このページでは、立花氏(藤原氏北家・藤成流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
立花氏(筑後国柳川藩主)の略系図
1 貞載→立花貞載~宗茂の系図
11 忠茂→立花忠茂~鑑任の系図
14 貞俶→立花貞俶・貞則の系図
16 鑑通→立花鑑通~鑑寛の系図
立花貞載~宗茂の系図
立花貞載(さだとし)【?-1337】(以下、『系図纂要』による。)
祖父 貞親・父 貞宗→大友親言~氏泰の系図
立花宗匡(むねまさ)
実は大友貞宗(→大友親言~氏泰の系図)の子。
立花親直(ちかなお)
立花親政(ちかまさ)
立花宗勝(むねかつ)
立花鑑光(あきみつ)
立花鑑俊(あきとし)
立花親善(ちかよし)
戸次鑑連(あきつら)【1516-1585】
実は戸次親家(→大友能直~頼泰の系図)の子。立花鑑載を倒し、立花家を継いで筑前を支配した。
子 鑑連の娘
実は高橋鎮種(→高橋鎮種・立花直次の系図)の娘。立花茂家に嫁いだ。
子 鑑連の娘
実は戸次親正の娘。小野鎮行に嫁いだ。
子 鑑連の娘
実は安武鎮則の娘。米多比鎮久に嫁いだ。
立花宗茂(むねしげ)/宗虎(むねとら)/統虎(むねとら)/鎮虎(しげとら)/正成(まさなり)/親成(ちかなり)/尚政(なおまさ)/俊正(としまさ)/信正(のぶまさ)/経正(つねまさ)【1569-1642】
陸奥国棚倉藩主・筑後国柳川藩主。実は高橋鎮種(→高橋鎮種・立花直次の系図)の子。関ケ原の戦いで西軍について所領を没収された。のちに大坂の陣で戦功を挙げて旧領を回復した。
妻 矢島秀行の娘
子 忠茂・孫 鑑虎→立花忠茂~鑑任の系図
妻 葉室頼宣の娘
妻の父 葉室頼宣→葉室頼房~頼隆の系図
子 宗茂の娘
実は小田部統房の娘。小野茂高に嫁いだ。
子の夫 本多俊次→本多俊次の系図
孫 康長・孫 康将→本多康長・康将の系図
子の夫 細川興元→細川興元~興誠の系図
子の夫 伊達宗勝→伊達政宗の系図
子の夫 今川直房→今川氏真~氏尭の系図
立花忠茂~鑑任の系図
立花忠茂(ただしげ)/貞之(さだゆき)/忠貞(たださだ)/忠之(ただゆき)【1612-1675】
柳川藩主。実は立花直次(→高橋鎮種・立花直次の系図)の子。島原の乱の鎮圧にあった。
祖父 鑑連・父 宗茂→立花貞載~宗茂の系図
妻 永井尚政の娘
妻の父 永井尚政→永井尚政の系図
子 忠茂の息子
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 伊達忠宗の娘
妻の父 伊達忠宗→伊達忠宗の系図
子 千熊丸
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 茂辰(しげとき)【1656-1678】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 茂堅〔養父:矢島俊行〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 貞晨(さだあきら)【1660-1720】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 伊達綱宗の娘
子の妻の父 伊達綱宗→伊達綱宗・綱村の系図
孫・孫の夫 貞俶→立花貞俶・貞則の系図
子 忠茂の娘〔養父:立花鑑虎〕
妻 光行氏
子 茂虎
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 茂高
孫の妻 立花種長の娘
孫の妻の父 立花種長→立花種長の系図
曾孫 貞俶〔養父:立花貞晨、立花鑑任〕→立花貞俶・貞則の系図
妻 佐々木氏
子 虎重〔養父:矢島行和〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 永井尚房→永井尚征の系図
立花鑑虎(あきとら)/直茂(なおしげ)/広茂(ひろしげ)/鑑茂(あきしげ)【1645-1702】
柳川藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 本多康長の娘
妻の父 本多康長→本多康長・康将の系図
子の夫 小出英益→小出英益の系図
子の夫 黒田綱政→黒田綱政~継高の系図
立花鑑任(あきたか)/宗尚(むねなお)/宗昌(むねまさ)/宗政(むねまさ)/鑑春(あきはる)/鑑常(あきつね)【1683-1721】
柳川藩主。
妻 池田綱政の娘
妻の父 池田綱政→池田綱政の系図
子 貞俶・孫 貞則→立花貞俶・貞則の系図
妻 浜田氏
子 勝千代
母は『寛政重修諸家譜』による。
立花貞俶・貞則の系図
立花貞俶(さだよし)/茂易(しげやす)/清直(きよなお)【1698-1744】〔養父:立花貞晨(→立花忠茂~鑑任の系図)〕
柳川藩主。実は立花茂高(→立花忠茂~鑑任の系図)の子。
