このページでは、田沼氏(藤原氏北家・藤成流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
田沼氏(遠江国相良藩主)の略系図
1 重綱→佐野重綱~田沼意行・意誠~意英の系図
16 意次→田沼意次の系図
17 意知→田沼意知~意斉の系図
佐野重綱~田沼意行・意誠~意英の系図
佐野重綱【?-1265】(以下、『系図纂要』による。)
祖父 基綱・父 国基→佐野基綱~信吉の系図
佐野重村【?-1317】
佐野重行【?-1335】
千本重信【?-1396】
千本重隆【?-1449】
田沼光房【?-1506】
田沼重綱【?-1520】
実は高瀬忠重の子。
田沼忠高【?-1568】
田沼重高【?-1565】
田沼重次【?-1593】
田沼忠吉【?-1624】
田沼吉次【?-1672】
田沼吉重【?-1680】
田沼義房/義広/吉広【?-1730】
田沼意行(おきゆき)【1688-1734】
子 意次→田沼意次の系図
孫 意知→田沼意知~意斉の系図
子 意満
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 新見正則→新見正則の系図
田沼意誠(おきのぶ)【1721-1773】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 石谷清豊〔養父:石谷清定〕→石谷清豊の系図
田沼意致(おきむね)【1741-1796】
妻 能勢頼忠の娘
実は山名豊明(→山名豊明の系図)の娘。
妻の父 能勢頼忠→能勢頼忠の系図
妻 伊丹直宥の娘
妻の父 伊丹直宥→伊丹直宥の系図
子 稲生正容〔養父:稲生正方〕→稲生正容の系図
子 意定〔養父:田沼意信〕→田沼意知~意斉の系図
子の夫 能勢頼徳→能勢頼徳の系図
子の夫 山木正富→山木正富の系図
子の夫 稲葉正武→稲葉正員~正善の系図
子の夫 土方義苗→土方義苗の系図
子の夫 西尾政温→西尾利氏~政温の系図
子の夫 植村正養→植村政明~政敦・正澄~正養の系図
田沼意英(おきふさ)【1771-?】
妻 山口直良の娘
実は長田繁趬(→長田重政~繁茂の系図)の娘。
妻の父 山口直良→山口直良の系図
田沼意次の系図
田沼意次(おきつぐ)【1719-1788】
老中・遠江国相良藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。老中として様々な経済政策などを行ったが、子の意知が刺殺された後に失脚した。
祖父 義房・父 意行→佐野重綱~田沼意行・意誠~意英の系図
妻 伊丹直賢の娘
妻の父 伊丹直賢→伊丹直賢の系図
妻 黒沢定記の娘
妻の父 黒沢定記→黒沢定記の系図
子 意知・孫 意明→田沼意知~意斉の系図
子 意正〔養父:田沼意定、水野忠友〕→田沼意知~意斉の系図
子 土方雄貞〔養父:土方雄年〕→土方雄貞の系図
子 九鬼隆祺〔養父:九鬼隆貞〕→九鬼隆貞~隆備の系図
子の夫 西尾忠移→西尾忠移~忠篤の系図
子の夫 井伊直朗→井伊直存~直安の系図
子の夫 大岡忠喜→大岡忠光~忠要の系図
子の夫 土方義苗→土方義苗の系図
田沼意知~意斉の系図
田沼意知(おきとも)【1749-1784】
母は『寛政重修諸家譜』による。若年寄となったが、佐野政言に殺された。
祖父 意行→佐野重綱~田沼意行・意誠~意英の系図
父 意次→田沼意次の系図
祖父 黒沢定記→黒沢定記の系図
妻 松平義
松平康福(→松平康映~康福の系図)の娘。
子 意壱〔養父:田沼意明〕
子 意信〔養父:田沼意壱〕
子の夫 稲葉正武→稲葉正員~正善の系図
子の夫 土方義苗→土方義苗の系図
田沼意明(おきあき)【1773-1796】
陸奥国下村藩主。
妻 織田信浮の娘
妻の父 織田信浮→織田信浮~寿重丸の系図
田沼意壱(おきかず)【1780-1800】
下村藩主。実は田沼意知の子。
田沼意信(おきのぶ)【1782-1803】
下村藩主。実は田沼意知の子。
妻 松平頼前の娘
実は松平頼陽(→松平頼永~頼策の系図)の娘。
妻の父 松平頼前→松平頼永~頼策の系図
田沼意定(おきさだ)【1784-1804】
下村藩主。実は田沼意致(→佐野重綱~田沼意行・意誠~意英の系図)の子。
田沼意正(おきまさ)/忠徳【1754-1836】〔養父:水野忠友(→水野忠穀~忠敬の系図)〕
下村藩主・相良藩主。実は田沼意次(→田沼意次の系図)の子。
妻 水野忠友の娘
妻の父 水野忠友・夫 水野忠成→水野忠穀~忠敬の系図
子 柳生俊能〔養父:柳生俊章〕→柳生俊方~俊郎の系図
子の夫 柳生俊章→柳生俊方~俊郎の系図
田沼意留(おきとめ)【?-1861】(以下、『田沼家譜(上総小久保)』による。)
相良藩主。
妻 堀直教の娘
妻の父 堀直教→堀直尭・直教の系図
夫 六郷政芳→六郷政芳の系図
妻 分部光実の娘
妻の父 分部光実→分部光実の系図
子 熊五郎〔養父:下多賀兵庫〕
子 田代広〔養父:田沼元五郎〕
子の夫 久留島通容→久留島通同~通靖の系図
田沼意尊(おきたか)【1818-1869】〔養子:伊達信広(→伊達宗城・宗徳の系図)〕
相良藩主・上総国小久保藩主。
妻 久留島通嘉の娘
妻の父 久留島通嘉→久留島通同~通靖の系図
子 知恵→伊達宗城・宗徳の系図
田沼意斉(おきなり)【1855-?】
小久保藩主。実は大岡忠恕(→大岡忠烈~忠貫の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。