このページでは、織田氏(桓武平氏・重盛流)・長政流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
織田氏・長政流(大和国芝村藩主)の略系図

1 長政→織田長政~長明の系図
4 長清→織田長清~輔宜の系図
8 長教→織田長教~長易の系図
織田長政~長明の系図
織田長政(ながまさ)【1588-1670】
大和国戒重藩主。
祖父 信秀→織田信秀の系図
父 長益→織田長益~長則の系図
子 政時(まさとき)【?-1684】
子の妻 織田万
織田高長(→織田高長の系図)の娘。
孫 松之助【1683-1686】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 大田原典清〔養父:大田原高清〕→大田原政清~清信の系図
孫の夫 織田長清→織田長清~輔宜の系図
子の夫 大田原政清→大田原政清~清信の系図
子の夫 織田貞置→織田信貞・貞置の系図
孫 貞則→織田貞則~信往の系図
孫 貞輝→織田貞輝~信昌の系図
織田長定(ながさだ)【1617-1672】
戒重藩主。
妻 金森重頼の娘
妻の父 金森重頼→金森重頼の系図
子 長定の娘【?-1686】
母は『寛政重修諸家譜』による。
織田長明(ながあきら・ながあき)【1661-1699】
戒重藩主。
子 長清・孫 長弘→織田長清~輔宜の系図
織田長清~輔宜の系図
織田長清(ながすみ)【1662-1722】
戒重(芝村)藩主。実は織田長頼(→織田長頼の系図)の子。藩校遷喬館を創設した。幕命により、藩名を芝村に改めた。『寛政重修諸家譜』によれば、渡辺昌の娘を母とする娘が1人いる。
祖父 長定・父 長明→織田長政~長明の系図
妻 織田政時の娘【?-1683】
妻の父 織田政時→織田長政~長明の系図
子 庄三郎【?-1684】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 内田正衆の娘
妻の父 内田正衆→内田正信~正偏の系図
夫 上田義隣→上田義隣の系図
妻 滝隆重の娘
子 長善〔養父:織田信門〕→織田信高~長裕の系図
子 長亮〔養父:織田長弘〕
子 宗諄【1709-1767】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 九之助【?-1705】(『織田家譜(大和芝村)』による。)
子 忠太【?-1712】(『織田家譜(大和芝村)』による。)
子 美奈→酒井忠稠の系図
妻 渡辺昌の娘
子 弥五郎【?-1705】(『織田家譜(大和芝村)』による。)
子 郡助【1708-1728】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 順助【?-1720】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 衛保(もりやす)【?-1715】
子 七郎【?-1696】(『織田家譜(大和芝村)』による。)
子 津井【?-1695】(『織田家譜(大和芝村)』による。)
子 佐武【?-1708】(『華族系譜』による。)
子 津也【?-1708】(『華族系譜』による。)
子 土免【?-1705】(『華族系譜』による。)
子 冬【1705-1717】(『華族系譜』による。)
織田長弘(ながひろ)【1697-1714】
芝村藩主。母は『織田家譜(大和芝村)』による。
織田長亮(ながあき・ながこと)/輔世(すけよ)【1698-1733】
芝村藩主。実は織田長亮の子。
妻 細川有孝の娘
実は細川利昌(→細川利重~利恭の系図)の娘。
妻の父 細川有孝→細川立孝~興里の系図
子 好【?-1732】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 益聴(ますとし)【1731-1747】
子 長教〔養父:織田輔宜〕→織田長教~長易の系図
子 勇→南部信興~信順の系図
子 秀【1731-1760】(『華族系譜』による。)
子 豊【1732-1750】(『華族系譜』による。)
織田輔宜(すけよし)【1732-1799】
芝村藩主。
妻 毛利政苗の娘
妻の父 毛利政苗→毛利政苗~元純の系図
夫 船越景順→船越景順の系図
妻 土岐頼稔の娘
妻の父 土岐頼稔→土岐頼殷~頼煕の系図
子 長教・孫 長宇→織田長教~長易の系図
織田長教~長易の系図
織田長教(ながのり)【1733-1815】(以下、『華族系譜』による。)
芝村藩主。実は織田長亮(→織田長清~輔宜の系図)の子。
祖父 長亮・父 輔宜→織田長清~輔宜の系図
子 条之進【?-1764】
子 武五郎【?-1782】
子 繁三郎【?-1785】
子 長格(ながただ)【1784-1806】
子 長拠(ながより)【?-1809】
子 長梢【?-1841】
子 好【?-1779】
子 万幾【?-1785】
子 親【?-1875】
織田長宇(ながのき・ながいえ)【1766-1839】
芝村藩主。
妻 阿部正賀の娘
実は阿部正保(→阿部正春~正実・正長~正保の系図)の娘。
妻の父 阿部正賀→阿部正春~正実・正長~正保の系図
子 長校【1804-?】
孫 清五郎【1840-1855】
子 長嘉【1786-1804】
子 道寧【?-1830】
子 荻原徳拠/長拠
子 寿賀/今
子 照/時/里幾【?-1854】
子 当/園
子 恒【?-1838】
子 多美【?-1836】
織田長恭(ながやす)【1801-1879】
芝村藩主。
妻 本庄宗允の娘
妻の父 本庄宗允→本庄宗允~宗武の系図
子 長恭の娘【1830】
子 江【?-1840】
子 鹿【?-1840】
子 長恭の娘【?-1848】
子 秋【?-1862】
織田長易(ながやす)【1824-1873】
芝村藩主。実は遠山友寿(→遠山友寿の系図)の子。
妻 織田勝【1829-1851】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。