このページでは、藤堂氏(藤原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤堂氏(伊勢国津藩主)の略系図
1 景盛→藤堂景盛~高虎の系図
7-A1 嘉房→藤堂嘉房~嘉以の系図
7-A2 嘉正→藤堂嘉正~良英の系図
7-A3 嘉長→藤堂嘉長~良真の系図
7-A4 嘉次→藤堂嘉次~良度の系図
10 高次→藤堂高次~高敏の系図
14 高治→藤堂高治・高朗の系図
16 高悠→藤堂高悠・高嶷の系図
18 高兌→藤堂高兌~高潔の系図
藤堂景盛~高虎の系図
藤堂景盛
足利将軍家に仕え、藤堂を称したという。
藤堂忠高
子・子の夫 嘉房・孫 嘉清→藤堂嘉房~嘉以の系図
藤堂虎高(とらたか)【1516-1599】
妻 藤堂忠高の娘〔養父:浅井勝政(→浅井勝政の系図)〕
妻 鯰江為定の娘
妻の父 鯰江為定→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
妻 宮崎氏
子 高清・正高(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 藤堂良連→藤堂嘉房~嘉以の系図
子の夫 山岡直則・渡辺守(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 鈴木弥右衛門(『寛政重修諸家譜』による。)
藤堂高虎(たかとら)【1556-1630】
伊予国今治藩主・伊勢国津藩主。豊臣秀吉の没後に徳川家康に接近し、関ケ原の戦いでは東軍で戦功をあげた。
妻 長連久の娘
子 高次・孫 高久→藤堂高次~高敏の系図
孫 高通→藤堂高通~高陳の系図
子 高重
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 高虎の娘
母は『藤堂家譜(伊勢津)』による。藤堂忠季に嫁いだ。
子の夫 蒲生忠郷→蒲生忠郷の系図
子の夫 尭朝→尭朝の系図
妻 一色義直の娘(『藤堂家譜(伊勢津)』による。)
子 高吉(たかよし)【1579-1670】〔養父:豊臣秀長(→豊臣秀長の系図)〕
実は丹羽長秀(→丹羽長秀の系図)の子。
孫 長治【1612-1682】
子 高虎の娘
実は松永伊勢守の娘。藤堂高刑に嫁いだ。
子 高虎の娘(『藤堂家譜(伊勢津)』による。)
実は長連久の娘。横浜一庵に嫁いだ。
子の夫 小堀政一(『寛政重修諸家譜』による。)→小堀政一の系図
子の夫 生駒正俊→生駒正俊の系図
子の夫 岡部宣勝→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
子の夫 半井利親(『藤堂家譜(伊勢津)』による。)→半井利親の系図
藤堂嘉房~嘉以の系図
藤堂嘉房(よしふさ)/良家(よしいえ)/良直(よしなお)【1543-1603】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は多賀忠高の子。
祖父 高信・父 忠高→藤堂景盛~高虎の系図
妻 藤堂忠高の娘
妻の父 藤堂忠高→藤堂景盛~高虎の系図
藤堂嘉清(よしきよ)/良政(よしまさ)【1559-1600】
子 良連
子の妻 藤堂虎高の娘
子の妻の父 藤堂虎高→藤堂景盛~高虎の系図
子の夫 小堀政一→小堀政一の系図
藤堂嘉以(よしもち)/良以(よしもち)【1589-1628】
妻 郡良列の娘
子 嘉正・孫 高嘉→藤堂嘉正~良英の系図
子 嘉長・孫 良直→藤堂嘉長~良真の系図
妻 松倉重政の娘
妻の父 松倉重政→松倉重政の系図
子 嘉次・孫 良起→藤堂嘉次~良度の系図
子 高嘉〔養父:藤堂嘉正〕→藤堂嘉正~良英の系図
子 重経〔養父:松倉重利(→松倉重利の系図)〕
子の夫 小堀正春→小堀正春の系図
