山内氏(藤原氏北家・藤成流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、山内氏(藤原氏北家・藤成流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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山内氏(土佐国高知藩主)の略系図

山内氏の略系図

1 貞通山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図
6-A1 政直山内政直~五味豊広・政長~山内豊義の系図
6-A2 豊成五味豊成~豊紀の系図

8 忠義山内忠義~豊房の系図
8-A 忠直山内忠直~豊成の系図

12 豊隆山内豊隆~豊雍の系図
16 豊策山内豊策~豊範の系図

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山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図

山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図

  山内貞通(さだみち)
 山内経俊(→山内経俊の系図)の末裔。


  山内盛通(もりみち)


  山内久豊(ひさとよ)


  山内盛豊(もりとよ)【1508-1557】
 梶原氏【?-1586】
 左衛門大夫
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 十郎【1542-1557】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 盛豊の娘【1533-1606】
 母は『寛政重修諸家譜』による。安東郷氏に嫁いだ。
 盛豊の娘【?-1609】
 母は『寛政重修諸家譜』による。長井利直・松田政行に嫁いだ。
 盛豊の娘【1554-1646】
 母は『寛政重修諸家譜』による。野中益継に嫁いだ。

 政直 五味政義山内政直~五味豊広・政長~山内豊義の系図


  山内一豊(かずとよ)【1545-1605】
 土佐国高知藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 若宮千代/まつ【1557-1617】
 一豊の娘【1580-1585】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 【1587-1637】
 忠義 忠豊山内忠義~豊房の系図
 忠直山内忠直~豊成の系図
 一安山内一安~豊産の系図


  山内康豊(やすとよ)/忠豊(ただとよ)【1549-1625】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 土佐国中村藩主。
 水野氏【1567-1618】
 忠義〔養父:山内一豊〕→山内忠義~豊房の系図
 政豊(まさとよ)【1598-1629】
 中村藩主。
 重昌(しげまさ)【1599-1672】〔養父:深尾重良〕
 康豊の娘【1534-1597】
 山内吉佐に嫁いだ。
子の夫 稲葉正成稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図

 方綱
 実は松下之綱(→松下之綱の系図)の子。
子の妻 山内康豊の娘【?-1627】
子の妻の夫 西園寺公益西園寺公藤~公益の系図


  山内一唯(かずただ)【1600-1663】
 小出吉英の娘【?-1643】
妻の父 小出吉英→小出吉英の系図
 一俊〔養父:山内一輝〕

 一唯の娘【1647】


  山内一輝(かずてる)【1638-1664】
 山内忠豊の娘【?-1643】
妻の父 山内忠豊山内忠義~豊房の系図


  山内一俊(かずとし)【1649-1675】
 実は山内一唯の子。
 鳥居真砂子【1650-1730】
 鳥居忠春(→鳥居忠春~忠英・忠辰~忠紀の系図)の娘。
 豊房〔養父:山内豊昌〕→山内忠義~豊房の系図
 豊隆〔養父:山内豊房〕→山内豊隆~豊雍の系図
 豊秀(とよひで)/豊英【1674-1693】
 母は『山内家譜(土佐高知)』による。
 一俊の娘【1671-1676】
 母は『山内家譜(土佐高知)』による。
 一俊の娘【1676-1701】
 母は『山内家譜(土佐高知)』による。
子の夫 久留島通政久留島通清・通政の系図

山内政直~五味豊広・政長~山内豊義の系図

山内政直~五味豊広・政長~山内豊義の系図

  山内政直(まさなお)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 久豊 盛豊山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図

