このページでは、本庄氏(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
本庄氏(丹後国宮津藩主)の略系図

1 宗正→本庄宗正の系図
2 宗資→本庄宗資・村上常勝~常福の系図
3 資俊→本庄資俊の系図
4 資訓→本庄資訓~資尹の系図
7 資承→本庄資承の系図
8 宗允→本庄宗允~宗武の系図
本庄宗正の系図
本庄宗正(むねまさ)/宗利【1580-1639】
藤原冬嗣(→藤原冬嗣の系図)の末裔という。『本荘家譜(丹後宮津)』によれば元は有道氏という。二条家に仕えていたが、娘が徳川綱吉を生んだことで、館林藩の家老となった。
妻 波々伯部安忠の娘
子 道芳・孫 道高→本庄道芳・道高の系図
妻 鍋田氏
子 宗資・孫 村上常勝→本庄宗資・村上常勝~常福の系図
孫 資俊→本庄資俊の系図
子 宗正の娘
実は八百屋仁左衛門の娘。大宮俊重・山科宗賀に嫁いだ。
子 お玉の方→徳川家光・家綱の系図
子の夫 佐野公当→佐野公当~茂好の系図
本庄宗資・村上常勝~常福の系図
本庄宗資(むねすけ)【1629-1699】
常陸国笠間藩主。
父 宗正→本庄宗正の系図
妻 隠俊実の娘
子 資俊→本庄資俊の系図
孫 資訓→本庄資訓~資尹の系図
子 岩之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 富田知郷〔養父:富田知儀〕→富田知郷の系図
子 牧野康重〔養父:牧野康道〕→牧野康重の系図
子の夫 六角広治→六角広治の系図
子の夫 興津忠閭→興津忠閭の系図
子の夫 大沢基明→大沢基明の系図
妻 本庄道芳の娘
妻の父 本庄道芳→本庄道芳・道高の系図
子の夫 大沢基躬→大沢基躬の系図
村上常勝(つねかつ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
村上常良(つねさだ)【?-1699】
村上常倫(つねとも)【1688-1764】
妻 藤井信安の娘
妻の父 藤井信安→藤井信安の系図
村上常栄(つねよし)【1722-1771】
実は田中喜乗(→田中喜乗の系図)の子。
子 常栄の娘
実は田中喜乗(→田中喜乗の系図)の娘。岡田忠昆に嫁いだ。
村上常福(つねとみ)【1751-?】〔養子:水野喜竜(→水野重上~忠実の系図)〕
実は内方当高(→内方当高の系図)の子。
子の夫 坪内定保→坪内定保の系図
本庄資俊の系図
本庄資俊(すけとし)/宗俊(むねとし)【1660-1723】
笠間藩主・遠江国浜松藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 宗正→本庄宗正の系図
父 宗資→本庄宗資・村上常勝~常福の系図
妻 佐野勝由の娘
妻の父 佐野勝由→佐野公当~茂好の系図
子 宗弥(むねひさ)/宗信(むねのぶ)/宗方(むねかた)【1685-1711】
子の妻 松平定重の娘
子の妻の父 松平定重→松平定重の系図
子の妻の夫 京極高栄→京極高栄~高厚の系図
孫 資順〔養父:本庄資訓〕→本庄資訓~資尹の系図
子 宗長(むねなが)/宗春(むねはる)【1687-1709】
越前国高森藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 宗胡(むねひさ)【1704-1711】
高森藩主。実は本庄資俊の子。嗣子がないまま亡くなった。
子 資俊の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。鳥居忠瞭に嫁ぐ予定であった。
子 幾子→鳥居忠瞭の系図
子 千太郎・三之助・子 資俊の娘(3人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平義孝→松平義行・義孝の系図
妻 川村氏
子 富田長吉〔養父:富田知郷〕→富田長吉の系図
子 宗胡〔養父:本庄宗長〕
子 資俊の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 佐々木氏
子 富田知徳〔養父:富田知郷〕→富田知徳の系図
妻 森氏
子の夫 松平久端→松平正貞・正温の系図
子 資訓・孫 資昌→本庄資訓~資尹の系図
本庄資訓~資尹の系図
本庄資訓(すけのり)/宗惇(むねあつ)/資惇(すけあつ)【1700-1752】
浜松藩主・三河国吉田藩主。実は佐野勝由(→佐野公当~茂好の系図)の子。
祖父 宗資→本庄宗資・村上常勝~常福の系図
父 資俊→本庄資俊の系図
妻 有馬豊
有馬頼元(→有馬忠頼~頼旨の系図)の娘。
妻 浅野綱長の娘
妻の父 浅野綱長→浅野綱長・吉長の系図