子の夫 神尾守重→神尾守重の系図
藤堂嘉正~良英の系図
藤堂嘉正(よしまさ)/良正(よしまさ)【1607-1640】
祖父 嘉清・父 嘉以→藤堂嘉房~嘉以の系図
妻 川勝広綱の娘
実は西洞院時直(→西洞院時直~時光の系図)の娘。
妻の父 川勝広綱→川勝広綱の系図
藤堂高嘉(たかよし)/良宗(よしむね)【1620-1674】
実は藤堂嘉以(→藤堂嘉房~嘉以の系図)の子。
妻 秋田季信の娘
妻の父 秋田季信→秋田季信の系図
子の夫 長谷川藤該→長谷川藤該の系図
藤堂良明(よしあきら)【1649-1720】
妻 服部貞治の娘
妻の父 服部貞治→服部貞治の系図
子の夫 服部貞殷→服部貞殷の系図
子の夫 大屋明薫→大屋明薫の系図
藤堂良秀(よしひで)【1681-1726】
妻 布施重俊の娘
妻の父 布施重俊→布施重俊の系図
妻 松野助政の娘
妻の父 松野助政→松野助政の系図
子の夫 川勝広勝→川勝広勝の系図
藤堂良徳(よしのり)【1709-1796】
実は藤堂良久(→藤堂嘉次~良度の系図)の子。
妻 吉良義俊の娘
妻の父 吉良義俊→吉良義俊の系図
子 川勝広次〔養父:川勝広勝〕→川勝広次の系図
子 松浦信定〔養父:松浦信邦〕→松浦信吉~剛の系図
子の夫 松浦信邦→松浦信吉~剛の系図
子の夫 松下昭徳→松下昭徳の系図
子の夫 山本雅倫→山本雅倫の系図
子の夫 万年頼族→万年頼族の系図
藤堂良安(よしやす)【1740-1784】
妻 菅谷政輔の娘
妻の父 菅谷政輔→菅谷政輔の系図
夫 山本茂孫→山本茂孫の系図
子 天野昌著〔養父:天野長倚〕→天野昌著の系図
藤堂良英(よしてる)/良直(よしなお)【1765-?】
妻 岡部忠茂の娘
妻の父 岡部忠茂→岡部忠茂の系図
藤堂嘉長~良真の系図
藤堂嘉長(よしなが)/良利(よしとし)【1613-1662】
祖父 嘉清・父 嘉以→藤堂嘉房~嘉以の系図
妻 日根野高継の娘
妻の父 日根野高継→日根野高継の系図
子 良勝〔養父:藤堂良直〕
子の夫 伊丹雅平→伊丹雅平の系図
藤堂良直(よしなお)/堅吉(かたよし)【1632-1706】
実は小出重堅(→小出重堅の系図)の子。
子 良勝(よしかつ)【?-1678】
実は藤堂嘉長の子。
子の夫 桑山直晴→桑山直晴の系図
子の夫 伊丹勝友→伊丹勝友の系図
藤堂良季(よしすえ)【?-1713】
妻 小出重政の娘
妻の父 小出重政→小出重政の系図
子 良安(よしやす)【1683-?】
子 良季の娘〔養父:藤堂良直〕
子の夫 小出勝縄→小出勝縄の系図
藤堂良端(よしまさ)【1686-1753】
妻 朽木稙昌の娘
妻の父 朽木稙昌→朽木稙昌~稙綱の系図
妻 本多忠恒の娘
妻の父 本多忠恒→本多忠恒・忠統の系図
子の夫 池田政美→池田政済~政行の系図
子の夫 高力長昌→高力長昌の系図
子の夫 酒井忠敬→酒井忠知~忠倪の系図
藤堂良由(よしゆき)【1723-1768】
妻 本多忠統の娘
妻の父 本多忠統→本多忠恒・忠統の系図
子の夫 長谷川勝富→長谷川勝富の系図
藤堂良峰(よしみね)【1751-?】
妻 京極高慶の娘
妻の父 京極高慶→京極高通~高典の系図
夫 伊達村賢→伊達村賢の系図
藤堂良真(よしざね)
妻 横田準松の娘
実は能勢頼直(→能勢頼直の系図)の娘。
妻の父 横田準松→横田準松の系図
藤堂嘉次~良度の系図
藤堂嘉次(よしつぐ)/良忠(よしただ)【1619-1690】
祖父 嘉清・父 嘉以→藤堂嘉房~嘉以の系図
祖父 松倉重政→松倉重政の系図
妻 日向政成の娘
妻の父 日向政成→日向政成の系図
子 良久〔養子:藤堂良該〕
孫 良徳〔養父:藤堂良秀〕→藤堂嘉正~良英の系図
子 良該〔養父:藤堂良久〕
藤堂良起(よしおき)【1643-1712】
妻 小島重俊の娘
妻の父 小島重俊→小島重俊の系図