子の夫 内藤種昌→内藤種昌の系図


  五味政義(まさよし)【1552-1590】


  五味豊直(とよなお)【1583-1660】
 塚原昌重の娘
妻の父 塚原昌重→塚原昌重の系図

 豊法
子の妻 山名豊満の娘
子の妻の父 山名豊満→山名豊満の系図

 坪内源之丞〔養父:坪内定吉〕→坪内源之丞の系図
孫の夫 浅岡直寛→浅岡直寛の系図

 浅井忠政〔養父:浅井忠能〕→浅井忠政の系図
子の夫 安西元真→安西元真の系図
子の夫 中村之重→中村之重の系図


  五味豊旨(とよむね)【?-1680】
 石谷清亮の娘
妻の父 石谷清亮→石谷清亮の系図
 山内高豊〔養父:五味政長〕

 豊成 豊太五味豊成~豊紀の系図
子の夫 田中忠理→田中忠理の系図


  五味豊広(とよひろ)【1665-1705】
 市岡正房の娘
妻の父 市岡正房→市岡正房の系図


  五味政長(まさなが)/豊之(とよゆき)【?-1659】
 岡部吉次の娘
妻の父 岡部吉次→岡部吉次の系図


  山内豊重(とよしげ)【?-1707】


  山内高豊(たかとよ)【1678-1724】
 実は五味豊旨の子。
 豊泰〔養父:山内政豊〕


  山内政豊(まさとよ)【1717-1740】


  山内豊泰(とよやす)【1724-1785】
 実は山内高豊の子。
 長田正光の娘
妻の父 長田正光長田正久~正知の系図

 長谷川安陰の娘
妻の父 長谷川安陰→長谷川安陰の系図


  山内豊勝(とよかつ)【1748-?】
 金田正適の娘
妻の父 金田正適→金田正適の系図

 豊勝の娘〔養父:山内豊義〕


  山内豊義(とよよし)【1764-?】
 実は和田勝忠(→和田勝忠の系図)の子。
 豊軌
 実は和田勝孝(→和田勝孝の系図)の子。
子の妻 山内豊義の娘
 実は山内豊勝の娘。

五味豊成~豊紀の系図

五味豊成~豊紀の系図

  五味豊成(とよなり)【1669-1747】

祖父 豊直 豊旨山内政直~五味豊広・政長~山内豊義の系図

 加藤政員〔養父:加藤景依〕→加藤政員の系図
 竹村嘉教〔養父:竹村嘉豊〕→竹村嘉教の系図
 坂部正方〔養父:坂部正房〕→坂部正方の系図
 豊長〔養父:五味豊太〕

子の夫 木村信祐→木村信祐の系図


  五味豊太(とよもと)【1701-1757】
 松平勝寿の娘
妻の父 松平勝寿松平勝光~勝秀の系図
 至豊〔養父:五味豊長〕


  五味豊長(とよなが)【1717-1773】
 実は五味豊成の子。


  五味至豊(よしとよ)【1753-?】
 実は五味豊太の子。


  五味豊紀(とよとし)【1776-?】

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山内忠義~豊房の系図

山内忠義~豊房の系図

  山内忠義(ただよし)/康豊(やすとよ)【1592-1664】
 高知藩主。実は山内康豊(→山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図)の子。野中兼山を起用して新田開発や殖産興業を推し進めた。

祖父 盛豊 一豊山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図

 徳川阿姫【1595-1632】
 実は松平定勝(→松平定勝の系図)の娘。
妻の父 徳川家康徳川家康の系図
 忠直 豊定山内忠直~豊成の系図
子の夫 松下長綱→松下長綱の系図

 園池宗朝の娘【1628-1680】
妻の父 園池宗朝園池宗朝~公屋の系図

 山川氏
 一安 之豊山内一安~豊産の系図
子の夫 久留島通清久留島通清・通政の系図

 但馬【1633-1634】
 之豊〔養父:山内一安〕→山内一安~豊産の系図
 忠義の娘【1590-1633】
 山内信勝に嫁いだ。
子の夫 大宮季光大宮季光~実典の系図
子の夫 尭道→尭道の系図


  山内忠豊(ただとよ)【1609-1669】
 高知藩主。弟の忠直に3万石を分知した。野中兼山を罷免した。
 池田利隆の娘【1615-1675】
妻の父 池田利隆池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図
 忠豊の娘【1621-1634】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 本多政長本多政朝~忠孝の系図
子の夫 真田信利→真田信利の系図
子の夫 山内一輝山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図

 千代亀井茲政の系図


  山内豊昌(とよまさ)【1641-1700】
 高知藩主。元禄大定目を制定した。
 松平定頼の娘【1643-1664】
妻の父 松平定頼松平定行・定頼の系図
子の夫 京極高豊京極高豊~朗徹の系図
子の夫 阿部正邦阿部重次~正邦・正容~正利の系図

