このページでは、伊達氏(藤原氏北家・魚名流)・秀宗流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
伊達氏・秀宗流(伊予国宇和島藩主)の略系図
1 秀宗→伊達秀宗の系図
2 宗利→伊達宗利・宗贇の系図
4 村年→伊達村年の系図
5 村候→伊達村候の系図
6 村寿→伊達村寿・宗紀の系図
8 宗城→伊達宗城・宗徳の系図
伊達秀宗の系図
伊達秀宗(ひでむね)【1591-1658】
伊予国宇和島藩主。大坂冬の陣で功を挙げ、宇和島藩主となった。
祖父 輝宗→伊達晴宗・輝宗の系図
父 政宗→伊達政宗の系図
妻 井伊直政の娘
妻の父 井伊直政→井伊直親~直澄の系図
子 宗実(むねざね)【1612-1644】
子 宗時(むねざね)【1615-1653】(以下、『華族系譜』による。)
妻 渡辺氏
子 宗利・孫 宗贇→伊達宗利・宗贇の系図
子 宗職〔養子:伊達富之助・伊達宗利の娘(→伊達宗利・宗贇の系図)〕(以下、『華族系譜』による。)
孫 村豊〔養父:伊達宗保〕→伊達宗純~村信の系図
孫の夫 京極高金→京極高広・高勝~高平の系図
妻 山上氏
子 宗臣〔養父:桑折宗頼〕
妻 渡辺氏
子 宗純・孫 宗保→伊達宗純~村信の系図
伊達宗利・宗贇の系図
伊達宗利(むねとし)【1634-1708】
宇和島藩主。
妻 松平稲子
松平光長(→松平光長~長煕の系図)の娘。
子の夫 真田幸道→真田幸道の系図
妻 田部氏
子 富之助〔養父:伊達宗職(→伊達秀宗の系図)〕
子 光子→京極高豊~朗徹の系図
妻 入野氏
子 宗利の娘〔養父:伊達宗職(→伊達秀宗の系図)〕
伊達宗贇(むねよし)/基弘(もとひろ)/宗昭(むねあき)【1665-1711】
宇和島藩主。実は伊達綱宗(→伊達綱宗・綱村の系図)の子。
妻 伊達宗利の娘
子 宗相(むねすけ)【1697-1709】
子 田村村顕〔養父:田村誠顕〕→田村村顕の系図
妻 佐藤氏
子 百助・宗恒〔養父:桑折宗敷〕
伊達村年の系図
伊達村年(むらとし)/宗貞(むねさだ)/貞清(さだきよ)/村昭(むらあき)【1705-1735】
宇和島藩主。
祖父 宗利・父 宗贇→伊達宗利・宗贇の系図
妻 伊達吉村の娘
妻の父 伊達吉村→伊達吉村の系図
子 村候→伊達村候の系図
孫 村寿→伊達村寿・宗紀の系図
子 青木一貫〔養父:青木一新〕→青木一貫~重義の系図
子の夫 柳沢信鴻→柳沢信鴻の系図
孫 徳風の娘〔養父:伊達村候〕→伊達村寿・宗紀の系図
伊達村候の系図
伊達村候(むらとき)/村房(むらふさ)/政徳(まさのり)/政教(まさのり)【1725-1794】
宇和島藩主。藩政改革を行い、藩校内徳館を創設した。宇和島藩中興の英主と称された。
祖父 宗贇→伊達宗利・宗贇の系図
父 村年→伊達村年の系図
祖父 伊達吉村→伊達吉村の系図
妻 鍋島宗茂の娘
妻の父 鍋島宗茂→鍋島宗茂の系図
子 村寿・孫 宗紀→伊達村寿・宗紀の系図
子の夫 丹羽長貴→丹羽長貴の系図
子の夫 植村家利→植村家道~家壺の系図
妻 田中氏
子 山口直清〔養父:山口直承〕→山口直清の系図
子の夫 牧野貞喜→牧野貞喜の系図
妻 木原氏
子 村候の娘
花山院愛徳に嫁ぐ予定であった。
妻 深沢氏
子 富→松平明矩~直温の系図
子 寿忠〔養父:桜田親賢〕(『華族系譜』による。)
子 寿恕〔養父:桜田親仙〕(『華族系譜』による。)
子 村候の娘
実は伊達徳風(→伊達村年の系図)の娘。
子の夫 小笠原信房→小笠原信辰~長守の系図
伊達村寿・宗紀の系図
伊達村寿(むらなが)【1763-1836】(以下、『華族系譜』による。)
宇和島藩主。
祖父 村年→伊達村年の系図
父 村候→伊達村候の系図
祖父 鍋島宗茂→鍋島宗茂の系図
妻 伊達重村の娘
妻の父 伊達重村→伊達重村~宗基の系図
子 定邦〔養父:蒔田定祥〕
子 宗翰〔養父:伊達村芳〕→伊達村賢~村敬の系図
子 村寿の娘
京極高朗に嫁ぐ予定であった。
子 村寿の娘〔養父:桜田親敬〕
望月重威に嫁いだ。
伊達宗紀(むねただ)/候正/宗正【1792-1889】
宇和島藩主。藩政改革を行った。
妻 鍋島観姫
鍋島治茂(→鍋島治茂の系図)の娘。
子 宗城・孫 宗徳→伊達宗城・宗徳の系図
子 宗徳〔養父:伊達宗城〕→伊達宗城・宗徳の系図
子 松平忠淳〔養父:松平忠精〕→松平忠馮~忠和の系図
子の夫 松平忠精→松平忠馮~忠和の系図
子の夫 保科正益→保科正富~正益の系図
伊達宗城・宗徳の系図
伊達宗城(むねなり)【1818-1892】
宇和島藩主。実は山口直勝(→山口直勝の系図)の子。維新後、日清修好条規の調印を行った。
祖父 村寿・父 宗紀→伊達村寿・宗紀の系図
妻 鍋島斉直の娘
妻の父 鍋島斉直→鍋島斉直の系図
夫 阿部正寧→阿部正精~正桓の系図
妻 武田氏
子 宗敦〔養父:伊達慶邦〕→伊達重村~宗基の系図
妻 大岡多川
子 奥平昌邁〔養父:奥平昌服〕→奥平昌高~昌邁の系図
子 真田幸民〔養父:真田幸教〕→真田幸民の系図
子 信広〔養父:田沼意尊(→田沼意尊の系図)、滝脇信成〕
子の妻 田沼知恵
田沼意尊(→田沼意尊の系図)の娘。
子 釣一郎【1880-?】
子 新之助【1881-?】
子 初子→柳原光綱~光定の系図
子 理【1858-?】
子 照→南部利済~利恭の系図・水野忠邦~忠弘の系図
子 泰【1878-?】
伊達宗徳(むねえ)/紀周/宗周【1830-1905】
宇和島藩主。実は伊達宗紀(→伊達村寿・宗紀の系図)の子。
妻 毛利斉元の娘
妻の父 毛利斉元→毛利治親~元徳の系図
妻 佐竹義厚の娘
妻の父 佐竹義厚→佐竹義厚の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。