このページでは、戸田氏(藤原氏北家・公季流)・氏輝流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
戸田氏・氏輝流(美濃国大垣藩主)の略系図
1 氏輝→戸田氏輝~氏鉄の系図
4-A 氏照→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
5 氏信→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
7 氏定→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
9 氏英→戸田氏英・氏教の系図
11 氏庸→戸田氏庸の系図
12 氏正→戸田氏正~氏共の系図
戸田氏輝~氏鉄の系図
戸田氏輝(うじてる)【1493-1557】
戸田宗光(→戸田実光~康光・政重~信定の系図)の4世孫。
戸田氏光(うじみつ)【1513-1587】
子の夫 戸田吉国→戸田実光~康光・政重~信定の系図
戸田一西(かずあき)/政成(まさなり)/信世(のぶよ)/康次(やすつぐ)【1541-1602】
近江国大津藩主・近江国膳所藩主。徳川家康に仕えた。
妻 真木氏常の娘
子 正直
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 山口直友→山口直友の系図
子の夫 間宮牛之助(『戸田家譜(美濃大垣)』による。)
子の夫 三宅康信→三宅康信の系図
子の夫 内藤正成→内藤正成~忠俊・正成・正信~正殷の系図
孫の夫 六条有純→六条有継~有藤の系図
戸田氏鉄(うじかね)/重氏(しげうじ)【1576-1655】
膳所藩主・摂津国尼崎藩主・美濃国大垣藩主。島原の乱の鎮圧にあたった。
妻 戸田諷
戸田康長(→戸田宜光~光重の系図)の娘。
子 氏信・孫 氏西・孫 氏広→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
子 氏経・孫 氏利→戸田氏経~氏房の系図
子 氏照・孫 氏胤・氏道→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
子 頼鉄・利鉄
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 板倉重宗→板倉重宗の系図
孫 重郷→板倉重郷~重治の系図
孫 重形→板倉重形~勝清の系図
子の夫 本多正勝→本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図
子の夫 松平忠国→松平忠国の系図
孫 信之→松平信之~信将の系図
孫 信重→松平信重~信寅の系図
妻 蒲生氏
子 氏頼
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 氏利(うじとし)/氏親(うじちか)【1639-1672】
実は戸田氏信(→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図)の子。
子 久→戸田宜光~光重の系図
戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
戸田氏照(うじてる)/氏好(うじよし)【?-1678】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 一西・父 氏鉄→戸田氏輝~氏鉄の系図
祖父 戸田康長→戸田宜光~光重の系図
妻 中根正成の娘
実は中根正次(→中根正次の系図)の娘。
妻の父 中根正成→中根正成の系図
子の夫 片桐且昭→片桐且昭の系図
戸田氏胤(うじたね)【1653-1701】
妻 保科正景の娘
妻の父 保科正景→保科正貞~正寿の系図
戸田氏常(うじつね)【1696-1751】
妻 阿部正房の娘
妻の父 阿部正房→阿部正房~正良・正員~政永の系図
子 氏喜〔養父:戸田氏紀〕
子 保科正盈〔養父:保科正倫〕→保科正英~正棟の系図
子 氏休〔養父:戸田氏香〕
子 氏音(うじおと)【1719-1738】
子の夫 土屋倫直→土屋喬直~群直の系図
子の夫 菅谷貞寄→菅谷貞寄の系図
子の夫 牧野孝成→牧野孝成の系図
子の夫 大久保忠恒→大久保忠恒の系図
戸田氏香(うじか)【1723-1758】
妻 池田頼教の娘
妻の父 池田頼教→池田頼教の系図
子 氏香の娘(2人)〔養父:戸田氏休〕
戸田氏休(うじよし)【1728-1789】
実は戸田氏常の子。
子 氏休の娘〔養父:戸田氏純〕
子の夫 荒川義閭→荒川義閭の系図
戸田氏純(うじずみ)/以直(しげなお)【1724-1792】
実は土屋陳直(→土屋陳直~泰直の系図)の子。
妻 戸田氏休の娘
実は戸田氏香の娘。
子 忠明〔養父:戸田忠周〕→戸田正次~忠喬の系図
子の夫 原親明→原親明の系図
子の夫 戸塚為忠→戸塚為忠の系図
子の夫 土屋温直→土屋茂直~温直の系図
子の夫 畠山義福→畠山義福の系図
戸田氏永(うじなが)/氏歳(うじとし)【1751-1797】
実は松平康郷(→松平忠充~康豊の系図)の子。
妻 戸田氏純の娘
実は戸田氏休の娘。
子の夫 蒔田定祥→蒔田定祥の系図
子の夫 戸田氏澄→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
戸田氏寧(うじやす)【1776-?】
妻 久世広徳の娘
妻の父 久世広徳→久世広籌~広楽の系図
