このページでは、土屋氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
土屋氏(常陸国土浦藩主)の略系図
1 範貞→一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
8-A1 利直→土屋利直・直樹の系図
8-A2 喬直→土屋喬直~群直の系図
8-A3 逵直→土屋逵直~知直の系図
8-B1 之直→土屋之直~業直の系図
8-B2 茂直→土屋茂直~温直の系図
9 数直→土屋数直・政直の系図
10-A 好直→土屋好直~光直の系図
11 陳直→土屋陳直~泰直の系図
15 英直→土屋英直~挙直の系図
一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
一色範貞(のりさだ)
祖父 範光・父 詮範→公深~一色詮範・直氏~長兼の系図
一色範次(のりつぐ)(以下、『系図纂要』による。)
一色藤直(ふじなお)
金丸藤次(ふじつぐ)【1451-1519】
金丸虎嗣(とらつぐ)【?-1536】
金丸虎義(とらよし)【?-1571】
子 昌直【1540-1560】
子 土屋昌次(まさつぐ)/直村/晴綱【1545-1575】
長篠の戦いで討ち死にした。
子 秋山景詮〔養父:秋山晴近〕
29歳で亡くなった。
子 昌義(まさよし)/定光【1554-1582】
孫 昌春【?-1607】
曾孫 忠次【?-1609】
子 秋山景氏(かげうじ)/晴定/景氏【1562-1582】
孫 与兵衛【1580-1636】
土屋昌恒(まさつね)【1556-1582】
母は『寛政重修諸家譜』による。武田氏に仕え、天目山の戦いで戦死した。
土屋忠直(ただなお)【1578-1612】
上総国久留里藩主。
妻 森川氏俊の娘
妻の父 森川氏俊→森川氏俊・正次~氏佳の系図
子 利直・孫 直樹→土屋利直・直樹の系図
孫 喬直→土屋喬直~群直の系図
子 数直・孫 政直→土屋数直・政直の系図
子 之直・孫 朝直→土屋之直~業直の系図
孫 茂直→土屋茂直~温直の系図
土屋正猶(まさなお)/正直(まさなお)【1560-1620】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
土屋正真(まさざね)/正実(まさざね)【?-1658】
妻 桜井信利の娘
妻の父 桜井信利→桜井信利の系図
土屋輝直(てるなお)【?-1729】
子 戸田光直〔養父:戸田由重〕→戸田光直の系図
土屋正輝(まさてる)【1691-1752】
土屋正儀(まさよし)【1720-1761】
妻 内山清信の娘
妻の父 内山清信→内山清信の系図
土屋正峯(まさみね)【1740-1774】
実は内山清信(→内山清信の系図)の子。
土屋正名(まさな)【1765-?】
土屋利直・直樹の系図
土屋利直(ただなお)【1607-1675】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
上総国久留里藩主。
祖父 昌恒・父 忠直→一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
祖父 森川氏俊→森川氏俊・正次~氏佳の系図
妻 永井直勝の娘
妻の父 永井直勝→長田重元・永井直勝の系図
妻 松平正綱の娘
実は大河内宲綱(→大河内光将~秀綱の系図)の娘。
妻の父 松平正綱→松平正綱の系図
子 喬直・孫 安直→土屋喬直~群直の系図
子の夫 内藤政晴→内藤政晴~政苗の系図
子の夫 松平信定→松平信定の系図
子 相馬忠胤〔養父:相馬義胤〕→相馬忠胤の系図
子の夫 水野忠増→水野忠増~忠定の系図
土屋直樹(なおき)/頼直(よりなお)【1634-1681】
上総国久留里藩主。狂気により領地を没収された。
妻 松平正信の娘
妻の父 松平正信→松平正信・正基~正賢の系図
夫 日野資政→日野資政の系図
子 逵直・孫 亮直→土屋逵直~知直の系図
子 渡辺武〔養父:渡辺勇〕→渡辺進~久の系図
土屋逵直~知直の系図
