このページでは、久松松平家(菅原氏)・定房流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
久松松平家・定房流(伊予国今治藩主)の略系図
1 定房→松平定房・定時の系図
2-A 定昌→松平定昌~定規の系図
3 定陳→松平定陳~定温の系図
7 定休→松平定休の系図
8 定剛→松平定剛~定法の系図
松平定房・定時の系図
松平定房(さだふさ)【1604-1676】
伊予国今治藩主。
祖父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
父 定勝→松平定勝の系図
祖父 奥平貞友→奥平貞俊~貞勝の系図
妻 内藤政長の娘
妻の父 内藤政長→内藤政長の系図
子 定経(さだつね)【1630-1670】
子の妻 松平定綱の娘
子の妻の父 松平定綱→松平定綱・定良の系図
孫 定経の娘〔養父:松平定時〕
松平定時(さだとき)【1635-1676】
今治藩主。
子 定直〔養父:松平定長〕→松平定長~定功・定章の系図
子 定陳・孫 定基→松平定陳~定温の系図
子 定昌・孫 定武→松平定昌~定規の系図
子の夫 松平忠周→松平忠周・忠容~忠明の系図
松平定昌~定規の系図
松平定昌(さだまさ)/定道(さだみち)【1670-1731】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 定房・父 定時→松平定房・定時の系図
子 定郷〔養父:松平定基〕→松平定陳~定温の系図
子 定秀〔養父:松平定武〕
子の夫 久世広寛→久世広当~広孝の系図
子の夫 松下之郷→松下之郷の系図
子の夫 伊東祐房→伊東祐春~祐膺・祐恵・祐程の系図
松平定武(さだたけ)【1710-1739】
妻 稲葉恒通の娘
妻の父 稲葉恒通→稲葉信通~恒通の系図
夫 柳生俊平→柳生俊方~俊郎の系図
妻 伊東祐連の娘
妻の父 伊東祐連→伊東祐春~祐膺・祐恵・祐程の系図
夫 内藤休明→内藤忠清~忠英の系図
子の夫 逸見副長→逸見副長の系図
子の夫 河野通秀→河野通重~通致の系図
松平定秀(さだひで)【1724-1764】
実は松平定昌の子。
妻 松平近貞の娘
妻の父 松平近貞→松平近禎・近貞の系図
子 定秀の娘
菅沼定寛に嫁ぐ予定であった。
子 定秀の娘〔養父:松平定則〕
松平定則(さだのり)【1756-1773】
松平定能(さだまさ)【1758-?】
実は小笠原長恒(→小笠原長恒の系図)の子。
妻 松平定則の娘
実は松平定秀の娘。
松平定規(さだのり)【1771-?】
実は松平定休(→松平定休の系図)の子。
妻 牧野忠義の娘
妻の父 牧野忠義→牧野忠義の系図
松平定陳~定温の系図
松平定陳(さだのぶ)/定真(さださね)【1667-1702】
今治藩主。江島為信を登用し、法令・軍制を整備した。
祖父 定房・父 定時→松平定房・定時の系図
妻 溝口重雄の娘
妻の父 溝口重雄→溝口重雄の系図
子 老之助・大三郎・豊之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 定陳の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 渡辺登綱→渡辺登綱~伊綱の系図
子の夫 松平重休→松平重休の系図
松平定基(さだもと)【1686-1759】
今治藩主。
妻 細川初姫
実は松平直丘(→松平隆政~直道の系図)の娘。
妻の父 細川綱利→細川忠利~綱利の系図
松平定郷(さださと)【1702-1763】
今治藩主。実は松平定昌(→松平定昌~定規の系図)の子。
子 定延【?-1740】
母は『寛政重修諸家譜』による。
松平定温(さだよし)【1724-1762】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 池田仲央の娘
妻の父 池田仲央→池田仲澄~延俊の系図
子 定休→松平定休の系図
孫 定剛→松平定剛~定法の系図
子 止美子→有馬允純~道純の系図
子 定温の娘(『久松家譜(伊予今治)』による。)
子の夫 遠山友随→遠山友随の系図
子の夫 堀田正穀→堀田正穀の系図
松平定休の系図
松平定休(さだやす)/定奉(さだとも)【1752-1820】
今治藩主。
祖父 定郷・父 定温→松平定陳~定温の系図
妻 松平定静の娘
妻の父 松平定静→松平定静~定昭の系図
子の夫 脇坂安董→脇坂安董の系図
子 定剛・孫 定芝→松平定剛~定法の系図
子 定規〔養父:松平定能〕→松平定昌~定規の系図
子 定亨(さだゆき)(以下、『久松家譜(伊予今治)』による。)
子 跡部良貞〔養父:跡部良久〕→跡部良貞の系図
子 池田政行〔養父:池田政富〕→池田政済~政行の系図
子 鼎・釿次郎・子 定休の娘(2人)(『久松家譜(伊予今治)』による。)
子の夫 戸田氏倚→戸田氏倚の系図
子の夫 板倉勝宦→板倉重直~勝宦の系図
子の夫 服部正邁・岡部豊常(『久松家譜(伊予今治)』による。)
松平定剛~定法の系図
松平定剛(さだよし)【1771-1843】
今治藩主。藩校講書場を創設した。
祖父 定温→松平定陳~定温の系図
父 定休→松平定休の系図
妻 土岐定経の娘
妻の父 土岐定経→土岐定経~頼之の系図
子 吉十郎【?-1799】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平銉姫
松平頼謙(→松平頼謙~頼英の系図)の娘。
夫 相良頼徳→相良長寛~頼基の系図
子 高力直行〔養父:高力直道(→高力直道の系図)〕
子 大島義彬〔養父:大島義優〕
子 鈊三郎・子 定剛の娘(2人)(『久松家譜(伊予今治)』による。)
子 定剛の娘(『久松家譜(伊予今治)』による。)
池田政和に嫁ぐ予定であった。
松平定芝(さだしげ)【1791-1837】(以下、『久松家譜(伊予今治)』による。)
今治藩主。
妻 松平正
松平康定(→松平康定~康載の系図)の娘。
子 定法・子 善子〔養父:松平勝道〕
子 鏄太郎【?-1830】
松平勝道(かつつね)/定保(さだもち)【1813-1866】
今治藩主。実は池田政行(→池田政済~政行の系図)の子。
子 善子→有馬允純~道純の系図
松平定法(さだのり)/定命/勝吉【1834-1901】
今治藩主。実は松平定芝の子。
妻 綾小路俊賢の娘
妻の父 綾小路俊賢→綾小路俊宗~有良の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。