戸田氏道(うじみち)【?-1705】
戸田氏紀(うじとし)【?-1728】
実は森川重信(→森川重俊~俊胤の系図)の子。
子 氏紀の娘〔養父:森川俊胤〕→森川重俊~俊胤の系図
戸田氏喜(うじよし)【1716-1789】
実は戸田氏常の子。
戸田氏孟(うじたけ)【1738-1785】
実は新庄直良(→新庄直良の系図)の子。
妻 横山松春の娘
妻の父 横山松春→横山松春の系図
子の夫 大久保忠和→大久保忠和の系図
戸田氏友(うじとも)【1769-?】
実は赤井忠晶(→赤井忠晶の系図)の子。
戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
戸田氏信(うじのぶ)【1599-1681】
大垣藩主。藩法を整備した。
祖父 一西・父 氏鉄→戸田氏輝~氏鉄の系図
祖父 戸田康長→戸田宜光~光重の系図
妻 牧野忠成の娘
妻の父 牧野忠成→牧野忠成の系図
子 氏春(うじはる)/氏晴(うじはる)【1634-1672】
子の妻 津軽信義の娘
子の妻の父 津軽信義→津軽信義の系図
子の妻の夫 五島盛清→五島盛清~運竜の系図
子 氏利〔養父:戸田氏鉄〕→戸田氏輝~氏鉄の系図
子 氏方
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 信秋〔養父:戸田信秀〕
孫の夫 松平定隆→松平定寛~定堅の系図
子 氏信の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 遠藤常友→遠藤常友の系図
子の夫 板倉重常→板倉重郷~重治の系図
子の夫 高木貞長→高木貞長の系図
子の夫 六条有綱(『戸田家譜(美濃大垣)』による。)→六条有継~有藤の系図
孫 氏賢〔養父:戸田氏広〕
戸田氏西(うじあき)/氏包(うじかね)【1627-1684】
大垣藩主。財政難に対応し、家臣を整理した。
妻 内藤忠政の娘
妻の父 内藤忠政→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図
子 氏定・孫 氏長・孫 定浩→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
子 氏成〔養父:戸田氏利〕→戸田氏経~氏房の系図
戸田氏広(うじひろ)/信貞(のぶさだ)/信定(のぶさだ)【1640-1712】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
戸田氏賢(うじかた)【1670-1747】
実は戸田信等の子。
子の夫 大島義敬→大島義敬の系図
子の夫 松下長堅→松下長堅の系図
子の夫 由良貞整→由良貞整の系図
子の夫 大沢基業→大沢基業の系図
戸田氏亮(うじすけ)【1704-1753】
実は戸田三頼の子。
妻 大久保忠因の娘
妻の父 大久保忠因→大久保忠因の系図
戸田氏住(うじすみ)/俊満(としみつ)【1726-1790】
実は太田資晴(→太田資次~資晴の系図)の子。
妻 松下長堅の娘
妻の父 松下長堅→松下長堅の系図
妻 松平信嵩の娘
妻の父 松平信嵩→松平信嵩の系図
夫 戸田種員→戸田重恒~光弘の系図
子の夫 山高義正→山高義正の系図
戸田氏昌(うじしげ)【1760-?】
妻 市橋長承の娘
妻の父 市橋長承→市橋長承の系図
戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
戸田氏定(うじさだ)【1657-1733】
大垣藩主。弟氏成に3000石を分与した。
祖父 氏信・父 氏西→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
祖父 内藤忠政→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図
妻 松平信之の娘
妻の父 松平信之→松平信之~信将の系図
子 新二郎・子 氏定の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 伊藤氏
子 松之丞
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 水野忠恒→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
妻 安田氏
子 氏房〔養父:戸田氏成〕→戸田氏経~氏房の系図
子 氏定の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 太田資晴→太田資次~資晴の系図
孫 資俊→太田資俊~資順の系図
妻 古沢氏
子 氏定の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 遠藤胤将→遠藤胤将の系図
戸田氏長(うじなが)【1687-1735】
大垣藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 土井利益の娘
妻の父 土井利益→土井利益~利見の系図
妻 中村氏
子 氏英・孫 氏教→戸田氏英・氏教の系図
子の夫 松平信将→松平信之~信将の系図
子 氏長の娘
実は戸田氏定の娘。
戸田定浩(さだひろ)/定昌(さだまさ)【1693-1759】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 定浩の娘〔養父:戸田氏定〕
