このページでは、織田氏(桓武平氏・重盛流)・尚長流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
織田氏・尚長流(大和国柳本藩主)の略系図

1 尚長→織田尚長~秀行の系図
7 信方→織田信方~長恒の系図
10 秀綿→織田秀綿~信及の系図
織田尚長~秀行の系図
織田尚長(なおなが・ひさなが)【1596-1637】
大和国柳本藩主。
祖父 信秀→織田信秀の系図
父 長益→織田長益~長則の系図
子の夫 坊城俊完→坊城俊国~俊広の系図
子の夫 神尾元珍→神尾元珍の系図
子の夫 蜷川親房→蜷川親房の系図
織田長種(ながたね)【1617-1643】
柳本藩主。
妻 小出三尹の娘
妻の父 小出三尹→小出三尹の系図
子 長種の娘【?-1641】(『華族系譜』による。)
織田秀一(ひでかず・ひでひと)/長盛(ながもり)【1639-1687】
柳本藩主。
妻 小出有棟の娘
妻の父 小出有棟→小出有棟の系図
子 成純〔養父:織田秀親〕
織田秀親(ひでちか)/長昌(ながまさ)【1662-1709】
柳本藩主。前田利昌に殺された。
妻 土井利房の娘
実は土井利隆(→土井利隆の系図)の娘。
妻の父 土井利房→土井利房~利寛の系図
子 兵助【?-1693】
子 金弥【?-1693】
子 豊之助【?-1695】
子 秀行〔養父:織田成純〕
子 加女子【?-1694】
子 初子【?-1696】
子 家子【?-1700】
子 吉子【?-1700】
子 久子【?-1718】
織田成純(しげずみ・なりとし・しげとし)/秀将(ひでまさ)/長教(ながのり)/秀俊(ひでとし)/信紀(のぶのり)【1676-1729】
柳本藩主。実は織田秀一の子。
妻 土方豊高の娘
妻の父 土方豊高→土方豊高の系図
織田秀行(ひでゆき)【1697-1726】
柳本藩主。実は織田秀親の子。
妻 山口弘豊の娘
妻の父 山口弘豊→山口弘豊の系図
子 信方・孫 秀賢→織田信方~長恒の系図
織田信方~長恒の系図
織田信方(のぶかた)【1710-1741】
柳本藩主。実は織田信清(→織田長政・信清~信虎の系図)の子。
祖父 成純・父 秀行→織田尚長~秀行の系図
妻 土方豊義の娘
妻の父 土方豊義→土方豊義の系図
子 寅之助【?-1737】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 徳之助【1737-1748】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長賢(ながかた)【1738-1758】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長恒〔養父:織田秀賢〕
子 吉子→松平定静~定昭の系図
子 充子【?-1737】
母は『華族系譜』による。
子 茂之助【1740-1754】
子 寛次郎【?-1747】(『華族系譜』による。)
子 束子/綱子(『華族系譜』による。)
子 類子【?-1739】(『華族系譜』による。)
織田秀賢(ひでかた)【1728-1784】(以下、『華族系譜』による。)
柳本藩主。
子 為次郎【?-1757】
子 定次郎【?-1759】
子 秀綿〔養父:織田長恒〕→織田秀綿~信及の系図
子 津田長寧/長迢/長喬
子 常之丞【1757-1767】
子 弁之丞〔養父:関小十郎〕
子 岳次郎【?-1767】
子 三淵正富〔養父:三淵正広〕→三淵正富の系図
子 元子【?-1758】
子 庫子【?-1760】
子 兼子【?-1755】
子 光子→水野重家~為昌・元吉~元典の系図
子 市子〔養父:田中俊庵〕
子 政子→日向正肥の系図
子 末子→多賀高賢の系図
子 俊子【?-1780】
織田長恒(ながつね)【1739-1766】
柳本藩主。実は織田信方の子。
子 秀綿・孫 信陽→織田秀綿~信及の系図
子 秀寧/長迢/長喬(『寛政重修諸家譜』による。)
子 重子【?-1765】
織田秀綿~信及の系図
織田秀綿(ひでつら)【1756-1806】
柳本藩主。実は織田秀賢(→織田信方~長恒の系図)の子。
祖父 秀賢・父 長恒→織田信方~長恒の系図
妻 鳥居虎子
鳥居忠意(→鳥居忠意・忠見の系図)の娘。
夫 土屋業直→土屋之直~業直の系図
妻 間部詮央の娘
妻の父 間部詮央→間部詮方・詮央の系図
子 恒次郎【?-1797】
子 愛子→金森近利の系図
子 泰次郎【?-1789】
子 秀便【1759-1779】
子 正好/秀咸【1759-1779】〔養父:日向正肥(→日向正肥の系図)〕
子 秀綿の息子【?-1789】
子 秀綿の息子【?-1790】
子 溝口秀久〔養子:織田延子〕
子 秀綿の娘【?-1782】
子 鶴子→宮原義周の系図
子 弁子【?-1802】
子 倉子【?-1802】
織田信陽(のぶあきら)/秀陽(ひであきら)【1795-1857】
柳本藩主。文武の奨励、人材登用などの藩政改革を行った。
妻 池田定常の娘
妻の父 池田定常→池田定常~徳定の系図
子 信陽の息子【1814】
子 長芳【?-1825】
子 信宝/長敬【1829-1856】
子の妻 小出英発の娘
子の妻の父 小出英発→小出英発の系図
子の妻の夫 松平頼徳→松平頼救~頼徳の系図
孫 勇子【?-1857】
孫 銈吉【?-1851】
孫 三女子【?-1854】
子 鍠之助【?-1838】
子 長武【?-1839】
子 正興【?-1840】
子 鎣三郎【1841-1854】
子 秀煌【?-1845】
子 小松癸丑丸【?-1854】
子 信及〔養父:織田信成〕
子 歌子→谷衛秀~衛滋の系図
子 穎子【?-1823】
子 懿子【?-1825】
子 延子〔養父:溝口秀久〕
子 貞子【?-1835】
子 和子【?-1847】
子 信陽の娘【?-1847】
子 照子【?-1858】
織田信成(のぶしげ)/秀茂【1843-1898】
柳本藩主。
子 成子【1874-?】
織田信及(のぶひろ・のぶつぐ・のぶもと)/長依【1844-1889】
柳本藩主。実は織田信陽の子。
妻 片桐貞信の娘
妻の父 片桐貞信→片桐貞信の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。