頼定に嫁ぐ予定であった。
諏訪頼定(よりさだ)【1713-1770】
実は諏訪頼紀(→諏訪頼紀の系図)の子。
子の夫 浅井元方→浅井元方の系図
子の夫 水野勝義→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
子の夫 中畠為叙→中畠為叙の系図
諏訪頼峯(よりみね)【1754-?】
妻 水野忠天の娘
妻の父 水野忠天→水野信義~信敬・水野信政~忠英の系図
諏訪頼兼~頼寛・頼次~頼永の系図
諏訪頼兼(よりかね)
祖父 頼辰→諏訪頼豊・頼辰・頼親~頼兆の系図
父 頼寛→諏訪頼寛~頼保・頼房~頼峯の系図
子 三賀頼明〔養父:三賀平十郎〕→三賀頼明の系図
諏訪頼盛(よりもり)【1668-1728】
妻 高山政一の娘
妻の父 高山政一→高山政一の系図
子 滝野忠隆〔養父:滝野忠央〕→滝野忠隆の系図
子の夫 遠藤良安→遠藤良安の系図
子の夫 伏木信惟→伏木信惟の系図
諏訪頼之(よりゆき)【1696-1740】
諏訪頼長(よりなが)/頼寛(よりひろ)【1723-1781】
実は遠藤良安(→遠藤良安の系図)の子。
妻 伏木信惟の娘
妻の父 伏木信惟→伏木信惟の系図
諏訪頼寛(よりひろ)【1748-?】
実は諏訪頼秋(→諏訪頼寛~頼保・頼房~頼峯の系図)の子。
妻 三間矩芳の娘
妻の父 三間矩芳→三間矩芳の系図
夫 芳賀義胤→芳賀義胤の系図
妻 山本道暢の娘
妻の父 山本道暢→山本道暢の系図
子の夫 大橋豊成→大橋豊成の系図
子の夫 矢田貞孝→矢田貞孝の系図
諏訪頼次(よりつぐ)【1662-1738】
子 頼意〔養父:諏訪頼利〕→諏訪頼寛~頼保・頼房~頼峯の系図
諏訪頼雄(よりお)【1698-1774】
子 頼久
実は諏訪頼意(→諏訪頼寛~頼保・頼房~頼峯の系図)の子。
諏訪頼紀(よりとし)【1730-?】
実は諏訪頼意(→諏訪頼寛~頼保・頼房~頼峯の系図)の子。
子の夫 宇佐美長旭→宇佐美長旭の系図
諏訪頼永(よりなが)【1767-?】
諏訪頼忠の系図
諏訪頼忠(よりただ)【1536-1605】
祖父 頼満・父 満隣→諏訪盛重~満隣の系図
子 頼水→諏訪頼水の系図
孫 忠恒→諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図
孫 頼郷→諏訪頼郷~頼存・頼以~〓格の系図
孫 頼長→諏訪頼長~頼保・頼範~頼高の系図
子 頼定(よりさだ)【?-1602】
子 頼雄・頼広→諏訪頼雄・頼広の系図
子 頼盛【?-1681】
子 甚平【?-1619】
諏訪頼雄・頼広の系図
諏訪頼雄
祖父 満隣→諏訪盛重~満隣の系図
父 頼忠→諏訪頼忠の系図
子 盛政/頼風【?-1685】
子の妻 諏訪頼水の娘
子の妻の父 諏訪頼水→諏訪頼水の系図
孫 盛住
孫の妻 大久保長重の娘
孫の妻の父 大久保長重→大久保長重の系図
曾孫 頼包〔養父:土岐頼以(→土岐頼豊~頼躬の系図)〕
曾孫 頼超〔養父:諏訪頼基〕
孫 土岐頼以〔養父:土岐頼豊〕→土岐頼豊~頼躬の系図
孫 盛政の娘〔養父:諏訪頼水〕→諏訪頼水の系図
孫 恵昌【?-1693】
孫 三就【?-1683】
諏訪頼広【?-1655】
子 頼寛【?-1663】
子の妻 諏訪頼水の娘
子の妻の父 諏訪頼水→諏訪頼水の系図
孫 頼隆【?-1692】
曾孫 頼基【?-1696】
実は諏訪忠晴(→諏訪忠晴~忠厚の系図)の子。
頼隆孫 頼超
実は諏訪盛住の子。
諏訪頼水の系図
諏訪頼水(よりみず)【1570-1641】
上野国総社藩主・信濃国高島藩主。関ケ原の戦いでは、徳川秀忠に従って上田城攻めに加わった。
祖父 満隣→諏訪盛重~満隣の系図
父 頼忠→諏訪頼忠の系図
妻 本多康重の娘
妻の父 本多康重→本多正吉~忠利の系図
子 忠恒・孫 盛条→諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図
孫 忠晴→諏訪忠晴~忠厚の系図
孫 頼蔭・頼久→諏訪頼蔭~頼軌・頼久~頼嘏の系図
子 頼郷・孫 頼音→諏訪頼郷~頼存・頼以~〓格の系図
