このページでは、形原松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
形原松平家(丹波国亀山藩主)の略系図
1 与副→松平与副~親忠の系図
4 家広→松平家広・家房の系図
4-A1 正重→松平正重・正長・信平~信博の系図
4-A2 正成→松平正成~隆則の系図
4-A3 親明→松平親明~親敬の系図
5 家忠→松平家忠・家信の系図
6-A1 氏信→松平氏信の系図
6-A2 氏清→松平氏清~信愛の系図
6-A3 氏辰→松平氏辰~信知の系図
7 康信→松平康信~信利の系図
10 信庸→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
12 信直→松平信直~信彰の系図
15 信志→松平信志~信正の系図
松平与副~親忠の系図
松平与副(ともすけ)/与嗣(ともつぐ)
形原松平家の祖。
祖父 泰親→松平親氏・泰親の系図
父 信光→松平信光の系図
松平貞副(さだすけ)【?-1531】
曾孫 貞素
曾孫の妻 松平家房の娘
曾孫の妻の父 松平家房→松平家広・家房の系図
松平親忠(ちかただ)【?-1541】
子 家広・孫 家房→松平家広・家房の系図
孫 家忠→松平家忠・家信の系図
孫 要房【?-1612】
松平家広・家房の系図
松平家広(いえひろ)【?-1571】
祖父 貞副・父 親忠→松平与副~親忠の系図
妻 水野忠政の娘
妻の父 水野忠政→水野忠政の系図
子 家忠・孫 家信→松平家忠・家信の系図
子 貞子→鳥居元忠・忠政の系図
孫 鳥居成次→鳥居成次・忠春の系図
子の夫 石川数正→石川親康~清兼・康正~三長の系図
子の夫 松平信長→松平忠景~忠実の系図
松平家房(いえふさ)【1560-1623】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 正重・孫 正長・信平→松平正重・正長・信平~信博の系図
子 正成・孫 政善→松平正成~隆則の系図
孫 親明→松平親明~親敬の系図
子 貞利〔養父:松平広房〕
子の夫 松平貞素→松平与副~親忠の系図
子 広房
母は『松平家譜(丹波亀山)』による。
孫 貞利/比房/康比【?-1655】
実は松平家房の子。
孫の妻 松平家信の娘
孫の妻の父 松平家信→松平家忠・家信の系図
曾孫 利房/清房
広房孫 格房(『松平家譜(丹波亀山)』による。)
広房孫 宗房(『松平家譜(丹波亀山)』による。)
松平正重・正長・信平~信博の系図
松平正重(まさしげ)/信房(のぶふさ)【?-1626】
祖父 家広・父 家房→松平家広・家房の系図
妻 松平登良
松平家信(→松平家忠・家信の系図)の娘。
孫 広良(以下、『松平家譜(丹波亀山)』による。)
孫の妻 松平康信の娘
孫の妻の父 松平康信→松平康信~信利の系図
吉明孫 信良〔養父:松平信房〕→松平氏清~信愛の系図
松平正長(まさなが)/信昌(のぶまさ)/広昌(ひろまさ)【?-1646】
妻 松平康信の娘
妻の父 松平康信→松平康信~信利の系図
子の夫 堀田正英→堀田正英の系図
松平信平(のぶひら)/広安(ひろやす)【?-1642】
松平重正(しげまさ)【?-1675】
妻 松平清信の娘
妻の父 松平清信→松平康信の系図
松平正房(まさふさ)【1666-1706】
実は松平清行(→松平清行の系図)の子。
子の夫 松平清興→松平清興の系図
子の夫 関正供(『松平家譜(丹波亀山)』による。)
松平房儀(ふさのり)【1702-1753】
妻 山崎正周の娘
妻の父 山崎正周→山崎正周の系図
妻 坪内長定の娘
妻の父 坪内長定→坪内長定の系図
妻 天野康高の娘
妻の父 天野康高→天野康高の系図
子の夫 松下之賀→松下之賀の系図
子の夫 佐々成照→佐々成照の系図
松平房泰(ふさやす)【1732-1773】
妻 内藤尚庸の娘
妻の父 内藤尚庸→内藤尚庸の系図
妻 賀茂宮直傑の娘