子 半井成庸〔養父:半井成明〕→半井成庸の系図
子の夫 鈴木重猶→鈴木重猶の系図
藤堂良帷(よしつら)/良永(よしなが)【1690-1761】
子 建部行昌〔養父:建部昌幸〕→建部行昌の系図
藤堂良永(よしなが)【1614-1783】
妻 山本正房の娘
妻の父 山本正房→山本正房の系図
妻 日下部定守の娘
妻の父 日下部定守→日下部定守の系図
夫 伊丹勝盈→伊丹勝盈の系図
子 佐々意次〔養父:佐々成員〕→佐々意次の系図
子 上田良光〔養父:上田元党〕→上田良光の系図
藤堂良貞(よしさだ)【1740-1784】
妻 片岡信允の娘
妻の父 片岡信允→片岡信允の系図
子の夫 石野唯直→石野唯直の系図
子の夫 水野守之→水野守重・春守・守次~守之の系図
藤堂良修(よしなが)/長屋(ながいえ)【1758-?】
妻 関根良尚の娘
実は関根良恭(→関根良恭の系図)の娘。
妻の父 関根良尚→関根良尚の系図
藤堂良度(よしのり)
実は守屋原福(→守屋原福の系図)の子。
藤堂高次~高敏の系図
藤堂高次(たかつぐ)【1601-1676】
津藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。城下町を整備し、藤堂焼を焼かせた。
祖父 虎高・父 高虎→藤堂景盛~高虎の系図
妻 酒井忠世の娘
妻の父 酒井忠世→酒井忠世~忠清の系図
子の夫 京極高和→京極高次~高和の系図
子の夫 安藤重之→安藤重之~信周の系図
妻 多羅尾氏
子 高通・孫 高堅→藤堂高通~高陳の系図
妻 黒川氏
子 高堅〔養父:藤堂高通〕→藤堂高通~高陳の系図
妻 平井氏
子 高睦〔養父:藤堂高久〕
子 大沢基恒〔養父:大沢基将〕→大沢基恒の系図
子 市右衛門・六助・子 高次の娘(2人)(『藤堂家譜(伊勢津)』による。)
子の夫 尭円→尭円の系図
子の夫 井伊直武→井伊直勝~直員の系図
子の夫 石川昌能→石川忠総~義孝の系図
藤堂高久(たかひさ)【1638-1703】
津藩主。母は『藤堂家譜(伊勢津)』による。
妻 酒井忠清の娘
妻の父 酒井忠清→酒井忠世~忠清の系図
子 高久の娘
実は酒井忠清(→酒井忠世~忠清の系図)の娘。
子 高久の娘
実は藤堂高堅(→藤堂高通~高陳の系図)の娘。
藤堂高睦(たかちか)/高政/高近【1667-1708】
津藩主。実は藤堂高次の子。
妻 小笠原義
小笠原忠雄(→小笠原忠雄~忠総の系図)の娘。
子 大助
母は『寛政重修諸家譜』による。7歳で亡くなった。
子 高睦の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。6歳で亡くなった。
子 長太郎・子 高睦の娘(『藤堂家譜(伊勢津)』による。)
藤堂高敏(たかとし)【1693-1728】
津藩主。実は藤堂高通(→藤堂高通~高陳の系図)の子。
妻 中川幸
中川久通(→中川久清~久慶の系図)の娘。
子 高治・孫 高朗→藤堂高治・高朗の系図
藤堂高治・高朗の系図
藤堂高治(たかはる)【1710-1735】〔養父:藤堂高陳(→藤堂高通~高陳の系図)〕
伊勢国久居藩主・津藩主。実は藤堂高明の子。
祖父 高睦・父 高敏→藤堂高次~高敏の系図
妻 宗義誠の娘
妻の父 宗義誠→宗義誠~義蕃の系図
妻 長谷川氏
子 高雅〔養父:藤堂高朗〕→藤堂高雅の系図
妻 田野氏
子 高般〔養父:藤堂高朗〕
子 高東/高束(『藤堂家譜(伊勢津)』による。)
子 岸→松平長孝・康哉の系図
子 高治の娘〔養父:藤堂高朗〕
子 真三郎・子 高治の娘(『藤堂家譜(伊勢津)』による。)
藤堂高朗(たかほら)/高豊(たかとよ)【1717-1785】
久居藩主・津藩主。実は藤堂高武の子。
妻 安藤信友の娘
実は安藤信周(→安藤重之~信周の系図)の娘。
妻の父 安藤信友→安藤重之~信周の系図
