このページでは、鍋島氏(藤原氏北家・藤成流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
鍋島氏(肥前国佐賀藩主)の略系図
1 経直→鍋島経直~直茂の系図
5-A 忠茂→鍋島忠茂~直孝の系図
6 勝茂→鍋島勝茂の系図
7 忠直→鍋島忠直・光茂の系図
9 綱茂→鍋島綱茂・吉茂の系図
11 宗茂→鍋島宗茂~重茂の系図
14 治茂→鍋島治茂の系図
15 斉直→鍋島斉直~直大の系図
鍋島経直~直茂の系図
鍋島経直(以下、『系図纂要』による。)
祖父 嘉頼・父 教頼→少弐盛経~冬尚の系図
鍋島清房(きよふさ)
妻 竜造寺家純の娘
妻の父 竜造寺家純→竜造寺家純の系図
鍋島直茂(なおしげ)/信安(のぶやす)/信真(のぶまさ)/信昌(のぶまさ)/信生(のぶなり)【1538-1618】〔養父:竜造寺政家(→竜造寺政家の系図)〕
竜造寺氏の譜代家臣。竜造寺隆信の死後、領国政治の委任を受けた。徳川家康に本領を安堵され、佐賀藩の藩政を後見した。
妻 石井忠常の娘【?-1629】
子 勝茂→鍋島勝茂の系図
孫 元茂→鍋島元茂~直英の系図
孫 忠直→鍋島忠直・光茂の系図
孫 直澄→鍋島直澄~直称の系図
孫 直朝→鍋島直朝~直郷の系図
子 忠茂・孫 正茂→鍋島忠茂~直孝の系図
子・子の夫 竜造寺高房→竜造寺高房の系図
鍋島忠茂~直孝の系図
鍋島忠茂(ただしげ)/茂広/直房【1584-1624】
肥前国鹿島藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 清房・父 直茂→鍋島経直~直茂の系図
子 茂久〔養父:佐野茂義〕
鍋島正茂(まさしげ)【1606-1686】
鹿島藩主。母は『鍋嶋家譜(肥前鹿島)』による。後継者を巡って鍋島勝茂と争い、鹿島を去って旗本になった。
子 直朝→鍋島直朝~直郷の系図
鍋島正恭(まさやす)/親茂(ちかしげ)【1638-1685】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 大久保忠昌の娘
実は久貝正偏(→久貝正偏の系図)の娘。
妻の父 大久保忠昌→大久保忠昌の系図
子の夫 木下利値→木下利値の系図
子の夫 石野範種→石野範種の系図
鍋島直旨(なおむね)【1675-1692】
鍋島長行(ながゆき)【1675-1738】
実は鍋島光茂(→鍋島忠直・光茂の系図)の子。
妻 林信篤の娘
妻の父 林信篤→林信篤の系図
子 直恭(なおやす)【1703-1735】
実は水野忠直(→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図)の子。
鍋島直弼(なおすけ)【1711-1761】
実は水野忠直(→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図)の子。
妻 鍋島茂之の娘
妻の父 鍋島茂之→鍋島忠直・光茂の系図
子の夫 中坊秀亨→中坊秀亨の系図
子の夫 松平乗展→松平乗真~乗輪の系図
鍋島直益(なおます)/直好(なおよし)【1738-1776】
妻 松平信復の娘
妻の父 松平信復→松平信復・信礼の系図
妻 水野政勝の娘
実は岡部長晧(→岡部長晧~長教の系図)の娘。
妻の父 水野政勝→水野政勝の系図
夫 大屋昌美→大屋昌美の系図
鍋島直賢(なおかた)【1758-1800】
実は鍋島直員(→鍋島直員~直虎の系図)の子。
妻 松平乗展の娘
妻の父 松平乗展→松平乗真~乗輪の系図
鍋島直正(なおまさ)〔養子:二条遂子(→鍋島直恒~直紀の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
妻 鍋島治茂の娘
妻の父 鍋島治茂→鍋島治茂の系図
子 姷子→鍋島直恒~直紀の系図
鍋島直孝
実は鍋島斉直(→鍋島斉直~直大の系図)の子。
妻 本多クマ
実は黒田直方(→黒田直方~直養の系図)の娘。
妻の父 本多正意→本多正珍~正憲の系図
夫 板倉勝職→板倉勝政~勝弼の系図
子 直孝の娘〔養父:鍋島直正〕→鍋島斉直~直大の系図
鍋島勝茂の系図
鍋島勝茂(かつしげ)/清茂(きよしげ)【1580-1657】〔養子:鍋島茂里の娘(→鍋島元茂~直英の系図)〕
肥前国佐賀藩主。幕府の裁定により、竜造寺氏の家督を継いだ。
祖父 清房・父 直茂→鍋島経直~直茂の系図
妻 戸田勝隆の娘【?-1603】
子 伊勢松
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 徳川家康の娘【1588-1661】
実は岡部長盛(→岡部長盛の系図)の娘。
妻の父 徳川家康→徳川家康の系図
子 忠直・孫 光茂→鍋島忠直・光茂の系図
子 直澄・孫 直之→鍋島直澄~直称の系図
