このページでは、成瀬氏(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
成瀬氏(尾張国犬山藩主)の略系図

1 基久→成瀬基久~正一・正勝~正育の系図
9 正成→成瀬正成~正幸・之成・之虎の系図
13 正泰→成瀬正泰~正肥の系図
成瀬基久~正一・正勝~正育の系図
成瀬基久(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 道平→二条兼基・道平の系図
父 良基→二条良基~持基の系図
成瀬国平(以下、『系図纂要』による。)
成瀬正頼(まさより)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 正義(まさよし)【1535-1572】
子の夫 細井勝久→細井勝久の系図
成瀬正一(まさかず)【1519-1601】
妻 熊谷直連の妹
子 正成・孫 正虎・之成→成瀬正成~正幸・之成・之虎の系図
子 吉正
母は『成瀬家譜』による。
妻 山上淡路守の娘
子 正武(まさたけ)【?-1615】
子の妻 山口重政の娘
実は橋光以の娘。
子の妻の父 山口重政→山口重政の系図
子の妻 伊東祐兵の娘
子の妻の父 伊東祐兵→伊東祐兵~祐久の系図
孫の夫 金森重勝→金森重勝の系図
子の夫 日下部宗好→日下部宗好の系図
妻 倉賀野甚五兵衛の姉
子 正一の娘(2人)
母は『成瀬家譜』による。
孫 正章・孫 正則の娘〔養父:成瀬正勝〕
孫 正則の娘〔養父:中島長与〕
松平康竜に嫁ぐ予定であった。
成瀬正勝(まさかつ)/正芳(まさよし)【1607-1676】
妻 水野守信の娘
妻の父 水野守信→水野政祖~守政の系図
子の夫 松平隆見→松平隆見の系図
成瀬正章(まさあきら)【1644-1696】
実は成瀬正則の子。
妻 水野守政の娘
妻の父 水野守政→水野政祖~守政の系図
成瀬正起(まさおき)【1675-1721】
実は成瀬政全の子。
子 正起の娘
実は細井勝長(→細井勝長の系図)の娘。
子の夫 大岡忠陣→大岡忠品~忠卿・忠厚~忠正の系図
子の夫 安藤信歴→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
成瀬正倫(まさとも)【1705-1728】
妻 井上正晴の娘
実は井上正富(→井上正任~正経の系図)の娘。
妻の父 井上正晴→井上正義~正矩の系図
成瀬正方(まさかた)【1724-1743】
成瀬正常(まさつね)【1727-1784】
実は織田信義(→織田信当~信彭の系図)の子。
妻 松平康直の娘
妻の父 松平康直→松平康紀~康功の系図
子の夫 林正義→林正義の系図
成瀬正定(まささだ)/正孝(まさたか)【1751-?】
妻 中根正興の娘
妻の父 中根正興→中根正興の系図
妻 井上正朝の娘
妻の父 井上正朝→井上正義~正矩の系図
成瀬正育(まさのぶ)【1781-?】
妻 成瀬正典の娘
妻の父 成瀬正典→成瀬正泰~正肥の系図
成瀬正成~正幸・之成・之虎の系図
成瀬正成(まさなり)【1567-1625】
祖父 正頼・父 正一→成瀬基久~正一・正勝~正育の系図
妻 森川氏俊の娘
妻の父 森川氏俊→森川氏俊・正次~氏佳の系図
妻 本多正重の娘
妻の父 本多正重→本多定吉~正貫の系図
子の夫 板倉重宗→板倉重宗の系図
成瀬正虎(まさとら)【1594-1663】
妻 竹腰正信の娘
妻の父 竹腰正信→大原綱高~竹腰正映の系図
子 直竜〔養父:寺尾直政〕
子の夫 板倉重大→板倉重大~勝該の系図
子の夫 小出英知→小出英知の系図
成瀬正親(まさちか)【1639-1703】
妻 小出吉重の娘
妻の父 小出吉重→小出吉重の系図
子の夫 関長治→関長重~長広の系図
成瀬正幸(まさゆき)【1680-1743】
妻 堀直利の娘
妻の父 堀直利→堀直寄~直為・直次・直定の系図
子 正幸の娘
母は『成瀬家譜』による。
子 正泰・孫 正典→成瀬正泰~正肥の系図
子の夫 松平尚澄→松平尚澄の系図
子の夫 広橋勝胤→広橋兼廉~勝胤の系図
孫 伊光→広橋伊光の系図
成瀬之成(ゆきなり)/正重(まさしげ)【1596-1634】
妻 阿部正次の娘
妻の父 阿部正次→阿部正俊~正次の系図
妻 片桐孝利の娘
実は片桐且元(→片桐且元の系図)の娘。
妻の父 片桐孝利→片桐孝利の系図
子 之成の娘〔養父:成瀬正虎〕
成瀬之虎(ゆきとら)【1634-1638】
成瀬正泰~正肥の系図
成瀬正泰(まさもと)【1709-1785】
祖父 正親・父 正幸→成瀬正成~正幸・之成・之虎の系図
子の夫 四条隆叙→四条隆重~隆平の系図
成瀬正典(まさのり)【1742-1820】(以下、『成瀬家譜』による。)
妻 戸田伸
戸田光雄(→戸田光雄~光和の系図)の娘。
妻 今井氏
子 小浜隆庸〔養父:小浜隆紀〕→小浜隆庸の系図
子 正賢(まさかた)【1760-1798】
孫 幸詮〔養父:成瀬正典、青山尚詮〕
孫 寿承【1797-1823】
子 篤行〔養父:金田正延(→金田正延の系図)〕
子の妻 金田正延の娘
子の妻の父 金田正延→金田正延の系図
子 幸詮/忠義〔養父:青山尚詮〕
実は成瀬正賢の子。
子の夫 成瀬正育→成瀬基久~正一・正勝~正育の系図
成瀬正寿(まさなが)【1782-1838】
妻 大久保忠喜の娘
妻の父 大久保忠喜→大久保忠喜の系図
子 良徳/茂正〔養父:渋谷采女〕
子の夫 田村邦行→田村村資~崇顕の系図
成瀬正住【1812-1857】
妻 奥平昌高の娘
妻の父 奥平昌高→奥平昌高~昌邁の系図
成瀬正肥(まさみつ)【1835-1903】
尾張国犬山藩主。実は青山忠良(→青山忠良・忠敏の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。