土屋逵直(みちなお)【1660-1730】
祖父 利直・父 直樹→土屋利直・直樹の系図
妻 甲斐庄正親の娘
妻の父 甲斐庄正親→甲斐庄正親の系図
子 好直〔養父:土屋政直〕→土屋好直~光直の系図
子 友直〔養父:土屋好直〕→土屋好直~光直の系図
子の夫 伊奈忠正→伊奈忠正の系図
土屋亮直(あきなお)【1698-1763】
子 易直〔養父:土屋倫直〕→土屋喬直~群直の系図
子 松平昌豊〔養父:松平昌信〕→松平昌豊の系図
子の夫 渡辺貞綱→渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図
子の夫 京極高伴→京極高通~高之・高重~高伴の系図
子の夫 有馬純務→有馬純富~純久の系図
孫の夫 山岡景寧→山岡景寧の系図
土屋与直(もろなお)【1725-1794】
子 道直〔養父:土屋雄直〕
子 知直〔養父:土屋道直〕
子の夫 松平忠幸→松平忠利~忠幸の系図
土屋雄直(なかなお)【1760-1782】
妻 生駒親睦の娘
妻の父 生駒親睦→生駒親睦の系図
土屋道直(みちなお)【1766-1790】
実は土屋与直の子。
土屋知直(ともなお)/義直(よしなお)【1774-?】
実は土屋与直の子。
妻 斎藤三知の娘
妻の父 斎藤三知→斎藤三知の系図
土屋喬直~群直の系図
土屋喬直(たかなお)/宗直(むねなお)【1666-1725】
祖父 忠直→一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
父 利直→土屋利直・直樹の系図
祖父 松平正綱→松平正綱の系図
子 縄直〔養父:土屋茂直〕→土屋茂直~温直の系図
子 倫直〔養父:土屋安直〕
子の夫 三浦明喬→三浦明敬~明次の系図
子の夫 滝川利章→滝川利章の系図
子の夫 松田貞居→松田貞居の系図
子の夫 小栗正辰→小栗正辰の系図
土屋安直(やすなお)【1699-1737】
土屋倫直(ともなお)/直方(なおかた)【1702-1740】
実は土屋喬直の子。
妻 戸田氏常の娘
妻の父 戸田氏常→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
夫 菅谷貞寄→菅谷貞寄の系図
土屋易直(かねなお)【1725-1768】
実は土屋亮直(→土屋逵直~知直の系図)の子。
妻 上杉知義の娘
妻の父 上杉知義→上杉知義の系図
子 松平昌戩〔養父:松平昌豊〕→松平昌戩の系図
子の夫 川勝氏定→川勝氏定の系図
土屋匡直(まさなお)【1750-?】
妻 戸田政甫の娘
妻の父 戸田政甫→戸田政倚~光紹の系図
子 徳直
実は山名義徳(→山名義徳の系図)の子。
孫 徳直の娘〔養父:土屋盛直〕
子の夫 小栗忠顕→小栗忠顕の系図
土屋盛直(もりなお)【1768-1793】
実は渡辺寛綱(→渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図)の子。
子 亀次郎〔養父:土屋群直〕
土屋群直(ともなお)【1776-?】
実は土屋応直(→土屋之直~業直の系図)の子。
妻 土屋盛直の娘
実は土屋徳直の娘。
子 亀次郎
実は土屋盛直の子。
土屋之直~業直の系図
土屋之直(ゆきなお)/正勝(まさかつ)【1611-1679】
祖父 昌恒・父 忠直→一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
祖父 森川氏俊→森川氏俊・正次~氏佳の系図
妻 長谷川正信の娘
妻の父 長谷川正信→長谷川正信の系図
子 茂直・孫 縄直→土屋茂直~温直の系図
土屋朝直(ともなお)【1651-1731】
妻 一柳直照の娘
妻の父 一柳直照→一柳直重・直興・直照~直郷の系図
妻 溝口宣就の娘
妻の父 溝口宣就→溝口宣就の系図
子 興直(おきなお)【1681-1704】
子の夫 一柳直長→一柳直重・直興・直照~直郷の系図
土屋秀直(ひでなお)/稙隆(たねたか)【1687-1754】
実は朽木稙昌(→朽木稙昌~稙綱の系図)の子。
土屋応直(まさなお)【1724-1778】
