このページでは、戸田氏(藤原氏北家・公季流)・忠政流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
戸田氏・忠政流(下野国宇都宮藩主・下野国高徳藩主)の略系図

1 忠政→戸田忠政・忠次の系図
1-A 清勝→戸田清勝~忠純の系図
1-B1 勝則→戸田勝則~吉成・吉連~忠政の系図
1-B2 正吉→戸田正吉~勝英の系図
1-B3 義陳→戸田義陳~政永の系図
1-C 忠勝→戸田忠勝~忠明の系図
3 尊次→戸田尊次・忠能の系図
3-A 正次→戸田正次~忠喬の系図
3-B 生勝→戸田生勝~忠養の系図
3-C1 忠高→戸田忠高~忠集の系図
3-C2 忠重→戸田忠重~直準の系図
5 忠昌→戸田忠昌~忠盈の系図
5-A 忠章→戸田忠章~忠偲の系図
9 忠寛→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
戸田忠政・忠次の系図
戸田忠政(ただまさ)
祖父 憲光・父 政光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
子 清勝・孫 勝吉→戸田清勝~忠純の系図
子 勝則・孫 吉久→戸田勝則~吉成・吉連~忠政の系図
子 忠勝・孫 政次→戸田忠勝~忠明の系図
戸田忠次(ただつぐ)【1531-1597】
三河一向一揆に加わったが、途中で徳川家康側についた。その後は徳川家康に仕えて軍功をあげた。
子 清光(きよみつ)【1559-1575】
孫 清堅(きよかた)
徳川頼宣に仕えた。
子 尊次・孫 忠能→戸田尊次・忠能の系図
孫 忠次→戸田忠次の系図
孫 正次→戸田正次~忠喬の系図
孫 生勝→戸田生勝~忠養の系図
孫 忠高→戸田忠高~忠集の系図
子 清水政吉〔養父:清水家次〕→清水政吉の系図
子の夫 松平重忠→松平重勝・重忠・重則~重利の系図
戸田清勝~忠純の系図
戸田清勝(きよかつ)【1551-1608】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 政光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
父 忠政→戸田忠政・忠次の系図
戸田勝吉(かつよし)/清久(きよひさ)【1572-1662】
子 山三郎【1599-1632】
子の夫 青山義信→青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
戸田清次(きよつぐ)/清信(きよのぶ)【1604-1677】
戸田清益(きよます)【1639-1717】
妻 山岡景成の娘
妻の父 山岡景成→山岡景成の系図
子 平兵衛【?-1685】
戸田忠辰(ただとき)/清長(きよなが)【1678-1740】
実は堀利邑(→堀利重~利和の系図)の子。
子 贄正栄〔養父:贄正朝〕→贄正栄の系図
子の夫 花房正充→花房正充の系図
子の夫 飯河盛氏→飯河盛氏の系図
戸田忠清(ただきよ)【1696-1768】
実は飯河盛勝(→飯河盛勝の系図)の子。
子の夫 伊藤正芳→伊藤正芳の系図
子の夫 小出英興→小出英興の系図
戸田忠久(ただひさ)【1729-?】
妻 有馬純之の娘
妻の父 有馬純之→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
夫 望月弘武→望月弘武の系図
子 長連展〔養父:長信政〕→長連展の系図
子 西郷員長〔養父:西郷員寿〕→西郷員長の系図
子 塩入利容〔養父:塩入利恭〕→塩入利容の系図
子の夫 阿部中正→阿部中正の系図
戸田忠純(ただつぐ)【1752-?】
妻 本間政村の娘
妻の父 本間政村→本間政村の系図