孫 頼常→諏訪頼常~頼武・頼弼~頼永の系図
子 頼長・孫 頼張・頼範→諏訪頼長~頼保・頼範~頼高の系図
子の夫 土岐定義→土岐定政~頼行の系図
孫 頼豊→土岐頼豊~頼躬の系図
孫 頼親→土岐頼親~頼栄の系図
孫 頼久→土岐頼久・頼利の系図
子 頼水の娘
実は諏訪盛政(→諏訪頼雄・頼広の系図)の娘。小沢正栄に嫁いだ。
子の夫 三枝守昌→三枝守昌の系図
子の夫 大久保長重→大久保長重の系図
子の夫 徳永昌成→徳永昌成の系図
子の夫 鳥居忠勝→鳥居元忠・忠政の系図
子の夫 諏訪盛政・諏訪頼寛→諏訪頼雄・頼広の系図
諏訪頼郷~頼存・頼以~〓格の系図
諏訪頼郷(よりさと)【1597-1669】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 頼忠→諏訪頼忠の系図
父 頼水→諏訪頼水の系図
祖父 本多康重→本多正吉~忠利の系図
妻 内藤政長の娘
実は正木康盛の娘。
妻の父 内藤政長→内藤政長の系図
子 頼常・孫 頼篤→諏訪頼常~頼武・頼弼~頼永の系図
子の夫 徳永昌興→徳永昌興の系図
子の夫 松平則采→松平忠尚~忠洪の系図
諏訪頼音(よりおと)【1633-1704】
妻 諏訪忠恒の娘
妻の父 諏訪忠恒→諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図
子の夫 神保政矩→神保政矩の系図
諏訪頼秋(よりあき)/頼竜(よりたつ)/頼泰(よりやす)/頼為(よりため)【1668-1743】
妻 内藤信良の娘
実は堀通周(→堀通周の系図)の娘。
妻の父 内藤信良→内藤信良~信輝の系図
妻 船越為景の娘
妻の父 船越為景→船越為景の系図
子 頼秋の娘
土屋好直に嫁ぐ予定であった。
諏訪頼一(よりかず)【1705-1772】
妻 山口弘豊の娘
妻の父 山口弘豊→山口弘豊の系図
妻 堀田一興の娘
妻の父 堀田一興→堀田一興の系図
子の夫 設楽貞周→設楽貞周の系図
子の夫 船越景順→船越景順の系図
諏訪頼伊(よりこれ)【1751-?】
妻 阿部正韶の娘
妻の父 阿部正韶→阿部正武~正允・正明~正章の系図
子の夫 諏訪頼武→諏訪頼常~頼武・頼弼~頼永の系図
子の夫 設楽貞長→設楽貞長の系図
子の夫 岡田善鄰→岡田善鄰の系図
諏訪頼存(よりつぐ)
妻 水野遊羅
水野忠実(→水野重上~忠実の系図)の娘。
諏訪頼以(よりもち)
諏訪頼安(よりやす)【1681-1749】
実は諏訪頼張(→諏訪頼長~頼保・頼範~頼高の系図)の子。
妻 水谷勝阜の娘
妻の父 水谷勝阜→水谷勝阜の系図
子の夫 森山盛芳→森山盛芳の系図
子の夫 遠山景俊→遠山景俊の系図
諏訪頼暠(よりたか)【1712-1753】
妻 滝川利行の娘
実は滝川邦房(→滝川邦房の系図)の娘。
妻の父 滝川利行→滝川利行の系図
子 酒井政意〔養父:酒井政共〕→酒井政意の系図
諏訪〓格(たけのり)/満広(みつひろ)【1749-?】
〓は「亻」+「密」。
妻 竹中元昶の娘
妻の父 竹中元昶→竹中元昶の系図
諏訪頼常~頼武・頼弼~頼永の系図
諏訪頼常(よりつね)【1640-1666】
祖父 頼水→諏訪頼水の系図
父 頼郷→諏訪頼郷~頼存・頼以~〓格の系図
祖父 内藤政長→内藤政長の系図
諏訪頼篤(よりあつ)【1661-1753】
妻 正木時晴の娘
子 忠林〔養父:諏訪忠虎〕→諏訪忠晴~忠厚の系図
妻 犬塚氏
子 盛恭〔養父:諏訪盛就〕→諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図
子の夫 江原寅親→江原寅親の系図
諏訪頼均(よりひら)/頼臣(よりとみ)【1692-1754】
実は内藤信有(→内藤信全~信義の系図)の子。
子 頼布〔養父:諏訪頼弼〕
子の夫 服部貞則→服部貞則の系図
子の夫 吉松正弘→吉松正弘の系図
諏訪頼容(よりなり)/頼影(よりかげ)【1723-1778】
妻 諏訪頼深の娘
妻の父 諏訪頼深→諏訪頼蔭~頼軌・頼久~頼嘏の系図
妻 内藤信安の娘
