このページでは、井伊氏(藤原氏北家・良門流)・直勝流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
井伊氏・直勝流(越後国与板藩主)の略系図
1 直勝→井伊直勝~直員の系図
8 直存→井伊直存~直安の系図
井伊直勝~直員の系図
井伊直勝(なおかつ)/直継(なおつぐ)【1590-1662】
近江国彦根藩主・上野国安中藩主。徳川家康の命で、彦根藩主を弟の直孝に譲った。
祖父 直親・父 直政→井伊直親~直澄の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 鳥居稜子
鳥居忠政(→鳥居元忠・忠政の系図)の娘。
子の夫 井伊直滋→井伊直親~直澄の系図
井伊直好(なおよし)/直之(なおゆき)【1618-1672】
安中藩主・三河国西尾藩主・遠江国掛川藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 酒井忠勝の娘
妻の父 酒井忠勝→酒井忠勝の系図
妻 松平都留
松平家信(→松平家忠・家信の系図)の娘。
子 藤蔵・乙助・子 直好の娘(3人)(『井伊家譜(越後与板)』による。)
井伊直武(なおたけ)【1650-1697】
掛川藩主。
妻 安藤重之の娘
実は藤堂高次(→藤堂高次~高敏の系図)の娘。
妻の父 安藤重之→安藤重之~信周の系図
子の夫 小笠原信秀→小笠原信嶺~貞信・信政の系図
子 直堅(なおかた)【1686-1697】
子 犬丸・子 直武の娘(6人)(『井伊家譜(越後与板)』による。)
井伊直朝(なおとも)/直旧(なおふる)【1680-1715】
掛川藩主。乱心により領地を没収された。
妻 井伊直興の娘
妻の父 井伊直興→井伊直興の系図
井伊直矩(なおのり)【1693-1742】
越後国与板藩主。実は井伊直興(→井伊直興の系図)の子。直朝の乱心で領地没収になったが、家名相続を許された。
妻 阿部正邦の娘
妻の父 阿部正邦→阿部重次~正邦・正容~正利の系図
子 定次(『井伊家譜(越後与板)』による。)
井伊直陽(なおはる)【1719-1732】
与板藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
井伊直員(なおかず)/直寛(なおひろ)【1716-1735】
与板藩主。実は木俣守吉の子。
子 直存・孫 直郡→井伊直存~直安の系図
井伊直存~直安の系図
井伊直存(なおあり)/清淳(きよあつ)【1719-1760】
与板藩主。実は松平忠雅(→松平忠雅~忠功の系図)の子。
祖父 直陽・父 直員→井伊直勝~直員の系図
妻 阿部正喬の娘
実は阿部正晴(→阿部正武~正允・正明~正章の系図)の娘。
妻の父 阿部正喬→阿部正武~正允・正明~正章の系図
子 直弼(なおすけ)【1738-1745】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 井伊直幸→井伊直幸の系図
妻 古川氏
子 直朗〔養父:井伊直郡〕
子の夫 秋元永朝→秋元永朝の系図
子の夫 小出英常→小出英常の系図
井伊直郡(なおくに)【1743-1760】
与板藩主。母は『井伊家譜(越後与板)』による。
井伊直朗(なおあきら)【1750-1819】
与板藩主。実は井伊直存の子。
妻 田沼意次の娘
妻の父 田沼意次→田沼意次の系図
子 万千代・子 直朗の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 岩松氏
子 直経〔養父:井伊直暉〕
子 直広(なおひろ)【1768-1792】
実は井伊直幸(→井伊直幸の系図)の子。
孫 直暉〔養父:井伊直朗〕
子 松平忠翼〔養父:松平忠和〕→松平忠和~忠敬の系図
子 安藤直包〔養父:安藤直孝〕→安藤直利~直温の系図
子の夫 戸沢正親→戸沢正親~正実の系図
子の夫 毛利高翰→毛利高丘~高謙の系図
子の夫 井伊直亮→井伊直中~直憲の系図
井伊直暉(なおてる)【1791-1826】
与板藩主。実は井伊直広の子。
妻 井伊直中の娘
実は阿部正簡(→阿部正簡~正恒の系図)の娘。
妻の父 井伊直中→井伊直中~直憲の系図
井伊直経(なおつね)【1799-1856】(以下、『井伊家譜(越後与板)』による。)
与板藩主。実は井伊直朗の子。
妻 松平年/胤
松平信志(→松平信志~信正の系図)の娘。
井伊直充(なおあつ)【1838-1862】
与板藩主。
井伊直安(なおやす)【1851-1935】
与板藩主。実は井伊直弼(→井伊直中~直憲の系図)の子。藩校正徳館を設立した。
妻 榊原晴
実は榊原政礼(→榊原政礼の系図)の娘。
妻の父 榊原政愛→榊原政愛の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。