戸田勝則~吉成・吉連~忠政の系図
戸田勝則(かつのり)【1534-1620】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 政光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
父 忠政→戸田忠政・忠次の系図
妻 小笠原朝高の娘
妻の父 小笠原朝高→小笠原朝高の系図
子 山田吉正〔養父:山田曽武右衛門〕→山田吉正の系図
戸田吉久(よしひさ)【?-1609】
妻 戸田光定の娘
妻の父 戸田光定→戸田光定~光高・政次の系図
戸田貞吉(さだよし)【?-1652】
妻 清水政吉の娘
妻の父 清水政吉→清水政吉の系図
子 清水政利〔養父:清水政吉〕→清水政利の系図
子 清水吉春〔養父:清水政利〕→清水吉春の系図
子の夫 揖斐政綱→揖斐政綱の系図
戸田吉成(よしなり)/貞正(さだまさ)【?-1651】
子 正吉・孫 勝房→戸田正吉~勝英の系図
子 義陳・孫 政則→戸田義陳~政永の系図
戸田吉連(よしつら)【?-1650】
戸田忠之(ただゆき)【?-1701】
子 忠陳〔養父:戸田忠光〕
子の夫 桜井政秀→桜井政秀の系図
戸田忠光(ただみつ)【?-1703】
子 忠勝〔養父:戸田忠陳〕
戸田忠陳(ただのぶ)【?-1720】
実は戸田忠之の子。
戸田忠勝(ただかつ)【1700-1756】
実は戸田忠光の子。
子 桜井政行〔養父:桜井政房〕→桜井政行の系図
子 忠亮〔養父:戸田忠及〕
子 忠恒(ただつね)〔養父:戸田忠政〕
戸田忠精(ただたね)【1721-1760】
妻 島田利豊の娘
妻の父 島田利豊→島田利豊の系図
子の夫 佐藤政美→佐藤政美の系図
戸田忠及【1744-1765】
戸田忠亮(ただすけ)【1733-1790】
実は戸田忠勝の子。
妻 山田信続の娘
妻の父 山田信続→山田信続の系図
戸田忠政(ただまさ)【1765-?】
実は佐藤政美(→佐藤政美の系図)の子。
妻 島田利屋の娘
妻の父 島田利屋→島田利屋の系図
戸田正吉~勝英の系図
戸田正吉(まさよし)【?-1679】
祖父 貞吉・父 吉成→戸田勝則~吉成・吉連~忠政の系図
妻 松平重次の娘
妻の父 松平重次→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
子 松平重矩〔養父:松平重良〕→松平重良~勘満の系図
子 政則〔養父:戸田義陳〕→戸田義陳~政永の系図
子の夫 小笠原常春→小笠原直経~常亮の系図
戸田勝房(かつふさ)【1665-1722】
戸田勝便(かつより)【1699-1781】
実は戸田政則(→戸田義陳~政永の系図)の子。
子 勝豊(かつとよ)【1727-1748】
子 竹尾俊一〔養父:竹尾俊賢〕→竹尾俊一の系図
子の夫 新井邦孝→新井邦孝の系図
子の夫 柘植正寔→柘植正寔の系図
子の夫 渡辺久隆→渡辺久隆の系図
子の夫 八木常盈→八木常盈の系図
戸田勝愛(かつちか)【1734-1796】
妻 稲葉正長の娘
妻の父 稲葉正長→稲葉正次・正能・正定~正陽の系図
妻 渡辺久龐の娘
妻の父 渡辺久龐→渡辺久龐の系図
夫 大屋昌美→大屋昌美の系図
子 土方勝政〔養父:土方勝芳〕→土方勝政の系図
子の夫 小菅正容→小菅正容の系図
子の夫 水野元休→水野重家~為昌・元吉~元典の系図
子の夫 室賀正朋→室賀正朋の系図
戸田勝英(かつてる)【1767-?】
妻 岡野融軽の娘
妻の父 岡野融軽→岡野融軽の系図
妻 赤井忠晶の娘
妻の父 赤井忠晶→赤井忠晶の系図
妻 武田信尹の娘
妻の父 武田信尹→武田信安~信誼の系図
妻 北条氏興の娘
妻の父 北条氏興→北条氏平~氏征の系図
夫 松前広歓→松前玄広~広歓の系図
妻 牧野成久の娘