妻の父 内藤信安→内藤信通~信幅の系図
子 頼武・子 頼容の娘〔養父:諏訪頼逵〕
子の夫 浅野長貞→浅野長貞~長栄の系図
諏訪頼逵(よりみち)【1748-?】
妻 山田利延の娘
妻の父 山田利延→山田利延の系図
諏訪頼武(よりたけ)【1766-?】
実は諏訪頼容の子。
妻 諏訪頼伊の娘
妻の父 諏訪頼伊→諏訪頼郷~頼存・頼以~〓格の系図
諏訪頼弼(よりすけ)【1714-1745】
諏訪頼布(よりのぶ)【1729-1769】
実は諏訪頼均の子。
諏訪頼永(よりなが)【1753-?】
妻 諏訪頼逵の娘
実は諏訪頼容の娘。
夫 進藤正郷→進藤正郷の系図
妻 諏訪正武の娘
妻の父 諏訪正武→諏訪正武の系図
妻 進藤正春の娘
実は矢部定中(→矢部定中の系図)の娘。
妻の父 進藤正春→進藤正春の系図
諏訪頼長~頼保・頼範~頼高の系図
諏訪頼長(よりなが)【1603-1683】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 頼忠→諏訪頼忠の系図
父 頼水→諏訪頼水の系図
祖父 本多康重→本多正吉~忠利の系図
子の夫 大久保長昌→大久保長昌の系図
子の夫 小栗久弘→小栗久弘の系図
子の夫 雨宮正長→雨宮正長の系図
諏訪頼張(よりはる)【1644-1694】
妻 水野忠久の娘
妻の父 水野忠久→水野忠久~忠朋の系図
子 頼安〔養父:諏訪頼以〕→諏訪頼郷~頼存・頼以~〓格の系図
諏訪頼定(よりさだ)【1676-1732】
妻 伊奈忠順の娘
妻の父 伊奈忠順→伊奈忠順の系図
妻 伊奈貞長の娘
妻の父 伊奈貞長→伊奈貞長の系図
子の夫 前田定候→前田定候の系図
子の夫 田沢昌名→田沢昌名の系図
子の夫 大井昌郷→大井昌郷の系図
子の夫 村上正房→村上正房の系図
諏訪頼純(よりずみ)【1703-1759】
妻 村上正邦の娘
妻の父 村上正邦→村上正邦の系図
諏訪頼寿(よりなが)【1738-1794】
妻 九鬼隆寛の娘
妻の父 九鬼隆寛→九鬼隆季~隆寛の系図
諏訪頼保(よりやす)【1762-?】
妻 牧野康満の娘
妻の父 牧野康満→牧野康満の系図
夫 高木正雄→高木正雄の系図
諏訪頼範(よりのり)/頼深(よりふか)/頼雄(よりお)/頼恒(よりつね)【1664-1745】
諏訪頼古(よりひさ)【1718-1757】
実は諏訪頼定の子。
諏訪頼言(よりのぶ)【1741-1786】
諏訪頼高(よりたか)【1760-?】
諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図
諏訪忠恒(ただつね)/忠頼(ただより)/忠澄(ただずみ)【1595-1657】
高島藩主。
祖父 頼忠→諏訪頼忠の系図
父 頼水→諏訪頼水の系図
祖父 本多康重→本多正吉~忠利の系図
妻 稲葉典通の娘
妻の父 稲葉典通→稲葉貞通~一通の系図
子 忠晴・孫 忠虎→諏訪忠晴~忠厚の系図
妻 伴氏
子の夫 山口弘隆→山口弘隆の系図
妻 吉田氏
子 頼久・孫 頼深→諏訪頼蔭~頼軌・頼久~頼嘏の系図
子の夫 諏訪頼音→諏訪頼郷~頼存・頼以~〓格の系図
妻 中島氏
子 頼蔭・孫 頼戡→諏訪頼蔭~頼軌・頼久~頼嘏の系図
子の夫 岡田善次→岡田善次の系図
諏訪盛条(もりえだ)【1645-1695】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 久津見息信→久津見息信の系図
諏訪盛就(もりなり)/盛識(もりさと)【1680-1715】
妻 佐野政信の娘
妻の父 佐野政信→佐野政信の系図
妻 島田利広の娘
妻の父 島田利広→島田利広の系図
子の夫 黒沢定記→黒沢定記の系図
諏訪盛恭(もりやす)/盛約(もりむね)【1706-1781】
実は諏訪頼篤(→諏訪頼常~頼武・頼弼~頼永の系図)の子。
妻 松平忠重の娘
妻の父 松平忠重→松平宗治~忠順の系図
子 盛至(もりなか)【1734-1753】
子の夫 萩原茂雅→萩原茂雅の系図
子の夫 内藤信就→内藤信通~信幅の系図
