このページでは、久世氏(村上源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
久世氏(下総国関宿藩主)の略系図
1 左大夫→久世左大夫~広宣の系図
5-A 広当→久世広当~広孝の系図
5-B 重利→久世重利・重広・大久保忠門~久世広満の系図
6 広之→久世広之・重之の系図
6-A 広次→久世広次~広民の系図
7-A 広籌→久世広籌~広楽の系図
8 暉之→久世暉之・広明の系図
10 広誉→久世広誉~広業の系図
久世左大夫~広宣の系図
久世左大夫(以下、『系図纂要』による。)
祖父 清通→久我長通~清通の系図
父 通博→久我通博~通言の系図
久世広通(ひろみち)
久世広長(ひろなが)【?-1546】
子 甚九郎
19歳で亡くなった。
久世長宣(ながのぶ)【1540-1563】
妻 小笠原長隆の娘
妻の父 小笠原長隆→小笠原持長~貞朝の系図
妻 内藤正広の娘
妻の父 内藤正広→内藤正広の系図
夫 大久保忠吉→大久保忠吉の系図
久世広宣(ひろのぶ)【1561-1626】
子 広当・孫 広賢→久世広当~広孝の系図
子 坂部勝宣〔養父:坂部広勝〕→坂部勝宣の系図
子 広之・孫 重之→久世広之・重之の系図
孫 広次→久世広次~広民の系図
子 重利・孫 重広・大久保忠門→久世重利・重広・大久保忠門~久世広満の系図
子の夫 大久保忠当→大久保忠当の系図
子の夫 酒井重之→酒井重之の系図
久世広当~広孝の系図
久世広当(ひろまさ)【1598-1660】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 長宣・父 広宣→久世左大夫~広宣の系図
妻 井上正就の娘
妻の父 井上正就→井上正就の系図
子 広次〔養父:久世広之〕→久世広次~広民の系図
子の夫 内藤重頼→内藤清成~重頼の系図
子の夫 石野氏照→石野氏照の系図
久世広賢(ひろかた)【1640-1712】
妻 鳥居忠春の娘
妻の父 鳥居忠春→鳥居成次・忠春の系図
子 広貞〔養父:久世広次〕→久世広次~広民の系図
子の夫 牛込重矩→牛込重矩の系図
子の夫 川勝広英→川勝広英の系図
久世広隆(ひろたか)【1663-1717】
妻 大村純長の娘
実は笠坊益章の娘。
妻の父 大村純長→大村純長~純富の系図
子の夫 織田信倉→織田信倉の系図
子の夫 木下秀就→木下秀就の系図
久世広寛(ひろとお)【1704-1770】
妻 松平定昌の娘
妻の父 松平定昌→松平定昌~定規の系図
夫 松下之郷→松下之郷の系図
妻 内藤由良
内藤正友(→内藤政次~正友・正直~正器の系図)の娘。
子の夫 野一色義恭→野一色義恭の系図
子の夫 西尾政億→西尾利氏~政温の系図
久世広景(ひろかげ)/広咸(ひろしげ)【1747-?】
妻 内藤信庸の娘
妻の父 内藤信庸→内藤信全~信義の系図
子 筒井政憲〔養父:筒井正盈〕→筒井政憲の系図
久世広孝(ひろのり)【1772-?】
妻 久世広明の娘
妻の父 久世広明→久世暉之・広明の系図
妻 一柳末栄の娘
妻の父 一柳末栄→一柳直昌~末栄の系図
久世重利・重広・大久保忠門~久世広満の系図
久世重利(しげとし)/広郷(ひろさと)【1615-1686】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は大久保忠郷(→大久保忠郷の系図)の子。
祖父 長宣・父 広宣→久世左大夫~広宣の系図
子 広道(ひろみち)【1640-1718】
子の夫 岡本祐品→岡本祐品の系図
子の夫 根来長清→根来長清の系図
子の夫 千本季隆→千本季隆の系図
子の夫 角南重世→角南重世の系図
子の夫 松波重房→松波重房の系図
子の夫 小幡正信→小幡正信の系図
久世重広(しげひろ)【1640-1688】
妻 仙石政勝の娘
妻の父 仙石政勝→仙石政勝の系図
子の夫 近藤正之→近藤正之の系図
大久保忠門(ただかど)【1649-1688】
大久保為安(ためやす)【1662-1709】
実は大久保忠政の子。
妻 神尾高久の娘
妻の父 神尾高久→神尾高久の系図
久世広氐(ひろもと)/忠知(ただとも)【1690-1761】
実は高尾信仍(→高尾信仍の系図)の子。
子の夫 桑山晴和→桑山晴和の系図
子の夫 鈴木政審→鈴木政審の系図