妻の父 賀茂宮直傑→賀茂宮直傑の系図
子 小宮山昌胤〔養父:小宮山昌雄〕→小宮山昌胤の系図
子の夫 川田貞興→川田貞興の系図
子の夫 日下宗珍→日下宗珍の系図
松平房熟(ふさよし)【1747-1791】
妻 大河内豊貫の娘
妻の父 大河内豊貫→大河内重綱~久徴の系図
妻 柳沢信武の娘
妻の父 柳沢信武→柳沢信尹~聴信の系図
夫 末高信門→末高信門の系図
子の夫 鶴定護→鶴定護の系図
松平信博(のぶひろ)【1770-?】
妻 赤井直行の娘
妻の父 赤井直行→赤井直行の系図
松平正成~隆則の系図
松平正成(まさなり)/政成(まさなり)【1595-1630】
祖父 家広・父 家房→松平家広・家房の系図
子 親明・孫 広政→松平親明~親敬の系図
松平政善(まさよし)/貞盈(さだみつ)【1627-1704】
妻 川田貞則の娘
妻の父 川田貞則→川田貞則の系図
子 菅沼定泰〔養父:菅沼定治〕→菅沼定泰の系図
子 菅沼定昌〔養父:菅沼定広、松平忠隆〕→菅沼定昌の系図
松平忠隆(ただたか)【1665-1738】
子 菅沼定昌→菅沼定昌の系図
子の夫 青木信秋→青木信秋の系図
子の夫 朝倉正舎→朝倉正舎の系図
子の夫 吉田盛苗→吉田盛苗の系図
松平隆尚(たかなお)【1704-1784】
実は松平隆欽(→松平隆欽の系図)の子。
子 内田尚房〔養父:内田弘篤〕→内田尚房の系図
子 小林隆録〔養父:小林俊存〕→小林隆録の系図
子の夫 河野通頼→河野通頼の系図
子の夫 栗本昌友→栗本昌友の系図
松平隆年(たかとし)【1729-1790】
松平隆則(たかのり)【1774-?】
松平親明~親敬の系図
松平親明(ちかあきら)【1630-1682】
祖父 家房→松平家広・家房の系図
父 正成→松平正成~隆則の系図
妻 筧政次の娘
妻の父 筧政次→筧政次の系図
子 親春〔養父:松平広政〕
子の夫 大久保忠眺→大久保忠眺の系図
松平広政(ひろまさ)
松平親春(ちかはる)【1672-1753】
実は松平親明の子。
子 菅沼定矩〔養父:菅沼定泰〕→菅沼定矩の系図
子 信友〔養父:松平信房、松平道庸〕→松平氏清~信愛の系図
子 親芳〔養父:松平親元〕
子 三枝守与〔養父:三枝守田〕→三枝守与の系図
子 今村長政〔養父:今村長祥〕→今村長政の系図
子 お遊の方→徳川家重・家治の系図
孫 清水重好→清水重好~篤守の系図
子の夫 千葉季珍→千葉季珍の系図
子の夫 石丸有証→石丸有証の系図
子の夫 中島在久→中島在久の系図
子の夫 天野富房→天野富房の系図
子の夫 蜂屋定救→蜂屋定救の系図
松平親元(ちかもと)【1694-1765】
妻 石谷清職の娘
妻の父 石谷清職→石谷清職の系図
子の夫 菅沼定景→菅沼定景の系図
子の夫 中根信之→中根信之の系図
松平親芳(ちかよし)【1727-1786】
実は松平親春の子。
子 今村和祥〔養父:今村長政〕→今村和祥の系図
松平親敬(ちかたか)【1753-?】
妻 木村恒佐の娘
妻の父 木村恒佐→木村恒佐の系図
松平家忠・家信の系図
松平家忠(いえただ)【1547-1582】
徳川家康に従い、長篠の戦いなどで功をあげた。
祖父 親忠→松平与副~親忠の系図
父 家広→松平家広・家房の系図
祖父 水野忠政→水野忠政の系図
妻 酒井正親の娘
妻の父 酒井正親→酒井広親~重忠の系図
子の夫 足助氏・加賀爪甚十郎(『松平家譜(丹波亀山)』による。)
松平家信(いえのぶ)/家副(いえすけ)【1565-1638】
三河国形原藩主・摂津国高槻藩主・下総国佐倉藩主。
妻 松平康忠の娘
妻の父 松平康忠→松平康忠の系図
子 家信の息子(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 太田輝資の娘
子 康信・孫 典信→松平康信~信利の系図
妻 石川康正の娘
妻の父 石川康正→石川親康~清兼・康正~三長の系図
子 重信〔養父:松平正勝〕→松平重信の系図
子 氏信→松平氏信の系図
