このページでは、本多氏(藤原氏北家・兼通流)・信正流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
本多氏・信正流の略系図
1 信正→本多信正~成重の系図
2-A1 重富→本多重富~長員の系図
2-A2 長教→本多長教~副元の系図
2-B1 重玄→本多重玄~玄正の系図
2-B2 吉里→本多吉里~玄能の系図
2-B3 玄重→本多玄重~秀政の系図
2-B4 成於→本多成於~成盛の系図
2-B5 重盛→本多重盛~玄幸の系図
2-B6 重冬・玄宣→本多重冬~忠茂・玄宣~玄仲の系図
2-B7 重矩→本多重矩~玄堅の系図
4-A 重看→本多重看~成孝の系図
4-B1 重良→本多重良~繁文の系図
4-B2 重勝→本多重勝~正照の系図
5 重能→本多重能~重賀の系図
本多信正~成重の系図
本多信正
祖父 正時・父 正助→本多正時~忠次の系図
子 重秀【?-1567】
本多重正(しげまさ)/重信(しげのぶ)/重基(しげもと)【?-1572】
松平清康・広忠に仕えた。『寛政重修諸家譜』は、重正から系譜を起こし、重正までは正時─信正─重正とする。
子 重富・孫 富正→本多重富~長員の系図
子 重定(しげさだ)【?-1568】
子の妻 大久保忠俊の娘
子の妻の父 大久保忠俊→大久保忠俊の系図
子 重玄・孫 秀玄→本多重玄~玄正の系図
子 勝助・左近右衛門・作右衛門(『本多家譜』による。)
本多重次(しげつぐ)【1529-1596】
松平清康・広忠に仕え、徳川家康の重臣になった。
妻 鳥居忠吉の娘
妻の父 鳥居忠吉→鳥居重近~忠吉の系図
子の夫 平岩康長→平岩康長の系図
子の夫 本多秀玄→本多重玄~玄正の系図
孫 玄重→本多玄重~秀政の系図
孫 成於→本多成於~成盛の系図
子の夫 都筑為政→都筑為政の系図
子の夫 内藤元長→内藤行俊~家長の系図
本多成重(なりしげ)【1572-1647】
越前国丸岡藩主。
妻 土岐定政の娘
妻の父 土岐定政→土岐定政~頼行の系図
子 重能・孫 重昭→本多重能~重賀の系図
子 重看・孫 重寛→本多重看~成孝の系図
子 重良・孫 重定→本多重良~繁文の系図
孫 重勝→本多重勝~正照の系図
子 豊→松平直良~直純の系図
本多重看~成孝の系図
本多重看(しげみつ)【1597-1650】〔養父:本多富正(→本多重富~長員の系図)〕(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 重次・父 成重→本多信正~成重の系図
祖父 土岐定政→土岐定政~頼行の系図
子の夫 桜井勝政→桜井勝政の系図
子の夫 曽我助寿→曽我助寿の系図
本多重寛(しげひろ)【1643-1719】
妻 松平氏信の娘
妻の父 松平氏信→松平氏信の系図
子 倉橋重明〔養父:倉橋久悦〕→倉橋重明の系図
子の夫 松野助時→松野助時の系図
本多親成(ちかなり)/重員(しげかず)/成員(なりかず)/正寛(まさひろ)【1690-1760】
妻 橘元常の娘
妻の父 橘元常→橘元常の系図
子 重延(しげのぶ)【1714-1740】
子 森義正〔養父:森義明〕→森義正の系図
子 大草公伴〔養父:大草公雄〕→大草公伴の系図
子 井口高虎〔養父:井口高忠〕→井口高虎の系図
子の夫 勝田光寛→勝田光寛の系図
本多将成(まさなり)【1729-1779】
妻 水野忠富の娘
妻の父 水野忠富→水野忠慎~忠晋の系図
夫 服部保富→服部保富の系図
子 成美(なりよし)/利春(としはる)/景定(かげさだ)
実は木下利潔(→木下利潔の系図)の子。
子の妻 本多将成の娘