妻 松平輝貞の娘
実は柳沢吉保(→柳沢吉保の系図)の娘。
妻の父 松平輝貞→松平信興~輝高の系図
妻 佐藤氏
子 捨五郎・資訓の息子
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 加藤明煕→加藤明煕の系図
子 資順(すけのぶ)【1712-1746】
実は本庄宗弥(→本庄資俊の系図)の子。『寛政重修諸家譜』によれば、娘の母は3人が窪田氏、1人が大村氏。
孫 資順の娘(3人)〔養父:本庄資訓〕
子の夫 富田知真→富田知真の系図
子の夫 松平忠福→松平忠福~忠恕の系図
子の夫 松平正升→松平正升~正質の系図
本庄資昌(すけまさ)【1744-1762】
浜松藩主・丹後国宮津藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
本庄資尹(すけただ)【1746-1765】
宮津藩主。実は酒井忠寄(→酒井忠寄・忠温の系図)の子。
子 資承→本庄資承の系図
孫 宗允→本庄宗允~宗武の系図
本庄資承の系図
本庄資承(すけつぐ)【1749-1800】
宮津藩主。実は松平正温(→松平正貞・正温の系図)の子。『寛政重修諸家譜』によれば、母を江川氏とする娘、曽根氏とする娘、飯島氏とする娘、加藤氏とする娘、安田氏とする娘がいる。
祖父 資昌・父 資尹→本庄資訓~資尹の系図
妻 浅野宗恒の娘
妻の父 浅野宗恒→浅野宗恒の系図
夫 松平定功→松平定長~定功・定章の系図
子 資統・子 資承の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 結城氏
子 宗允・孫 宗発→本庄宗允~宗武の系図
妻 矢沢氏
子の夫 富田知良→富田知良の系図
妻 結城氏
子 宗発〔養父:本庄宗允〕→本庄宗允~宗武の系図
子 安藤直馨〔養父:安藤直則〕→安藤道紀~直裕の系図
妻 江川氏
子 資克(以下、『本荘家譜(丹後宮津)』による。)
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 可績〔養父:中根安太郎〕
子 資承の娘(2人)(『本荘家譜(丹後宮津)』による。)
子の夫 朽木綱方→朽木倫綱~為綱の系図
子の夫 津軽親足→津軽信英~承叙の系図
子の夫 水野忠啓→水野忠啓~忠幹の系図
子の夫 林藤五郎(『本荘家譜(丹後宮津)』による。)
本庄宗允~宗武の系図
本庄宗允(むねただ)【1780-1816】
宮津藩主。
祖父 資尹→本庄資訓~資尹の系図
父 資承→本庄資承の系図
妻 松平輝和の娘
妻の父 松平輝和→松平輝和~輝声の系図
子 勇之助(『本荘家譜(丹後宮津)』による。)
子 宗秀〔養父:本庄宗発〕
子 茂綱〔養父:佐野茂好〕
子の夫 内田正容→内田正親~正学の系図
子の夫 諏訪頼保→諏訪頼保の系図
子の夫 織田長恭→織田長教~長易の系図
本庄宗発(むねあきら)【1781-1840】(以下、『本荘家譜(丹後宮津)』による。)
老中・宮津藩主。実は本庄資承(→本庄資承の系図)の子。
妻 牧野康儔の娘
妻の父 牧野康儔→牧野康儔の系図
子 資懐〔養父:那須資礼〕
孫 銅次郎〔養父:高木正恭〕
子 常要〔養父:村上常雄〕
子 安行〔養父:戸川安民〕
子 絢→松平忠告~忠興の系図
子 宗発の娘
実は安藤信馨(→安藤道紀~直裕の系図)の娘。久野純固に嫁いだ。
子 宗発の娘
実は富田知良の娘。中西元養に嫁いだ。
子の夫 西尾忠固→西尾忠移~忠篤の系図
子の夫 青山幸礼→青山幸完~幸宜の系図
子の夫 安藤信正→安藤信義~信勇の系図
子の夫 松平信宝→松平信亨~信安の系図
孫 宗賢〔養父:本庄宗秀〕
本庄宗秀(むねひで)【1809-1873】
老中・宮津藩主。実は本庄宗允の子。第2次長州征討では、独断で休戦交渉を行い、蟄居となった。
妻 松平輝延の娘
妻の父 松平輝延→松平輝和~輝声の系図
夫 酒井忠義→酒井忠与~忠氏の系図
妻 松平乗全の娘
妻の父 松平乗全→松平乗完~乗秩の系図
妻 大久保忠真の娘
妻の父 大久保忠真→大久保忠真の系図
子 宗賢【1835-1859】
実は本庄宗篤の子。
子 資与〔養父:那須資礼〕
子 牧野忠訓〔養父:牧野忠恭〕→牧野忠訓の系図
子 乗武〔養父:松平乗年〕
子 綱鑑〔養父:朽木為綱(→朽木倫綱~為綱の系図)〕
子 輝→三宅康直の系図
子の夫 富田知顕(『系図纂要』による。)
本庄宗武(むねたけ)【1846-1893】
宮津藩主。
妻 牧野誠成の娘
妻の父 牧野誠成→牧野誠成の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。