このページでは、小幡氏(村上源氏・雅兼流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
小幡氏の略系図
1 氏行→小幡氏行~重昌の系図
16-A 高昌・直寛→小幡高昌~新十郎・直寛~直久の系図
17-A 重世→小幡重世~直定の系図
18 重厚→小幡重厚~直道の系図
小幡氏行~重昌の系図
小幡氏行(うじゆき)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
畠山氏の養子となり、桓武平氏を称した。
祖父 頼則→源頼則の系図
父 則景→赤松則景~久範の系図
子 持貞(以下、『奥平家譜(豊前中津)』による。)
持貞孫 奥平貞俊→奥平貞俊~貞勝の系図
小幡崇行(たかゆき)
小幡高行(たかゆき)
小幡師行(もろゆき)
小幡有行(ありゆき)
小幡憲行(のりゆき)
小幡方行(まさゆき)
小幡憲隆(のりたか)
小幡憲高(のりたか)
小幡景高(かげたか)
子の夫 和田信種(『系図纂要』による。)
小幡定高(さだたか)
小幡実高(さねたか)
小幡顕高(あきたか)
小幡憲重(のりしげ)
子 信重(のぶしげ)【?-1569】
孫 信氏〔養父:小幡信真〕
子 昌定/信元
子 昌高/信辰
子 信秀(のぶひで)【?-1589】
孫 直之〔養父:小幡信真〕
小幡信真(のぶざね)【1541-1592】
子 信氏/信貞
実は小幡信重の子。
小幡直之(なおゆき)【1577-1648】
実は小幡信秀の子。
子 高昌・直寛・孫 二郎太郎・直則→小幡高昌~新十郎・直寛~直久の系図
小幡重昌(しげまさ)【1606-1653】
妻 赤井忠泰の娘
妻の父 赤井忠泰→赤井忠泰の系図
夫 三好直重→三好直重の系図
子 重厚・孫 直昌→小幡重厚~直道の系図
子 重世・孫 直頼→小幡重世~直定の系図
小幡重世~直定の系図
小幡重世(しげよ)【1643-1684】
祖父 直之・父 重昌→小幡氏行~重昌の系図
祖父 赤井忠泰→赤井忠泰の系図
妻 国領重次の娘
妻の父 国領重次→国領重次の系図
子 直昌〔養父:小幡重厚〕→小幡重厚~直道の系図
子 八木豊俊〔養父:八木豊貞〕→八木豊俊の系図
子 直好〔養父:小幡直昌〕→小幡重厚~直道の系図
子の夫 駒井勝岑→駒井勝岑の系図
子の夫 依田政有→依田政有の系図
小幡直頼(なおより)【1673-1743】
子 直武〔養父:小幡直政〕
小幡直政(なおまさ)【1713-1773】
実は依田政有(→依田政有の系図)の子。
妻 小崎貞豊の娘
妻の父 小崎貞豊→小崎貞豊の系図
子 榊原政矩〔養父:榊原政武〕→榊原政矩の系図
子 国領忠親〔養父:国領忠利〕→国領忠親の系図
子 伊丹勝興〔養父:伊丹勝道〕→伊丹勝興の系図
子の夫 竹内正相→竹内正相の系図
小幡直武(なおたけ)【1729-?】
実は小幡直頼の子。
妻 松波正方の娘
妻の父 松波正方→松波正方の系図
夫 鷲巣清光→鷲巣清光の系図
小幡直定(なおさだ)
妻 伊藤実英の娘
妻の父 伊藤実英→伊藤実英の系図
小幡高昌~新十郎・直寛~直久の系図
小幡高昌(たかまさ)【?-1642】
祖父 信真・父 直之→小幡氏行~重昌の系図
小幡新十郎
実は牛込俊重(→牛込俊重の系図)の子。
子 久松定持〔養父:久松定弘〕→久松定弘~定安の系図
小幡直寛(なおひろ)【1624-1688】
妻 松倉重次の娘
妻の父 松倉重次→松倉重次の系図
子の夫 坪内定富→坪内定富の系図
子の夫 荻原友高→荻原友高の系図
子の夫 榊原正玄→榊原正玄の系図
小幡直則(なおのり)【1649-1737】
妻 日向正久の娘
妻の父 日向正久→日向正久の系図
子の夫 佐藤政英→佐藤政英の系図
小幡直利(なおとし)【1693-1747】
妻 矢部春親の娘
妻の父 矢部春親→矢部春親の系図
子の夫 大竹信清→大竹信清の系図
小幡直春(なおはる)【1730-1761】
妻 団景脩の娘
妻の父 団景脩→団景脩の系図
小幡直宇(なおいえ)【1746-1798】
妻 権太成信の娘
実は小栗信宝(→小栗信宝の系図)の娘。
妻の父 権太成信→権太成信の系図
夫 瀬名貞正→瀬名貞正の系図
妻 佐久間盛親の娘
妻の父 佐久間盛親→佐久間盛親の系図
夫 滝野道寧→滝野道寧の系図
妻 今村正友の娘
妻の父 今村正友→今村正友の系図
子の夫 今村正章→今村正章の系図
小幡直久(なおひさ)【1773-?】
妻 藤沢次和の娘
妻の父 藤沢次和→藤沢次和の系図
妻 久保田政道の娘
妻の父 久保田政道→久保田政道の系図
小幡重厚~直道の系図
小幡重厚(しげあつ)/重直(しげなお)【1642-1717】
祖父 直之・父 重昌→小幡氏行~重昌の系図
祖父 赤井忠泰→赤井忠泰の系図
妻 長坂信俊の娘
妻の父 長坂信俊→長坂信俊の系図
小幡直昌(なおまさ)/重之(しげゆき)【1672-1739】
実は小幡重世(→小幡重世~直定の系図)の子。
妻 大久保忠直の娘
妻の父 大久保忠直→大久保忠直の系図
子 直羽〔養父:小幡直好〕
子 初鹿野信定〔養父:初鹿野信矩〕→初鹿野信定の系図
子の夫 国領忠良→国領忠良の系図
小幡直好(なおよし)【1689-1774】
実は小幡重世(→小幡重世~直定の系図)の子。
妻 内藤景広の娘
妻の父 内藤景広→内藤景広の系図
子 八木知高〔養父:八木豊房〕→八木知高の系図
子 直宏〔養父:小幡直羽〕
子 根本玄章〔養父:根本逵玄〕→根本玄章の系図
小幡直羽(なおのぶ)【1723-1767】
実は小幡直昌の子。
妻 牛込重行の娘
妻の父 牛込重行→牛込重行の系図
妻 溝口勝文の娘
妻の父 溝口勝文→溝口勝文の系図
小幡直宏(なおひろ)【1742-?】
実は小幡直好の子。
子 直常(なおつね)【1764-1791】
子の妻 中川忠睆の娘
子の妻の父 中川忠睆→中川忠睆の系図
子 宮崎重定〔養父:宮崎重教〕→宮崎重定の系図
子の夫 貴志忠以→貴志忠以の系図
小幡直道(なおみち)
妻 三好有政の娘
妻の父 三好有政→三好有政の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。