 三条公富の娘【1640-1678】
妻の父 三条公富三条実秀~公充の系図

 豊昌の娘【1659-1666】
子の夫 久留島通政久留島通清・通政の系図


  山内豊房(とよふさ)【1672-1706】
 高知藩主。実は山内一俊(→山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図)の子。
 山内豊昌の娘【1670-1694】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 池田綱政の娘【1686-1758】
妻の父 池田綱政池田綱政の系図

 豊隆 豊常山内豊隆~豊雍の系図

山内忠直~豊成の系図

山内忠直~豊成の系図

  山内忠直(ただなお)【1613-1667】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 中村藩主。

祖父 一豊山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図
 忠義山内忠義~豊房の系図
祖父 徳川家康徳川家康の系図

 水野忠清の娘【1614-1688】
妻の父 水野忠清水野忠清・忠職の系図
 豊明〔養父:山内豊定〕
 忠直の娘【1636-1643】
 千代亀井茲政の系図

 忠直の娘【1647-1651】


  山内豊定(とよさだ)/豊直(とよなお)/豊仍(とよなり)/豊閘(とよあきら)【1637-1677】
 中村藩主。
 有馬留理【1649-1669】
 有馬忠頼(→有馬忠頼~頼旨の系図)の娘。
 直明(なおあきら)【1668-1674】
子の夫 板倉重高板倉重宣~昌信の系図

 豊次〔養父:山内豊明〕
 豊定の娘【1676-1678】
 豊定の娘【1678-1680】


  山内豊明(とよあきら)/直久(なおひさ)【1642-1704】
 中村藩主。実は山内忠直の子。若年寄となったが、徳川綱吉の怒りを買って除封された。
 豊次(とよつぐ)【1677-1689】
 実は山内豊定の子。
 豊清〔養父:山内之豊〕→山内一安~豊産の系図
 南部信尹〔養父:南部勝信〕→南部勝信~信起の系図
子の夫 杉浦政英→杉浦政英の系図


  山内豊成(とよなり)/直清(なおきよ)/豊勝(とよかつ)【1675-1747】
 一胤【?-1730】
 豊産〔養父:山内豊清〕→山内一安~豊産の系図
子の夫 大島義里→大島義里の系図

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山内豊隆~豊雍の系図

山内豊隆~豊雍の系図

  山内豊隆(とよたか)/豊長(とよなが)【1673-1720】
 高知藩主。実は山内一俊(→山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図)の子。

祖父 豊昌 豊房山内忠義~豊房の系図

 久米千代【1710-1714】
 氏松【1712-1720】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 鳥居岩丸【1713-1715】
 勝三郎【1714-1716】
 吉五郎【1716-1719】
 重之助【1718-1719】
 桃之助【1720-1721】
 豊隆の娘【1716-1722】
 豊隆の娘【1719-1723】
子の夫 上杉宗憲→上杉宗憲の系図


  山内豊常(とよつね)【1711-1725】
 高知藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 松平定儀の娘
 実は松平定逵(→松平定逵~定邦の系図)の娘。
妻の父 松平定儀松平定逵~定邦の系図
 松平定賢松平定逵~定邦の系図


  山内豊敷(とよのぶ)/重固(しげかた)【1712-1767】
 高知藩主。実は山内規重の子。藩校教授館を創設した。
 山内豊隆の娘【1718-1735】
 豊敷の息子【1733】(『山内家譜(土佐高知)』による。)

 伊笹加恵
子の夫 佐竹義敦→佐竹義敦の系図

 森寺氏
 豊泰〔養父:山内豊産〕→山内豊泰~豊誠の系図

 豊治(とよはる)【1736-1738】
 豊儀(とよよし)【1738-1744】
 豊根(とよもと)【1740-1744】
 松平明矩~直温の系図
子の夫 小笠原忠苗小笠原忠苗~忠忱の系図


  山内豊雍(とよちか)/峯善(みねよし)/恭豊(ゆきとよ)【1750-1789】
 高知藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。谷真潮らを登用し、天明の改革を行った。
 毛利友【1749-1780】
 毛利重就(→毛利吉元~重就の系図)の娘。
 豊策 豊興山内豊策~豊範の系図
 豊敬(とよゆき)【1779-1839】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 資敬〔養父:福原資克〕
孫の夫 藤波光忠→藤波光忠の系図
孫の夫 烏丸光政烏丸光栄~光徳の系図
孫の夫 三条西季知三条西実称~公允の系図
孫の夫 正親町実徳正親町公明~公董の系図
孫の夫 池田政善池田政直~政保の系図