子 直弘〔養父:鍋島直容〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直朝・孫 直条→鍋島直朝~直郷の系図
子 直長〔養父:神代常宣〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 満千代・卿公
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 市→上杉定勝の系図
子 勝茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。多久茂辰に嫁いだ。
子 勝茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。諫早茂敬に嫁いだ。
子 勝茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。神代常利に嫁いだ。
子 隣〔養父:鍋島元茂〕→鍋島元茂~直英の系図
子の夫 松平忠房→松平忠利~忠俔の系図
妻 小西三右衛門の娘
子 元茂・孫 直能→鍋島元茂~直英の系図
子の夫 鍋島直能→鍋島元茂~直英の系図
鍋島忠直・光茂の系図
鍋島忠直(ただなお)【1613-1635】
祖父 直茂→鍋島経直~直茂の系図
父 勝茂→鍋島勝茂の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 松平無垢子
松平忠明(→松平忠明の系図)の娘。
夫 鍋島直澄→鍋島直澄~直称の系図
子 忠直の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
鍋島光茂(みつしげ)【1632-1700】
佐賀藩主。『三家格式』を制定した。和歌を好み、三条西家から古今伝授を受けた。
妻 上杉虎【?-1657】
上杉定勝(→上杉定勝の系図)の娘。
子 綱茂・孫 吉茂→鍋島綱茂・吉茂の系図
子の夫 土井利重→土井利隆の系図
子の夫 水野忠直→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
子の夫 伊東祐実→伊東祐由~祐之の系図
妻 中院通純の娘【?-1665】
妻の父 中院通純→中院通勝~通純の系図
子 吉茂〔養父:鍋島綱茂〕→鍋島綱茂・吉茂の系図
子 光茂の息子(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 執行宗全の娘
子 宗茂〔養父:鍋島吉茂〕→鍋島宗茂~重茂の系図
子 茂之/茂喬
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 鍋島直
鍋島直条(→鍋島直朝~直郷の系図)の娘。
孫の夫 鍋島直弼→鍋島忠茂~直孝の系図
子 直方〔養父:神代直長〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 三平・左内・亀千代・伊平太・辰茂・徳寛
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 光茂の娘〔養父:鍋島嵩就〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 光茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。鍋島直愈に嫁いだ。
子 連喜以→鍋島直恒~直紀の系図
子 光茂の娘(3人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 光茂の娘(4人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 榊原政邦→榊原政邦の系図
妻 真木三郎左衛門の娘
子 政盛〔養父:村田政種〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長行〔養父:鍋島直旨〕→鍋島忠茂~直孝の系図
妻 村山吉兵衛の娘
子 光茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 斎藤市郎左衛門の娘
子 久松
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 岡本善右衛門の娘
子の夫 岡部盛明→岡部与賢~美勝の系図
妻 鳥巣甚右衛門の娘
子 光茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 戸田左助の娘
子 光茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 須古孫右衛門の娘
