能見松平家(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、能見松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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能見松平家(豊後国杵築藩主)の略系図

能見松平家の略系図1

1 光親松平光親~重吉・親友~鈴木権十郎の系図
3-A1 重利松平重利~昌吉の系図
3-A2 昌舎松平昌舎~義栄の系図
3-A3 昌信松平昌信~正名・昌定~昌広の系図
3-A4 昌重松平昌重~光福の系図
3-A5 昌忠照昌松平昌忠~昌戩・照昌~光信の系図

能見松平家の略系図2

4 重勝松平重勝・重忠・重則~重利の系図
4-A 勝隆松平勝隆~広徳・勝制~勝貞の系図

6 重直松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図
6-A 重長松平重長~勝政の系図

8 重栄松平重栄~親純の系図
11 親盈松平親盈~親貴の系図

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松平光親~重吉・親友~鈴木権十郎の系図

松平光親~重吉・親友~鈴木権十郎の系図

  松平光親(みつちか)【?-1536】
 能見松平家の祖。三河国額田郡能見に住んだ。

祖父 泰親松平親氏・泰親の系図
 信光松平信光の系図


  松平重親(しげちか)【?-1558】
 阿知和玄鉄/重玄
孫の夫 本多忠勝本多忠勝・忠朝~勝行の系図
曾孫 忠政本多忠政の系図

 重忠(『寛政重修諸家譜』による。)


  松平重吉(しげよし)【1498-1580】
 重利 昌利松平重利~昌吉の系図
 重茂(しげもち)【1542-1558】
 重勝 重忠重則松平重勝・重忠・重則~重利の系図
 勝隆松平勝隆~広徳・勝制~勝貞の系図

子の夫 石川康正石川親康~清兼・康正~三長の系図
子の夫 松平康親松井忠直・松平康親の系図
子の夫 倉橋政範→倉橋政範の系図

 小沢忠重→小沢忠重の系図


  松平親友(ちかとも)/重友(しげとも)


  松平忠恒(ただつね)【?-1528】
 忠倫【?-1547】
 忠重(ただしげ)【?-1582】(『寛政重修諸家譜』による。)
 忠恒の娘(『寛政重修諸家譜』による。)


  松平忠澄(ただすみ)/忠隆
 忠綱(ただつな)【1553-1584】
 親正/可正【?-1669】
曾孫 親則【?-1675】


  松平親次(ちかつぐ)/忠次
 47歳で亡くなった。
 鈴木重次の娘
妻の父 鈴木重次→鈴木重次の系図

 親秀【?-1680】


  鈴木重弘(しげひろ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 重次〔養父:鈴木権兵衛〕


  鈴木権兵衛【?-1663】
子の夫 中根正成→中根正成の系図


  鈴木重次(しげつぐ)【?-1677】
 実は鈴木重弘の子。
 鈴木重成の娘
妻の父 鈴木重成→鈴木重成の系図


  鈴木権十郎【?-1682】

松平重利~昌吉の系図

松平重利~昌吉の系図

  松平重利(しげとし)【1537-1560】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 重親 重吉松平光親~重吉・親友~鈴木権十郎の系図


  松平昌利(まさとし)【1551-1603】
 渥美友勝の娘
妻の父 渥美友勝→渥美友勝の系図
 昌舎 舎治松平昌舎~義栄の系図
 昌信 利正昌定松平昌信~正名・昌定~昌広の系図

子の夫 小川保顧→小川保顧の系図
子の夫 今村正信→今村正信の系図
子の夫 松下重政→松下重政の系図


  松平昌吉(まさよし)【1592-1659】
 山田重次の娘
妻の父 山田重次→山田重次の系図
 昌重 昌永松平昌重~光福の系図
 鈴木政房〔養父:鈴木政次〕→鈴木政房の系図
 昌忠照昌 昌太光林松平昌忠~昌戩・照昌~光信の系図
 初鹿野信泱〔養父:初鹿野昌重〕→初鹿野信泱の系図