 豊雍の娘【1777-1778】(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 黒田長舒黒田長邦~長徳の系図

 景之助【1779-1781】(『山内家譜(土佐高知)』による。)

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山内豊策~豊範の系図

山内豊策~豊範の系図

  山内豊策(とよかず)【1773-1825】(以下、『山内家譜(土佐高知)』による。)
 高知藩主。

祖父 豊敷 豊雍山内豊隆~豊雍の系図

 藤堂高嶷の娘【1774-1817】
妻の父 藤堂高嶷藤堂高悠・高嶷の系図
 豊策の娘【1795-1798】

 豊資〔養父:山内豊興〕
 豊道【1795-1862】
孫の夫 山内豊賢山内豊泰~豊誠の系図

 吉之進【1796-1797】
 豊著【1802-1859】(以下、『華族系譜』による。)
 豊信〔養父:山内豊惇〕
 豊積【1834-?】
 豊済〔養父:五味豊亨〕
 /豊盈
 鏘子櫛笥隆望~隆韶の系図
 鈴子→上杉勝道の系図
 遊〓
 〓は「犭」+「希」。

 駒寿【1807-1808】
 黒田長元〔養父:黒田長韶〕→黒田長邦~長徳の系図
 豊栄【1815-1863】
 紀子三条実顕~実美の系図
 豊策の娘【1813-1814】
 豊策の娘【1823-1838】
子の夫 稲葉正発稲葉正諶~正邦の系図
子の夫 木下利愛→木下利愛の系図
子の夫 藤堂高聴藤堂高朶~高邦の系図


  山内豊興(とよおき)【1793-1809】
 高知藩主。


  山内豊資(とよすけ)【1794-1872】
 高知藩主。実は山内豊策の子。
 池田斉政の娘【1799-1841】
妻の父 池田斉政池田斉政~章政の系図

 沢田貞照
 豊範〔養父:山内豊信〕
 悦子→佐竹義睦の系図
 照子徳大寺実祖~実則の系図

 寅寿【1820-1821】
 庸弥【1822-1825】
 豊惇〔養父:山内豊煕〕
 豊矩【1825-1849】
 右馬治【1832-1833】
 政衛【1833-1834】
 喜久衛【1835】
 籌猪【1837-1838】
 鉄五郎【1837-1838】
 豊資の娘【1818-1827】
 →上杉斉憲の系図
 豊資の娘【1826】
 豊資の娘【1832-1833】
 豊資の娘【1848-1854】


  山内豊煕(とよてる)/直寿【1815-1848】
 高知藩主。
 島津祝/候
 島津斉興(→島津斉興の系図)の娘。
 豊煕の息子【1835】
 豊資の娘【1840】

 政太郎【1843-1844】
 篤弥太【1847-1848】
子の夫 酒井忠恕酒井忠発~忠宝の系図
子の夫 稲葉観通稲葉董通~久通の系図
子の夫 浅野長勲浅野斉賢~長勲の系図


  山内豊惇(とよあつ)【1824-1848】
 高知藩主。実は山内豊資の子。藩主を継いで2か月で亡くなった。


  山内豊信(とよしげ)/容堂(ようどう)【1827-1872】
 高知藩主。実は山内豊著の子。公武合体に尽くし、維新後は議定となった。
 三条正君【1833-1868】
 実は烏丸光政(→烏丸光栄~光徳の系図)の娘。
妻の父 三条実万三条実顕~実美の系図
 豊信の娘【1851】

 豊尹【1866-?】
 光子【1859-?】
 豊信の娘【1868-1869】
 八重【1873-?】


  山内豊範(とよのり)【1846-1886】
 高知藩主。
 毛利俊
 実は毛利信順(→毛利治親~元徳の系図)の娘。
妻の父 毛利敬親毛利治親~元徳の系図

 上杉栄【1848-?】
 上杉斉憲(→上杉斉憲の系図)の娘。
 相良頼基相良長寛~頼基の系図
 飛鳥井雅望飛鳥井雅香~雅望の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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