子 光茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 茂文〔養父:多久茂矩〕
子 彦法師(『寛政重修諸家譜』による。)
子 光茂の娘〔養父:鍋島武興〕
子 千代→鍋島直朝~直郷の系図
子 吉良→三浦明敬~明次の系図
子 瑠璃→鍋島直澄~直称の系図
子の夫 鍋島直朗→鍋島元茂~直英の系図
鍋島綱茂・吉茂の系図
鍋島綱茂(つなしげ)【1652-1706】
佐賀藩主。
祖父 忠直・父 光茂→鍋島忠直・光茂の系図
妻 松平光通の娘【?-1699】
妻の父 松平光通→松平光通~吉邦の系図
子 綱茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 田中小兵衛の妹
子 綱茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。上杉吉憲に嫁ぐ予定であった。
子 綱茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 千太郎〔養父:神代直長〕
子 仁和→鍋島直澄~直称の系図
孫 鍋島直恒→鍋島直恒~直紀の系図
子 綱茂の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 榊原政邦→榊原政邦の系図
鍋島吉茂(よししげ)/矩茂(のりしげ)/直利(なおとし)【1664-1730】
佐賀藩主。実は鍋島光茂(→鍋島忠直・光茂の系図)の子。
子 宗茂・孫 宗教→鍋島宗茂~重茂の系図
子 直致(『華族系譜』による。)
子 久→三浦明敬~明次の系図
子 連喜以→鍋島直恒~直紀の系図
子 直子→日野資時~資平の系図
子の夫 岡部盛明→岡部与賢~美勝の系図
鍋島宗茂~重茂の系図
鍋島宗茂(むねしげ)/直董(なおただ)【1686-1754】
佐賀藩主。実は鍋島光茂(→鍋島忠直・光茂の系図)の子。
祖父 綱茂・父 吉茂→鍋島綱茂・吉茂の系図
妻 久世通夏の娘【?-1752】
妻の父 久世通夏→久世通式~通晃の系図
子 直鄰/直良
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 重茂〔養父:鍋島宗教〕
子 宗茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 有田広周の娘
子 宗茂の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 成富治武の娘
子 宗茂の息子
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 石井利政の娘
子 宗茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 古賀重任の娘
子 宗茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 小代雪
子 治茂〔養父:鍋島重茂〕→鍋島治茂の系図
子 竹丸・甚吉・翁助・子 宗茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 宗茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 伊達村候→伊達村候の系図
孫 村寿→伊達村寿・宗紀の系図
子の夫 岡部長住→岡部長著~長備の系図
鍋島宗教(むねのり)/教茂(のりしげ)【1718-1780】
佐賀藩主。
妻 中院通躬の娘
妻の父 中院通躬→中院通茂~通枝の系図
妻 中村博好の娘
子 吉次郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 池田種甫の娘
子 富松
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 千百→鍋島直恒~直紀の系図
子の夫 鍋島直員→鍋島直員~直虎の系図
鍋島重茂(しげもち)/直亮(なおすけ)【1733-1770】
佐賀藩主。実は鍋島宗茂の子。
妻 伊達宗村の娘【?-1761】
妻の父 伊達宗村→伊達宗村の系図
子 原丸
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 田安淑姫【?-1815】
田安宗武(→田安宗武の系図)の娘。
子 治茂→鍋島治茂の系図
孫 斉直→鍋島斉直~直大の系図
妻 小林辰昭の娘
子の夫 鍋島直愈→鍋島直員~直虎の系図
子 光→堀河康俊~康実の系図
孫 堀河康暁→堀河康暁~康隆の系図
鍋島治茂の系図