子の夫 小笠原安村→小笠原安村の系図
子の夫 市川友昌→市川友昌の系図
子の夫 田村顕当→田村顕当の系図

松平昌重~光福の系図

松平昌重~光福の系図

  松平昌重(まさしげ)/昌秀(まさひで)【1612-1661】

祖父 昌利 昌吉松平重利~昌吉の系図
祖父 山田重次→山田重次の系図

 高木為信の娘
妻の父 高木為信→高木為信の系図

 能勢頼次の娘
妻の父 能勢頼次→能勢頼次の系図
 田村顕当→田村顕当の系図

 甫昌〔養父:松平昌永〕
子の夫 太田資次太田資次~資晴の系図


  松平昌永(まさなが)【1636-1662】
 山下昌勝の娘
妻の父 山下昌勝→山下昌勝の系図


  松平甫昌(やすまさ)【1658-1702】
 実は松平昌重の子。
 太田資隆の娘
妻の父 太田資隆遠山資為~太田資誠の系図

子の夫 佐々木正庸→佐々木正庸の系図


  松平親喜(ちかよし)/勝信(かつのぶ)【1678-1748】〔養父:松平康雄(→松平康命~康弘の系図)〕
 実は森容甫(→森庸甫の系図)の子。
 氏庸の娘〔養父:松平親遂〕


  松平光寛(みつひろ)【1702-1766】
 長谷川忠国の娘
 実は飯塚長隆(→飯塚長隆の系図)の娘。
妻の父 長谷川忠国→長谷川忠国の系図
 佐々木正臣〔養父:佐々木正敏〕→佐々木正臣の系図
 小林光伴〔養父:小林春郷〕→小林光伴の系図

子の夫 内藤政利内藤直政~政守・章政~政勝の系図
子の夫 多門正延→多門正延の系図


  松平親遂(ちかつぐ)/穏光(やすみつ)【1728-1790】
 新見正容の娘
妻の父 新見正容→新見正容の系図

 長谷川正直の娘
妻の父 長谷川正直→長谷川正直の系図

 神谷直淳〔養父:神谷直好〕→神谷直淳の系図
子の夫 新見正明→新見正明の系図
子の夫 小倉正方→小倉正方の系図
子の夫 大草公輝→大草公輝の系図


  松平光福(みつよし)【1760-?】
 安西元維の娘
妻の父 安西元維→安西元維の系図

 榊原忠庶の娘
妻の父 榊原忠庶→榊原忠庶の系図

松平昌忠~昌戩・照昌~光信の系図

松平昌忠~昌戩・松平照昌~光信の系図

  松平昌忠(まさただ)【?-1696】

祖父 昌利 昌吉松平重利~昌吉の系図
祖父 山田重次→山田重次の系図

 田沢正義の娘
妻の父 田沢正義→田沢正義の系図

 松野助友の娘
妻の父 松野助友→松野助友の系図

子の夫 鳥居重教→鳥居重教の系図
子の夫 小宮山昌方→小宮山昌方の系図


  松平昌太(まさふと)/昌衛(まさもり)【1655-1720】
 昌斉
 実は小宮山昌方(→小宮山昌方の系図)の子。


  松平昌成(まさなり)【1694-1723】
 実は楠次右衛門の子。


  松平昌信(まさのぶ)【1717-1771】
 昌行(まさゆき)【?-1764】


  松平昌豊(まさとよ)【1739-1777】
 実は土屋亮直(→土屋逵直~知直の系図)の子。
 筧正敏の娘
妻の父 筧正敏→筧正敏の系図


  松平昌戩(まさとも)/昌福(まさよし)【1761-?】
 実は土屋易直(→土屋喬直~群直の系図)の子。
 堀知秀の娘
妻の父 堀知秀→堀知秀の系図


  松平照昌(てるまさ)/光重(みつしげ)/昌則(まさのり)【1634-1703】
 松平昌信の娘
妻の父 松平昌信松平昌信~正名・昌定~昌広の系図
 光昌
 母は『系図纂要』による。