妻 石川総為の娘
妻の父 石川総為→石川総乗~総武の系図
子 幸直(ゆきなお)【1747-1770】
子の妻 堀田一仲の娘
子の妻の父 堀田一仲→堀田一仲の系図
子の妻の夫 富松広明→富松広明の系図
子 群直〔養父:土屋盛直〕→土屋喬直~群直の系図
土屋業直(おきなお)【1752-?】
妻 三枝守緜の娘
妻の父 三枝守緜→三枝守緜の系図
妻 鳥居虎子
鳥居忠意(→鳥居忠意・忠見の系図)の娘。
夫 織田秀綿→織田秀綿~信及の系図
子 業直の娘〔養父:古坂古峯〕→古坂古峯の系図
土屋茂直~温直の系図
土屋茂直(しげなお)【1659-1732】
祖父 忠直→一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
父 之直→土屋之直~業直の系図
祖父 長谷川正信→長谷川正信の系図
妻 日根野弘宣の娘
妻の父 日根野弘宣→日根野弘宣の系図
妻 大岡忠高の娘
妻の父 大岡忠高→大岡忠高の系図
妻 高木正武の娘
妻の父 高木正武→高木正武の系図
妻 三枝守常の娘
実は鈴木氏の娘。
妻の父 三枝守常→三枝守常の系図
子 貞澄
実は高木貞則(→高木貞則の系図)の子。
子の夫 竹田公美→竹田公美の系図
子の夫 伊東祐詮→伊東祐豊~祐真の系図
子の夫 駒井政潔→駒井政潔の系図
土屋縄直(なわなお)/孝直(たかなお)【1700-1754】
実は土屋喬直(→土屋喬直~群直の系図)の子。
土屋守直(もりなお)【1734-1784】
妻 柘植晃正の娘
妻の父 柘植晃正→柘植晃正の系図
子 村上正名〔養父:村上正儀〕→村上正名の系図
子の夫 荻原秀形→荻原秀形の系図
子の夫 稲生正方→稲生正方の系図
子の夫 桑山一新→桑山一新の系図
土屋廉直(ただなお)/兼直(ともなお)【1759-?】
妻 三枝守保の娘
妻の父 三枝守保→三枝守保の系図
子の夫 三枝守常→三枝守常の系図
土屋温直(よしなお)【1782-?】
妻 戸田氏純の娘
妻の父 戸田氏純→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
土屋数直・政直の系図
土屋数直(かずなお)/定直(さだなお)【1608-1679】
老中・常陸国土浦藩主。
祖父 昌恒・父 忠直→一色範貞~土屋忠直・正猶~正名の系図
祖父 森川氏俊→森川氏俊・正次~氏佳の系図
妻 水野忠貞の娘
妻の父 水野忠貞→水野忠貞の系図
子 水野雅直〔養父:水野忠貞〕→水野雅直の系図
子の夫 渡辺進→渡辺進~久の系図
子の夫 稲葉正休→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
土屋政直(まさなお)【1641-1722】
老中・土浦藩主・駿河国田中藩主。
妻 松平康信の娘
妻の父 松平康信→松平康信~信利の系図
子 式部【?-1667】
子 昭直(てるなお)【1667-1690】
妻 六条有和の娘
妻の父 六条有和→六条有継~有藤の系図
子の夫 内藤義孝→内藤忠興~義稠の系図
妻 原氏
子 陳直・孫 篤直→土屋陳直~泰直の系図
子 定直(さだなお)【1689-1705】
子 好直・孫 友直→土屋好直~光直の系図
子 政直の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 岡部長敬→岡部長泰・長敬の系図
子の夫 松平乗邑→松平乗邑の系図
子の夫 三浦明喬→三浦明敬~明次の系図
子の夫 渡辺勇→渡辺進~久の系図
土屋好直~光直の系図
土屋好直(よしなお)【1700-1776】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は土屋逵直(→土屋逵直~知直の系図)の子。
祖父 数直・父 政直→土屋数直・政直の系図
子の夫 那須資虎→那須資虎の系図
子の夫 山中鐘俊→山中鐘俊の系図
土屋友直(ともなお)【1701-1767】
実は土屋逵直(→土屋逵直~知直の系図)の子。
子の夫 木下利常→木下利常の系図
子の夫 板倉勝延→板倉重直~勝宦の系図
