このページでは、有馬氏(村上源氏・雅兼流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
有馬氏(筑後国久留米藩主)の略系図
1 義祐→有馬義祐~豊氏の系図
8-A1 豊長→有馬豊長・則故の系図
8-A2 則致→有馬則致~則篤の系図
10 忠頼→有馬忠頼~頼旨の系図
14 則維→有馬則維・頼徸の系図
16 頼貴→有馬頼貴の系図
17 頼徳→有馬頼徳~頼咸の系図
有馬義祐~豊氏の系図
有馬義祐(よしすけ)
有馬氏の祖。
祖父 則村→赤松則村の系図
父 則祐→赤松則祐~則房の系図
有馬持家(もちいえ)(以下、『系図纂要』による。)
有馬元家(もといえ)
有馬則秀(のりひで)
有馬澄則(すみのり)
有馬則景(のりかげ)
有馬重則(しげのり)
妻 細川澄元の娘
妻の父 細川澄元→細川満元~昭元の系図
有馬則頼(のりより)【1533-1602】
摂津国三田藩主。
妻 別所振【?-1588】
実は石田備後守の娘。
子 則氏(のりうじ)【?-1584】
母は『寛政重修諸家譜』による。小牧長久手の戦いで戦死した。
孫 則氏の娘〔養父:有馬豊氏〕
子 志太→有馬重頼の系図
子 吉→赤松範資~石野氏置の系図
子 則頼の娘【?-1639】
母は『寛政重修諸家譜』による。渡瀬重詮に嫁いだ。
子の夫 中山慶親→中山親綱~英親の系図
妻 小野氏
子 則次(のりつぐ)【?-1614】
母は『有馬家譜(筑後久留米)』による。
子 則頼の娘【?-1638】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
稲次三成に嫁いだ。
子 豊長・孫 則故→有馬豊長・則故の系図
有馬豊氏(とようじ)【1569-1642】
丹波国福知山藩主・筑後国久留米藩主。
妻 徳川運姫【?-1652】
実は松平康忠(→松平康忠の系図)の娘。
妻の父 徳川家康→徳川家康の系図
子 忠頼・孫 頼利→有馬忠頼~頼旨の系図
子 信堅(のぶかた)/豊堅/豊信(とよのぶ)【1607-1633】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 頼次・孫 吉政→有馬頼次~氏弘の系図
子 慶徳丸(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 豊氏の娘【?-1657】
土田直芝に嫁いだ。
子の夫 鳥居忠房→鳥居成次・忠春の系図
子の夫 小出吉重→小出吉重の系図
子の夫 建部光重→建部高光~政宇・光延~政周の系図
子の夫 水野守信→水野政祖~守政の系図
有馬豊長・則故の系図
有馬豊長(とよなが)【1601-1675】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 重則・父 則頼→有馬義祐~豊氏の系図
妻 水野忠元の娘
妻の父 水野忠元→水野忠守・忠元の系図
妻 水野重央の娘
妻の父 水野重央→水野重央・重良・良全~長啓の系図
子 重治〔養父:水野義重〕
子 筒井豊房〔養父:筒井重治〕→筒井豊房の系図
子 水野勝政〔養父:水野勝安〕→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図
有馬則故(のりふる)/豊重(とよしげ)【1635-1713】
妻 永井尚征の娘
妻の父 永井尚征→永井尚征の系図
子 則維→有馬則維・頼徸の系図
子 大次郎→有馬則維・頼徸の系図
実は有馬則維の子。
子 則致・孫 則武→有馬則致~則篤の系図
子の夫 瀬名弌明→瀬名弌明の系図
有馬則致~則篤の系図
有馬則致(のりむね)【1659-1713】
実は有馬重広(→有馬重広の系図)の子。
祖父 豊長・父 則故→有馬豊長・則故の系図
有馬則武(のりたけ)【1698-1739】
実は水野忠慎(→水野忠慎~忠晋の系図)の子。
妻 赤松範主の娘
妻の父 赤松範主→石野氏照~赤松範善の系図
有馬則雄(のりお)【1712-1779】
実は石野範種(→石野則員~則存の系図)の子。
妻 水野忠富の娘
妻の父 水野忠富→水野忠慎~忠晋の系図
子 則満(のりみつ)【1749-1768】
子の妻 山内豊産の娘
子の妻の父 山内豊産→山内豊産の系図
子 則憑/酒井忠旨→酒井忠隆~忠用の系図
実は酒井忠音の子。
有馬則明(のりあきら)【1763-1824】〔養子:有馬悦五郎(→有馬頼貴の系図)〕(以下、『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
実は石野範尭(→石野則員~則存の系図)の子。
妻 牧野惟成の娘
妻の父 牧野惟成→牧野惟成の系図
妻 小笠原信喜の娘
妻の父 小笠原信喜→小笠原信喜の系図
夫 花房正応→花房正応の系図
子 則国〔養父:有馬則明〕
有馬則荘【1795-1826】
実は小笠原信成(→小笠原信成の系図)の子。
妻 有馬桂/順
実は有馬頼貴(→有馬頼貴の系図)の娘。
有馬則国【1806-1842】
実は有馬則明の子。
妻 酒井忠藎の娘
妻の父 酒井忠藎→酒井忠言~忠経の系図
子 直之丞【1838-1841】
有馬則篤
実は内藤正縄(→内藤正敬~正誠の系図)の子。
子 氏弘〔養父:有馬氏郁〕→有馬頼次~氏弘の系図
有馬忠頼~頼旨の系図
有馬忠頼(ただより)/忠郷(たださと)【1603-1655】
久留米藩主。
祖父 則頼・父 豊氏→有馬義祐~豊氏の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 酒井忠世の娘【?-1686】
実は西尾忠永(→西尾吉次~忠照・吉定・重長の系図)の娘。
妻の父 酒井忠世→酒井忠世~忠清の系図
妻 磯部氏【?-1686】
妻 神保氏【?-1706】
子 頼元〔養父:有馬頼利〕
子 万助【?-1647】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 豊祐(とよすけ)/豊範(とよのり)【1646-1700】
筑後国松崎藩主。実は小出吉重(→小出吉重の系図)の子。
子の妻 松平市子
松平直良(→松平直良~直純の系図)の娘。
孫 小出英致〔養父:小出英直〕→小出英致の系図
子の妻 南部七子
南部重信(→南部重信の系図)の娘。
子 長→稲葉信通~恒通の系図
子 禰々【?-1654】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 留理→山内豊定の系図
子 吉法師丸・子 忠頼の娘(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
有馬頼利(よりとし)【1652-1668】
