このページでは、相馬氏(桓武平氏・良将流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
相馬氏(陸奥国中村藩主)の略系図

1 師常→相馬師常~重胤の系図
2-A1 胤継→相馬胤継~整胤の系図
2-A2 治胤→相馬治胤~敏胤の系図
12 高胤→相馬高胤~義胤の系図
17 利胤→相馬利胤~貞胤の系図
21 昌胤→相馬昌胤~恕胤の系図
25 祥胤→相馬祥胤・樹胤の系図
27 益胤→相馬益胤~誠胤の系図
相馬師常~重胤の系図
相馬師常(もろつね)/師経(もろつね)【?-1205】
実は千葉常胤(→千葉常胤の系図)の子。下総国相馬郡を領した。
祖父 胤国・父 師国→平良将の系図
相馬義胤(よしたね)
子 胤継・孫 胤経(『寛政重修諸家譜』による。)→相馬胤継~整胤の系図
相馬胤綱(たねつな)
子 胤継→相馬胤継~整胤の系図
父は相馬義胤とも。
相馬胤村(たねむら)
父は『寛政重修諸家譜』による。『系図纂要』によれば父は相馬胤経。
子 胤顕(たねあき)【?-1285】
子 胤門〔養子:相馬重胤〕
相馬師胤(もろたね)
相馬重胤(しげたね)【?-1336】〔養父:相馬胤門〕
子 光胤(みつたね)【?-1336】
相馬親胤(ちかたね)
相馬胤頼(たねより)
相馬憲胤(のりたね)
相馬胤弘(たねひろ)
相馬重胤(しげたね)
子 高胤・孫 盛胤→相馬高胤~義胤の系図
相馬胤継~整胤の系図
相馬胤継(たねつぐ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
父は相馬胤綱(→相馬師常~重胤の系図)とも。
祖父 師常・父 義胤→相馬師常~重胤の系図
相馬胤経(たねつね)
相馬胤村(たねむら)
相馬氏胤(うじたね)
相馬胤基(たねもと)
相馬胤忠(たねただ)
相馬胤長(たねなが)
相馬胤宗(たねむね)
相馬資胤(すけたね)
相馬胤儀(たねのり)/在胤(ありたね)
相馬胤高(たねたか)
相馬胤実(たねさね)
子 胤興(以下、『系図纂要』による。)
相馬徳誕(のりのぶ)/胤徳
相馬胤広(たねひろ)
相馬胤貞(たねさだ)
相馬胤晴(たねはる)
子の夫 相馬治胤→相馬治胤~敏胤の系図
相馬整胤(まさたね)
子 治胤・孫 政胤→相馬治胤~敏胤の系図
相馬治胤~敏胤の系図
相馬治胤(はるたね)
実は高井氏の子。
祖父 胤晴・父 整胤→相馬胤継~整胤の系図
妻 相馬胤晴の娘
妻の父 相馬胤晴→相馬胤継~整胤の系図
子 盛胤〔養父:相馬胤信〕
子 胤信〔養父:相馬秀胤〕
孫 胤信
実は相馬治胤の子。
曾孫 盛胤
実は相馬治胤の子。
相馬政胤(まさたね)【?-1655】
相馬貞胤(さだたね)【?-1656】
実は大岡貞惟の子。
子 貞胤の娘〔養父:相馬要胤〕
子の夫 筧正興→筧正興の系図
相馬要胤(よしたね)【1631-1690】
妻 黒沢定幸の娘
実は稲富喜大夫の娘。
妻の父 黒沢定幸→黒沢定幸の系図
相馬信胤(のぶたね)/昌信(まさのぶ)【1650-1715】
実は小笠原貞信(→小笠原貞信~貞三の系図)の子。
妻 相馬要胤の娘
実は相馬貞胤の娘。
子の夫 春日顕道→春日顕道の系図
相馬保胤(やすたね)【1683-1736】
妻 筧正直の娘
妻の父 筧正直→筧正直の系図
相馬矩胤(のりたね)【1710-1786】
子の夫 三沢信以→三沢信以の系図
子の夫 北山経久→北山経久の系図
相馬是胤(これたね)【1739-?】
相馬敏胤(としたね)
妻 長野業盛の娘
妻の父 長野業盛→長野業盛の系図
相馬高胤~義胤の系図
相馬高胤(たかたね)/隆胤(たかたね)【?-1492】
祖父 胤国・父 師国→相馬師常~重胤の系図
相馬盛胤(もりたね)/定胤(さだたね)【1470-1521】
妻 芦名盛舜の娘【?-1517】
妻の父 芦名盛舜→芦名盛舜の系図
子 近胤〔養父:堀内胤直〕(『相馬家譜(磐城中村)』による。)