子の夫 太田資胤→太田資次~資晴の系図
子の夫 青山幸充→青山幸正~幸宣の系図
子の夫 稲葉正明→稲葉正明の系図
子の夫 土屋敬直→土屋好直~光直の系図
戸田定候(さだとき)【1721-1749】
妻 小笠原政登の娘
妻の父 小笠原政登→小笠原政登の系図
子の夫 戸田氏朋→戸田氏朋の系図
戸田氏紹(うじつぐ)【1743-1779】
妻 増山正贇の娘
妻の父 増山正贇→増山正武・正贇の系図
夫 酒井忠敬→酒井忠知~忠倪の系図
妻 川島氏
子 大久保忠行〔養父:大久保忠章〕→大久保忠行の系図
子 伊奈忠寛〔養父:伊奈忠賢〕→伊奈忠寛の系図
子の夫 戸田氏倚→戸田氏倚の系図
戸田氏澄(うじすみ)/氏良(うじよし)【1766-?】
妻 戸田氏教の娘
実は戸田氏永(→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図)の娘。
妻の父 戸田氏教→戸田氏英・氏教の系図
戸田氏英・氏教の系図
戸田氏英(うじひで)【1729-1768】
大垣藩主。家臣の人員整理を行った。
祖父 氏定・父 氏長→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
妻 堀田辰
堀田正亮(→堀田正亮の系図)の娘。
子 氏英の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 船越氏
子 孫蔵・子 氏英の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平輝行→松平信興~輝高の系図
妻 鈴木氏
子の夫 板倉勝政→板倉勝政~勝弼の系図
戸田氏教(うじのり)【1754-1806】
老中・大垣藩主。実は松平武元(→松平武元~武聡の系図)の子。松平定信のもとで寛政の改革を行った。
妻 戸田氏英の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 氏教の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 氏教の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。大久保忠真に嫁ぐ予定であった。
妻 鈴木氏
子 氏庸→戸田氏庸の系図
孫 氏正→戸田氏正~氏共の系図
子 辰→戸田光悌~光則の系図
子 氏教の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 乾氏
子 本多助賢〔養父:本多助受〕→本多助盈~助寵の系図
子 遠藤胤統〔養父:遠藤胤富〕→遠藤胤統の系図
子 順之進
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 柳沢保泰→柳沢保光~保申の系図
子 氏綏〔養父:戸田氏宥〕→戸田氏之~氏良の系図
子の夫 戸田氏澄→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
戸田氏庸の系図
戸田氏庸(うじつね)【1783-1841】(以下、『戸田家譜(美濃大垣)』による。)
大垣藩主。藩校致道館を設立した。
祖父 氏英・父 氏教→戸田氏英・氏教の系図
妻 戸田氏養の娘
妻の父 戸田氏養→戸田氏之~氏良の系図
子 氏正・孫 氏彬→戸田氏正~氏共の系図
子 土井利順〔養父:土井利位〕→土井利厚~利与の系図
子 堀田正義〔養父:堀田正民〕→堀田正義の系図
子 北条氏久〔養父:北条氏喬〕→北条氏貞~氏恭の系図
子 氏永〔養父:戸田氏有、養子:戸田氏寛(→戸田氏正~氏共の系図)〕
子 定之助〔養父:戸田氏寧〕
子 芳之助〔養父:高木経貞〕
子 氏庸の娘
実は本多助賢(→本多助盈~助寵の系図)の娘。大高喬度に嫁いだ。
子 氏庸の娘
実は戸田氏倚(→戸田氏倚の系図)の娘。戸田氏寿に嫁いだ。
子の夫 板倉勝職→板倉勝政~勝弼の系図
子の夫 細川利用→細川利寛~利永の系図
子の夫 土井利忠→土井利貞~利恒の系図
子の夫 青山幸哉→青山幸完~幸宜の系図
子の夫 戸田氏範→戸田氏範の系図
戸田氏正~氏共の系図
戸田氏正(うじただ)【1813-1876】
大垣藩主。小原鉄心に藩政改革を行わせた。
祖父 氏教→戸田氏英・氏教の系図
父 氏庸→戸田氏庸の系図
妻 島津種
島津重豪(→島津重豪の系図)の娘。
妻 吉田氏
子 氏共〔養父:戸田氏彬〕
子 氏良〔養父:戸田氏綏〕→戸田氏之~氏良の系図
子 氏寛〔養父:戸田氏永(→戸田氏庸の系図)〕
子 氏益/欽堂(きんどう)【1850-1890】〔養父:戸田氏元〕
北辰社で民権運動を行った。
子 氏興〔養父:戸田信博〕
子 作子→有馬允純~道純の系図
子 氏正の娘
実は戸田氏有の娘。朽木之綱に嫁いだ。
子 氏正の娘〔養父:戸田氏彬〕
子の夫 丹羽長国→丹羽長国の系図
子の夫 池田章政→池田斉政~章政の系図
子の夫 松平乗秩→松平乗完~乗秩の系図
戸田氏彬(うじあきら)【1831-1865】
大垣藩主。
妻 稲葉正守の娘
稲葉正誼に嫁ぐ予定であった。
妻の父 稲葉正守→稲葉正守の系図
子の夫 野宮定穀→野宮定晴~定平の系図
戸田氏共(うじたか)【1854-1936】
大垣藩主。実は戸田氏正の子。維新後はオーストリア公使、宮内省式部長官などを務めた。
妻 岩倉極子
岩倉具視(→岩倉恒具~具視の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。