子 高悠・孫 高嶷→藤堂高悠・高嶷の系図
子 高朗の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。酒井忠得に嫁ぐ予定であった。
妻 中村氏
子 高嶷〔養父:藤堂高悠、藤堂高雅〕→藤堂高悠・高嶷の系図
妻 前野氏
子 高朶→藤堂高朶~高邦の系図
妻 小森氏
子 高興〔養父:藤堂高朶〕→藤堂高朶~高邦の系図
子 高般(たかかず)【1731-1754】
実は藤堂高治の子。
子 高雅→藤堂高雅の系図
子 高朗の娘
藤堂長旧に嫁ぐ予定であった。
子 高朗の娘
石川総尭に嫁ぐ予定であった。
子 高覩・高朗の息子・子 高朗の娘(『藤堂家譜(伊勢津)』による。)
子の夫 円超→円超の系図
子の夫 酒井忠大→酒井忠国~忠美の系図
子の夫 清水谷公美→清水谷実業~公美の系図
子の夫 加藤泰候→加藤泰候の系図
藤堂高悠・高嶷の系図
藤堂高悠(たかなか)/高丘【1751-1770】
津藩主。
祖父 高治・父 高朗→藤堂高治・高朗の系図
祖父 安藤信友→安藤重之~信周の系図
藤堂高嶷(たかさと)/高敦(たかあつ)【1746-1806】〔養父:藤堂高雅(→藤堂高雅の系図)〕(以下、『藤堂家譜(伊勢津)』による。)
久居藩主・津藩主。実は藤堂高朗(→藤堂高治・高朗の系図)の子。『寛政重修諸家譜』によれば、母を今津氏とする娘が1人いる。
妻 中川岩
中川久貞(→中川久貞~久成の系図)の娘。
妻 祖合氏
子 高崧(たかすけ)【1765-?】
子の妻 溝口直養の娘
子の妻の父 溝口直養→溝口直養の系図
孫の夫 稲葉正守→稲葉正守の系図
子の妻 夏箕氏
孫 高巽〔養父:藤堂高嶷〕
孫の夫 藤堂高猷→藤堂高兌~高潔の系図
妻 今津氏
子 高兌・孫 高猷→藤堂高兌~高潔の系図
子 高邁〔養父:藤堂高兌〕→藤堂高朶~高邦の系図
子 高驤
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 服部氏
子 高秭〔養父:藤堂高邁〕→藤堂高朶~高邦の系図
子 木下利徳〔養父:木下利徽〕→木下利徳の系図
子 高巽【1799-1806】
子 高朶・孫 高興→藤堂高朶~高邦の系図
子 穀→松平康乂~慶倫の系図
子 高嶷の娘〔養父:藤堂高兌〕
藤堂広旧に嫁いだ。
子の夫 随応→随応の系図
子の夫 山内豊策→山内豊策の系図
子の夫 円祥→円祥の系図
子の夫 一柳末周→一柳末周の系図
子の夫 遠藤胤統→遠藤胤統の系図
子の夫 大沢基栄→大沢基栄の系図
孫 高允の娘〔養父:藤堂高崧〕
藤堂高兌~高潔の系図
藤堂高兌(たかさわ)【1781-1824】〔養父:藤堂高矗(→藤堂高朶~高邦の系図)〕
久居藩主・津藩主。藩校有造館を創設した。
祖父 高朗・父 高嶷→藤堂高悠・高嶷の系図
妻 永井直進の娘
妻の父 永井直進→永井直進~直諒の系図
子 中川久昭〔養父:中川久教〕→中川久貞~久成の系図
子 高美〔養父:藤堂長徳〕
子 高邁・孫 高秭→藤堂高朶~高邦の系図
子 高兌の娘
実は藤堂高嶷の娘。藤堂広旧に嫁いだ。
藤堂高猷(たかゆき)【1813-1895】
津藩主。
妻 藤堂高崧の娘
実は藤堂高允(→藤堂高悠・高嶷の系図)の娘。
妻の父 藤堂高崧→藤堂高悠・高嶷の系図
子 黒田長知〔養父:黒田長溥〕→黒田治之~長知の系図
子 脇坂安斐〔養父:脇坂安宅〕→脇坂安斐の系図
子 松平定昭〔養父:松平勝成〕→松平定静~定昭の系図
子の夫 常磐井尭煕→近衛経煕~忠房の系図
藤堂高潔(たかきよ)【1837-1889】
津藩主。
妻 蜂須賀量
実は蜂須賀昭順(→蜂須賀治昭~茂韶の系図)の娘。
妻の父 蜂須賀斉昌→蜂須賀治昭~茂韶の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。