  松平光林(みつしげ)/光信(みつのぶ)【1656-1727】
 柘植宗正の娘
妻の父 柘植宗正→柘植宗正の系図

 光吉(みつよし)【1684-1701】
 光忠(みつただ)【1688-1726】
子の妻 柘植利清の娘
子の妻の父 柘植利清→柘植利清の系図


  松平光隣(みつちか)【1706-1787】
 伊丹雅次の娘
妻の父 伊丹雅次→伊丹雅次の系図
 藤井勝澄〔養父:藤井勝明〕→藤井勝澄の系図

子の夫 犬塚保親→犬塚保親の系図
子の夫 鵜殿長称→鵜殿長称の系図


  松平光明(みつあきら)【1744-?】
 犬塚弘胤の娘
妻の父 犬塚弘胤→犬塚弘胤の系図


  松平光信(みつのぶ)【1771-?】
 八木正長の娘
妻の父 八木正長→八木正長の系図

松平昌舎~義栄の系図

松平昌舎~義栄の系図

  松平昌舎(まさいえ)【1594-1655】

祖父 重利 昌利松平重利~昌吉の系図


  松平舎治(いえはる)【1614-1662】
子の夫 田沢正成→田沢正成の系図
子の夫 鈴木重俊→鈴木重俊の系図


  松平舎信(いえのぶ)【1644-1713】
 都筑法重の娘
妻の父 都筑法重→都筑法重の系図

子の夫 多田昌全→多田昌全の系図
子の夫 河原卿正→河原卿正の系図


  松平義隆(よしたか)【1693-1733】
 神谷久敬の娘
妻の父 神谷久敬→神谷久敬の系図
 義問〔養父:松平昌相〕

子の夫 沼間清興→沼間清興の系図


  松平昌相(まさすけ)【1716-1776】
子の夫 東条長尚→東条長尚の系図


  松平義問(よしとう)【1721-1765】
 実は松平義隆の子。
 長谷川忠崇の娘
妻の父 長谷川忠崇→長谷川忠崇の系図


  松平義真(よしざね)【1741-?】
 実は神谷久武(→神谷久武の系図)の子。
 松平義問の娘
 実は蜂屋清半の娘。
 雨宮忠昌の娘
妻の父 雨宮忠昌→雨宮忠昌の系図
 久下親徳→久下親徳の系図

 上村義信〔養父:上村恭敬〕→上村義信の系図
子の夫 雨宮忠寿→雨宮忠寿の系図


  松平義栄(よしなが)/義房(よしふさ)【1774-?】

松平昌信~正名・昌定~昌広の系図

松平昌信~正名・昌定~昌広の系図

  松平昌信(まさのぶ)/重昌(しげまさ)【1599-1665】

祖父 重利 昌利松平重利~昌吉の系図

子の夫 松平照昌松平昌忠~昌戩・照昌~光信の系図


  松平利正(としまさ)/正光(まさみつ)【1628-1698】
子の夫 井上政式井上政式~正方の系図
子の夫 渥美友延→渥美友延の系図
子の夫 筧正尹→筧正尹の系図
子の夫 渥美親吉→渥美親吉の系図


  松平正辰(まさたつ)【1676-1722】
 松平正勝の娘
妻の父 松平正勝→松平正勝の系図


  松平正継(まさつぐ)【1699-1754】
 実は筧正尹(→筧正尹の系図)の子。
 三好勝政の娘
妻の父 三好勝政→三好勝政の系図
 真田信清→真田信清の系図

子の夫 鈴木正視→鈴木正視の系図
子の夫 鈴木之庸→鈴木之庸の系図
子の夫 須田盛明→須田盛明の系図
子の夫 曽我儔祐→曽我儔祐の系図


  松平正朝(まさとも)【1736-1772】
 窪田忠一の娘
妻の父 窪田忠一→窪田忠一の系図

子の夫 久留哿貴→久留哿貴の系図


  松平正名(まさな)【1756-?】
 川口尹緒の娘
妻の父 川口尹緒→川口尹緒の系図


  松平昌定(まささだ)【1637-1706】
 昌定の娘〔養父:松平利正〕


  松平光昌(みつまさ)【1677-1755】


  松平昌剛(まさのり)【1702-1777】
 久保正秀の娘
妻の父 久保正秀→久保正秀の系図
 久保成勝〔養父:久保勝茂〕→久保成勝の系図

子の夫 遠山兼忠→遠山兼忠の系図


  松平昌勝(まさかつ)【1727-1776】


  松平昌広(まさひろ)【1751-?】
 久保成勝の娘
妻の父 久保成勝→久保成勝の系図

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松平重勝・重忠・重則~重利の系図

松平重勝・重忠・重則~重利の系図

  松平重勝(しげかつ)【1549-1620】
 越後国三条藩主・下総国関宿藩主・遠江国横須賀藩主。

祖父 重親 重吉松平光親~重吉・親友~鈴木権十郎の系図

 鳥居忠吉の娘
妻の父 鳥居忠吉鳥居重近~忠吉の系図
 重長(しげなが)【1574-1615】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 毛利高政の娘
子の妻の父 毛利高政毛利高政~高久・高定~高逵の系図
 勝広〔養父:松平勝隆〕→松平勝隆~広徳・勝制~勝貞の系図

孫の夫 品川高如品川高久~氏恒の系図
孫の夫 塚原昌信→塚原昌信の系図

 重信
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 勝隆 重治 勝制松平勝隆~広徳・勝制~勝貞の系図
子の夫 岩瀬氏与→岩瀬氏与の系図


  松平重忠(しげただ)/重政(しげまさ)【1570-1626】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 横須賀藩主・出羽国上山藩主。
 戸田忠次の娘
妻の父 戸田忠次戸田忠政・忠次の系図
子の夫 屋代忠正→屋代忠正の系図