妻の父 牧野成久→牧野成久の系図
夫 有馬純久→有馬純富~純久の系図
戸田義陳~尹永の系図
戸田義陳(よしのぶ)【?-1699】
祖父 貞吉・父 吉成→戸田勝則~吉成・吉連~忠政の系図
妻 丸毛利忠の娘
妻の父 丸毛利忠→丸毛利忠の系図
戸田政則(まさのり)【?-1704】
実は戸田正吉(→戸田正吉~勝英の系図)の子。
妻 細井勝務の娘
妻の父 細井勝務→細井勝務の系図
子 勝便〔養父:戸田勝房〕→戸田正吉~勝英の系図
戸田政豊(まさとよ)【?-1742】
妻 広戸行通の娘
妻の父 広戸行通→広戸行通の系図
戸田政任(まさとう)【1726-1779】
妻 山本正雄の娘
妻の父 山本正雄→山本正雄の系図
子の夫 山本正厚→山本正厚の系図
妻 曽谷祐之の娘
妻の父 曽谷祐之→曽谷祐之の系図
夫 荒井保国→荒井保国の系図
子 忠慶(ただよし)
実は野本久慶(→野本久慶の系図)の子。
子の夫 八木常盈→八木常盈の系図
戸田尹永(ただなが)【1753-?】
実は小川子雍(→小川子雍の系図)の子。
妻 永田直恒の娘
妻の父 永田直恒→永田直恒の系図
戸田忠勝~忠明の系図
戸田忠勝(ただかつ)【1544-1590】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 政光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
父 忠政→戸田忠政・忠次の系図
子 渡辺忠〔養父:渡辺茂〕→渡辺茂・善の系図
戸田政次(まさつぐ)【?-1650】
子の夫 高橋城泉→高橋城泉の系図
子の夫 倉橋忠政→倉橋忠政の系図
戸田政勝(まさかつ)【?-1694】
子 源之助【1651-?】
実は筑紫信門(→筑紫信門の系図)の子。
戸田政武(まさたけ)【?-1709】
戸田政貞(まささだ)【?-1729】
実は高橋正元(→高橋正元の系図)の子。
子 政恒〔養父:戸田政興〕
子の夫 太田晴景→太田晴景の系図
子の夫 三沢信門→三沢信門の系図
子の夫 早川久隆→早川久隆の系図
戸田政興(まさおき)【1712-1732】
戸田政恒(まさつね)/長英(ながてる)【1716-1784】
実は戸田政貞の子。
妻 大木親明の娘
妻の父 大木親明→大木親明の系図
子の夫 奈佐栄房→奈佐栄房の系図
子の夫 早川久義→早川久義の系図
戸田忠明(ただあきら)/政吉(まさよし)【1756-?】
子 政信(まさのぶ)
子の妻 堀直昌の娘
子の妻の父 堀直昌→堀直好~直雄の系図
子 小田切徳次郎〔養父:小田切蕃衍〕→小田切蕃衍の系図
戸田尊次・忠能の系図
戸田尊次(たかつぐ)【1562-1615】
三河国田原藩主。徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いなどに参戦した。
祖父 忠政・父 忠次→戸田忠政・忠次の系図
妻 松平伊忠の娘
妻の父 松平伊忠→松平伊忠・家忠の系図
子 正次・孫 忠辰→戸田正次~忠喬の系図
子 生勝・孫 忠貞→戸田生勝~忠養の系図
子 忠高・孫 忠春→戸田忠高~忠集の系図
孫 忠重→戸田忠重~直準の系図
子の夫 蒔田定正→蒔田定正の系図
子の夫 水野忠保→水野義忠~忠次・光綱~忠近の系図
子の夫 滝川一乗→滝川一乗の系図
戸田忠能(ただよし)【1586-1647】
田原藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 九鬼守隆の娘
妻の父 九鬼守隆→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
子 忠昌・孫 忠真→戸田忠昌~忠盈の系図
孫 忠章→戸田忠章~忠偲の系図
子の夫 久世広之→久世広之・重之の系図