子 宗胤(むねたね)/胤乗(たねのり)【?-1579】
母は『寛政重修諸家譜』による。
相馬顕胤(あきたね)【1508-1549】
妻 伊達稙宗の娘【1506-1548】
妻の父 伊達稙宗→伊達尚宗・稙宗の系図
子の夫 田村清顕→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図
相馬盛胤(もりたね)【1529-1601】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 掛田義宗の娘【?-1569】
子 隆胤(たかたね)【1553-1590】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 盛胤の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
相馬義胤(よしたね)【1548-1635】
母は『寛政重修諸家譜』による。豊臣秀吉の小田原攻めに参加し、本領を安堵された。関ケ原の戦いに参陣せず、一時所領を没収された。
妻 伊達稙宗の娘
妻の父 伊達稙宗→伊達尚宗・稙宗の系図
妻 三分一所義景の娘【1564-1618】
子 利胤・孫 義胤→相馬利胤~貞胤の系図
子 及胤(ちかたね)【1593-1660】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 岩城貞隆→岩城貞隆の系図
子 久胤(ひさたね)/尚胤(なおたね)【1600-1618】
相馬利胤~貞胤の系図
相馬利胤(としたね)/蜜胤(みつたね)/三胤【1581-1625】
陸奥国中村藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 盛胤・父 義胤→相馬高胤~義胤の系図
妻 芦名盛隆の娘【1585-1601】
妻の父 芦名盛隆→芦名盛隆の系図
妻 岡田元次の娘【1586-1665】
子の夫 寺沢堅高→寺沢堅高の系図
子の夫 西郷延員→西郷延員の系図
相馬義胤(よしたね)【1620-1651】
中村藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 内藤忠重の娘【1620-1646】
妻の父 内藤忠重→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図
相馬忠胤(ただたね)/勝胤(かつたね)【1637-1673】
中村藩主。実は土屋利直(→土屋利直・直樹の系図)の子。
妻 相馬義胤の娘【1641-1674】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 昌胤〔養父:相馬貞胤〕→相馬昌胤~恕胤の系図
子 忠胤の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。那須資徳に嫁ぐ予定であった。
子の夫 佐竹義長→佐竹義長の系図
相馬貞胤(さだたね)/信胤(のぶたね)【1659-1679】
中村藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 板倉重矩の娘【1662-1686】
妻の父 板倉重矩→板倉重昌~重種の系図
子の夫 北条氏朝→北条氏信~氏朝の系図
子 昌胤・孫 叙胤→相馬昌胤~恕胤の系図
相馬昌胤~恕胤の系図
相馬昌胤(まさたね)【1661-1728】
中村藩主。実は相馬忠胤(→相馬利胤~貞胤の系図)の子。
祖父 忠胤・父 貞胤→相馬利胤~貞胤の系図
妻 松平胤姫【1659-1711】
松平頼元(→松平頼元・頼貞の系図)の娘。
子 尊胤〔養父:相馬叙胤〕
子 福胤(よしたね)【1719-1758】
孫 福胤の娘〔養父:相馬尊胤〕
子 昌胤の娘
松平武雅・毛利広豊に嫁ぐ予定であった。
妻の父 板倉勝里→板倉重寛~勝行の系図
相馬叙胤(のぶたね)/義珍(よしくる)【1677-1711】
