このページでは、立花氏(藤原氏北家・藤成流)・鎮種流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
立花氏・鎮種流(筑後国三池藩主)の略系図
1 鎮種→高橋鎮種・立花直次の系図
2-A1 種吉→立花種吉・種成の系図
2-A2 直時・種治→立花直時~種寿・種治~直由の系図
3 種次→立花種次・種長の系図
5 種明・種澄→立花種明・種澄~種郷の系図
6 貫長→立花貫長の系図
7 長煕→立花長煕~種恭の系図
高橋鎮種・立花直次の系図
高橋鎮種(しげたね)/鎮理(しげなお)/紹運(しょううん)【1548-1586】
祖父 親国・父 鑑理→大友能直~頼泰の系図
子 立花宗茂〔養父:戸次鑑連〕→立花貞載~宗茂の系図
子 鎮種の娘〔養父:戸次鑑連〕→立花貞載~宗茂の系図
立花茂家に嫁いだ。
子の夫 大友義乗→大友義長~義親の系図
子の夫 細川興元→細川興元~興誠の系図
立花直次(なおつぐ)/統増(むねます)/宗一(むねかず)【1572-1617】
母は『寛政重修諸家譜』による。宝満城主。関ケ原の戦いで西軍につき、所領を失った。後に徳川秀忠に仕えた。
妻 筑紫広門の娘
妻の父 筑紫広門→筑紫広門の系図
子 種次・孫 種長→立花種次・種長の系図
妻 岡氏
子 種吉・孫 種成→立花種吉・種成の系図
子 種俊
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫の夫 立花直時→立花直時~種寿・種治~直由の系図
子 立花忠茂〔養父:戸次宗茂〕→立花忠茂~鑑任の系図
子 種元
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 真田信勝→真田信勝の系図
立花種吉・種成の系図
立花種吉(たねよし)【1608-1645】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 鎮種・父 直次→高橋鎮種・立花直次の系図
妻 野一色義重の娘
妻の父 野一色義重→野一色義重の系図
子の夫 能勢頼栄→能勢頼栄の系図
立花種成(たねしげ)
妻 藤枝方孝の娘
妻の父 藤枝方孝→藤枝方孝の系図
子 直時・孫 直員→立花直時~種寿・種治~直由の系図
子 種治・孫 直敬→立花直時~種寿・種治~直由の系図
子の夫 能勢頼忠→能勢頼忠の系図
立花直時~種寿・種治~直由の系図
立花直時(なおとき)【1669-1735】
祖父 種吉・父 種成→立花種吉・種成の系図
祖父 藤枝方孝→藤枝方孝の系図
妻 立花種俊の娘
妻の父 立花種俊→高橋鎮種・立花直次の系図
子の夫 松前報広→松前本広~浮広の系図
子の夫 長田守乾→長田白正~守安の系図
立花直員(なおかず)【1699-1747】
子の夫 細井勝晴→細井勝晴の系図
立花直堅(なおかた)【1722-1770】
妻 田中杪泰の娘
妻の父 田中杪泰→田中杪泰の系図
妻 水野忠英の娘
妻の父 水野忠英→水野忠重~忠嶽の系図
立花種寿(たねとし)【1754-?】
実は有馬尚久(→有馬尚久の系図)の子。
妻 五十幡忠盈の娘
実は滝口政義の娘。
妻の父 五十幡忠盈→五十幡忠盈の系図
夫 井沢正長→井沢正長の系図
夫 樋口敬孝→樋口敬孝の系図
立花種治(たねはる)【1682-1727】
妻 村田昌和の娘
妻の父 村田昌和→村田昌和の系図
立花直敬(なおよし)【1716-1789】
妻 諏訪正晴の娘
妻の父 諏訪正晴→諏訪正晴の系図
子の夫 佐藤天信→佐藤天信の系図
立花種喬(たねたか)/能宣(よしのぶ)
実は本多敏之(→本多敏之の系図)の子。
妻 立花直敬の娘
実は諏訪正倫の娘。
立花直由(なおより)【1769-?】
妻 生野克明の娘
妻の父 生野克明→生野克明の系図
妻 長谷川安卿の娘
妻の父 長谷川安卿→長谷川安卿の系図
立花種次・種長の系図
立花種次(たねつぐ)【1604-1630】
筑後国三池藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 鎮種・父 直次→高橋鎮種・立花直次の系図
妻 佐久間勝之の娘
妻の父 佐久間勝之→佐久間勝之の系図
子 種次の息子
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 種世(たねよ)【?-1674】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 種要
実は立花種長の子。
子の夫 伊達宗勝→伊達政宗の系図
立花種長(たねなが)【1625-1711】
三池藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 市橋長政の娘
妻の父 市橋長政→市橋長利~直方の系図
子 種明・子 種澄・孫 種秀→立花種明・種澄~種郷の系図
孫 貫長→立花貫長の系図
子 種義〔養父:三原忠左衛門〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 種久
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 達好〔養父:立花種秀〕→立花種明・種澄~種郷の系図
孫の夫 渡辺武→渡辺進~久の系図
子 種要〔養父:立花種世〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 秋山正明〔養父:秋山正勝〕→秋山正明の系図
妻 小出吉英の娘
妻の父 小出吉英→小出吉英の系図
子 宗之・子 種長の娘〔養父:屋山孟貞〕