祖父 鑑虎・父 鑑任→立花忠茂~鑑任の系図
祖父 池田綱政→池田綱政の系図
妻 立花貞晨の娘
妻の父 立花貞晨→立花忠茂~鑑任の系図
妻 柴田氏
子 孫次郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 鑑通〔養父:立花貞則〕→立花鑑通~鑑寛の系図
妻 中野氏
子 巳三郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 貞俶の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。立花茂矩に嫁いだ。
妻 白井氏
子の夫 毛利重就→毛利吉元~重就の系図
孫 治親→毛利治親~元徳の系図
妻 笠間氏
子 通経〔養父:矢島行崇〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 貞俶の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。小野隆局に嫁いだ。
子 致傅・戸次通孝・子 貞俶の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 角田氏
子 致真/致増
孫の夫 立花鑑寿→立花鑑通~鑑寛の系図
子 山名義徳〔養父:山名豊暄〕→山名義徳の系図
妻 峯氏
子 通堅
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 伝→蜂須賀至央・重喜の系図
孫 蜂須賀治昭→蜂須賀治昭~茂韶の系図
子の夫 細川興晴→細川興虎~興貫の系図
立花貞則(さだのり)【1725-1746】
柳川藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。豊前国大里浜で襲われて亡くなった。
子 鑑通・孫 鑑寿→立花鑑通~鑑寛の系図
立花鑑通~鑑寛の系図
立花鑑通(あきなお)/俶香(よしか)/鑑致(あきゆき)【1729-1797】
柳川藩主。実は立花貞俶(→立花貞俶・貞則の系図)の子。
祖父 貞俶・父 貞則→立花貞俶・貞則の系図
妻 黒田清
黒田継高(→黒田綱政~継高の系図)の娘。
妻 篠沢氏
子 鑑門(あきかど)【1755-1789】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 井伊直幸の娘
実は小出英常(→小出英常の系図)の娘。
子の妻の父 井伊直幸→井伊直幸の系図
子 鑑通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。立花茂親に嫁いだ。
子 鑑通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。小野隆儀に嫁いだ。
子 通玄・子 鑑通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 後藤氏
子 鑑一(あきかず)【1762-1793】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
孫 鑑賢〔養父:立花鑑寿〕
子 鑑通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。戸次通栄に嫁いだ。
子 通厚・子 鑑通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 生田氏
子 鑑通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。立花通寛に嫁いだ。
子 鑑通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。立花政峰に嫁いだ。
子 鑑通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。矢島重千代に嫁いだ。
立花鑑寿(あきひさ)/通尹(なおただ)【1769-1820】(以下、『華族系譜』による。)
柳川藩主。
妻 立花致真の娘
妻の父 立花致真→立花貞俶・貞則の系図
子の夫 大久保忠保→大久保忠保の系図
孫 鑑寛〔養父:立花鑑備〕
立花鑑賢(あきかた)【1789-1830】
柳川藩主。実は立花鑑一の子。
子 鑑広(あきひろ)【1823-1833】
柳川藩主。その死は秘密とされた。
子 長寿→内藤政樹~政挙の系図
立花鑑備(あきのぶ)【1827-1846】
柳川藩主。兄の鑑広の身代わりとして家督を継いだ。
立花鑑寛(あきとも)【1829-1909】
柳川藩主。実は立花寿俶の子。
妻 田安純姫
田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。