子の夫 水野定勝→水野定勝・忠順~忠告の系図
孫 重矩→水野重矩~忠貞・忠英・忠護の系図
子の夫 蒔田定行→蒔田定行の系図
戸田正次~忠喬の系図
戸田正次(ただつぐ)/忠政(ただまさ)【1584-1646】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→戸田忠政・忠次の系図
父 尊次→戸田尊次・忠能の系図
祖父 松平伊忠→松平伊忠・家忠の系図
戸田忠辰(ただとき)【1645-1712】
実は蒔田定正(→蒔田定正の系図)の子。
妻 久貝正偏の娘
妻の父 久貝正偏→久貝正偏の系図
子 蒔田定矩〔養父:蒔田定行〕→蒔田定矩の系図
子 有田光敦〔養父:有田光明〕→有田光敦の系図
子の夫 松野親冬→松野正照~親裕の系図
戸田忠位(ただつら)【1668-1725】
子 大久保忠遊〔養父:大久保忠恒〕→大久保忠遊の系図
戸田忠城(ただなる)【1691-1755】
妻 鵜殿長政の娘
妻の父 鵜殿長政→鵜殿長政の系図
妻 野沢氏
子 後藤忠成〔養父:後藤正武〕→後藤忠成の系図
子 忠周〔養父:戸田忠則〕
子の夫 大久保忠顕→大久保忠顕の系図
子の夫 水野勝福→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図
子の夫 天野豊泰→天野豊泰の系図
子の夫 日根野弘道→日根野弘道の系図
戸田忠則(ただのり)【1721-1760】
実は戸田忠囿(→戸田忠囿の系図)の子。
子 忠則の娘〔養父:戸田忠周〕
戸田忠周(ただちか)【1741-?】
実は戸田忠城の子。
妻 大島義勝の娘
実は河田往親(→河田往親の系図)の娘。
妻の父 大島義勝→大島義勝の系図
子の夫 上坂正尹→上坂正尹の系図
子 忠明
実は戸田氏純(→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図)の子。
子の夫 福島国雄→福島国雄の系図
戸田忠喬(ただたか)【1773-?】
実は天野豊泰(→天野豊泰の系図)の子。
妻 山口直由の娘
妻の父 山口直由→山口直由の系図
戸田生勝~忠養の系図
戸田生勝(なりかつ)【1587-1643】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→戸田忠政・忠次の系図
父 尊次→戸田尊次・忠能の系図
祖父 松平伊忠→松平伊忠・家忠の系図
子 水野忠次〔養父:水野忠保〕→水野義忠~忠次・光綱~忠近の系図
戸田忠貞(たださだ)【1638-1662】
子 数馬【?-1665】
戸田忠常(ただつね)【1657-1705】
妻 戸田忠利の娘
妻の父 戸田忠利→戸田忠利の系図
子 水野忠英〔養父:水野忠重〕→水野忠重~忠嶽の系図
子 城厚茂〔養父:城維岡〕→城厚茂の系図
子の夫 水野忠重→水野忠重~忠嶽の系図
子の夫 永井正盛→永井白元・正元~直当の系図
子の夫 天野正豊→天野正豊の系図
戸田忠栄(ただよし)【1684-1725】
妻 初鹿野信只の娘
妻の父 初鹿野信只→初鹿野信只の系図
子の夫 大沢信亮→大沢信亮の系図
戸田忠雄(ただお)【1715-1744】
戸田忠褒(ただかつ)【1718-1788】
実は戸田忠囿(→戸田忠囿の系図)の子。
妻 市岡正軌の娘
妻の父 市岡正軌→市岡正軌の系図
夫 北山経庸→北山経庸の系図
子 直準〔養父:戸田忠貫〕→戸田忠重~直準の系図
子 忠養〔養父:戸田忠釣〕
子 杉岡忠房〔養父:杉岡正衍〕→杉岡忠房の系図
子の夫 山田直郷→山田直郷の系図
子の夫 梶正常→梶正常の系図
子の夫 窪田忠公→窪田忠公の系図
子の夫 久保勝好→久保勝好の系図
戸田忠釣(ただひろ)【1746-?】
妻 杉田忠巷の娘