子の夫 重直 英親 直政正方松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図
 重長松平重長~勝政の系図


  松平重則(しげのり)【1580-1641】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 上総国百首藩主・下野国皆川藩主。
 屋代秀正の娘
妻の父 屋代秀正→屋代秀正の系図
子の夫 西郷延員→西郷延員の系図
子の夫 神保茂明→神保茂明の系図
子の夫 伊東長治伊東長昌~長救の系図


  松平重正(しげまさ)【1623-1662】
 皆川藩主。
 松平正綱の娘
妻の父 松平正綱松平正綱の系図

子の夫 室賀正勝→室賀正勝の系図
子の夫 伊奈忠常→伊奈忠常の系図


  松平重利(しげとし)【1659-1665】
 皆川藩主。嗣子のないまま亡くなった。

松平勝隆~広徳・勝制~勝貞の系図

松平勝隆~広徳・勝制~勝貞の系図

  松平勝隆(かつたか)【1589-1666】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 上総国佐貫藩主。

祖父 重吉松平光親~重吉・親友~鈴木権十郎の系図
 重勝松平重勝・重忠・重則~重利の系図
祖父 鳥居忠吉鳥居重近~忠吉の系図

 九鬼守隆の娘
妻の父 九鬼守隆九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図

 山崎氏
 重隆(しげたか)【1609-1626】

 勝広(かつひろ)
 実は松平重長(→松平重勝・重忠・重則~重利の系図)の子。
子の妻 今川直房の娘
子の妻の父 今川直房今川氏真~氏尭の系図

 勝制〔養父:松平勝隆〕
 勝広の娘〔養父:松平重治〕
孫の夫 松波勝令→松波勝令の系図
孫の夫 佐野正房→佐野正房の系図

曾孫 松平勝周〔養父:松平勝制〕

子の夫 品川高如品川高久~氏恒の系図
子の夫 伊東長治伊東長昌~長救の系図


  松平重治(しげはる)/忠勝(ただかつ)【1642-1685】
 佐貫藩主。実は品川高如(→品川高久~氏恒の系図)の子。
 久世広之の娘
妻の父 久世広之久世広之・重之の系図
 重宗(しげむね)【1664-1681】
 品川伊氏〔養父:品川高如〕→品川高久~氏恒の系図

 品川信方〔養父:品川範増、松平勝制〕→品川高久~氏恒の系図
子の夫 松平勝秀松平勝忠~勝方・勝秀・勝久の系図


  松平勝秀(かつひで)【1677-1727】


  松平勝文(かつぶん)【1719-1750】
 実は今川範主(→今川氏睦~範叙の系図)の子。
 牧野成純の娘
妻の父 牧野成純→牧野成純の系図


  松平勝興(かつおき)【1738-?】
 本多昌忠の娘
妻の父 本多昌忠→本多昌忠の系図


  松平広徳(ひろのり)
 実は久世広明(→久世暉之・広明の系図)の子。


  松平勝制(かつすけ)/重仲(しげなか)/重恒(しげつね)/重堅(しげかた)【1651-1737】
 実は松平勝広の子。
 信方品川高久~氏恒の系図
子の夫 松波勝職→松波勝職の系図


  松平勝周(かつなり)/重煕(しげあきら)【1695-1771】
 実は今井勝房の子。
 水野勝彦の娘
妻の父 水野勝彦水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図


  松平勝詮(かつあきら)【1724-1768】
 松波勝春の娘
妻の父 松波勝春→松波勝春の系図

子の夫 本間政盈→本間政盈の系図
子の夫 遠山孝道→遠山孝道の系図


  松平勝武(かつつぐ)【1749-?】
 朽木広綱の娘
妻の父 朽木広綱朽木元綱~綱利の系図

 野村勝供の娘
妻の父 野村勝供→野村勝供の系図
 京極高朝京極高成~高朝の系図


  松平勝貞(かつさだ)【1771-?】
 実は大田正房(→大田正房の系図)の子。

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松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図

松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図

  松平重直(しげなお)【1601-1642】
 上山藩主・摂津国三田藩主・豊前国竜王(高田)藩主。実は小笠原秀政(→小笠原貞慶・秀政の系図)の子。

祖父 重勝 重忠松平重勝・重忠・重則~重利の系図

 松平重忠の娘
妻の父 松平重忠松平重勝・重忠・重則~重利の系図
 重長 重花松平重長~勝政の系図
 重直の娘〔養父:松平英親〕
子の夫 一柳直興一柳直重・直興・直照~直郷の系図