孫 氏清→松平氏清~信愛の系図
孫 氏辰→松平氏辰~信知の系図
子 信忠(のぶただ)【?-1640】
子 登良→松平正重・正長・信平~信博の系図
子 福松→櫛笥隆憲~隆方の系図
子 登久→和田重富の系図
子 都留→井伊直勝~直員の系図
子の夫 松平清定→松平清定の系図
子の夫 松平貞利→松平家広・家房の系図
松平氏信の系図
松平氏信(うじのぶ)【1613-1683】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 家忠・父 家信→松平家忠・家信の系図
妻 久貝正世の娘
妻の父 久貝正世→久貝正世の系図
子 氏清・孫 信房→松平氏清~信愛の系図
子 久貝正方〔養父:久貝正世〕→久貝正方の系図
子 氏辰・孫 信綿→松平氏辰~信知の系図
子 久貝八兵衛〔養父:久貝正世〕→久貝八兵衛の系図
子の夫 伊奈宗英→伊奈宗英の系図
子の夫 本多重寛→本多重看~成孝の系図
子の夫 渡辺方綱→渡辺吉綱~基綱の系図
子の夫 能勢頼方→能勢頼方の系図
子の夫 遠藤常就→遠藤常就の系図
松平氏清~信愛の系図
松平氏清(うじきよ)【1643-1689】
祖父 家信→松平家忠・家信の系図
父 氏信→松平氏信の系図
祖父 久貝正世→久貝正世の系図
妻 大井昌義の娘
妻の父 大井昌義→大井昌義の系図
子の夫 久貝正順→久貝正順の系図
松平信房(のぶふさ)/氏宗(うじむね)【1675-1737】
妻 加藤泰觚の娘
妻の父 加藤泰觚→加藤泰觚の系図
子 信良
実は松平勝房(→松平正重・正長・信平~信博の系図)の子。
子 信房の娘
松平庸倫に嫁ぐ予定であった。
子の夫 河野通長→河野通長の系図
子の夫 松平親賢→松平親賢の系図
松平信友(のぶとも)/庸秀(つねひで)【1718-1778】〔養父:松平道庸(→松平氏辰~信知の系図)〕
実は松平親春(→松平親明~親敬の系図)の子。
妻 松平道庸の娘
妻の父 松平道庸→松平氏辰~信知の系図
妻 高橋氏
子 藪忠居〔養父:藪忠久〕→藪忠居の系図
子 伊丹興親〔養父:伊丹景興〕→伊丹興親の系図
子の夫 土岐頼方→斎藤頼元~土岐頼永の系図
子の夫 石川総恒→石川総乗~総武の系図
松平信〓(のぶひろ)【1741-1789】
〓は「申」+「壽」。
妻 藪忠久の娘
妻の父 藪忠久→藪忠久の系図
松平信愛(のぶひろ)/信成(のぶなり)【1763-?】
実は松平信直(→松平信直~信彰の系図)の子。
妻 松平信〓の娘
実は土岐頼方(→斎藤頼元~土岐頼永の系図)の娘。
松平氏辰~信知の系図
松平氏辰(うじとき)/氏次(うじつぐ)【1653-1693】
祖父 家信→松平家忠・家信の系図
父 氏信→松平氏信の系図
祖父 久貝正世→久貝正世の系図
妻 松平典信の娘
妻の父 松平典信→松平康信~信利の系図
子 道庸(みちつね)【1682-1735】
子の妻 松平隆欽の娘
子の妻の父 松平隆欽→松平隆欽の系図
孫 庸貞(つねさだ)【1721-1731】
孫・孫の夫 信友→松平氏清~信愛の系図
子 清興〔養父:松平清親〕→松平清興の系図
子 忠盈〔養父:松平忠勝〕→松平忠利~忠幸の系図
松平信綿(のぶつら)/信允(のぶみつ)【1679-1750】
妻 酒井忠正の娘
妻の父 酒井忠正→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
子 信辰(のぶとき)【1700-1738】
子の妻 中条信実の娘
子の妻の父 中条信実→中条信実の系図
孫 信辰の娘〔養父:松平信綿〕
松平氏盛(うじもり)/貞高(さだたか)【1711-1771】
実は三宅康徳(→三宅康徳の系図)の子。
妻 松平信綿の娘
実は松平信辰の娘。
子 氏盛の娘〔養父:松平信名〕
子の夫 天野昌方→天野昌方の系図
子の夫 内藤忠賢→内藤忠吉~忠孝の系図
子の夫 堀秀隆→堀秀隆の系図
子の夫 筒井忠英→筒井忠英の系図