妻の父 杉田忠巷→杉田忠巷の系図
戸田忠養(ただきよ)【1762-?】
実は戸田忠褒の子。
妻 荻原友標の娘
実は鈴木定隆(→鈴木定隆の系図)の娘。
妻の父 荻原友標→荻原友標の系図
夫 丸毛利春→丸毛利春の系図
戸田忠高~忠集の系図
戸田忠高(ただたか)/正重(まさしげ)【1598-1674】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→戸田忠政・忠次の系図
父 尊次→戸田尊次・忠能の系図
妻 堀利長の娘
実は多賀正武の娘。
妻の父 堀利長→堀利長の系図
子 忠重・孫 忠位→戸田忠重~直準の系図
子の夫 菅谷政朝→菅谷政朝の系図
子の夫 揖斐政之→揖斐政之の系図
子の夫 平岡信由→平岡信由の系図
戸田忠春(ただはる)/忠広(ただひろ)【1644-1723】
妻 渡辺均の娘
妻の父 渡辺均→渡辺均~直・保~胤の系図
子 忠丘
実は戸田忠重(→戸田忠重~直準の系図)の子。
戸田忠就(ただなり)【1674-1738】
実は上田重則(→上田重則の系図)の子。
妻 戸田忠春の娘
実は筧正直(→筧正直の系図)の娘。
子の夫 富松広儔→富松広儔の系図
戸田忠汎(ただあつ)【1708-1762】
妻 浅野氏備の娘
妻の父 浅野氏備→浅野氏備の系図
子 上田義篤〔養父:上田義当〕→上田義篤の系図
子の夫 川勝広長→川勝広長の系図
子の夫 筧正国→筧正国の系図
子の夫 本多寛方→本多重良~繁文の系図
子の夫 朝比奈泰諧→朝比奈泰諧の系図
戸田忠倚(ただより)【1742-1770】
妻 柳沢吉里の娘
妻の父 柳沢吉里→柳沢吉里の系図
夫 堀親長→堀親長の系図
戸田忠皎(ただあきら)【1761-1783】
実は戸田忠言(→戸田忠位~忠行の系図)の子。
戸田忠集(ただちか)【1764-?】
実は戸田忠諏(→戸田忠章~忠偲の系図)の子。
妻 仙石政寅の娘
妻の父 仙石政寅→仙石政寅の系図
戸田忠重~直準の系図
戸田忠重(ただしげ)【?-1700】
祖父 尊次→戸田尊次・忠能の系図
父 忠高→戸田忠高~忠集の系図
祖父 堀利長→堀利長の系図
妻 花房正堅の娘
妻の父 花房正堅→花房正堅の系図
子 忠丘〔養父:戸田忠春〕→戸田忠高~忠集の系図
子の夫 植村正澄→植村政明~政敦・正澄~正養の系図
子の夫 戸田忠勝→戸田忠利の系図
子の夫 水谷勝睦→水谷勝睦の系図
戸田忠位(ただつら)【1667-1733】
子 花房正充〔養父:花房正恒〕→花房正充の系図
子の夫 小笠原信親→小笠原信由~信将・信凭~直信の系図
戸田忠義(ただよし)【1686-1723】
子 堀直満〔養父:堀利照〕→堀直満の系図
戸田忠真(ただざね)【1708-1768】
妻 花房正充の娘
妻の父 花房正充→花房正充の系図
妻 佐野政春の娘
妻の父 佐野政春→佐野政春の系図
妻 大河原光良の娘
妻の父 大河原光良→大河原光良の系図
戸田忠貫(ただつら)【1729-1764】
実は戸田忠位(→戸田忠位~忠行の系図)の子。
戸田直準(ただとも)/忠準【1749-?】
実は戸田忠褒(→戸田生勝~忠養の系図)の子。
妻 小林正房の娘
妻の父 小林正房→小林正房の系図
夫 渡辺信→渡辺信の系図
戸田忠昌~忠盈の系図
戸田忠昌(ただまさ)/忠治(ただはる)【1632-1699】
老中・田原藩主・肥後国富岡藩主・武蔵国岩槻藩主・下総国佐倉藩主。実は戸田忠次(→戸田忠次の系図)の子。
祖父 尊次・父 忠能→戸田尊次・忠能の系図
妻 秋元富朝の娘
妻の父 秋元富朝→秋元富朝の系図
子 秋元喬知〔養父:秋元富朝〕→秋元喬知の系図
子 忠章・孫 忠胤→戸田忠章~忠偲の系図
子 忠昌の娘
実は秋元喬知(→秋元喬知の系図)の娘。酒井忠真に嫁ぐ予定であった。
