このページでは、奥平松平家(村上源氏・雅兼流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
奥平松平家(武蔵国忍藩主)の略系図
1 忠明→松平忠明の系図
2 忠弘→松平忠弘の系図
3 忠雅→松平忠雅~忠功の系図
7 忠和→松平忠和~忠敬の系図
松平忠明の系図
松平忠明(ただあきら)/清匡(きよただ)【1583-1644】〔養父:徳川家康(→徳川家康の系図)〕
三河国作手藩主・伊勢国亀山藩主・大和国郡山藩主・播磨国姫路藩主。奥平松平家の祖。
祖父 貞能・父 信昌→奥平貞能~忠昌の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 織田信包の娘
妻の父 織田信包→織田信包の系図
子 通子→四条隆重~隆平の系図・稲葉紀通の系図
妻 小出吉政の娘
妻の父 小出吉政→小出吉政の系図
子 無垢子→鍋島忠直の系図・鍋島直澄の系図
子 梅子→大久保忠職の系図
子 犬子→京極高通~高之・高重~高伴の系図
子 幸子→榊原照清の系図
子 万子→大沢尚親の系図
子 能子→藤谷為賢・為条の系図
妻 三好氏
子 忠弘→松平忠弘の系図
孫 忠尚→松平忠尚~忠恒の系図
孫 忠雅→松平忠雅~忠功の系図
子 清道(きよみち)【1634-1644】
播磨国姫路新田藩主。
松平忠弘の系図
松平忠弘(ただひろ)/清良(きよよし)【1631-1700】
姫路藩主・出羽国山形藩主・下野国宇都宮藩主・陸奥国白河藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。『華族系譜』によれば、早世した娘に仙子・楽子・幾子がいる。
祖父 信昌→奥平貞能~忠昌の系図
父 忠明→松平忠明の系図
妻 細川藤
細川忠利(→細川忠利~綱利の系図)の娘。
子 松千代
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長福子→松平忠尚~忠恒の系図
子 千代子→大久保忠増の系図
子 忠弘の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 清照(きよてる)/忠清【1652-1686】
孫 忠雅〔養父:松平忠弘〕→松平忠雅~忠功の系図
孫 浅子→松平直良~直純の系図
孫 直子→牧野成春の系図
孫 佐渡子→大沢基隆の系図
子 忠尚・孫 忠暁→松平忠尚~忠恒の系図
子 忠雅・孫 忠刻→松平忠雅~忠功の系図
子 参子→四条隆重~隆平の系図
子 鍋子→桑山一尹の系図・大沢基恒の系図
松平忠雅~忠功の系図
松平忠雅(ただまさ)【1683-1746】
山形藩主・備後国福山藩主・伊勢国桑名藩主。実は松平清照(→松平忠弘の系図)の子。
妻 毛利綱広の娘
妻の父 毛利綱広→毛利秀就~吉広の系図
子 忠張(ただはる)【1720-1738】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 艶子
母は『寛政重修諸家譜』による。松平正甫に嫁ぐ予定であった。
妻 中村氏
子 蜂須賀宗純〔養父:蜂須賀宗英〕→蜂須賀宗員~宗鎮の系図
子 阿栗子
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 行山氏
子 三保子
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 関口氏
子 井伊直存〔養父:井伊直員〕→井伊直存~直安の系図
子 万子→松平頼渡~頼淳の系図
子 政子→松平武元~武聡の系図
子 岩子→真田幸詮の系図
子 美津子→毛利政苗~元純の系図
松平忠刻(ただとき)/清種(きよたね)【1718-1782】
桑名藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 酒井忠寄の娘
妻の父 酒井忠寄→酒井忠寄・忠温の系図
子 忠泰(ただやす)【1737-1763】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 松平武元の娘
子の妻の父 松平武元→松平武元~武聡の系図
子 律子→池田綱清~重寛の系図
松平忠啓(ただひら)/清盈【1746-1786】
桑名藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 毛利重就の娘
妻の父 毛利重就→毛利吉元~重就の系図
子 忠啓の息子
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 関口氏
子 嘉津子・芳子(『寛政重修諸家譜』『華族系譜』による。)
妻 大嶋氏
子 英子
母は『寛政重修諸家譜』による。松平武厚に嫁ぐ予定であった。
子 周子〔養父:松平忠和、松平忠功〕→松平忠和~忠敬の系図
子 千里子→亀井矩貞~茲監の系図
子 簾子→黒田長邦~長徳の系図
子 忠啓の娘
黒田長堅に嫁ぐ予定であった。
松平忠功(ただかつ)/頼久(よりひさ)【1756-1830】〔養子:松平周子(→松平忠和~忠敬の系図)〕
桑名藩主。実は徳川宗将(→徳川宗将の系図)の子。
子 忠和・孫 忠翼→松平忠和~忠敬の系図
松平忠和~忠敬の系図
松平忠和(ただとも)/頼徳(よりやす)【1759-1802】
桑名藩主。実は徳川宗将(→徳川宗将の系図)の子。
祖父 忠啓・父 忠功→松平忠雅~忠功の系図
子 謙之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 唯之進・忠和の息子・子 常子(『華族系譜』による。)
松平忠翼(ただすけ)【1780-1821】
桑名藩主。実は井伊直朗(→井伊直存~直安の系図)の子。藩校進修館を創設した。
妻 松平周子〔養父:松平忠功(→松平忠雅~忠功の系図)〕
実は松平忠啓(→松平忠雅~忠功の系図)の娘。
子 忠彦〔養父:松平忠尭〕
子 政礼〔養父:小笠原政雍〕
子 忠国〔養父:松平忠彦〕
子 米津政饒〔養父:米津政懿〕→米津政饒の系図
子 鋭子→保科正富~正益の系図
子 純子→増山正賢~正同の系図
子 操子→大岡忠恒~忠敬の系図
子 暢子(『華族系譜』による。)
松平忠尭(ただたか)【1801-1864】(以下、『華族系譜』による。)
桑名藩主・武蔵国忍藩主。
妻 韶子女王(つぐこ)【1805-1841】
貞敬親王(→貞敬親王の系図)の王女。
松平忠彦(たださと)【1805-1841】
忍藩主。実は松平忠翼の子。
妻 池田繍子〔養父:池田斉訓(→池田治道~慶徳の系図)〕
池田斉稷(→池田治道~慶徳の系図)の娘。
松平忠国(ただくに)/清照【1815-1868】
忍藩主。実は松平忠翼の子。
妻 奥平鑾子
奥平昌暢(→奥平昌高~昌邁の系図)の娘。父は奥平昌猷とも。
子 忠矩/池田茂政→池田斉政~章政の系図
子 忠毅【1844-1862】
実は黒田長元(→黒田長邦~長徳の系図)の子。
松平忠誠(ただざね)【1840-1869】
忍藩主。実は大久保忠声(→大久保忠声の系図)の子。
松平忠敬(ただのり)【1855-1919】
忍藩主。実は上杉斉憲(→上杉斉憲の系図)の子。
妻 貴子女王
邦家親王(→邦家親王の系図)の王女。
夫 松平直応→松平宣維~定安の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。