このページでは、市橋氏(藤原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
市橋氏(近江国仁正寺藩主)の略系図

1 長利→市橋長利~直方の系図
7 直挙→市橋直挙~長義の系図
市橋長利~直方の系図
市橋長利(ながとし)【1513-1585】
三条家の末裔といい、先祖は美濃国池田郡市橋郷に住んだという。
市橋長勝(ながかつ)【1557-1620】
伯耆国矢橋藩主・越後国三条藩主。大坂の陣で功をあげた。
市橋長政(ながまさ)【1575-1648】
近江国仁正寺藩主。実は林右衛門左衛門の子。
子 政直(まさなお)【1633-1670】
子の妻 山田重恒の娘
子の妻の父 山田重恒→山田重恒の系図
孫 信直〔養父:市橋政信〕
子の夫 市橋長吉→市橋長吉の系図
子の夫 立花種長→立花種次・種長の系図
孫 種明→立花種明・種澄~種郷の系図
市橋政信(まさのぶ)【1623-1704】
仁正寺藩主。
妻 板倉美井
板倉重宗(→板倉重宗の系図)の娘。
子 政房(まさふさ)【1649-1666】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 溝口宣直の娘
妻の父 溝口宣直→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
子 政勝(まさかつ)【1662-1726】
子の妻 南部直房の娘
子の妻の父 南部直房→南部直房~広信の系図
子の夫 蒔田定次→蒔田定次の系図
子の夫 山崎義方→山崎家盛~義方・俊家・治頼の系図
孫 尭治→山崎尭治~義苗の系図
妻 柴垣氏
子 承誠【1657-1673】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 常信【1661-1676】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信治【1663-1692】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 吉助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 利政(としまさ)【1681-1740】
実は市橋長綱(→市橋長綱の系図)の子。
子の夫 松平義尭→松平義尭の系図
市橋信直(のぶなお)【1656-1720】
仁正寺藩主。実は市橋政直の子。
妻 井戸良弘の娘
妻の父 井戸良弘→井戸良弘の系図
市橋直方(なおかた)【1689-1750】
仁正寺藩主。実は溝口重雄(→溝口重雄~直治・逸見元長~長祥の系図)の子。
妻 稲垣重定の娘
妻の父 稲垣重定→稲垣重定の系図
子 大助・又三郎・民之丞
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松沢氏
子 松平康孝〔養父:松平康詮〕→松平康命~康弘の系図
子 直記〔養父:市橋直挙〕→市橋直挙~長義の系図
子 直方の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子・子の夫 直挙・孫 長璉→市橋直挙~長義の系図
子 直好〔養父:市橋直挙〕→市橋直挙~長義の系図
市橋直挙~長義の系図
市橋直挙(なおたか)【1712-1802】
仁正寺藩主。実は立花種盈(→立花種明・種澄~種郷の系図)の子。
祖父 信直・父 直方→市橋長利~直方の系図
妻 市橋直方の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻の父 市橋直方→市橋長利~直方の系図
子 鍋吉・子 直挙の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 市橋長承→市橋長承の系図
妻 内田氏
子 直旧・子 直挙の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 白鳥氏
子 直挙の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。市橋長璉に嫁ぐ予定であった。
妻 高橋氏
子 長賢【1761-1785】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 堀田正備〔養父:堀田正貴〕→堀田正備の系図
子 直好(なおよし)【1730-1748】
実は市橋直方(→市橋長利~直方の系図)の子。
子 直記(なおのり)【1739-1754】
実は市橋直方(→市橋長利~直方の系図)の子。
子 大島義智〔養父:大島義迢〕→大島義智の系図
市橋長璉(ながてる)【1733-1785】
仁正寺藩主。実は稲葉董通(→稲葉董通~久通の系図)の子。
妻 松浦誠信の娘
妻の父 松浦誠信→松浦誠信・政の系図
子 長璉の娘(3人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 畠山国儔→畠山国儔の系図
子の夫 松浦信好→松浦信勝~信好の系図
妻 伊東氏
子 長璉の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 中西氏
子 長璉の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 高木永貞→高木永貞の系図
子の夫 高木貞直→高木貞直の系図
市橋長昭(ながあき)【1773-1814】
仁正寺藩主。『寛政重修諸家譜』によれば、酒井忠順の娘を母とする娘が1人、夏原氏を母とする娘が1人、斎藤氏を母とする娘が1人いる。藩校日新館を創設した。
妻 酒井忠順の娘
妻の父 酒井忠順→酒井忠寄・忠温の系図
子 長基〔養父:市橋長格〕
子の夫 建部政醇→建部政周~政世の系図
子の夫 藤波光忠→藤波光忠の系図
市橋長発(ながはる)【1805-1822】
仁正寺藩主。
市橋長富(ながとみ)【1805-1859】(以下、『市橋家譜』による。)
仁正寺藩主。実は酒井忠徳(→酒井忠徳の系図)の子。
妻 南部信真の娘
妻の父 南部信真→南部信興~信順の系図
市橋長義(ながよし)/長和(ながかず)【1821-1882】
仁正寺(西大路)藩主。実は酒井忠器(→酒井忠器の系図)の子。藩名を西大路に改めた。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。