このページでは、奥平松平家(村上源氏・雅兼流)・忠尚流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
奥平松平家・忠尚流(上野国小幡藩主)の略系図
1 忠尚→松平忠尚~忠恒の系図
4 忠福→松平忠福~忠恕の系図
松平忠尚~忠恒の系図
松平忠尚(ただなお)/乗高(のりたか)/乗守(のりもり)【1651-1726】
陸奥国桑折藩主。実は松平乗久(→松平乗久・乗春・好乗~影乗の系図)の子。
妻 松平長福子
松平忠弘(→松平忠弘の系図)の娘。
子 乗良・仙千代
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 津軽信寿→津軽信政~信著の系図
子 忠泰(ただやす)/乗利(のりとし)【1684-1712】
実は松平乗久(→松平乗久・乗春・好乗~影乗の系図)の子。
松平忠暁(ただあきら)/乗包(のりかね)【1691-1736】
桑折藩主。実は松平乗春(→松平乗久・乗春・好乗~影乗の系図)の子。
妻 黒田直邦の娘
妻の父 黒田直邦→黒田直邦・直純の系図
子 忠衙・子 忠暁の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 毛利高能→毛利高慶・高通の系図
子の夫 堀田正実→堀田正実の系図
子の夫 高木正恒→高木正恒の系図
子の夫 稲垣定計→稲垣定計の系図
松平忠恒(ただつね)【1720-1768】
桑折藩主・上野国篠塚藩主・上野国上里見藩主・上野国小幡藩主。
妻 津軽信興の娘
妻の父 津軽信興→津軽信政~信著の系図
子 忠福・孫 忠恵→松平忠福~忠恕の系図
子 大久保忠恕〔養父:大久保忠恒〕→大久保忠恕の系図
子 忠恒の娘
本多忠遠・本多忠昭に嫁ぐ予定であった。
子 忠恒の娘〔養父:桑原盛員〕→桑原盛員の系図
子 忠恒の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 内藤信凭→内藤信興~信美の系図
子の夫 井上正定→井上正定~正直の系図
子の夫 松平忠順→松平宗治~忠順の系図
松平忠福~忠恕の系図
松平忠福(ただよし)【1742-1799】
小幡藩主。藩校小幡学校を創設した。
祖父 忠暁・父 忠恒→松平忠尚~忠恒の系図
祖父 津軽信興→津軽信政~信著の系図
妻 本庄資訓の娘
実は本庄資順(→本庄資順の系図)の娘。
妻の父 本庄資訓→本庄資訓の系図
子 忠房(ただふさ)【1765-1789】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 間部詮方の娘
子の妻の父 間部詮方→間部詮方の系図
孫 忠房の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 忠恵〔養父:松平忠福〕
子 高木正剛〔養父:高木正直〕→高木正剛の系図
子 忠彊(ただたけ)【1776-1798】
子の妻 内藤信凭の娘
子の妻の父 内藤信凭→内藤信興~信美の系図
子の妻の夫 安藤信馨→安藤信尹~信馨の系図
子の妻の夫 酒井忠懿→酒井忠助~忠懿の系図
孫の夫 大田原愛清→大田原庸清~一清の系図
子 横瀬貞征〔養父:横瀬貞径〕→横瀬貞征の系図
子 忠福の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 津田信久→津田信久の系図
子の夫 曲淵景露→曲淵景露の系図
松平忠恵(ただしげ)【1784-1862】(以下、『華族系譜』による。)
小幡藩主。実は松平忠房の子。
妻 蜂須賀定
蜂須賀重喜(→蜂須賀至央・重喜の系図)の娘。
子 忠恵の息子【1809】
子の夫 内藤信方→内藤信興~信美の系図
妻 諏訪忠粛の娘
妻の父 諏訪忠粛→諏訪忠粛の系図
子 定太郎【1812-1820】
子 忠孝【1814-1835】
子 忠恵の息子【?-1824】(『松平家譜(上野小幡)』による。)
子 忠恵の娘
実は大沢基有の養妹。
子の夫 大沢基通→大沢基通の系図
松平忠恕(ただゆき)/忠慎【1825-1902】
小幡藩主。
妻 大村純昌の娘
妻の父 大村純昌→大村純保~純煕の系図
夫 九鬼精隆→九鬼隆律~隆義の系図
妻 井上松
井上正春(→井上正定~正直の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。