子の夫 立花茂高→立花忠茂~鑑任の系図
子 種長の息子(2人)・子 種長の娘(5人)(『立花家譜(筑後三池)』による。)
立花種明・種澄~種郷の系図
立花種明(たねあきら)【1644-1699】
三池藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 種次・父 種長→立花種次・種長の系図
祖父 市橋長政→市橋長利~直方の系図
妻 小出吉重の娘
妻の父 小出吉重→小出吉重の系図
妻 奥平忠昌の娘
妻の父 奥平忠昌→奥平貞能~忠昌の系図
妻 京極恭子
京極高国(→京極高国~高福の系図)の娘。
子 貫長→立花貫長の系図
孫 長煕→立花長煕~種恭の系図
子 種盈/鎮寅(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
孫 市橋直挙〔養父:市橋直方〕→市橋直挙~長義の系図
孫 京極高英〔養父:京極高周〕→京極高林~高朝の系図
子 種明の息子・子 種明の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 種明の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 渡辺武→渡辺進~久の系図
立花種澄(たねずみ)【1648-1715】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 加藤光定の娘
妻の父 加藤光定→加藤光定の系図
子 種澄の娘〔養父:立花種秀〕
子の夫 東条義武→吉良義冬~義周・東条義叔~吉良義質の系図
立花種秀(たねひで)【1681-1751】
実は南条宗俊(→南条宗俊の系図)の子。
子の夫 平岡良寛→平岡良寛の系図
立花達好(ゆきよし)【1707-1780】
実は立花種久(→立花種次・種長の系図)の子。
妻 立花種秀の娘
実は立花種澄の娘。
立花種武(たねたけ)【1750-1780】
実は立花長煕(→立花長煕~種恭の系図)の子。
妻 黒田直巷の娘
妻の父 黒田直巷→黒田直巷の系図
妻 畔柳武徳の娘
妻の父 畔柳武徳→畔柳武徳の系図
夫 朝倉俊綽→朝倉俊綽の系図
立花種郷(たねさと)【1768-?】
実は安部信旨(→安部信旨の系図)の子。
妻 堀田正貴の娘
妻の父 堀田正貴→堀田正貴の系図
立花貫長の系図
立花貫長(つらなが・やすなが)【1687-1747】
三池藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 種長→立花種次・種長の系図
父 種明→立花種明・種澄~種郷の系図
祖父 京極高国→京極高国~高福の系図
妻 島津惟久の娘
妻の父 島津惟久→島津惟久の系図
子 長煕・孫 種周→立花長煕~種恭の系図
子 黒田直巷〔養父:黒田直方〕→黒田直巷の系図
子 孝山
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直尹
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 彦坂直廉〔養父:彦坂直篤〕→彦坂直廉の系図
孫の夫 諏訪頼嘏→諏訪頼嘏の系図
子の夫 青山幸充→青山幸正~幸宣の系図
子の夫 加納久堅→加納政保~久堅の系図
子 貫長の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
能勢頼紀に嫁ぐ予定であった。
子 貫長の娘〔養父:奥山継平〕
子の夫 平岡良寛→平岡良寛の系図
孫の夫 立花種周→立花長煕~種恭の系図
立花長煕~種恭の系図
立花長煕(ながひろ)【1720-1778】
三池藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 種明→立花種明・種澄~種郷の系図
父 貫長→立花貫長の系図
祖父 島津惟久→島津惟久の系図
妻 堀豊
堀直英(→堀直英~直郷の系図)の娘。
子 安部信旨〔養父:安部信盈〕→安部信旨の系図
子 種武〔養父:立花達好〕→立花種明・種澄~種郷の系図
子 堀直皓〔養父:堀直郷〕→堀直皓~直明の系図
子 弥七郎・勝次郎・長堅
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長煕の息子(2人)(『立花家譜(筑後三池)』による。)
子の夫 宮原義潔→宮原義潔の系図
立花種周(たねちか)【1744-1809】
三池藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 稲葉正益の娘
妻の父 稲葉正益→稲葉正親~正弘の系図
妻 立花応興の娘
妻の父 立花応興→立花貫長の系図
子 種徳(たねのり)【1778-1796】
子 種道(『立花家譜(筑後三池)』による。)
孫 加納久宜〔養父:加納久恒〕→加納久周~久宜の系図
孫 種恭〔養父:立花種温〕
子 種実〔養父:奥山伝右衛門〕(『立花家譜(筑後三池)』による。)
子の夫 堀直興→堀直皓~直明の系図
立花種善(たねよし)【1794-1832】(以下、『立花家譜(筑後三池)』による。)
三池藩主・陸奥国下手渡藩主。
妻 堀常
堀直皓(→堀直皓~直明の系図)の娘。
立花種温(たねはる)【1811-1849】
下手渡藩主。
妻 岩城隆喜の娘
妻の父 岩城隆喜→岩城隆喜の系図
立花種恭(たねゆき)【1836-1905】
下手渡藩主・三池藩主。実は立花種道の子。
妻 牧野辰
牧野節成(→牧野節成の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。