このページでは、織田氏(桓武平氏・重盛流)・高長流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
織田氏・高長流(丹波国柏原藩主)の略系図

1 高長→織田高長の系図
1-A1 長政→織田長政・信清~信虎の系図
1-A2 信明→織田信明~信存の系図
2 長頼→織田長頼の系図
3 信武→織田信武~信旧の系図
7 信憑→織田信憑~信親の系図
織田高長の系図
織田高長(たかなが)/信友(のぶとも)【1590-1674】
大和国松山藩主。
祖父 信長→織田信長の系図
父 信雄→織田信雄~信久の系図
子 勝広(かつひろ)【?-1644】
子 長頼→織田長頼の系図
孫 信武→織田信武~信旧の系図
子 長政・孫 信清→織田長政・信清~信虎の系図
孫 信明→織田信明~信存の系図
子 信久〔養父:織田信昌〕→織田信雄~信久の系図
子 津田頼房(よりふさ)【?-1690】
子 久尓→杉原長重の系図
子 兼【?-1653】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 万→織田長政~長明の系図
子 洞【?-1695】
子 興都→織田信高~長裕の系図
子 春→平野長政の系図
織田長政・信清~信虎の系図
織田長政(ながまさ)/友貞(ともさだ)【1628-1690】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 信雄→織田信雄~信久の系図
父 高長→織田高長の系図
妻 松平英親の娘
実は松平重直(→松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図)の娘。
妻の父 松平英親→松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図
子 信明・孫 信栄→織田信明~信存の系図
子 長喬〔養父:織田貞輝〕→織田貞輝~信昌の系図
子の夫 遠山友春→遠山友春の系図
織田信清(のぶきよ)【1666-1732】
子 信栄〔養父:織田信明〕→織田信明~信存の系図
子 信方〔養父:織田秀行〕→織田信方~長恒の系図
子の夫 永井尚方→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
織田信安(のぶやす)【1699-1774】
子 政勝〔養父:津田政法〕
子の夫 中川頼常→中川頼常の系図
織田信序(のぶつぐ)【1733-?】
織田信虎(のぶとら)
妻 荒木高保の娘
妻の父 荒木高保→荒木高保の系図
織田信明~信存の系図
織田信明(のぶあきら)/信秋(のぶあき)【1662-1736】
祖父 高長→織田高長の系図
父 長政→織田長政・信清~信虎の系図
祖父 松平英親→松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図
妻 松浦鎮信の娘
実は秋月種信(→秋月種実~種信の系図)の娘。
妻の父 松浦鎮信→松浦鎮信・棟の系図
子 信容(のぶひと)【1684-1712】
子の夫 生駒親猶→生駒親猶の系図
織田信栄(のぶよし)/信廷(のぶなお)/信尹(のぶただ)【1697-1769】
実は織田信清(→織田長政・信清~信虎の系図)の子。
子 信憑〔養父:織田信旧〕→織田信憑~信親の系図
子 信邦〔養父:織田信富〕→織田信就~信邦の系図
子 信浮〔養父:織田信邦〕→織田信浮~寿重丸の系図
子の夫 永井尚方→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
子の夫 松平親章→松平重長~勝政の系図
子の夫 酒井政勝→酒井政勝の系図
子の夫 大久保忠官→大久保忠官の系図
織田信之(のぶゆき)/信将(のぶまさ)【1729-?】
妻 木下利潔の娘
妻の父 木下利潔→木下利潔の系図
子の夫 榊原長栄→榊原長栄の系図
子の夫 木村宗惇→木村宗惇の系図
子の夫 瀬名貞陳→瀬名貞陳の系図
織田信味(のぶたけ)【1764-1807】
妻 本多トメ
本多助盈(→本多助盈~助寵の系図)の娘。
織田信存【?-1839】〔養子:織田九磨(→織田信憑~信親の系図)〕
実は織田信憑(→織田信憑~信親の系図)の子。
子 信愛(『系図纂要』による。)
子 通〔養父:織田信守〕→織田信憑~信親の系図
織田長頼の系図
織田長頼(ながより)/信尚(のぶなお)【1620-1689】
松山藩主。
祖父 信雄→織田信雄~信久の系図
父 高長→織田高長の系図
妻 金森重頼の娘
妻の父 金森重頼→金森重頼の系図
子 信武・孫 信休→織田信武~信旧の系図
子 長八【?-1658】
子 長清〔養父:織田長明〕→織田長清~輔宜の系図
子 鍋千代【?-1670】
子 長晴(ながはる)【1668-1685】
子 婦宇【?-1653】
子 松【?-1685】
子 早→加藤泰觚の系図
子 悦【?-1694】
子 也都→松平正久・正佐~正名の系図
子 久→土方豊高の系図
子 石→五辻俊仲~継仲の系図
子 壱岐【?-1710】〔養父:生駒正純〕