子の夫 千本嘉隆→千本嘉隆の系図
子の夫 山田直郷→山田直郷の系図
子の夫 松平親精→松平親精の系図
子の夫 岡野明従→岡野明従の系図
久世広厚(ひろあつ)【1733-1771】
妻 遠山景信の娘
実は遠山景次(→遠山景次の系図)の娘。
妻の父 遠山景信→遠山景信の系図
夫 永井直定→永井直貞・直孟・直方~直休の系図
夫 坪内定英→坪内定英の系図
子の夫 平岡正興→平岡正興の系図
子の夫 山中時敬→山中時敬の系図
子の夫 金沢千秋→金沢千秋の系図
久世広満(ひろみつ)/利広(としひろ)【1755-?】
妻 山村良旺の娘
妻の父 山村良旺→山村良旺の系図
妻 宮重信量の娘
妻の父 宮重信量→宮重信量の系図
久世広之・重之の系図
久世広之(ひろゆき)【1609-1679】
老中・下総国関宿藩主。
祖父 長宣・父 広宣→久世左大夫~広宣の系図
妻 戸田忠能の娘
実は戸田忠次(→戸田忠次の系図)の娘。
妻の父 戸田忠能→戸田尊次・忠能の系図
子 百助・半弥・子 広之の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 次郎助(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 遠山友貞→遠山友貞の系図
子の夫 松平重治→松平重治の系図
子の夫 内田正衆→内田正信~正偏の系図
孫 正長・久世正広→内田正長~正央・久世正広~広邦の系図
子 広次・孫 広貞→久世広次~広民の系図
子の夫 本多信賢→本多信賢の系図
久世重之(しげゆき)【1660-1720】
老中・関宿藩主・備中国庭瀬藩主・丹波国亀山藩主・三河国吉田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 土井利房の娘
妻の父 土井利房→土井利房~利寛の系図
子 織部・富千代・子 重之の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 重之の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松平康員→松平康映~康福の系図
子 暉之・孫 広明→久世暉之・広明の系図
子 広籌・孫 広武→久世広籌~広楽の系図
子 広般〔養父:久世広貞〕→久世広次~広民の系図
子 重之の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
井伊直定に嫁ぐ予定であった。
子 門丸・小源太・子 重之の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 石川総慶→石川総慶~総博の系図
久世広籌~広楽の系図
久世広籌(ひろかず)【1700-1722】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 広之・父 重之→久世広之・重之の系図
久世広武(ひろたけ)【1711-1773】
実は土井利良(→土井利直~利豊の系図)の子。
妻 松平忠根の娘
妻の父 松平忠根→松平忠根~忠元の系図
子 広明〔養父:久世暉之〕→久世暉之・広明の系図
子 土井利剛〔養父:土井利里〕→土井利益~利見の系図
子 河野通成〔養父:河野通孝〕→河野通重~通成の系図
子の夫 巨勢利永→巨勢利永の系図
久世広徳(ひろのり)/広業(ひろなり)/広誉(ひろな)【1732-?】
妻 戸田光清の娘
妻の父 戸田光清→戸田光直~光一の系図
子の夫 福原資明→福原資明の系図
子の夫 戸田氏寧→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
久世広楽(ひろとも)【1765-?】
妻 久世広明の娘
妻の父 久世広明→久世暉之・広明の系図
久世広次~広民の系図
久世広次(ひろつぐ)/重勝(しげかつ)【1645-1721】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は久世広当(→久世広当~広孝の系図)の子。
祖父 広宣→久世左大夫~広宣の系図
父 広之→久世広之・重之の系図
妻 正木康可の娘
妻の父 正木康可→正木康可の系図
