このページでは、米津氏(清和源氏・頼光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
米津氏(出羽国長瀞藩主)の略系図
1 時済→米津時済~正種の系図
9 勝政→米津勝政~田盛の系図
10-A 康勝→米津康勝~政佑の系図
12-A 田賢→米津田賢~田張・田和~田昌の系図
13 政武→米津政武~政容の系図
16 政崇→米津政崇~政敏の系図
米津時済~正種の系図
米津時済(以下、『華族系譜』による。)
祖父 定乗・父 信助→源国房・光国の系図
米津正種
子 勝政・孫 政信→米津勝政~田盛の系図
米津勝政~田盛の系図
米津勝政(かつまさ)【1487-1569】(以下、『系図纂要』による。)
『系図纂要』によれば藤原氏北家道隆流で、父は米津信勝。
祖父 義道・父 正種→米津時済~正種の系図
子 常春(つねはる)【?-1612】
孫 清右衛門(『華族系譜』による。)
米津政信(まさのぶ)【1531-1572】
子 康勝・孫 正守→米津康勝~政佑の系図
子の夫 石川永正→石川永正の系図
孫 石川重正〔養父:石川永正〕→石川重正の系図
米津田政(たまさ)【1563-1624】
子 政吉
実は堀谷政盛の子。
子の夫 中野重弘→中野重弘の系図
子の夫 横田政松→横田政松の系図
子の夫 井出正成→井出正成の系図
米津田盛(たもり)【1616-1684】
大坂定番となって加増され、1万5000石を領した。
妻 永井尚政の娘
妻の父 永井尚政→永井尚政の系図
子 政武・孫 政矩→米津政武~政容の系図
子 田賢・孫 田岡・田和→米津田賢~田張・田和~田昌の系図
米津田賢~田張・田和~田昌の系図
米津田賢(みちかた)【1646-1729】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 田政・父 田盛→米津勝政~田盛の系図
妻 永井尚春の娘
妻の父 永井尚春→永井尚春~尚広の系図
子 内藤清行〔養父:内藤清枚〕→内藤清枚~頼直の系図
子の夫 稲葉正佐→稲葉正往~正恒の系図
子の夫 竹中元敏→竹中元敏の系図
子の夫 永井尚尹→永井尚庸・尚附~尚賢の系図
子の夫 藤懸永言→藤懸永言の系図
米津田岡(みちおか)/田安(みちやす)【1693-1778】
妻 富田知郷の娘
実は六条有藤(→六条有継~有藤の系図)の娘。
妻の父 富田知郷→富田知郷の系図
夫 斎藤三安→斎藤三安の系図
妻 清水谷雅季の娘
妻の父 清水谷雅季→清水谷実業~公美の系図
子 田嘉(みちよし)【1729-1751】
実は米津田和の子。
孫 田嘉の娘〔養父:米津田恒〕
米津田恒(みちつね)【1731-1783】
実は阿部正福(→阿部正福・正右の系図)の子。
妻 米津田岡の娘
実は米津田和の娘。
子 安藤信任〔養父:安藤信姿〕→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
子の夫 池田清弥→池田長賢~長休の系図
子の夫 堀田通朝→堀田通朝の系図
米津田将(みちかつ)【1752-?】
妻 山田利寿の娘
妻の父 山田利寿→山田利寿の系図
米津田張【1784-?】
米津田和(みちかず)【1695-1734】
子 田嘉・子 田和の娘〔養父:米津田岡〕
子 田員〔養父:米津田年〕
子 井出秋田〔養父:井出正辰〕→井出秋田の系図
米津田年(みちとし)【1718-1734】
米津田員(みちかず)【1720-1796】
実は米津田和の子。
妻 牧野成晴の娘
妻の父 牧野成晴→牧野成晴の系図
子 内藤政守〔養父:内藤政朗〕→内藤直政~政守・章政~政勝の系図
米津田昌(みちまさ)【1756-?】
米津康勝~政佑の系図
米津康勝(やすかつ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 勝政・父 政信→米津勝政~田盛の系図
子の夫 浅井政道→浅井政道の系図
米津正守(まさもり)【1580-1655】
米津正義(まさよし)【1624-1657】
米津正勝(まさかつ)【1654-1682】
米津政次(まさつぐ)【1659-1712】
実は石川政之(→石川政之の系図)の子。
妻 天野康利の娘
妻の父 天野康利→天野康利の系図
米津盛政(もりまさ)【1696-1765】
