内田氏(藤原氏南家・乙麿流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、内田氏(藤原氏南家・乙麿流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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内田氏(下総国小見川藩主)の略系図

内田氏の略系図

1 正利勝間田正利~内田正世・正次~正房の系図
4-A 正友内田正友~正忠の系図

5 正信内田正信~正偏の系図
6-A 正長正広内田正長~正央・久世正広~広邦の系図

9 正親内田正親~正学の系図

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勝間田正利~内田正世・正次~正房の系図

勝間田正利~内田正世・正次~正房の系図

  勝間田正利(まさとし)
 工藤維遠(→工藤維遠の系図)の末裔。


  内田正之(まさゆき)【1515-1576】
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  内田正成(まさなり)【1544-1626】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 井関親信→井関親信の系図


  内田正世(まさよ)【1579-1637】
 正矩
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 正信 正衆内田正信~正偏の系図
 正友 正知内田正友~正忠の系図
 正世の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 三枝守恵→三枝守恵の系図
子の夫 中山幸時→中山幸時の系図


  内田正次(まさつぐ)【1547-1606】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 谷俊次(としつぐ)【1575-1633】
子の夫 鎮目惟明→鎮目惟明の系図
子の夫 丸毛利政→丸毛利政の系図


  内田貞親(さだちか)【1600-?】


  内田元知(もととも)【1634-1711】


  内田正備(まさとも)【1709-1762】
 実は武沢氏の子。


  内田正甫(まさよし)【1715-1774】
 実は戸田光高(→戸田光定~光高・政次の系図)の子。


  内田正房(まさふさ)【1752-?】
 実は畠山国祐(→畠山国祐の系図)の子。
 高屋信美の娘
妻の父 高屋信美→高屋信美の系図

内田正友~正忠の系図

内田正友~正忠の系図

  内田正友(まさとも)【1618-1663】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 正成 正世勝間田正利~内田正世・正次~正房の系図

子の夫 荒尾成継→荒尾成継の系図


  内田正知(まさのり)【1644-1718】


  内田正富(まさとみ)【1666-1717】
 松平祐義の娘
妻の父 松平祐義→松平祐義の系図


  内田正記(まささと)【1696-1739】
 窪田忠種の娘
妻の父 窪田忠種→窪田忠種の系図
 正良〔養父:内田正美、内田正伝〕→内田正親~正学の系図
 依田経貞〔養父:依田保守〕→依田経貞の系図

子の夫 山中鐘俊→山中鐘俊の系図


  内田正房(まさふさ)【1722-1778】
 山田安成の娘
妻の父 山田安成→山田安成の系図

 薬師寺元倢の娘
妻の父 薬師寺元倢→薬師寺元倢の系図
 富田久隆→富田久隆の系図

 別所正俊〔養父:別所義範〕→別所正俊の系図
子の夫 安部信要→安部信要の系図


  内田正忠(まさただ)【1752-?】
 別所義範の娘
妻の父 別所義範→別所義範の系図

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内田正信~正偏の系図

内田正信~正偏の系図

  内田正信(まさのぶ)【1613-1651】
 下野国鹿沼藩主。徳川家光の死に際し、殉死した。

祖父 正成 正世勝間田正利~内田正世・正次~正房の系図

 酒井直次の娘
 実は高力一成の娘。
妻の父 酒井直次酒井家次の系図
 新五郎 正信の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 正信の娘
 実は高力一方の娘。岡部勝重に嫁いだ。


  内田正衆(まさもろ)【1645-1699】
 鹿沼藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 久世広之の娘
妻の父 久世広之久世広之・重之の系図
 正房(まさふさ)【?-1679】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 正房久世正広 正伝広慶内田正長~正央・久世正広~広邦の系図
子の夫 織田長清→織田長清の系図
子の夫 上田義隣→上田義隣の系図

 正清(まさきよ)【1683-1698】
 美和→小浜行隆の系図・松平直堅~直好の系図
子の夫 水野勝長水野勝種~勝庸の系図


  内田正勝(まさかつ)【1667-1694】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 青山幸実の娘
妻の父 青山幸実青山幸成~幸実の系図