子の夫 鈴木正孝→鈴木正孝の系図
土屋敬直(ひろなお)【1732-1774】
妻 戸田定浩の娘
妻の父 戸田定浩→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
子 光直〔養父:土屋致直〕
子の夫 大道寺直玄→大道寺直玄の系図
土屋致直(むねなお)/光直(みつなお)【1761-1787】
土屋光直(てるなお)/恒直(つねなお)【1771-?】
実は土屋敬直の子。
子 〓三郎
〓は「金」+「靡」。
土屋陳直~泰直の系図
土屋陳直(のぶなお)/矩直(のりなお)/啓直(ひろなお)【1695-1734】
土浦藩主。母は『土屋家譜(常陸土浦)』による。
祖父 数直・父 政直→土屋数直・政直の系図
妻 水野忠周の娘
妻の父 水野忠周→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
夫 亀井茲長→亀井茲親~茲胤の系図
子 陳直の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松平乗佑→松平乗佑の系図
子の夫 松平忠刻→松平忠刻~忠恕の系図
子 久米五郎【?-1728】
子 戸田氏純〔養父:戸田氏休〕→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
子 陳直の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
土屋篤直(あつなお)【1732-1776】
土浦藩主。母は『土屋家譜(常陸土浦)』による。
妻 奥平昌成の娘
妻の父 奥平昌成→奥平昌能~昌敦の系図
子 篤直の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 豊田氏
子 泰直〔養父:土屋寿直〕
子 英直〔養父:土屋泰直〕→土屋英直~挙直の系図
子 篤直の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松平忠宝→松平忠宝の系図
子の夫 阿部正精→阿部正精~正桓の系図
子の夫 畠山義福→畠山義福の系図
土屋寿直(ひさなお)【1761-1777】
土浦藩主。母は『土屋家譜(常陸土浦)』による。
土屋泰直(やすなお)【1768-1790】
土浦藩主。実は土屋篤直の子。
妻 太田資愛の娘
妻の父 太田資愛→太田資俊~資順の系図
子 英直・孫 寛直→土屋英直~挙直の系図
土屋英直~挙直の系図
土屋英直(ひでなお)【1769-1803】
土浦藩主。実は土屋篤直(→土屋陳直~泰直の系図)の子。藩校郁文館を創設した。
祖父 寿直・父 泰直→土屋陳直~泰直の系図
妻 阿部正倫の娘
妻の父 阿部正倫→阿部正倫の系図
妻 伊達重村の娘
妻の父 伊達重村→伊達重村~宗基の系図
子 英直の息子(『土屋家譜(常陸土浦)』による。)
子 英直の娘〔養父:土屋寛直〕
子の夫 土井利謙→土井利徳~利教の系図
子の夫 堀直央→堀直方~直弘の系図
土屋寛直(ひろなお)【1795-1810】
土浦藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
土屋彦直(よしなお)【1798-1847】(以下、『土屋家譜(常陸土浦)』による。)
土浦藩主。実は徳川治保(→徳川治保の系図)の子。
妻 土屋寛直の娘
実は土屋英直の娘。
子 戸田氏範〔養父:戸田氏敏〕→戸田氏範の系図
子 欽→毛利元義~元敏の系図
子 増→溝口直溥の系図
子の夫 小笠原長国→小笠原長尭~長国の系図
土屋寅直(ともなお)【1820-1895】
土浦藩主。
妻 有馬竹
有馬頼徳(→有馬頼徳~頼咸の系図)の娘。
子 民→青山忠良・忠敏の系図
土屋挙直(しげなお)【1852-1892】
土浦藩主。実は徳川斉昭(→徳川斉昭~昭武の系図)の子。
妻 松平光
松平輝聴(→松平輝和~輝声の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。