諏訪盛斐(もりのり)【1738-1782】
妻 梶正胤の娘
妻の父 梶正胤→梶正胤の系図
妻 津田正直の娘
妻の父 津田正直→津田正直の系図
子 頼軌〔養父:諏訪頼古〕→諏訪頼蔭~頼軌・頼久~頼嘏の系図
子の夫 梶正常→梶正常の系図
諏訪盛喜(もりよし)【1765-?】
妻 今井好教の娘
妻の父 今井好教→今井好教の系図
妻 柘植兄典の娘
妻の父 柘植兄典→柘植兄典の系図
諏訪頼蔭~頼軌・頼久~頼嘏の系図
諏訪頼蔭(よりかげ)/頼尚(よりなお)【1643-1725】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 頼水→諏訪頼水の系図
父 忠恒→諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図
妻 有馬安子
有馬康純(→有馬康純の系図)の娘。
夫 分部嘉高→分部嘉高の系図
子 頼深〔養父:諏訪頼久〕
諏訪頼戡(よりあつ)【1675-1740】
妻 安藤直利の娘
妻の父 安藤直利→安藤直利~直温の系図
諏訪頼珍(よりよし)【1707-1770】
妻 大久保教福の娘
妻の父 大久保教福→大久保教福の系図
子 頼珍の娘
山田定賢に嫁ぐ予定であった。
諏訪頼致(よりあきら)【1730-1784】
妻 石川総為の娘
妻の父 石川総為→石川総乗~総武の系図
子 頼鎌
実は駒木根政親(→駒木根政親の系図)の子。
孫 頼鎌の娘〔養父:諏訪頼致〕
諏訪頼古(よりひさ)【1763-?】
実は松平堅房(→松平堅房~直静の系図)の子。
妻 諏訪頼致の娘
実は諏訪頼鎌の娘。
妻 蒔田広堅の娘
妻の父 蒔田広堅→蒔田広堅の系図
諏訪頼軌(よりのり)【1778-?】
実は諏訪盛斐(→諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図)の子。
妻 植村泰高の娘
妻の父 植村泰高→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
諏訪頼久(よりひさ)【1644-1716】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 坂部広慶の娘
妻の父 坂部広慶→坂部広慶の系図
妻 青木義継の娘
妻の父 青木義継→青木義継の系図
子 頼等/頼安
実は岡田善次(→岡田善次の系図)の子。
子の夫 脇坂安秋→脇坂安秋の系図
諏訪頼深(よりふか)【1691-1740】
実は諏訪頼蔭の子。
妻 滝川利元の娘
妻の父 滝川利元→滝川利元の系図
子の夫 阿倍次当→阿倍次当の系図
子の夫 安藤信形→安藤次重~次立の系図
子の夫 諏訪頼容→諏訪頼常~頼武・頼弼~頼永の系図
子の夫 跡部正徧→跡部正徧の系図
子の夫 森川信賢→森川信賢の系図
諏訪頼庸(よりもち)【1720-1770】
妻 岡部勝盈の娘
妻の父 岡部勝盈→岡部豊明~豊矩の系図
子の夫 遠山政清→遠山政清の系図
諏訪頼暠(よりあきら)【1748-1792】
実は菅谷貞寄(→菅谷貞寄の系図)の子。
子の夫 安部信几→安部信几の系図
子の夫 平岡良休→平岡良休の系図
諏訪頼嘏(よりのり)【1772-?】
妻 安部信旨の娘
実は立花直尹(→立花貫長の系図)の娘。
妻の父 安部信旨→安部信旨の系図
諏訪忠晴~忠厚の系図
諏訪忠晴(ただはる)【1639-1695】
高島藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。『本朝武林小伝』を著した。
祖父 頼水→諏訪頼水の系図
父 忠恒→諏訪忠恒・盛条~盛喜の系図
祖父 稲葉典通→稲葉貞通~一通の系図
妻 内藤忠興の娘
実は内藤美興(→内藤忠興~義稠の系図)の娘。
妻の父 内藤忠興→内藤忠興~義稠の系図
子 千代熊・万助(『寛政重修諸家譜』による。)
子 忠晴の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 頼基〔養父:諏訪頼隆〕→諏訪頼雄・頼広の系図