実は杉浦好政(→杉浦好政の系図)の娘。
孫の夫 渡辺行孝→渡辺遠綱~直綱の系図
孫の夫 平野長常→平野長常の系図
孫の夫 小倉正顕→小倉正顕の系図
子の夫 勝田元休→勝田元休の系図
本多成孝(なりたか)【1758-?】
実は堀直尭(→堀直尭・直教の系図)の子。
子 高木貞興〔養父:高木貞雄〕→高木貞興の系図
本多重良~繁文の系図
本多重良(しげよし)【1601-1665】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 重次・父 成重→本多信正~成重の系図
祖父 土岐定政→土岐定政~頼行の系図
妻 大河内久綱の娘
実は大河内重綱(→大河内光将~秀綱の系図)の娘。
妻の父 大河内久綱→大河内久綱の系図
子 倉橋久朝〔養父:倉橋久盛〕→倉橋久朝の系図
子 内藤勝良〔養父:内藤勝次〕→内藤勝次~忠意の系図
子 重勝・孫 武〓→本多重勝~正照の系図
子の夫 水野勝忠→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図
本多重定(しげさだ)【1643-1691】
妻 松平亀
松平勝義(→松平康俊~勝易の系図)の娘。
本多重真(しげざね)【1675-1701】
本多栄寛(しげひろ)【1692-1732】
妻 河野通護の娘
妻の父 河野通護→河野通護の系図
妻 向井正員の娘
妻の父 向井正員→向井正員の系図
本多成賢(なりかた)【1715-1748】
実は本多武〓(「車」+「君」)(→本多重勝~正照の系図)の子。
妻 向井政暉の娘
妻の父 向井政暉→向井政暉の系図
子 井戸弘梁〔養父:井戸弘堅〕→井戸弘梁の系図
本多寛方(ひろかた)【1732-1797】
妻 戸田忠汎の娘
妻の父 戸田忠汎→戸田忠高~忠集の系図
妻 酒井忠順の娘
妻の父 酒井忠順→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
夫 横山知遠→横山知遠の系図
妻 大岡忠近の娘
妻の父 大岡忠近→三浦吉明~大岡忠美の系図
夫 松平康彊→松平康紀~康功の系図
本多繁文(しげあや)/貞勇(さだお)【1771-?】
実は片桐貞芳(→片桐貞芳の系図)の子。
本多重勝~正照の系図
本多重勝(しげかつ)【?-1708】
祖父 成重→本多信正~成重の系図
父 重良→本多重良~繁文の系図
祖父 大河内久綱→大河内久綱の系図
妻 倉橋尚政の娘
妻の父 倉橋尚政→倉橋尚政の系図
妻 堀田一幸の娘
妻の父 堀田一幸→堀田一幸の系図
本多武〓(たけてる)【1680-1740】
〓は「車」+「君」。
妻 依田信憲の娘
妻の父 依田信憲→依田信憲の系図
妻 植村泰信の娘
妻の父 植村泰信→植村則泰~泰根・泰久~泰贇の系図
子 成賢〔養父:本多栄寛〕→本多重良~繁文の系図
子 重守〔養父:本多成政〕
子 重信〔養父:牛丸君寿〕
孫 重信の娘〔養父:本多重守〕
子の夫 井戸弘堅→井戸弘堅の系図
子の夫 酒井政房→酒井政房の系図
子の夫 野田近成→野田近成の系図
本多成政(なりまさ)【1710-1779】
本多重守(しげもり)【1732-?】
実は本多武〓(「車」+「君」)の子。
妻 鳥居忠雄の娘
妻の父 鳥居忠雄→鳥居成勝~成純の系図
夫 水野忠通→水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
妻 中島景道の娘
実は小島勝差の娘。
妻の父 中島景道→中島景道の系図
子 重威(しげのり)/貞幹
実は片桐貞芳(→片桐貞芳の系図)の子。
子 重守の娘
実は小島勝差の娘。
本多正照(まさてる)