久留米藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平糸子【?-1701】
松平頼重(→松平頼重・頼常の系図)の娘。
有馬頼元(よりもと)【1654-1705】
久留米藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平津与子/強【?-1672】
松平綱隆(→松平直政~吉透の系図)の娘。
妻 徳川定子【?-1683】
実は広幡忠幸(→広幡忠幸・豊忠の系図)の娘。
妻の父 徳川光友→徳川光友の系図
子 源四郎【1675-1677】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
妻 小野氏【?-1730】
子 吉次郎【1692-1696】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 封→松平直基~基知の系図
子 盛→酒井忠隆~忠用の系図
子 豊→本庄資訓の系図
妻 大野氏
子 荘三郎【1692-1693】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 紀伊→宗義真~義方の系図
子 振【1687-1688】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 亀【?-1690】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 直【1691-1696】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 梅【1704-1718】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
有馬頼旨(よりむね)【1685-1706】
久留米藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 則維・孫 頼徸→有馬則維・頼徸の系図
有馬則維・頼徸の系図
有馬則維(のりふさ)【1674-1738】〔養父:有馬則故(→有馬豊長・則故の系図)〕
久留米藩主。実は石野則員(→石野則員~則存の系図)の子。藩財政の立て直しを図った。
祖父 頼元・父 頼旨→有馬忠頼~頼旨の系図
妻 谷市【?-1737】
谷衛広(→谷衛利~衛将の系図)の娘。
子 万千代【1700】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 則矩【1701-1708】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 大次郎【1703-1708】〔養父:有馬則故(→有馬豊長・則故の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 小林氏【?-1759】
妻 金児氏
子 則如【1709-1718】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 連【1711-1715】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 八十【1716】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 直吉【1716】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 則恵【1720-1738】
子 好【1710-1718】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 悦【1710-1711】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 富【1712-1713】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 磐【1716-1718】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 輝【1716-1721】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 幾【1717-1721】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 安→亀井茲親~茲胤の系図
子 美代→佐竹義堅の系図
子 幸→津軽信政~信著の系図
子 園【1724-1732】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 綱【1725-1730】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
有馬頼徸(よりゆき)/則昌【1714-1783】
久留米藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。数学をよくした。
妻 豊子女王【1721-1774】
家仁親王(→家仁親王の系図)の王女。
妻 奥田氏
子 頼貴→有馬頼貴の系図
孫 頼徳→有馬頼徳~頼咸の系図
子 多吉郎【1750-1756】
子 幾代【1738-1751】
丹羽高庸に嫁ぐ予定であった。
子 登幾/亀【1740-1743】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 幾久【1741-1742】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 鉄【1751-1753】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 直【1752-1760】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
有馬頼貴の系図
有馬頼貴(よりたか)【1746-1812】
久留米藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。藩校明善堂を創設した。
祖父 則維・父 頼徸→有馬則維・頼徸の系図
妻 毛利勢代【?-1775】
毛利重就(→毛利吉元~重就の系図)の娘。
妻 川上氏
子 赤松安次郎【1775-1777】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
妻 高木氏