実は大田正実(→大田正実の系図)の子。
妻 水野忠欽の娘
妻の父 水野忠欽→水野忠清~忠福の系図
子 大田正定〔養父:大田正純〕→大田正定の系図
子の夫 太田盛義→太田盛義の系図
子の夫 真野正敏→真野正敏の系図
米津盛興(もりおき)【1719-1765】
子 青木政豊〔養父:青木政満〕→青木政豊の系図
米津政従(まさより)/盛福(もりよし)【1744-?】
妻 太田盛義の娘
妻の父 太田盛義→太田盛義の系図
妻 天野忠邦の娘
妻の父 天野忠邦→天野忠邦の系図
夫 飯田直中→飯田直中の系図
子 政従の娘〔養父:青木政豊〕→青木政豊の系図
子の夫 平岡資晴→平岡資晴の系図
米津政佑(まさすけ)/貫時(つらとき)【1773-?】
実は青木一貫(→青木一貫~重義の系図)の子。
米津政武~政容の系図
米津政武(まさたけ)/政盛(まさもり)【1638-1708】
武蔵国久喜藩主。
祖父 田政・父 田盛→米津勝政~田盛の系図
妻 植村忠朝の娘
妻の父 植村忠朝→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
子 政容〔養父:米津政矩〕
子 伊沢政周〔養父:伊沢正久〕→伊沢政周の系図
子 政武の娘(『華族系譜』による。)
子の夫 大久保教寛→大久保教寛の系図
子の夫 青木直宥→青木可直~直諒の系図
米津政矩(まさのり)/盛氏(もりうじ)【1675-1703】
久喜藩主。
妻 五島吉子
五島盛暢(→五島盛利~盛暢の系図)の娘。
米津政容(まさよし)【1682-1739】
久喜藩主。実は米津政武の子。
妻 松平信定の娘
妻の父 松平信定→松平信定の系図
子 頼母【?-1705】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 九十郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 本多忠英の娘
妻の父 本多忠英→本多政信~忠尭の系図
夫 花房職勝→花房職勝の系図
子 政崇・孫 通政→米津政崇~政敏の系図
子 政容の娘
武田信村に嫁ぐ予定であった。
子 政容の娘(『華族系譜』による。)
子の夫 酒井忠陸→酒井忠助~忠懿の系図
子の夫 近藤英用→近藤徳用~寿用の系図
子の夫 竹中元儔→竹中元儔の系図
子の夫 渋谷良紀→渋谷良紀の系図
子の夫 青木直暘→青木可直~直諒の系図
米津政崇~政敏の系図
米津政崇(まさたか)/政丘(まさおか)/政基(まさもと)【1724-1784】
久喜藩主。
祖父 政矩・父 政容→米津政武~政容の系図
妻 建部政民の娘
妻の父 建部政民→建部政周~政世の系図
夫 秋田季通→秋田季通の系図
子 金森政樹〔養父:金森可端〕→金森政樹の系図
子 政崇の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 関盛有→関盛有の系図
子の夫 柴田勝房→柴田勝房の系図
米津通政(みちまさ)【1750-1819】
久喜藩主・出羽国長瀞藩主。
妻 本多忠可の娘
実は近藤英用(→近藤徳用~寿用の系図)の娘。
妻の父 本多忠可→本多忠可~忠明の系図
夫 永井直観→永井直澄~直観の系図
子 千之助(『華族系譜』による。)
子の夫 角倉玄匡→角倉玄匡の系図
米津政懿(まさよし)【1788-1853】(以下、『華族系譜』による。)
長瀞藩主。
妻 中山信敬の娘
妻の父 中山信敬→中山信敬~信徴の系図
妻 森忠賛の娘
妻の父 森忠賛→森忠賛の系図
妻 菅沼定邦の養方の叔母
子 勘兵衛【?-1824】
子 政饒【1817-1843】
実は松平忠翼(→松平忠和~忠敬の系図)の子。
子の妻 堀親寚の娘
子の妻の父 堀親寚→堀親寚の系図
米津政易(まさやす)【1829-1873】
長瀞藩主。実は酒井忠器(→酒井忠器の系図)の子。
米津政明(まさあき)【1830-1899】
長瀞藩主。実は酒井忠器(→酒井忠器の系図)の子。
子 酒井忠利〔養父:酒井忠発〕→酒井忠発~忠宝の系図
米津政敏(まさとし)【1851-1895】
長瀞藩主・上総国大網藩主・常陸国竜ケ崎藩主。
妻 堀田千勢
堀田正睦(→堀田正睦の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。