中村藩主。実は佐竹義処(→佐竹義処の系図)の子。
妻 相馬昌胤の娘【1681-1720】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 徳胤〔養父:相馬尊胤〕
子 次郎・延寿丸
母は『相馬家譜(磐城中村)』による。
相馬尊胤(たかたね)/清胤(きよたね)/宗胤(むねたね)【1697-1772】
中村藩主。実は相馬昌胤の子。
妻 本多康慶の娘【?-1770】
妻の父 本多康慶→本多康慶~康敏の系図
子 徳胤(のりたね)【1702-1752】
子の妻 内藤信輝の娘【1708-1729】
実は内藤弌信(→内藤信良~信輝の系図)の娘。
子の妻の父 内藤信輝→内藤信良~信輝の系図
子の妻 浅野吉長の娘【?-1762】
子の妻の父 浅野吉長→浅野綱長・吉長の系図
子の妻の夫 松平正甫→松平正容~容頌の系図
孫 恕胤〔養父:相馬尊胤〕
子の夫 大久保忠元→大久保忠元の系図
相馬恕胤(もろたね)【1734-1791】
中村藩主。実は相馬徳胤の子。
妻 青山幸秀の娘【1735-1781】
妻の父 青山幸秀→青山幸督~幸道の系図
子の夫 佐竹義祇→佐竹義祇の系図
子 信胤(のぶたね)【1759-1767】
子 斎胤(ときたね)/斉胤【1761-1786】
子 祥胤・孫 樹胤→相馬祥胤・樹胤の系図
子 大島肥胤〔養父:大島義和、天野富貞〕→大島肥胤の系図
子 恕胤の娘
松平忠房に嫁ぐ予定であった。
子の夫 織田信浮→織田信浮~寿重丸の系図
相馬祥胤・樹胤の系図
相馬祥胤(よしたね)【1765-1816】(以下、『相馬家譜(磐城中村)』による。)
中村藩主。
祖父 尊胤・父 恕胤→相馬昌胤~恕胤の系図
妻 松平忠告の娘【1771-1817】
妻の父 松平忠告→松平忠告~忠興の系図
子 益胤〔養父:相馬樹胤〕→相馬益胤~誠胤の系図
子 菅沼定邦〔養父:菅沼定賢〕→菅沼定邦の系図
子 仙胤【1786-1820】
孫 政寧〔養父:小栗政長〕
子の夫 大島肥胤→大島肥胤の系図
子の夫 松平善長→松平善長の系図
相馬樹胤(むらたね)【1781-1839】
中村藩主。
妻 松平忠済の娘【1779-1851】
妻の父 松平忠済→松平忠順~忠礼の系図
子 著胤【1801-1817】
子の夫 朽木大綱→朽木智綱~綱泰の系図
子 益胤・孫 充胤→相馬益胤~誠胤の系図
子 正路/展胤〔養父:室賀正儀〕
子 盛真/真胤〔養父:根来斯馨〕
子 佐竹義矩/博胤〔養父:佐竹義典(→相馬益胤~誠胤の系図)〕
子 樹胤の娘
実は大島肥胤(→大島肥胤の系図)の娘。井上正路に嫁いだ。
相馬益胤~誠胤の系図
相馬益胤(ましたね・ますたね)【1796-1845】
中村藩主。実は相馬祥胤(→相馬祥胤・樹胤の系図)の子。
祖父 祥胤・父 樹胤→相馬祥胤・樹胤の系図
妻 松平高姫
松平頼慎(→松平頼寛~頼之の系図)の娘。
子 佐竹義典/卓胤〔養父:佐竹義致、養子:佐竹義矩(→相馬祥胤・樹胤の系図)〕
子の夫 青山幸礼→青山幸完~幸宜の系図
子の夫 織田信学→織田信浮~寿重丸の系図
妻 池田氏
子 佐竹義尭〔養父:佐竹義睦、佐竹義純〕→佐竹義尭の系図
子 佐竹義諶〔養父:佐竹義純〕→佐竹義諶の系図
子 泰胤〔養父:岡田智胤〕
子の夫 松前崇広→松前章広~修広の系図
相馬充胤(みつたね)【1819-1887】
中村藩主。
妻 柳沢保泰の娘
妻の父 柳沢保泰→柳沢保光~保申の系図
妻 松平頼升の娘
妻の父 松平頼升→松平頼寛~頼之の系図
妻 太田資始の娘
妻の父 太田資始→太田資言~資美の系図
妻 大貫氏
子 佐竹義理〔養父:佐竹義諶〕→佐竹義理の系図
子 花(『華族系譜』による。)
相馬誠胤(ともたね)/季胤【1852-1892】
中村藩主。
妻 戸田京子
戸田光則(→戸田光悌~光則の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。