  内田正偏(まさゆき)【1693-1743】
 鹿沼藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。乱心により蟄居させられた。
 毛利元次の娘
妻の父 毛利元次毛利元次・元尭の系図
 正親 正美内田正親~正学の系図
 平野長里〔養父:平野長暁〕→平野長里の系図

子の夫 富田知徳→富田知徳の系図

内田正長~正央・久世正広~広邦の系図

内田正長~正央・久世正広~広邦の系図

  内田正長(まさなが)【1672-1739】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 正信 正衆内田正信~正偏の系図
祖父 久世広之久世広之・重之の系図

 五島友子
 五島盛暢(→五島盛利~盛暢の系図)の娘。

子の夫 能勢頼庸→能勢頼庸の系図


  内田正傅(まさすけ)【1708-1764】
 大久保教明の娘
 実は角倉玄懐(→角倉玄懐の系図)の娘。
妻の父 大久保教明→大久保教明の系図

 正良内田正親~正学の系図
子の夫 能勢頼寛→能勢頼寛の系図


  内田正央(まさひで)【1753-?】
 蒔田広敏の娘
妻の父 蒔田広敏→蒔田広敏の系図


  久世正広(まさひろ)【1674-1721】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 外祖父の久世広之に養育され、久世を称した。


  久世広慶(ひろよし)【1704-1762】
 岡本寿品の娘
妻の父 岡本寿品→岡本寿品の系図


  久世広和(ひろかず)【1730-?】
 実は牧野成煕(→牧野成煕の系図)の子。
 島崎忠要の娘
妻の父 島崎忠要→島崎忠要の系図
 三宅康明〔養父:三宅康彊〕→三宅康明の系図

子の夫 牧野正意→牧野正意の系図


  久世広邦(ひろくに)
 三枝守保の娘
妻の父 三枝守保→三枝守保の系図

 岩手信安の娘
妻の父 岩手信安→岩手信安の系図

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内田正親~正学の系図

内田正親~正学の系図

  内田正親(まさちか)【1710-1746】
 下総国小見川藩主。

祖父 正勝 正偏内田正信~正偏の系図
祖父 毛利元次毛利元次・元尭の系図

 水野忠定の娘
妻の父 水野忠定水野忠増~忠定の系図


  内田正美(まさよし)【1735-1753】
 小見川藩主。


  内田正良(まさよし)【1730-1807】〔養父:内田正伝(→内田正長~正央・久世正広~広邦の系図)〕
 小見川藩主。実は内田正記(→内田正友~正忠の系図)の子。
 伊東長丘の娘
妻の父 伊東長丘伊東長丘の系図
 馬場正賀〔養父:馬場尚式〕→馬場正賀の系図
 川勝広品〔養父:川勝広長〕→川勝広品の系図
 依田尭道〔養父:依田経貞〕→依田尭道の系図

 正良の娘(『内田家譜(下総小見川)』による。)
子の夫 夏目為穀→夏目為穀の系図
子の夫 深津正英→深津正英の系図


  内田正純(まさずみ)【1756-1825】
 小見川藩主。
 水野忠見の娘
妻の父 水野忠見水野忠見~忠順の系図


  内田正肥(まさとみ)【1790-1816】
 小見川藩主。
 松平忠恕の娘
妻の父 松平忠恕松平忠刻~忠恕の系図


  内田正容(まさかた)/貞吉【1800-1870】
 小見川藩主。実は石河貞通(→石河貞通の系図)の子。
 堀田鍬
 堀田正時(→堀田正時の系図)の娘。
 本庄宗允の娘
妻の父 本庄宗允→本庄宗允の系図

 正徳〔養父:内田正道〕
 正縄〔養父:内田正徳〕
子の夫 水野貞利→水野貞利の系図
子の夫 酒井忠夏(『内田家譜(下総小見川)』による。)


  内田正道(まさみち)【1828-1851】(以下、『華族系譜』による。)
 小見川藩主。


  内田正徳(まさのり)【1830-1863】
 小見川藩主。実は内田正容の子。
 武田信之の娘
妻の父 武田信之武田晴信・勝頼・海野信親~武田崇信の系図


  内田正縄(まさつな)【1834-1864】
 小見川藩主。実は内田正容の子。


  内田正学(まさあきら)【1847-1910】
 小見川藩主。実は内田正路の子。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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