このページでは、本庄氏(藤原氏北家)・道芳流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
本庄氏・道芳流(美濃国高富藩主)の略系図

1 道芳→本庄道芳・道高の系図
3 道章→本庄道章~道揚の系図
9 道利→本庄道利~道美の系図
本庄道芳・道高の系図
本庄道芳(みちか)【1604-1668】
母は『寛政重修諸家譜』による。二条家に仕えた後、幕臣となり、館林藩の家老となった。
父 宗正→本庄宗正の系図
妻 徳山直政の娘
妻の父 徳山直政→徳山直政の系図
子 源之丞【1646-1662】
子 熊之助【1661-1666】
子の夫 佐野勝由→佐野公当~茂好の系図
子の夫 本庄宗資→本庄宗資・村上常勝~常福の系図
子の夫 興津能玄→興津能玄の系図
子の夫 六角広賢→六角広賢の系図
本庄道高(みちたか)/道孝(みちたか)【1652-1697】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 六角広賢の娘
妻の父 六角広賢→六角広賢の系図
子 道章・孫 道矩→本庄道章~道揚の系図
子 道高の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 大沢基躬→大沢基躬の系図
子の夫 松平信望→松平信望~信弥の系図
子の夫 石川重治→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
子 佐野彦太郎〔養父:佐野勝由〕→佐野公当~茂好の系図
本庄道章~道揚の系図
本庄道章(みちあきら)【1683-1725】
美濃国高富藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 道芳・父 道高→本庄道芳・道高の系図
祖父 六角広賢→六角広賢の系図
子 久次郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 道章の娘(2人)〔養父:本庄道矩〕
子の夫 酒井忠儔→酒井忠垠~忠迢の系図
本庄道矩(みちのり)【1709-1745】
高富藩主。
妻 大田原扶清の娘
妻の父 大田原扶清→大田原扶清・友清の系図
子の夫 前田房長→前田房長の系図
妻 松田氏
子 道矩の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 道矩の娘〔養父:本庄道倫〕
妻 金沢氏
子 道矩の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 酒井忠侯→酒井忠能~忠善の系図
本庄道倫(みちとも)/望直(もちなお)【1720-1756】
高富藩主。実は松平信晴(→松平信望~信弥の系図)の子。
妻 本庄道矩の娘
実は本庄道章の娘。
子 道倫の娘
実は本庄道矩の娘。本庄道堅に嫁ぐ予定であった。
本庄道堅(みちかた)【1733-1760】
高富藩主。実は牧野康周(→牧野康周の系図)の子。
妻 堀田正実の娘
妻の父 堀田正実→堀田正実の系図
子 道堅の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。本庄道信に嫁ぐ予定であった。
本庄道信(みちのぶ)【1748-1766】
高富藩主。実は松平正温(→松平正貞・正温の系図)の子。
本庄道揚(みちあき)【1753-1771】
高富藩主。実は松平信復(→松平信復・信礼の系図)の子。
子 道利・孫 道昌→本庄道利~道美の系図
本庄道利~道美の系図
本庄道利(みちとし)/信達(のぶたつ)【1754-1805】
高富藩主。実は松平信直(→松平信望~信弥の系図)の子。
祖父 道信・父 道揚→本庄道章~道揚の系図
妻 毛利高丘の娘
妻の父 毛利高丘→毛利高丘~高謙の系図
本庄道昌(みちまさ)【1771-1823】
高富藩主。
妻 永井直温の娘
『寛政重修諸家譜』によれば、道昌との間に他に2人の娘がいる。
妻の父 永井直温→永井直温~直哉の系図
子 銓太郎【1797-1803】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 朝倉氏
子 松平輝充〔養父:松平輝徳〕→松平輝和~輝声の系図
子 雅次郎【1799-1806】
子 鋼之助【1807】
子 道直【1818-1837】
子の夫 今川義用→今川氏睦~範叙の系図
子の夫 土岐頼庸→斎藤頼元~土岐頼永の系図
子の夫 戸田氏敏→戸田氏敏の系図
本庄道貫(みちつら)【1797-1858】
高富藩主。実は松平信明(→松平信明~信古の系図)の子。
妻 堀千勢
堀直皓(→堀直皓~直明の系図)の娘。
子 道寛【1823-1836】
子 金之助【1831-1832】(『本荘家譜(美濃高冨)』による。)
子 豊之助【1831-1833】(『本荘家譜(美濃高冨)』による。)
子 陽吉【1834-1835】(『本荘家譜(美濃高冨)』による。)
子 新吉【1834-1836】(『本荘家譜(美濃高冨)』による。)
子 菊若【1836-1838】
子 輝→三宅康直の系図
子 道貫の娘(『本荘家譜(美濃高冨)』による。)
子の夫 牧野忠直→牧野忠直の系図
本庄道美(みちよし)【1820-1876】
高富藩主。
妻 藤堂高秭の娘
妻の父 藤堂高秭→藤堂高朶~高邦の系図
夫 津軽承保→津軽信英~承叙の系図
妻 九鬼隆都の娘
妻の父 九鬼隆都→九鬼隆貞~隆備の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。