実は大久保忠得(→大久保忠得の系図)の子。
妻 本多重守の娘
実は牛丸重信の娘。
本多重富~長員の系図
本多重富(しげとみ)【1519-1612】(以下、『本多家譜』による。)
祖父 信正・父 重正→本多信正~成重の系図
本多富正(とみまさ)【1572-1649】
結城秀康・松平忠昌に仕え、福井松平家の家老となった。
子 吉松丸→結城秀康・松平忠直の系図
実は結城秀康の子。
子 重看→本多重看~成孝の系図
実は本多成重の子。
子 富次【1628-1634】
子 大蔵【1631-1635】
子 富重【1634-1649】
子 正房【1634-1671】
孫 富敬【1662-?】
子 富正の息子【?-1627】
子 富正の娘【?-1626】
子 富正の娘【?-1628】
子 富正の娘【?-1683】
毛受吉久に嫁いだ。
子 富正の娘【1640-1703】
鈴木直政に嫁いだ。
子の夫 松平直基→松平直基~基知の系図
本多昌長【1614-1669】
子 長徳【1656】
子 千之助【1658】
子 源四郎【1663-1664】
子 緑→内藤信良~信輝の系図
子 夏【?-1710】
子 阿久里→半井達時の系図
子 津留【1653-1654】
子 捨【1654-1695】
子 源【1658-1706】
子 素辺【1666-1728】
本多長員【1669-1717】
子 長教・孫 副紹→本多長教~副元の系図
子 長三郎【1703】
子 長員の息子【1705】
子 麻葉【1706-1710】
子 安代【1708-1738】
子 留久→岩倉恒具~具視の系図
子 富【1717-1741】
本多長教~副元の系図
本多長教【1690-1728】
実は松平綱昌(→松平光通~吉邦の系図)の子。
祖父 昌長・父 長員→本多重富~長員の系図
子 師長【1726-1748】
子 半【1716-1722】
本多副紹【1719-1780】
妻 綾小路俊宗の娘【?-1740】
妻の父 綾小路俊宗→綾小路俊宗~有良の系図
妻 萩原兼武の娘
妻の父 萩原兼武→萩原兼武の系図
子 副脩/富脩【1742-1772】
子の妻 萩原員領の娘
子の妻の父 萩原員領→萩原員領の系図
孫 副脩の娘【1769-1828】
光沢に嫁いだ。
孫 副脩の娘【1772-?】
孫 副久〔養父:本多副充〕
孫 知雄【1766-1816】
孫 悠/町/佐和/永【1761-1809】
孫 峯/晴【1767-1787】
子 副邵【1744-1772】
孫 副香【1764-1848】
孫 副倶/方恭【1770-1840】〔養父:本多方救〕
孫 愛/長【1766-1803】
子 甲世【1752】
妻 谷口馳右衛門の姪
子 幸→樋口宜康~静康の系図
子 八千【1756-1832】
本多副充【1756-1821】
子 副久【1763-1825】〔養子:本多都和〕
実は本多副脩の子。
子の妻 本多嘉寿/三千/香音/五百【1768-1829】
孫 副矩【1793-1810】
孫 副昌〔養父:本多副充〕
孫 斧四郎【1803】
孫 恒之助【1807-1844】
孫 総/三千/加寿【1797-1828】
子の妻 山田作兵衛の妹
孫 充応【1797-?】
子の妻 滝藤次右衛門の娘
孫 副久の息子【1817-?】
子 副充の息子【1793-?】
子 副充の息子【1797-?】
子 淳【1811-1864】
本多副昌【1794-1864】
実は本多副久の子。
妻 本田都和【1796-1870】〔養父:本多副久〕
子 時之助【1819】
子 副尚【1821-1844】
子の妻 有馬鏗子【1821-1860】
有馬誉純(→有馬允純~道純の系図)の娘。