子 頼董(よりただ)【1773-1786】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 頼体(よりかた)【1779-1796】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正【1781-1785】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
妻 毛受氏
子 頼善(よりよし)【1779-1816】(以下、『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
孫 赤松正之丞【1797-1841】
妻 吉岡氏
子 品→丹羽長祥の系図
妻 関氏
子 頼久(よりひさ)【1785-1803】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 愛次郎【1791-1792】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 木下俊芳〔養父:木下俊隆〕→木下俊芳の系図
子 錘→土岐定経~頼知の系図
子 国→木下俊良の系図
子 頼端(よりなお)【1779-1804】
子の妻 堀田久里
堀田正順(→堀田正順の系図)の娘。
子の妻 吉田氏
孫 頼徳〔養父:有馬頼貴〕→有馬頼徳~頼咸の系図
子の妻 竹内氏
孫 細川興建〔養父:細川興徳〕→細川興虎~興貫の系図
孫 一知【1804-1869】〔養父:岸温知〕
孫 春→松平信友~信謹の系図
孫 益→丹羽長富の系図
子 赤松弁助【1782-1791】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 石野桑之助【1786-1791】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 悦五郎【1798-1804】〔養父:有馬則明(→有馬則致~則篤の系図)〕(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 赤松菊八【1799-1816】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 頼徳・孫 頼永→有馬頼徳~頼咸の系図
子 峯【1767-1768】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 恒【1774-1789】
島津斉宣に嫁ぐ予定であった。
子 久→稲葉董通~久通の系図
子 里代
実は石野範至(→石野則員~則存の系図)の娘。有馬氏恕に嫁ぐ予定であった。
子 蔦→有馬頼次~氏弘の系図
子 兼【1784-1794】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 堅【1785-1813】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 頼貴の娘【1786】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 庭→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子 頼貴の娘【1799】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 桂→有馬則致~則篤の系図
有馬頼徳~頼咸の系図
有馬頼徳(よりのり)【1797-1844】
久留米藩主。実は有馬頼端(→有馬頼貴の系図)の子。
祖父 頼徸→有馬則維・頼徸の系図
父 頼貴→有馬頼貴の系図
妻 一橋幹姫【?-1824】
一橋斉敦(→一橋斉敦~茂栄の系図)の娘。
妻 石井氏
子 仙太郎【1819-1823】
母は『有馬家譜(筑後久留米)』による。
子 赤松栄次郎【1820】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 雋【1821-1822】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
妻 田中氏
実は皆川氏の娘。
子 亀井茲監〔養父:亀井茲方〕→亀井矩貞~茲監の系図
子 幸【1820-1832】
母は『有馬家譜(筑後久留米)』による。土屋寅直に嫁ぐ予定であった。
妻 鈴木氏
子 美→牧野貞一の系図
妻 池田氏
子 赤松広作【1825】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 赤松房之助【1830-1831】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 哲【1827-1828】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 謳→松平頼恕~頼聡の系図
子 崇子→前田治脩~慶寧の系図
子 米【1834】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
妻 立石氏
子 慶頼〔養父:有馬頼永〕
子 赤松豊之丞【1830-1831】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 赤松千代丸【1816-1817】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 赤松唯次郎【1828-1830】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 赤松健吉【1833-1834】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 赤松善七郎【1835-1836】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
子 松平直克〔養父:松平直侯〕→松平斉典~直方の系図
子 竹→土屋英直~挙直の系図
子 媛→有馬頼次~氏弘の系図
子 保【1838-1840】(『有馬家譜(筑後久留米)』による。)
有馬頼永(よりとお)【1822-1846】
久留米藩主。
妻 島津晴
実は島津斉宣(→島津斉宣の系図)の娘。
妻の父 島津斉興→島津斉興の系図
有馬頼咸(よりしげ)/慶頼(よしより)/頼多/頼慶【1828-1881】
久留米藩主。実は有馬頼徳の子。
妻 韶子女王
実は韶仁親王(→韶仁親王の系図)の王女。
妻の父 徳川家慶→徳川家慶~慶喜の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。