子 梅→秋月種封~種賀の系図
織田信武~信旧の系図
織田信武(のぶたけ)/長通(ながみち)/長国(ながくに)【1655-1694】
松山藩主。諫言した家臣を殺害し、自刃した。
妻 徳川智子【?-1690】
実は広幡忠幸(→広幡忠幸・豊忠の系図)の娘。
妻の父 徳川光友→徳川光友の系図
子 世々→遠山政亮~内藤政業の系図
妻 徳川清姫【?-1694】
実は広幡忠幸(→広幡忠幸・豊忠の系図)の娘。
妻の父 徳川光友→徳川光友の系図
子 易丸【?-1696】
織田信休(のぶやす)/信恒(のぶつね)【1678-1722】
丹波国柏原藩主。
妻 生田有矩の娘【?-1751】
子 信旧〔養父:織田信朝〕
子 長卿(ながあき)【1723-1770】
子の妻 塩小路民部の娘【?-1764】
子 玄蕃【?-1707】
子 熊【?-1701】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
子 冨【?-1716】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
子 勝【?-1709】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
子 郁子→柳原光綱~光定の系図
子 勢【?-1708】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
子 幾【?-1722】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
子 嶺【?-1727】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
織田信朝(のぶとも)【1708-1737】
柏原藩主。
妻 松平宣富の娘【?-1746】
妻の父 松平宣富→松平光長~長煕の系図
織田信旧(のぶひさ)【1710-1783】
柏原藩主。実は織田信休の子。
妻 細川豊【?-1746】
細川宣紀(→細川宣紀~治年の系図)の娘。
子 勇千代【?-1746】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 元丸【?-1740】
子 信憑・孫 信守→織田信憑~信親の系図
子 信応〔養父:織田信憑〕→織田信憑~信親の系図
子 長貴【?-1797】
織田信憑~信親の系図
織田信憑(のぶより)/信富(のぶよし)【1741-1831】
柏原藩主。実は織田信栄(→織田信明~信存の系図)の子。
祖父 信朝・父 信旧→織田信武~信旧の系図
子 信応(のぶまさ)【1758-1790】
実は織田信旧(→織田信武~信旧の系図)の子。
子の妻 岩城隆恭の娘【?-1791】
子の妻の父 岩城隆恭→岩城隆恭の系図
子の妻 前田恒【?-1792】
前田利与(→前田利幸~利謙の系図)の娘。
孫 信古〔養父:織田信守〕
子 信存〔養父:織田信味〕→織田信明~信存の系図
子 長恵【?-1826】〔養父:小堀縫殿〕
子 長衆【?-1815】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
子 直【?-1771】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
子 悌→吉川経忠の系図
子 弼/尚/毫【?-1836】(『織田家譜(丹波柏原)』による。)
子 律/惺【?-1871】
織田信守(のぶもり)/長考【1772-1840】(以下、『織田家譜(丹波柏原)』による。)
柏原藩主。
子 信貞〔養父:織田信古〕
子 長敦【?-1866】
子 衛守【?-1841】
子 長敏【?-1849】
子 八百吉【?-1811】
子 完次郎【?-1841】
子 長冨【?-1859】
子 順【?-1813】
子 九磨〔養父:織田信存(→織田信明~信存の系図)〕
子 通
実は織田信存(→織田信明~信存の系図)の娘。
子 八重【?-1825】
織田信古(のぶもと)/長祥【1794-1847】
柏原藩主。実は織田信応の子。
妻 織田安【?-1871】
子 鶴〔養父:織田信貞〕
織田信貞(のぶさだ)【1801-1846】
柏原藩主。実は織田信守の子。
妻 堀籌
堀直庸(→堀直方~直弘の系図)の娘。
織田信敬(のぶたか・のぶのり)【1836-1854】
柏原藩主。実は細川行芬(→細川立之~行真の系図)の子。藩校又新館を創設した。
妻 織田鶴(つる)【1837-1896】
実は織田信古の娘。
織田信民(のぶたみ)【1840-1865】
柏原藩主。実は黒田長元(→黒田長邦~長徳の系図)の子。藩校崇広館を創設した。
妻 水野鉏
水野忠央(→水野忠啓~忠幹の系図)の娘。
子 俊
実は伏原宣諭(→伏原宣諭の系図)の娘。
織田信親(のぶちか)/信成【1850-1927】
柏原藩主。実は山崎治正(→山崎義徳~治敏の系図)の子。
妻 新庄詮
新庄直敬(→新庄直敬の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。