子の夫 松平忠雄→松平忠利~忠俔の系図
戸田忠真(ただざね)【1651-1729】
老中・佐倉藩主・越後国高田藩主・下野国宇都宮藩主。浅野長矩が江戸城内で斬りつけられる事件が起きた際、長矩の代わりに勅使饗応の役を務めた。
妻 毛利高直の娘
妻の父 毛利高直→毛利高政~高久・高定~高逵の系図
子 忠真の息子
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 虎五郎・忠久〔養父:戸田忠余〕
子の夫 松平忠喬→松平忠継・忠喬の系図
子の夫 松平正貞→松平正貞・正温の系図
戸田忠余(ただみ)【1689-1746】
宇都宮藩主。実は戸田忠章(→戸田忠章~忠偲の系図)の子。
子 忠久(ただひさ)【1708-1728】
実は戸田忠真の子。
子の妻 本多忠直の娘
子の妻の父 本多忠直→本多忠平~忠烈の系図
子 秋元喬求〔養父:秋元喬房〕→秋元喬求の系図
子 忠寛〔養父:戸田忠盈〕→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子 木下俊胤〔養父:木下俊泰〕→木下俊胤の系図
子 虎五郎
実は戸田忠真の子。
子 忠余の娘
安藤信尹に嫁ぐ予定であった。
子 忠余の娘
松平親盈に嫁ぐ予定であった。
子 忠余の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 板倉勝澄→板倉勝澄~勝従の系図
子の夫 岩城隆恭→岩城隆恭の系図
子の夫 青山忠高→青山俊春~忠講の系図
戸田忠盈(ただみつ)/忠辰(ただとき)/忠倚(ただより)【1730-1781】
宇都宮藩主・肥前国島原藩主。
子 忠寛・孫 忠翰→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子 栄之助・子 忠盈の娘(『戸田家譜(下野宇都宮)』による。)
子の夫 戸田忠喬→戸田忠位~忠行の系図
戸田忠章~忠偲の系図
戸田忠章(ただあきら)/忠定(たださだ)/忠朝(ただとも)【1657-1717】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠能→戸田尊次・忠能の系図
父 忠昌→戸田忠昌~忠盈の系図
祖父 秋元富朝→秋元富朝の系図
子 忠余〔養父:戸田忠真〕→戸田忠昌~忠盈の系図
子 九鬼隆抵〔養父:九鬼隆方〕→九鬼隆律~隆義の系図
子の夫 松平忠雄→松平忠利~忠俔の系図
子の夫 大関増恒→大関増恒~増備の系図
子の夫 花房職時→花房職時の系図
戸田忠胤(ただたね)/忠深(ただはる)【1692-1766】
妻 戸田氏成の娘
妻の父 戸田氏成→戸田氏経~氏房の系図
子 大久保忠弘〔養父:大久保忠秋〕→大久保忠弘の系図
子 山口直承〔養父:山口直郷〕→山口直承の系図
子の夫 永井尚伴→永井直右~尚監の系図
子の夫 戸田種員→戸田重恒~光弘の系図
子の夫 蒔田広堅→蒔田広堅の系図
戸田忠諏(ただとう)【1727-1806】
妻 西郷員総の娘
実は伊丹勝房(→伊丹勝房の系図)の娘。
妻の父 西郷員総→西郷員総の系図
子 氏宥〔養父:戸田氏興〕→戸田氏之~氏良の系図
子 忠集〔養父:戸田忠皎〕→戸田忠高~忠集の系図
戸田忠従(ただより)【1762-1829】
妻 堀田正邦の娘
妻の父 堀田正邦→堀田正邦の系図
夫 松平信寅→松平信重~信寅の系図
妻 竹腰勝起の娘
妻の父 竹腰勝起→竹腰正武~正旧の系図
戸田忠偲(以下、『戸田家譜(下野宇都宮)』による。)
妻 戸田忠翰の娘
妻の父 戸田忠翰→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子 忠友〔養父:戸田忠恕〕→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子 忠篤