子 隆/万寿【1823-?】
本多富恭【1822-1862】
本多副元【1845-?】
実は松平頼功(→松平頼永~頼策の系図)の子。
妻 分部光貞の娘
実は分部光寧(→分部光寧の系図)の娘。
妻の父 分部光貞→分部光貞の系図
本多重玄~玄正の系図
本多重玄(しげはる)
祖父 信正・父 重正→本多信正~成重の系図
本多秀玄(ひではる)
妻 本多重次の娘
妻の父 本多重次→本多信正~成重の系図
子 玄重・孫 玄堅→本多玄重~秀政の系図
子 成於・孫 成直→本多成於~成盛の系図
子 吉里・孫 玄路→本多吉里~玄能の系図
孫 重盛→本多重盛~玄幸の系図
本多玄盛(はるもり)【1579-1610】
本多玄正(はるまさ)【1608-1644】
妻 武島茂成の娘
妻の父 武島茂成→武島茂成の系図
子 重冬・玄宣・孫 重正・信正→本多重冬~忠茂・玄宣~玄仲の系図
子 重正〔養父:本多重冬〕→本多重冬~忠茂・玄宣~玄仲の系図
子 武島茂之〔養父:武島茂氏〕→武島茂之の系図
子の夫 大田宜長→大田宜長の系図
本多重冬~忠茂・玄宣~玄仲の系図
本多重冬(しげふゆ)【?-1713】
祖父 玄盛・父 玄正→本多重玄~玄正の系図
祖父 武島茂成→武島茂成の系図
妻 美濃部茂俊の娘
妻の父 美濃部茂俊→美濃部茂俊の系図
子 玄雄(はるお)【1647-1677】
本多重正(しげまさ)【?-1723】
実は本多玄正(→本多重玄~玄正の系図)の子。
妻 篠山資門の娘
妻の父 篠山資門→篠山資門の系図
本多忠包(ただかね)【1690-1737】
実は飯田直恒(→飯田直恒の系図)の子。
妻 野田恒利の娘
妻の父 野田恒利→野田恒利の系図
子の夫 玉虫季茂→玉虫季茂の系図
本多忠正(ただまさ)【1725-1752】
本多重陽(しげあき)【1742-1780】
妻 石川政敬の娘
妻の父 石川政敬→石川政敬の系図
夫 石川之郷→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
妻 島田成則の娘
実は荒川定親(→荒川定由~定候の系図)の娘。
妻の父 島田成則→島田成則の系図
夫 布施正世→布施正世の系図
本多忠茂(ただしげ)【1764-?】
妻 江原寛輝の娘
妻の父 江原寛輝→江原寛輝の系図
本多玄宣(はるのぶ)【1633-1685】
子 玄清〔養父:本多信正〕
本多信正(のぶまさ)【1663-1722】
本多玄清(はるきよ)【1670-1746】
実は本多玄宣の子。
子の夫 斎田元勝→斎田元勝の系図
本多玄行(はるゆき)【1712-1748】
妻 松下重則の娘
妻の父 松下重則→松下重則の系図
本多玄刻(はるとき)【1732-?】
妻 加藤長清の娘
妻の父 加藤長清→加藤長清の系図
夫 武蔵秀直→武蔵秀直の系図
妻 渡辺清の娘
実は渡辺高春(→渡辺高春の系図)の娘。
妻の父 渡辺清→渡辺清の系図
本多玄仲(はるなか)
妻 酒依昌歳の娘
妻の父 酒依昌歳→酒依昌歳の系図
妻 佐々木正弥の娘
妻の父 佐々木正弥→佐々木正弥の系図
本多吉里~玄能の系図
本多吉里(よしさと)/玄里(はるさと)/里盛(さともり)【1585-1651】
祖父 重玄・父 秀玄→本多重玄~玄正の系図
妻 小林正直の娘
妻の父 小林正直→小林正直の系図
子 重盛・孫 重恒→本多重盛~玄幸の系図
孫 重矩→本多重矩~玄堅の系図
本多玄路(はるみち)/吉玄(よしはる)【1617-1685】
妻 小林宗重の娘
妻の父 小林宗重→小林宗重の系図
妻 榊原元義の娘
妻の父 榊原元義→榊原元義の系図
子 重路(しげみち)【?-1731】
