このページでは、増山氏(丹治氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
増山氏(伊勢国長島藩主)の略系図
1 利長→青木利長~増山正任・正元~正富の系図
5 正武→増山正武・正贇の系図
7 正賢→増山正賢~正同の系図
青木利長~増山正任・正元~正富の系図
青木利長(としなが)
子 那須資弥〔養父:那須資景〕→那須資弥の系図
子 平野長政〔養父:平野長勝〕→平野長政の系図
子 お楽の方→徳川家光・家綱の系図
子の夫 品川高如→品川高久~氏恒の系図
子の夫 毛利元知→毛利元知~師就の系図
増山正利(まさとし)/利澄(としすみ)【1623-1662】
三河国西尾藩主。外家の増山氏を称し、姓を藤原氏に改めた。
妻 松平乗寿の娘
妻の父 松平乗寿→松平家乗・乗寿の系図
子 正利の息子・子 正利の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 津軽信政→津軽信政~信著の系図
増山正弥(まさみつ)/利順(としより)/宗尭(むねたか)/政祇(まさやす)/正祇(まさやす)【1653-1704】
西尾藩主・常陸国下館藩主・伊勢国長島藩主。実は那須資弥(→那須資弥の系図)の子。
妻 永井尚征の娘
妻の父 永井尚征→永井尚征の系図
子 小出英庸〔養父:小出英陳〕→小出英庸の系図
子の夫 松平乗興→松平乗興~乗譲の系図
子の夫 遠藤胤親→遠藤胤親の系図
子の夫 平野長暁→平野長暁の系図
増山正任(まさとう)/正忠(まさただ)【1679-1744】
長島藩主。39年間藩主を務めた。
妻 小笠原源
小笠原長章(→小笠原長章~長世の系図)の娘。
子 正武・孫 正贇→増山正武・正贇の系図
子の夫 本多忠方→本多政信~忠尭の系図
増山正元(まさもと)【1681-1729】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
増山正邑(まささと)【1719-1755】
実は永井直円(→永井直円~直国の系図)の子。
子 政養〔養父:増山帯刀〕
増山正柱(まさはし)【1741-?】
妻 大関増恒の娘
妻の父 大関増恒→大関増恒~増備の系図
子の夫 熊谷直英→熊谷直英の系図
増山正備(まさなり)【1763-1796】
妻 増山正贇の娘
妻の父 増山正贇→増山正武・正贇の系図
増山正富(まさあつ)【1782-?】
増山正武・正贇の系図
増山正武(まさたけ)【1705-1747】
長島藩主。
祖父 正弥・父 正任→青木利長~増山正任・正元~正富の系図
祖父 小笠原長章→小笠原長章~長世の系図
子 正武の娘
実は本多忠辰(→本多政信~忠尭の系図)の娘。増山正贇に嫁ぐ予定であった。
増山正贇(まさよし)/匡幸(まさゆき)/正順(まさすみ)/正孝(まさたか)【1726-1775】
長島藩主。実は毛利匡広(→毛利元知~師就の系図)の子。
妻 細川利恭の娘
妻の父 細川利恭→細川利重~利恭の系図
子 正賢・孫 正寧→増山正賢~正同の系図
子 正邦
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 白須政雍〔養父:白須政賢〕→白須政雍の系図
子 小出英俊〔養父:小出持皓〕→小出英俊の系図
子 松平定慮〔養父:松平定得〕→松平定政~定節の系図
子 松平定謐〔養父:松平定胤〕→松平定澄~定謐の系図
子の夫 高木貞臧→高木貞臧の系図
子の夫 戸田氏紹→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
子の夫 酒井忠敬→酒井忠知~忠倪の系図
子の夫 増山正備→青木利長~増山正任・正元~正富の系図
子の夫 佐藤信顕→佐藤信顕の系図
子の夫 青木義賢→青木義賢の系図
子の夫 遠藤常寿→遠藤常寿の系図
増山正賢~正同の系図
増山正賢(まさかた)【1754-1819】
長島藩主。藩校文礼館を創設した。書画をよくした。
祖父 正武・父 正贇→増山正武・正贇の系図
祖父 細川利恭→細川利重~利恭の系図
妻 稲垣定計の娘
妻の父 稲垣定計→稲垣定計の系図
子 正賢の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 大岡忠移→大岡忠恒~忠敬の系図
子 毛利政明〔養父:毛利匡邦〕→毛利政苗~元純の系図
増山正寧(まさやす)【1785-1842】
長島藩主。42年間藩主を務めた。
妻 安部信亨の娘
妻の父 安部信亨→安部信亨の系図
妻 牧野宣成の娘
妻の父 牧野宣成→牧野宣成の系図
子 源三郎
母は『増山家譜(伊勢長島)』による。
子 正照【?-1796】
子 正直【1809-1832】
子の妻 松平純子
松平忠翼(→松平忠和~忠敬の系図)の娘。
孫 正直の娘
母は『増山家譜(伊勢長島)』による。
子 正知【?-1831】
子 正寧の娘(『増山家譜(伊勢長島)』による。)
子の夫 六郷政恒→六郷政恒の系図
増山正修(まさなお)【1819-1869】(以下、『増山家譜(伊勢長島)』による。)
長島藩主。実は酒井忠器(→酒井忠器の系図)の子。
増山正同(まさとも)【1843-1887】
長島藩主。実は永井直方の子。
妻 水野元
水野忠啓(→水野忠啓~忠幹の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。