このページでは、一色氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
一色氏(室町幕府四職)の略系図
1 公深→公深~一色詮範・直氏~長兼の系図
2-A1 直明→一色直明~直房・直武~平十郎の系図
2-A2 直与・直政→一色直与~敬直・直政~直美の系図
3-A 詮光→一色詮光~政富の系図
5 満範→一色満範~範永の系図
公深~一色詮範・直氏~長兼の系図
公深(こうしん)【?-1330】
一色氏の祖。三河国幡豆郡吉良庄一色に住み、一色を称した。
妻 今川国氏の娘
妻の父 今川国氏→今川国氏・基氏の系図
一色範氏(のりうじ)【?-1369】
足利尊氏に従い九州探題となったが、菊池武光に敗れて撤退した。
一色範光(のりみつ)【1325-1388】
三河・若狭守護。若狭の国一揆を平定した。
子 詮光・孫 満貞→一色詮光~政富の系図
子 範直(『系図纂要』による。)
一色詮範(あきのり)【?-1406】
若狭守護。明徳の乱で功をあげた。
子 満範・孫 持範→一色満範~範永の系図
子 範貞・孫 範次→一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
子 義範(『系図纂要』による。)
一色直氏(なおうじ)【?-1381】
九州探題。九州平定を目指したが、菊池武光らに敗れた。
一色氏兼(うじかね)【?-1435】
子 氏宗(以下、『系図纂要』による。)
孫 丹羽氏明・曾孫 氏時→丹羽氏明~氏次の系図
子 丹羽氏茂(『寛政重修諸家譜』による。)
子 直信(『系図纂要』による。)
孫の夫 町資広→町資藤の系図
一色長兼(ながかね)
子 時家(『系図纂要』による。)
子 直明・孫 直清→一色直明~直房・直武~平十郎の系図
一色詮光~政富の系図
一色詮光(のりみつ)
父は一色範房(→公深~一色詮範・直氏~長兼の系図)とも。
祖父 範氏・父 範光→公深~一色詮範・直氏~長兼の系図
一色満貞(みつさだ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 久松詮定〔養父:久松定氏〕→久松道定~定義の系図
一色満氏(みつうじ)
一色満重(みつしげ)
一色貞範(さだのり)
一色光貞(みつさだ)
一色氏勝(うじかつ)
孫 詮勝
孫の妻 久松俊勝の娘
孫の妻の父 久松俊勝→久松俊勝・定員の系図
一色範重(のりしげ)
一色重成(しげなり)
一色重房(しげふさ)
一色貞重(さだしげ)【?-1591】
一色重政(しげまさ)【1587-1655】
子の夫 小林正重→小林正重の系図
一色政成(まさなり)【?-1693】
一色義政(よしまさ)【1654-1712】
実は有賀種親(→有賀種親の系図)の子。
妻 大津重信の娘
妻の父 大津重信→大津重信の系図
子 遠山則義〔養父:遠山則信〕→遠山則義の系図
子 義政の娘
実は小林重吉(→小林重吉の系図)の娘。
子の夫 近藤正定→近藤正定の系図
子の夫 佐原満正→佐原満正の系図
一色政沅(まさひろ)【1690-1770】
妻 岡部勝元の娘
妻の父 岡部勝元→岡部勝元の系図
子 中島直賢〔養父:中島正利〕→中島直賢の系図
妻 跡部正因の娘
実は跡部正広(→跡部正広の系図)の娘。
妻の父 跡部正因→跡部正因の系図
夫 跡部正泰→跡部正泰の系図
子の夫 土屋知寿→土屋知寿の系図
一色政衍(まさのぶ)【?-1767】
妻 跡部正陟の娘
実は跡部正泰(→跡部正泰の系図)の娘。
妻の父 跡部正陟→跡部正陟の系図
一色政方(まさかた)【1755-1786】
妻 赤井忠晶の娘
妻の父 赤井忠晶→赤井忠晶の系図
夫 向井政徳→向井政徳の系図
子 政方の娘〔養父:三浦義和〕→三浦義和の系図
一色政富(まさとみ)
妻 小野近義の娘
妻の父 小野近義→小野近義の系図
一色直明~直房・直武~平十郎の系図
一色直明(なおあきら)/直兼(なおかね)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は足利義嗣(→足利義詮・義満の系図)の子。
祖父 氏兼・父 長兼→公深~一色詮範・直氏~長兼の系図
一色直清(なおきよ)【?-1464】
一色直頼(なおより)
一色直朝(なおとも)【?-1597】
一色義直(よしなお)【?-1643】
子 照直(てるなお)/照末(てるすえ)【?-1606】
子の夫 中西元朝→中西元朝の系図
一色直氏(なおうじ)【?-1652】
実は杉浦直為の子。
妻 植村泰勝の娘