孫 重英(しげひで)【1681-?】
孫の妻 長田守直の娘
孫の妻の父 長田守直→長田白正~守安の系図
子 玄堅〔養父:本多玄重〕→本多玄重~秀政の系図
子 玄修〔養父:本多重益〕→本多重能~重賀の系図
本多玄忠(はるただ)
妻 杉浦吉勝の娘
妻の父 杉浦吉勝→杉浦吉勝の系図
子の夫 本多重恒→本多重盛~玄幸の系図
子の夫 榊原忠利→榊原忠利の系図
本多玄能(はるよし)
妻 新井明卿の娘
実は永尾氏の娘。
妻の父 新井明卿→新井明卿の系図
子 玄頼〔養父:本多重隆〕→本多重盛~玄幸の系図
子の夫 小笠原正方→小笠原正方の系図
本多重盛~玄幸の系図
本多重盛(しげもり)【1620-1688】
祖父 秀玄→本多重玄~玄正の系図
父 吉里→本多吉里~玄能の系図
祖父 小林正直→小林正直の系図
子 重矩・孫 重丘→本多重矩~玄堅の系図
子の夫 大久保仲教→大久保仲教の系図
本多重恒(しげつね)【1663-1699】
妻 本多玄忠の娘
妻の父 本多玄忠→本多吉里~玄能の系図
本多重雅(しげまさ)【1692-1736】
妻 大河原有直の娘
妻の父 大河原有直→大河原有直の系図
子の夫 天野昌邦→天野昌邦の系図
本多重隆(しげたか)【1718-1744】
本多玄頼(はるより)【1728-1790】
実は本多玄能(→本多吉里~玄能の系図)の子。
妻 小泉義易の娘
妻の父 小泉義易→小泉義易の系図
子 酒井正玄〔養父:酒井政武〕→酒井正玄の系図
子の夫 根来長武→根来長武の系図
子の夫 若林直行→若林直行の系図
子の夫 横地安澄→横地安澄の系図
本多玄幸(はるよし)【1768-?】
妻 本康徳儀の娘
妻の父 本康徳儀→本康徳儀の系図
本多重矩~玄堅の系図
本多重矩(しげのり)【1664-1724】
祖父 吉里→本多吉里~玄能の系図
父 重盛→本多重盛~玄幸の系図
妻 前田定相の娘
妻の父 前田定相→前田定相の系図
子 秀房〔養父:本多玄次〕→本多玄重~秀政の系図
子の夫 平岩親行→平岩親行の系図
本多重丘(しげおか)【1700-1742】
妻 平岡正之の娘
妻の父 平岡正之→平岡正之の系図
子 武井忠良〔養父:武井義宗〕→武井忠良の系図
子 岡部正方〔養父:岡部正相〕→岡部正方の系図
本多玄幸(よしはる)【1729-1781】
子 筒井順長〔養父:筒井順亨〕→筒井順長の系図
子 若林玄県〔養父:若林包貞〕→若林玄県の系図
本多玄堅(よしかた)【1764-?】
妻 近藤正方の娘
妻の父 近藤正方→近藤正方の系図
本多玄重~秀政の系図
本多玄重(はるしげ)【?-1684】
祖父 重玄・父 秀玄→本多重玄~玄正の系図
祖父 本多重次→本多信正~成重の系図
本多玄堅(はるかた)【?-1727】
実は本多玄路(→本多吉里~玄能の系図)の子。
本多玄次(はるつぐ)【?-1738】
実は榊原宗好(→榊原宗好の系図)の子。
子 榊原長躬〔養父:榊原宗門〕→榊原長躬の系図
本多秀房(ひでふさ)【1715-1790】
実は本多重矩(→本多重矩~玄堅の系図)の子。
妻 大橋重章の娘
妻の父 大橋重章→大橋重章の系図
夫 安食忠宜→安食忠宜の系図
子 依田信美〔養父:依田信次〕→依田信美の系図
子の夫 三宅政静→三宅政静の系図
本多秀政(ひでまさ)【1750-?】
子 秀賢(ひでかた)【1775-?】
子の夫 竹内正武→竹内正武の系図
本多成於~成盛の系図
本多成於(なりお)/成信(なりのぶ)【1611-1689】
祖父 重玄・父 秀玄→本多重玄~玄正の系図
祖父 本多重次→本多信正~成重の系図
妻 大田助重の娘
妻の父 大田助重→大田助重の系図
子の夫 榊原忠利→榊原忠利の系図