松平信名(のぶな)【1745-1779】
松平信男(のぶお)【1763-?】
妻 松平信名の娘
実は松平氏盛の娘。
松平信知(のぶちか)【1781-?】
妻 安藤惟徳の娘
妻の父 安藤惟徳→安藤惟徳の系図
松平康信~信利の系図
松平康信(やすのぶ)【1600-1682】
佐倉藩主・摂津国高槻藩主・丹波国篠山藩主。
祖父 家忠・父 家信→松平家忠・家信の系図
妻 水野重央の娘
妻の父 水野重央→水野重央・重良・良全~長啓の系図
子 英信(ふさのぶ)【1634-1656】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 津祢→松平英親の系図
妻 酒井忠勝の娘
妻の父 酒井忠勝→酒井忠勝の系図
夫 朝倉宣親→朝倉宣親の系図
子の夫 土屋政直→土屋政直の系図
子 照信〔養父:松平重信〕→松平照信の系図
子の夫 松平正長・松平広良→松平正重・正長・信平~信博の系図
子の夫 堀田正英→堀田正英の系図
松平典信(すけのぶ)【1629-1672】
篠山藩主。
妻 板倉与津
板倉重宗(→板倉重宗の系図)の娘。
子 信庸〔養父:松平信利〕→松平信庸の系図
子 市→戸田光永~光慈の系図
子の夫 内藤忠次→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図
子の夫 中山信行→中山信治~信順の系図
子の夫 戸田重恒→戸田重恒~光弘の系図
子の夫 松平忠充→松平忠充~康豊の系図
子の夫 松平氏辰→松平氏辰~信知の系図
子の夫 真田信音→真田信音の系図
子の夫 永井直敬→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
子の夫 松平近禎→松平近禎・近貞の系図
子 信孝〔養父:松平重信〕→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
松平信利(のぶとし)【1659-1676】
篠山藩主。
子 信庸・孫 信岑・孫 庸倫→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
松平信庸(のぶつね)/政信(まさのぶ)/信慈(のぶしげ)【1666-1717】
老中・篠山藩主。実は松平典信(→松平康信~信利の系図)の子。
祖父 典信・父 信利→松平康信~信利の系図
妻 酒井忠清の娘
妻の父 酒井忠清→酒井忠世~忠清の系図
妻 前田菊
前田利明(→前田利治~利章の系図)の娘。
子 戸田種辰〔養父:戸田重澄〕→戸田重恒~光弘の系図
子 信庸の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 晃珍〔養父:松平信治〕→晃珍の系図
子 信嵩〔養父:松平信治〕→松平信嵩の系図
子の夫 南部広信→南部直房~広信の系図
子の夫 永井直陳→永井直陳~尚服の系図
子の夫 三宅康高→三宅康高の系図
松平信岑(のぶみね)【1696-1763】
篠山藩主・丹波国亀山藩主。
妻 内藤義孝の娘
妻の父 内藤義孝→内藤忠興~義稠の系図
妻 内藤義英の娘
妻の父 内藤義英→内藤忠興~義稠の系図
妻 内藤清枚の娘
妻の父 内藤清枚→内藤清枚~頼直の系図
夫 高木正府→高木正府の系図
夫 片桐満紀→片桐満紀の系図
子 信直・孫 信道→松平信直~信彰の系図
子 信岑の娘
実は戸田種辰(→戸田重恒~光弘の系図)の娘。板倉勝香に嫁ぐ予定であった。
子の夫 中山政信→中山信昌・政信の系図
子の夫 本多忠弘→本多忠周~忠曄の系図
松平庸倫(つねとも)【1698-1761】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 信直〔養父:松平信岑〕→松平信直~信彰の系図
子 庸倫の娘(2人)〔養父:松平信岑〕
子 庸倫の娘
永見為好に嫁ぐ予定であった。
松平庸孝(つねたか)【1757-?】