実は大久保忠学の子。
孫 忠昆
実は大久保忠学の子。
戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
戸田忠寛(ただとお)【1738-1801】
島原藩主・宇都宮藩主。実は戸田忠余(→戸田忠昌~忠盈の系図)の子。
祖父 忠余・父 忠盈→戸田忠昌~忠盈の系図
妻 本多ツレ
本多正珍(→本多正珍~正憲の系図)の娘。
子 忠寛の娘(『戸田家譜(下野宇都宮)』による。)
子の夫 戸田忠喬→戸田忠位~忠行の系図
子の夫 堀直方→堀直方~直弘の系図
子の夫 永井尚佐→永井直陳~尚服の系図
戸田忠翰(ただなか)【1761-1823】
宇都宮藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平忠順の娘
妻の父 松平忠順→松平忠順~忠礼の系図
子 忠直〔養父:岡部美矩〕
子 忠温〔養父:戸田忠延〕
子 忠孝
実は戸田忠舜の子。
子 種五郎・忠翰の息子(2人)・子 忠翰の娘(『戸田家譜(下野宇都宮)』による。)
子の夫 松平親明→松平親盈~親貴の系図
子の夫 本多正意→本多正珍~正憲の系図
子の夫 分部光邦→分部光邦の系図
子の夫 織田信美→織田信浮~寿重丸の系図
子の夫 牧野以成→牧野以成の系図
子の夫 戸田忠偲→戸田忠章~忠偲の系図
戸田忠延(ただのぶ)【1790-1823】
宇都宮藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 有馬庭
有馬頼貴(→有馬頼貴の系図)の娘。
戸田忠温(ただよし)【1804-1851】(以下、『戸田家譜(下野宇都宮)』による。)
老中・宇都宮藩主。実は戸田忠翰の子。
妻 水野忠邦の娘
実は石川総佐(→石川総師~成之の系図)の娘。
妻の父 水野忠邦→水野忠邦~忠弘の系図
夫 石川総安→石川総師~成之の系図
妻 阿部正精の娘
妻の父 阿部正精→阿部正精~正桓の系図
妻 吉岡氏
子 忠文〔養父:戸田忠禄〕→戸田忠位~忠行の系図
子 忠恕〔養父:戸田忠明〕
子 富子・果子→有馬允純~道純の系図
子 忠温の娘〔養父:水野忠邦(→水野忠邦~忠弘の系図)〕
子 忠温の娘〔養父:戸田忠至〕
子の夫 水野忠幹→水野忠啓~忠幹の系図
子の夫 内藤頼直→内藤清枚~頼直の系図
子の夫 秋元礼朝→秋元礼朝の系図
子の夫 大関増昭(『系図纂要』による。)→大関増輔~増勤の系図
戸田忠明(ただあき)【1839-1856】
宇都宮藩主。
妻 酒井忠学の娘
妻の父 酒井忠学→酒井忠学~忠邦の系図
戸田忠恕(ただゆき)【1847-1868】
宇都宮藩主。実は戸田忠温の子。山陵の調査・修復を行った。天狗党の乱への対応を咎められ、謹慎を命じられたが、山陵修復の功で許された。
妻 戸田嶋子
戸田光則(→戸田光悌~光則の系図)の娘。
戸田忠友(ただとも)【1847-1924】
宇都宮藩主。実は戸田忠偲(→戸田忠章~忠偲の系図)の子。維新後は二荒山神社の宮司を務めた。
戸田忠舜(ただきよ)【1780-?】(以下、『華族系譜』による。)
子 忠孝〔養父:戸田忠翰〕
子の夫 長山直〓(「糸」+「重」)
戸田忠至(ただゆき)【1809-1883】〔養子:津田薫(→織田信浮~寿重丸の系図)〕
下野国高徳藩主。山陵の調査・修復を行った。
子 秋元興朝〔養父:秋元礼朝(→秋元礼朝の系図)〕
子 照→大岡忠烈~忠貫の系図
戸田忠綱(ただつな)【1840-1922】
高徳藩主。領地替えで曾我野藩知事となった。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。