藤堂氏(藤原氏)・高通流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、藤堂氏(藤原氏)・高通流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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藤堂氏・高通流(伊勢国久居藩主)の略系図

藤堂氏・高通流の略系図

1 高通藤堂高通~高陳の系図
4 高治藤堂高治・高朗の系図
6 高雅藤堂高雅の系図
7 高敦藤堂高悠・高嶷の系図
8 高朶藤堂高朶~高邦の系図

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藤堂高通~高陳の系図

藤堂高通~高陳の系図

  藤堂高通(たかみち)【1644-1697】
 伊勢国久居藩主。母は『藤堂家譜(伊勢久居)』による。和歌をよくした。

祖父 高虎藤堂景盛~高虎の系図
 高次藤堂高次~高敏の系図

 黒田長興の娘
妻の父 黒田長興黒田長興~長貞の系図

 福本氏
 高敏〔養父:藤堂高睦〕→藤堂高次~高敏の系図

 鶴松【?-1690】
 高通の娘
 実は佐竹義処(→佐竹義処の系図)の娘。


  藤堂高堅(たかかた)【1650-1715】
 久居藩主。実は藤堂高次(→藤堂高次~高敏の系図)の子。
 高堅の娘〔養父:藤堂高久〕→藤堂高次~高敏の系図


  藤堂高陳(たかのぶ)【1701-1732】
 久居藩主。母は『藤堂家譜(伊勢久居)』による。
 高治 高豊藤堂高治・高朗の系図

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藤堂高治・高豊の系図

  藤堂高治藤堂高治・高朗の系図
 久居藩主。後に宗家の津藩主を継いだ。


  藤堂高豊/高朗→藤堂高治・高朗の系図
 久居藩主。後に宗家の津藩主を継いだ。

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藤堂高雅の系図

藤堂高雅の系図

  藤堂高雅(たかまさ)【1721-1762】
 久居藩主。実は藤堂高治(→藤堂高治・高朗の系図)、藤堂高武の子。

祖父 高治 高豊藤堂高治・高朗の系図

 前田幸
 前田利隆(→前田利次~利隆の系図)の娘。
 柳沢信鴻の娘
 実は柳沢信睦(→柳沢吉里の系図)の娘。
妻の父 柳沢信鴻柳沢信鴻の系図

 高敦藤堂高悠・高嶷の系図
 高朶藤堂高朶~高邦の系図

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藤堂高敦の系図

  藤堂高敦/高嶷→藤堂高悠・高嶷の系図
 久居藩主。後に宗家の津藩主を継いだ。

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藤堂高朶~高邦の系図

藤堂高朶~高邦の系図

  藤堂高朶(たかえだ)【1746-1801】
 久居藩主。実は藤堂高豊(高朗)(→藤堂高治・高朗の系図)の子。

祖父 高雅藤堂高雅の系図
 高敦藤堂高悠・高嶷の系図


  藤堂高興(たかおき)【1756-1777】
 久居藩主。実は藤堂高豊(高朗)(→藤堂高治・高朗の系図)の子。


  藤堂高衡(たかひら)【1764-1781】
 久居藩主。実は藤堂高周の子。


  藤堂高矗(たかなお)【1771-1790】
 久居藩主。実は藤堂高璞、藤堂高周の子。


  藤堂高兌藤堂高兌~高潔の系図
 久居藩主。後に宗家の津藩主を継いだ。


  藤堂高邁(たかとう)【1786-1828】(以下、『藤堂家譜(伊勢久居)』による。)
 久居藩主。実は藤堂高嶷(→藤堂高悠・高嶷の系図)の子。
 高聴〔養父:藤堂高秭〕
 貞敏〔養父:西川貞義〕
 則春〔養父:内多則貞〕
 高邁の娘
 進明誠に嫁ぐ予定であった。
 高邁の娘
 進明誠に嫁ぐ予定であった。後に西村盛明に嫁いだ。


  藤堂高秭(たかかず)【1791-1851】
 久居藩主。実は藤堂高嶷(→藤堂高悠・高嶷の系図)の子。
 内藤政韶の娘
妻の父 内藤政韶内藤政樹~政挙の系図

 秀正〔養父:石田秀実〕
 土井利則〔養父:土井利亨〕→土井利厚~利与の系図
 高秭の娘〔養父:横浜正与〕
 高秭の娘〔養父:今井重威〕
 高秭の娘
 藪田左吏に嫁ぐ予定であった。後に遠山卯右衛門に嫁いだ。
 高秭の娘
 藤堂直成に嫁ぐ予定であった。後に岡本弥一郎に嫁いだ。
子の夫 津軽承保津軽信英~承叙の系図
子の夫 本庄道美→本庄道美の系図


  藤堂高聴(たかより)【1810-1863】
 久居藩主。実は藤堂高邁の子。
 山内豊策の娘
妻の父 山内豊策→山内豊策の系図
子の夫 佐竹義尭→佐竹義尭の系図

 田中氏
 高行【1835-1859】

 長序〔養父:向日長久〕


  藤堂高邦(たかくに)/長邦【1846-1902】
 久居藩主。実は藤堂長徳の子。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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