このページでは、鍋島氏(藤原氏北家・藤成流)・元茂流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
鍋島氏・元茂流(肥前国小城藩主)の略系図
1 元茂→鍋島元茂~直英の系図
6 直員→鍋島直員~直虎の系図
鍋島元茂~直英の系図
鍋島元茂(もとしげ)/直元(なおもと)【1602-1654】
肥前国小城藩主。母は『華族系譜』による。
祖父 直茂→鍋島経直~直茂の系図
父 勝茂→鍋島勝茂の系図
妻 鍋島茂里の娘〔養父:鍋島勝茂(→鍋島勝茂の系図)〕
妻 犬塚氏
子 直朗〔養父:鍋島武興〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 鍋島光茂の娘
子の妻の父 鍋島光茂→鍋島忠直・光茂の系図
子 直治
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 隣
実は鍋島勝茂(→鍋島勝茂の系図)の娘。
子 万→岡部与賢~美勝の系図
鍋島直能(なおよし)/直宗(なおむね)【1622-1689】
小城藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。『寛政重修諸家譜』によれば、西川氏を母とする娘が1人いる。
妻 鍋島勝茂の娘
実は多久茂辰の娘。
妻の父 鍋島勝茂→鍋島勝茂の系図
子 直将
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 吉良→三浦明敬~明次の系図
子 直能の娘(『華族系譜』による。)
妻 坊城俊完の娘
妻の父 坊城俊完→坊城俊国~俊広の系図
妻 西川氏
子 晃淳【1667-1728】〔養父:坊城俊広(→坊城俊国~俊広の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 能冬〔養父:三浦盛治〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 元敦・佐膳・子 末津
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 嘉知〔養父:犬塚貞長〕(『華族系譜』による。)
子 貞(『華族系譜』による。)
子 糸→中山信治~信順の系図
鍋島元武(もとたけ)/直頼(なおより)【1662-1713】
小城藩主。母は『華族系譜』による。
子 式部
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直英〔養父:鍋島元延〕
子 久→三浦明敬~明次の系図
鍋島元延(もとのぶ)【1695-1714】
小城藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 才
母は『寛政重修諸家譜』による。
鍋島直英(なおひで)【1699-1744】
小城藩主。実は鍋島元武の子。
妻 多久茂文の娘
子 万之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直員・孫 直愈→鍋島直員~直虎の系図
子 直昭〔養父:鍋島直祐〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 能候〔養父:三浦能冬〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 田尻維種〔養父:田尻松亀、養子:田尻種信(→鍋島直員~直虎の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 清→鍋島直朝~直郷の系図
子 直英の娘(4人)(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 中村氏
子 直英の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 田島氏
子 美代
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 園(『寛政重修諸家譜』による。)
鍋島直員~直虎の系図
鍋島直員(なおかず)【1726-1780】
小城藩主。
祖父 元延・父 直英→鍋島元茂~直英の系図
妻 鍋島宗教の娘
実は五条為範(→五条為範~為定の系図)の娘。
妻の父 鍋島宗教→鍋島宗茂~重茂の系図
子 直嵩
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直宜〔養父:鍋島直煕〕→鍋島直宜~直彬の系図
子 親→正親町公明~公董の系図
子 加
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松井氏
子 直賢〔養父:鍋島直益〕→鍋島忠茂~直孝の系図
子 直員の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 中村氏
子 清・藤松
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 原田氏
子 田尻種信〔養父:田尻維種(→鍋島元茂~直英の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 豊明〔養父:西豊恭〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 房〔養父:鍋島元鄰〕(『華族系譜』による。)
鍋島直愈(なおます)/直喬(なおたか)【1756-1801】
小城藩主。藩校興譲館を創設した。
妻 鍋島重茂の娘
妻の父 鍋島重茂→鍋島宗茂~重茂の系図
妻 秀島氏
子 昌右衛門(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 松崎氏
子 万丸・鶴丸(『寛政重修諸家譜』による。)
子 直尭〔養父:鍋島直知〕
子 篤→鍋島直宜~直彬の系図
鍋島直知(なおとも)【1784-1804】
小城藩主。
鍋島直尭(なおたか)【1800-1873】(以下、『華族系譜』による。)
小城藩主。実は鍋島直愈の子。
子 平九郎〔養父:鍋島能和〕
子 常子→鍋島直恒~直紀の系図
鍋島直亮(なおすけ)【1829-1864】
小城藩主。
妻 鍋島菊
実は鍋島直永(→鍋島直宜~直彬の系図)の娘。
妻の父 鍋島直正→鍋島斉直~直大の系図
鍋島直虎(なおとら)【1856-1925】
小城藩主。実は鍋島直正(→鍋島斉直~直大の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。