妻 朽木紀綱の娘
妻の父 朽木紀綱→朽木則綱~綱弘の系図
子 信志〔養父:松平信彰〕→松平信志~信正の系図
妻 内藤忠見の娘
妻の父 内藤忠見→内藤忠清~忠英の系図
夫 堀田一定→堀田一定の系図
子 庸煕(以下、『華族系譜』による。)
孫 信義〔養父:松平信豪〕→松平信志~信正の系図
松平信直~信彰の系図
松平信直(のぶなお)【1732-1786】
亀山藩主。実は松平庸倫(→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図)の子。
祖父 信庸・父 信岑→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
妻 戸田正
戸田光雄(→戸田光雄~光和の系図)の娘。
子 信愛〔養父:松平信〓(「申」+「壽」)〕→松平氏清~信愛の系図
子 戸田光弘〔養父:戸田光邦〕→戸田重恒~光弘の系図
子 巨勢利和〔養父:巨勢至親〕→巨勢利和の系図
子 牧野成傑〔養父:牧野資成〕→牧野成傑の系図
子 貞幹〔養父:松平貞治〕(『松平家譜(丹波亀山)』による。)
子 彦坂重教〔養父:彦坂忠篤〕→彦坂重教の系図
子 信直の娘(『松平家譜(丹波亀山)』による。)
子の夫 松平勝全→松平勝以~勝慈の系図
子の夫 溝口直旧→溝口直旧の系図
子の夫 太田資承→太田資良~資承の系図
松平信道(のぶみち)【1762-1791】
亀山藩主。
妻 松平定静の娘
妻の父 松平定静→松平定静~定昭の系図
子 信直の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信直の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
松平信彰(のぶかた)/道宜(みちよし)/信賢(のぶかた)【1782-1802】
亀山藩主。
妻 松平忠告の娘
妻の父 松平忠告→松平忠告の系図
夫 米倉昌俊→米倉昌晴~昌言の系図
子 信志・孫 信豪→松平信志~信正の系図
松平信志~信正の系図
松平信志(のぶゆき)【1785-1816】(以下、『華族系譜』による。)
亀山藩主。実は松平庸孝(→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図)の子。
祖父 信道・父 信彰→松平信直~信彰の系図
妻 松平定信の娘
実は加藤泰候(→加藤泰候の系図)の娘。
妻の父 松平定信→松平定信の系図
子 信賢〔養父:松平信友〕→松平信賢の系図
子 泰→飛鳥井雅香~雅望の系図
子 年→井伊直存~直安の系図
松平信豪(のぶひで)【1813-1865】
亀山藩主。
妻 酒井忠実の娘
妻の父 酒井忠実→酒井忠実の系図
子 寿→松平信進の系図
子 信豪の息子【?-1832】
子 善照【?-1859】
子 成美【?-1864】
子 信陵/彰義
子 貞→井伊直中~直憲の系図
子 銈【?-1844】
子 信豪の娘【?-1840】
子 銕【?-1841】
子 信正・子 信敏・子 鉎〔養父:松平信義〕
松平信義(のぶよし)/信篤/庸謹【1822-1866】
老中・亀山藩主。実は松平庸煕(→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図)の子。
妻 水野硯
水野勝愛(→水野勝前~勝寛の系図)の娘。
子 信敏【?-1865】
実は松平信豪の子。
子 信義の娘
実は松平信友(→松平信友の系図)の娘。橋本実梁に嫁ぐ予定であった。
子 鉎
実は松平信豪の娘。花房弥之助に嫁ぐ予定であった。
松平信正(のぶまさ)【1852-1909】
亀山藩主。実は松平信豪の子。藩名を亀岡藩に改めた。
妻 西尾忠受の娘
妻の父 西尾忠受→西尾忠移~忠篤の系図
妻 宗植子
宗義和(→宗義暢~重正の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。