久世広貞(ひろさだ)【1665-1742】
実は久世広賢(→久世広当~広孝の系図)の子。
妻 北条氏治の娘
妻の父 北条氏治→北条氏信~氏朝の系図
夫 石川義孝→石川忠総~義孝の系図
久世広般(ひろかず)【1703-1738】
実は久世重之(→久世広之・重之の系図)の子。
妻 井上正興の娘
妻の父 井上正興→井上正利・正興~正章の系図
子 広民〔養父:久世広胖〕
子の夫 酒井忠亮→酒井忠成~忠徹の系図
久世広胖(ひろやす)【1730-1749】
久世広民(ひろたみ)【1732-?】
実は久世広般の子。
妻 小堀政峯の娘
実は小堀惟貞(→小堀惟貞の系図)の娘。
妻の父 小堀政峯→小堀政峯の系図
妻 金子氏
子 安藤正武〔養父:安藤正甫〕→安藤正程~正武の系図
子 広備(ひろとも)【1761-?】
実は久世広明(→久世暉之・広明の系図)の子。
子の妻 酒井忠亮の娘
子の妻の父 酒井忠亮→酒井忠成~忠徹の系図
子の妻の夫 土屋利置→土屋利置の系図
子 菅沼定富〔養父:菅沼定亨〕→菅沼定富の系図
子 広才(ひろもと)【1773-?】
実は久世広明(→久世暉之・広明の系図)の子。
子の夫 渡辺孝→渡辺孝の系図
子の夫 上杉義長→上杉義長の系図
子の夫 内藤正博→内藤正貞~正博の系図
子の夫 水野忠篤→水野定勝・忠順~忠告の系図
久世暉之・広明の系図
久世暉之(てるゆき)【1699-1749】
関宿藩主。
祖父 広之・父 重之→久世広之・重之の系図
妻 津軽信寿の娘
妻の父 津軽信寿→津軽信政~信著の系図
夫 保科正寿→保科正貞~正寿の系図
久世広明(ひろあきら)【1731-1785】
老中・関宿藩主。実は久世広武(→久世広籌~広楽の系図)の子。
妻 岡部長著の娘
妻の父 岡部長著→岡部長著~長備の系図
子 広誉・孫 綏之→久世広誉~広業の系図
子 吉次郎・千三郎・熊之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 広明の娘
松平忠恕に嫁ぐ予定であった。
子 広備・広才〔養父:久世広民〕→久世広次~広民の系図
子 長谷川勝孚〔養父:長谷川勝富〕→長谷川勝孚の系図
子 土井利豊〔養父:土井利国〕→土井利直~利豊の系図
子 重逵〔養父:鈴木重期〕
子 松平広徳〔養父:松平勝興〕→松平広徳の系図
子 土井利器〔養父:土井利義〕→土井利貞~利恒の系図
子 満喜子→伊達村賢~村敬の系図
子 広明の娘
大久保忠和に嫁ぐ予定であった。
子の夫 久世広楽→久世広籌~広楽の系図
子の夫 久世広孝→久世広当~広孝の系図
久世広誉~広業の系図
久世広誉(ひろやす)/広敦(ひろあつ)【1751-1821】(以下、『久世家譜(下総関宿)』による。)
関宿藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 暉之・父 広明→久世暉之・広明の系図
祖父 岡部長著→岡部長著~長備の系図
妻 松平武元の娘
妻の父 松平武元→松平武元~武聡の系図
子の夫 秋田長季→秋田長季の系図
子の夫 安藤信馨→安藤信尹~信馨の系図
子 大友義路〔養父:大友義智〕→大友義路の系図
子 広教〔養父:高力直忠〕
子の夫 戸田光庸→戸田光悌~光則の系図
久世綏之(やすゆき)/広愷(ひろよし)【1771-1839】
妻 西尾忠移の娘
妻の父 西尾忠移→西尾忠移~忠篤の系図
子 綏之の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
久世広運(ひろたか・ひろゆき)【1799-1830】
関宿藩主。藩校教倫館を創設した。
妻 伊達村芳の娘
妻の父 伊達村芳→伊達村賢~村敬の系図
久世広周(ひろちか)【1819-1864】
老中・関宿藩主。実は大草高好の子。安藤信正とともに公武合体策を進めたが、失脚して永蟄居となった。
妻 阿部正精の娘
妻の父 阿部正精→阿部正精~正桓の系図
子 広業〔養父:久世広文〕
久世広文(ひろふみ)【1853-1899】
関宿藩主。
久世広業(ひろなり)【1858-1911】
関宿藩主。実は久世広周の子。
妻 松平信宝の娘
妻の父 松平信宝→松平信亨~信安の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。