妻の父 植村泰勝→植村泰職~泰朝・政泰の系図
一色直房(なおふさ)【?-1684】
妻 水野重良の娘
妻の父 水野重良→水野重央・重良・良全~長啓の系図
子 直与・孫 直賢→一色直与~敬直・直政~直美の系図
妻 佐々木高和の娘
妻の父 佐々木高和→六角満綱~佐々木定賢の系図
子 直政・孫 直範→一色直与~敬直・直政~直美の系図
子 直親〔養父:一色氏令〕
一色直武(なおたけ)
一色氏令(うじよし)【?-1694】
子の夫 菅谷政房→菅谷政房の系図
一色直親(なおちか)【?-1707】
実は一色直房の子。
一色直与~敬直・直政~直美の系図
一色直与(なおよ)/直高(なおたか)【1656-1723】
祖父 直氏・父 直房→一色直明~直房・直武~平十郎の系図
祖父 水野重良→水野重央・重良・良全~長啓の系図
妻 近藤重信の娘
妻の父 近藤重信→近藤重信の系図
一色直賢(なおかた)【1681-1752】
実は丹羽長守(→丹羽長守の系図)の子。
子 牧村利端〔養父:牧村直昌〕→牧村利端の系図
子の夫 富永泰代→富永泰代の系図
一色直国(なおくに)【1710-1768】
妻 酒井忠貫の娘
妻の父 酒井忠貫→酒井忠助~忠懿の系図
一色直郷(なおさと)【1740-1776】
妻 高木正信の娘
妻の父 高木正信→高木正信の系図
一色敬直(よしなお)【1760-?】
妻 松平康真の娘
妻の父 松平康真→松平忠充~康豊の系図
妻 京極高備の娘
妻の父 京極高備→京極高長~高陳の系図
夫 城則茂→城則茂の系図
一色直政(なおまさ)【1666-1701】
祖父 佐々木高和→六角満綱~佐々木定賢の系図
妻 細井智勝の娘
妻の父 細井智勝→細井智勝の系図
一色直範(なおのり)【1699-1746】
妻 伏見為行の娘
妻の父 伏見為行→伏見為行の系図
子の夫 深津正辰→深津正辰の系図
子の夫 星合英倫→星合英倫の系図
一色直次(なおつぐ)【1719-1793】
妻 黒田直方の娘
実は久代景準の娘。
妻の父 黒田直方→黒田直方の系図
子 小栗政行〔養父:小栗政甫〕→小栗政行の系図
子の夫 久貝正精→久貝正精の系図
子の夫 竹本正誉→竹本正誉の系図
一色直美(なおよし)【1757-?】
妻 永井尚恕の娘
妻の父 永井尚恕→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
子の夫 大久保忠良→大久保忠良の系図
子の夫 小幡正直→小幡正直の系図
一色満範~範永の系図
一色満範(みつのり)【1368-1409】
祖父 範光・父 詮範→公深~一色詮範・直氏~長兼の系図
子 義範(よしのり)/義貫(よしつら)【1400-1440】
父より若狭守護等を引き継いだ。のちに武田信栄に討たれた。
孫 義直(よしなお)/義長【?-1498】
武田氏と戦って討ち死にした。
曾孫 義春(よしはる)【1466-1484】(『系図纂要』による。)
曾孫の夫 斯波義良→斯波義健~義銀の系図
孫 義遠/政直
子 持信(もちのぶ)【?-1434】
孫 教親(のりちか)/義季【1419-1451】
一色義範が討たれた後、一色氏の惣領となった。
曾孫 義幸(以下、『系図纂要』による。)
持信孫 義道(よしみち)【?-1579】
持信孫 義定(よしさだ)/義俊【?-1582】
一色持範(もちのり)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
一色政照(まさてる)
一色政具(まさとも)
一色晴具(はるとも)【?-1549】
孫 崇伝(すうでん)【1569-1633】
徳川家康に仕え、様々な事務に携わり、幕政の基礎を作った。黒衣の宰相と称された。
一色藤長(ふじなが)【?-1596】
一色範勝(のりかつ)【1581-1633】
子 範尚(のりなお)【?-1659】
子の夫 大橋重政→大橋重政の系図
一色範親(のりちか)/範次(のりつぐ)【1609-1650】
妻 榊原照久の娘
妻の父 榊原照久→榊原照久の系図
妻 片桐貞隆の娘
妻の父 片桐貞隆→片桐貞隆の系図
子 片桐之晴〔養父:片桐貞晴〕→片桐之晴の系図
子 榊原範武〔養父:榊原久通〕→榊原範武の系図
子の夫 三宅康永→三宅康永の系図
子の夫 野田勝成→野田勝成の系図
子の夫 根岸直利→根岸直利の系図
一色範供(のりとも)/範風【?-1657】
実は片桐貞隆(→片桐貞隆の系図)の子。
一色範永【1657-1665】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。