子の夫 最上義雅→最上義雅の系図
諏訪忠虎(ただとら)【1663-1731】
高島藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。『寛政重修諸家譜』によれば、松平昌勝の娘を母とする娘が他に1人いる。
妻 松平昌勝の娘
妻の父 松平昌勝→松平忠昌の系図
子 忠尋(ただひろ)【1695-1717】
子の妻 永井直敬の娘
子の妻の父 永井直敬→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
子の妻の夫 新庄直祐→新庄直祐の系図
子 右京・盛太郎・勝之丞・助蔵
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠虎の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 伴氏
子 忠休・新七郎・左助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 伊達村信→伊達宗純~村信の系図
子の夫 本多助有→本多利長~助有の系図
孫 助盈→本多助盈~助寵の系図
諏訪忠林(ただとき)【1703-1770】
高島藩主。実は諏訪頼篤(→諏訪頼常~頼武・頼弼~頼永の系図)の子。
妻 諏訪忠虎の娘
子 忠倫(ただとも)【1740-1747】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 金坂氏
子 丈之助・鉄次郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 山田氏
子 頼訓
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平乗完→松平乗完~乗秩の系図
諏訪忠厚(ただあつ)【1746-1812】
高島藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 阿部正福の娘
妻の父 阿部正福→阿部正福・正右の系図
夫 柳沢信有→柳沢経隆~光邦の系図
妻 木村氏
子 忠粛・孫 忠恕→諏訪忠粛~忠礼の系図
妻 北川氏
子 頼庸
母は『寛政重修諸家譜』による。
諏訪忠粛~忠礼の系図
諏訪忠粛(ただかた)【1763-1822】
高島藩主。『寛政重修諸家譜』によれば、母を間野氏とする娘が1人いる。藩校長善館を創設した。
祖父 忠林・父 忠厚→諏訪忠晴~忠厚の系図
妻 松平乗完の娘
妻の父 松平乗完→松平乗完~乗秩の系図
子 忠粛の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 森川俊一〔養父:森川俊知〕→森川俊常~俊方の系図
子 前田長徳〔養父:前田長義〕→前田長徳の系図
子 熊蔵・子 忠粛の娘(『諏訪家譜』による。)
子の夫 松平忠恵→松平忠福~忠恕の系図
子の夫 千野貞壮(『諏訪家譜』による。)
諏訪忠恕(ただみち)/頼栄【1800-1851】(以下、『諏訪家譜』による。)
高島藩主。
妻 松平定信の娘
妻の父 松平定信→松平定信の系図
子 頼図〔養父:諏訪頼安〕
子 頼威〔養父:諏訪頼永〕
孫 忠礼〔養父:諏訪忠誠〕
子の夫 稲葉正巳→稲葉正員~正善の系図
子の夫 本多助実→本多助盈~助寵の系図
子の夫 米倉昌言→米倉昌晴~昌言の系図
諏訪忠誠(ただまさ)【1821-1898】
老中・高島藩主。長州征討に反対し老中を辞職した。
妻 松平乗寛の娘
妻の父 松平乗寛→松平乗完~乗秩の系図
妻 松平姜
松平康任(→松平康定~康載の系図)の娘。
妻 朽木枕
朽木綱条(→朽木倫綱~為綱の系図)の娘。
子 忠固
実は諏訪頼知の弟。
子の夫 鳥居成善・諏訪忠元(『華族系譜』による。)
諏訪忠礼(ただあや)【1852-1878】
高島藩主。実は諏訪頼威の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。