鍋島治茂(はるしげ)/直煕(なおひろ)【1745-1805】〔養父:鍋島直郷(→鍋島直朝~直郷の系図)〕
鹿島藩主・佐賀藩主。実は鍋島宗茂(→鍋島宗茂~重茂の系図)の子。藩校弘道館を設立した。
祖父 宗教・父 重茂→鍋島宗茂~重茂の系図
妻 中院通枝の娘【?-1777】
妻の父 中院通枝→中院通茂~通枝の系図
妻 井伊直幸の娘【?-1790】
妻の父 井伊直幸→井伊直幸の系図
子 治茂の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平絜子【?-1805】
松平乗薀(→松平乗賢~乗命の系図)の娘。
子 誠→榊原政令の系図
子 治茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
諫早敬輝に嫁いだ。
子 治茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 治茂の娘(『華族系譜』による。)
妻 北御門数籌の娘
子 悌→鍋島直宜~直彬の系図
妻 福岡義英の娘
子 斉直・孫 直正→鍋島斉直~直大の系図
妻 増田武尭の娘
子 敏次郎・徹之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直道〔養父:鍋島直温〕→鍋島直恒~直紀の系図
子 治茂の娘(『華族系譜』による。)
鍋島直章に嫁いだ。
子 治茂の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 小代重道の娘
子 直彜〔養父:鍋島直宜〕→鍋島直宜~直彬の系図
妻 村松武明の娘
子 直与〔養父:鍋島直温〕→鍋島直恒~直紀の系図
子 篌之助(『華族系譜』による。)
子 観姫→伊達村寿・宗紀の系図
子の夫 中院通繁→中院通維~通富の系図
子の夫 久世通理→久世栄通~通煕の系図
子の夫 三浦誠次→三浦誠次~顕次の系図
子の夫 鍋島直正→鍋島忠茂~直孝の系図
子 直宜・孫 直彜→鍋島直宜~直彬の系図
子 綏子→鍋島直恒~直紀の系図
子 親→正親町公明~公董の系図
鍋島斉直~直大の系図
鍋島斉直(なりなお)/直懿(なおたか)【1780-1839】(以下、『華族系譜』による。)
佐賀藩主。フェートン号の入港を阻止できず、逼塞を命じられた。
祖父 重茂→鍋島宗茂~重茂の系図
父 治茂→鍋島治茂の系図
妻 池田幸姫【?-1837】
池田治道(→池田治道~慶徳の系図)の娘。
子 弼太郎【?-1808】
子 業之助【?-1811】
子の夫 阿部正寧→阿部正精~正桓の系図
子の夫 伊達宗城→伊達宗城・宗徳の系図
子の夫 松平斉貴→松平宣維~定安の系図
妻 直塚種薫の妹
子 賢在〔養父:神代直珍〕
子 茂快〔養父:鍋島茂矩〕
妻 辻真敏の妹
子 直孝〔養父:鍋島直正〕→鍋島忠茂~直孝の系図
子 茂真〔養父:鍋島茂臣〕
子の夫 久世通煕→久世栄通~通煕の系図
妻 中野宣明の妹
子 斉直の娘
鍋島直尭に嫁ぐ予定であった。
妻 石井尚方の娘
子 直永〔養父:鍋島直彜〕→鍋島直宜~直彬の系図
妻 本島方長の妹
子 斉直の娘
伊東祐相に嫁ぐ予定であった。
妻 堤満雅の娘
子 茂元〔養父:鍋島茂坤〕
妻 石井本昭の妹
子 直賢〔養父:鍋島直晴〕→鍋島直宜~直彬の系図
妻 武富秀興の娘
子 文武〔養父:鍋島敬哉〕
子の夫 三浦誠次→三浦誠次~顕次の系図
鍋島直正(なおまさ)/斉正【1814-1871】
佐賀藩主。藩政改革を行い、軍事力を増強した。維新後は議定に任じられた。
妻 徳川国子/盛姫【?-1847】
徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。
妻 田安筆姫
田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の娘。
妻 山本頼展の娘
子の夫 松平直侯→松平斉典~直方の系図
妻 村松矩欽の娘
子 直虎〔養父:鍋島直亮〕→鍋島直員~直虎の系図
子 直柔〔養父:鍋島直紀(→鍋島直恒~直紀の系図)〕
子 宏子→細川斉茲~護久の系図
子 直正の娘
実は鍋島直孝(→鍋島忠茂~直孝の系図)の娘。鍋島茂生に嫁いだ。
子 菊→鍋島直員~直虎の系図
子 藹→鍋島直宜~直彬の系図
子 穣子→鍋島直恒~直紀の系図
子 津奈→宗義暢~重正の系図
鍋島直大(なおひろ)/直縄(なおただ)/茂実(しげざね)【1846-1921】
佐賀藩主。維新後は議定などを務め、イギリスに留学した。
妻 梅渓通善の娘
妻の父 梅渓通善→梅渓通仲~通治の系図
妻 広橋栄子(ながこ)【1855-1941】
広橋胤保(→広橋光成~胤光の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。