本多成直(なりなお)/重頼(しげより)【1650-1728】
実は跡部重治(→跡部重治の系図)の子。
子 唯治(ただはる)
実は幸田孝治(→幸田孝治の系図)の子。
本多成恭(なりやす)/政重(まさしげ)【1693-1755】
実は青木信峯(→青木信峯~信孝の系図)の子。
妻 逸見義武の娘
妻の父 逸見義武→逸見義武の系図
子 安秀〔養父:本多安門〕→本多安秀の系図
子 佐久間成庸〔養父:佐久間信正〕→佐久間成庸の系図
子 青木信賁〔養父:青木信任〕→青木信峯~信孝の系図
子の夫 内藤忠福→内藤忠重~忠著の系図
子の夫 三輪久綏→三輪久綏の系図
本多成増(なります)【1727-1767】
妻 小出晨英の娘
妻の父 小出晨英→小出晨英の系図
子 幸田継渙〔養父:幸田直正〕→幸田継渙の系図
子の夫 高木一真→高木一真の系図
子の夫 加藤休教→加藤休教の系図
本多成福(なりよし)【1745-1772】
実は本多成興(→本多重能~重賀の系図)の子。
本多成盛(なりもり)【1766-?】
妻 松永政央の娘
妻の父 松永政央→松永政央の系図
本多重能~重賀の系図
本多重能(しげよし)【1590-1651】
丸岡藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 重次・父 成重→本多信正~成重の系図
祖父 土岐定政→土岐定政~頼行の系図
妻 大久保忠常の娘
妻の父 大久保忠常→大久保忠常の系図
子の夫 岩城重隆→岩城重隆の系図
本多重昭(しげあき)【1634-1676】
丸岡藩主。
妻 松平国
松平忠昌(→松平忠昌の系図)の娘。
夫 飛鳥井雅直→飛鳥井雅庸~雅豊の系図
妻 甘露寺嗣長の娘
妻の父 甘露寺嗣長→甘露寺経元~尚長の系図
子 重信〔養父:本多重益〕
子の夫 五島盛暢→五島盛利~盛暢の系図
子の夫 難波宗尚→難波宗尚~宗礼の系図
子の夫 甘露寺輔長→甘露寺経元~尚長の系図
本多重益(しげます)/成宗(なりむね)/成邦(なりくに)/成仲(なりのぶ)/成泰(なりちか)【1663-1733】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
丸岡藩主。苛政により改易された。
子 重信(しげのぶ)【?-1689】
実は本多重昭の子。
子 重修(しげもち)/重条(しげえだ)
実は本多玄路(→本多吉里~玄能の系図)の子。
子 重貞(しげさだ)【1701-1719】
実は脇坂安照(→脇坂安照の系図)の子。
本多成興(なりおき)【1691-1753】
実は五島盛暢(→五島盛利~盛暢の系図)の子。
子 成邑〔養父:本多成明〕
子 成連〔養父:本多成邑〕
子 成福〔養父:本多成増〕→本多成於~成盛の系図
子の夫 梶川上秀→梶川上秀の系図
子の夫 篠山光官→篠山光官の系図
子の夫 大井一装→大井一装の系図
本多成明(なりあきら)/成義(なりよし)【1714-1734】
本多成邑(なりさと)【1718-1786】
実は本多成興の子。
妻 大井昌全の娘
妻の父 大井昌全→大井昌全の系図
子 成邑の娘〔養父:本多成連〕
本多成連(なりつら)【1738-?】
実は本多成興の子。
本多重賀(しげよし)/成憲(なりのり)【1774-?】
実は安藤惟徳(→安藤惟徳の系図)の子。
妻 本多成連の娘
実は本多成邑の娘。
妻 松平正邦の娘
実は青山忠高(→青山俊春~忠講の系図)の娘。
妻の父 松平正邦→松平正邦の系図
夫 武田信誼→武田信安~信誼の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。