加納氏(藤原氏)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、加納氏(藤原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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加納氏(上総国一宮藩主)の略系図

加納氏の略系図

1 政保加納政保~久堅の系図
12 久周加納久周~久宜の系図

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加納政保~久堅の系図

加納政保~久堅の系図

  加納政保(以下、『加納家譜(上総一宮)』による。)
 加納氏は松平泰親の庶子久親の後胤で、三河国賀茂郡加納村に住んだという。


  加納政久【1379-1464】


  加納義久【?-1489】


  加納久貞【?-1522】
 久栄【?-1594】


  加納長久【?-1559】


  加納久行【?-1569】


  加納久直(ひさなお)【1544-1616】


  加納久利(ひさとし)【1572-1620】
 和歌山藩士となった。
 直恒(以下、『系図纂要』による。)
曾孫 久通〔養父:加納久政〕

直恒孫 久堅〔養父:加納久通〕

子の夫 大岡忠吉大岡忠吉・忠章の系図
 三浦吉明三浦吉明~大岡忠美の系図


  加納久政(ひさまさ)【1613-1693】


  加納久通(ひさみち)【1673-1748】
 伊勢国東阿倉川藩主。実は加納政直の子。徳川吉宗が和歌山藩主の時から側近として使え、享保の改革を支えた。
 久武(ひさたけ)【1705-1751】
子の妻 本多助芳の娘
子の妻の父 本多助芳本多利長~助有の系図

 久英(ひさふさ)【1706-1732】


  加納久堅(ひさかた)【1711-1786】
 東阿倉川藩主。実は加納政信の子。
 立花貫長の娘
妻の父 立花貫長立花貫長の系図

 久致(ひさよし)【1754-1772】
子の夫 久周 久慎加納久周~久宜の系図
子の夫 京極高品京極高栄~高厚の系図

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加納久周~久宜の系図

加納久周~久宜の系図

  加納久周(ひさのり)【1753-1811】
 東阿倉川藩主。実は大岡忠光(→大岡忠光~忠要の系図)の子。松平定信による寛政の改革で活躍した。

祖父 久通 久堅加納政保~久堅の系図

 加納久堅の娘
 実は松平信礼(→松平信復・信礼の系図)の娘。
妻の父 加納久堅加納政保~久堅の系図
 有馬久保〔養父:有馬氏保〕→有馬頼次~氏弘の系図
 大岡忠正〔養父:大岡忠烈〕→大岡忠烈~忠貫の系図
 本多忠和〔養父:本多忠盈〕→本多忠栄~忠鵬の系図
子の夫 稲葉正武稲葉正員~正善の系図

 大岡忠固〔養父:大岡忠正〕→大岡忠烈~忠貫の系図
 本多助信〔養父:本多助詮(→本多助久~助詮の系図)〕
 日向正襄〔養父:日向正道(→日向正道の系図)〕
 久高〔養父:田中重永〕
子の夫 松平信順松平信明~信古の系図
子の夫 畠山基利→畠山基利の系図


  加納久慎(ひさちか)/久敬(ひさよし)【1776-1821】
 東阿倉川藩主。
 植村家長の娘
妻の父 植村家長植村家道~家壺の系図


  加納久儔(ひさとも)【1796-1847】
 東阿倉川藩主・上総国一宮藩主。
 高木正剛の娘
妻の父 高木正剛→高木正剛の系図

 鏻弥【?-1828】
 金造【?-1834】
 鎮之助【?-1838】
 久儔の娘【?-1858】
 久儔の娘【?-1861】
 久儔の娘〔養父:加納久徴〕
 久儔の娘【?-1861】
子の夫 石川総貨石川総候~総管の系図
子の夫 松平正和松平正升~正質の系図
子の夫 大久保教義→大久保教義の系図


  加納久徴(ひさあきら)【1813-1864】
 一宮藩主。
 石川総佐の娘
妻の父 石川総佐石川総師~成之の系図

 久成【1837-1863】
 実は前田利和(→前田利尚~利昭の系図)の子。
 久徴の娘【?-1847】


  加納久恒(ひさつね)【1846-1867】
 一宮藩主。実は黒田直静(→黒田直方~直養の系図)の子。
 加納久徴の娘
 実は加納久儔の娘。


  加納久宜(ひさよし)【1848-1919】
 一宮藩主。実は立花種道(→立花長煕~種恭の系図)の子。
 大久保文
 大久保教義(→大久保教義の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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