  松平英親(ひでちか)/直次(なおつぐ)/重頼(しげより)【1625-1706】
 高田藩主・豊後国木付藩主。48年もの間藩主を務めた。
 松平津祢
 松平康信(→松平康信~信利の系図)の娘。
 重栄 重休松平重栄~親純の系図

 重興(しげおき)【?-1691】
子の夫 織田長政織田長政・信清~信虎の系図
 信明織田信明~信存の系図

子の夫 竹腰正晴大原綱高~竹腰正映の系図


  松平直政(なおまさ)【1631-1698】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 三島政栄〔養父:三島政興〕→三島政栄の系図
子の夫 金田正明→金田正明の系図


  松平直堅(なおかた)【1672-1730】
 竹腰正晴の娘
妻の父 竹腰正晴大原綱高~竹腰正映の系図

 山田重喜〔養父:山田重羽〕→山田重喜の系図
子の夫 松前広隆松前当広~広澄の系図
子の夫 竹内幸茂→竹内幸茂の系図
子の夫 大原規長→大原規長の系図


  松平武郷(たけさと)
 有馬純富の娘
妻の父 有馬純富有馬純富~純久の系図


  松平正方(まさかた)【1632-1700】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 頼勝(よりかつ)【?-1695】


  松平正芳(まさよし)【1675-1718】
 実は小笠原長賢の子。


  松平正員(まさかず)【1712-1744】


  松平矩武(のりたけ)【1715-1764】
 実は松平勝芳(→松平重長~勝政の系図)の子。


  松平正紀(まさのり)【1740-1782】
 実は久永勝純(→久永勝純の系図)の子。


  松平正融(まさあきら)【1762-?】
 実は松平親章(→松平重長~勝政の系図)の子。
 松平正紀の娘
 実は石原清左衛門の娘。


  松平正功(まさたか)
 久永勝信の娘
妻の父 久永勝信→久永勝信の系図

松平重長~勝政の系図

松平重長~勝政の系図

  松平重長(しげなが)【1628-1690】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 重忠松平重勝・重忠・重則~重利の系図
 重直松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図

 伊奈忠治の娘
妻の父 伊奈忠治→伊奈忠治の系図


  松平重花(しげよし)【1650-1690】
 小出有棟の娘
妻の父 小出有棟→小出有棟の系図

子の夫 松平康納松平康命~康弘の系図
子の夫 戸川安貞→戸川安貞の系図
子の夫 井戸弘宰→井戸弘宰の系図


  松平勝芳(かつよし)【1682-1751】
 矩武〔養父:松平正員〕→松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図
子の夫 渡辺泰→渡辺泰の系図
子の夫 生駒俊民→生駒俊民の系図
子の夫 進成羽進成村~成美の系図
子の夫 丹羽正度→丹羽正度の系図


  松平勝房(かつふさ)【1704-1778】
 松平忠盈の娘
妻の父 松平忠盈松平忠利~忠幸の系図

子の夫 服部保宜→服部保宜の系図


  松平親章(ちかあきら)【1727-1772】
 実は松平親純(→松平重栄~親純の系図)の子。
 織田信栄の娘
妻の父 織田信栄織田信明~信存の系図
 正融〔養父:松平正紀〕→松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図
 母はもう一人の織田信栄の娘か。

 親章の娘〔養父:松平勝政〕


  松平勝政(かつまさ)【1756-?】
 松平親盈の娘
妻の父 松平親盈松平親盈~親貴の系図

子の夫 阿部正利阿部重次~正邦・正容~正利の系図
子の夫 生駒俊興→生駒俊興の系図

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松平重栄~親純の系図

松平重栄~親純の系図

  松平重栄(しげよし)/直之(なおゆき)/重実(しげざね)/重賢(しげかた)【1646-1720】
 木付藩主。

祖父 重直 英親松平重直・英親・直政~武郷・正方~正功の系図
祖父 松平康信松平康信~信利の系図

 本多康将の娘
妻の父 本多康将本多康長・康将の系図
 甘露寺方長甘露寺経元~尚長の系図
 親純〔養父:松平重休〕
子の夫 新庄直詮→新庄直詮の系図


  松平重休(しげやす)/重形(しげなり)【1691-1715】
 木付(杵築)藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。藩名を杵築藩に改めた。
 松平定陳の娘
妻の父 松平定陳松平定陳~定温の系図
 渡辺登綱渡辺登綱~伊綱の系図


  松平親純(ちかずみ)/重交(しげとも)【1703-1739】〔養父:松平重栄〕
 杵築藩主。実は新庄直詮(→新庄直詮の系図)の子。
 松平忠喬の娘
妻の父 松平忠喬松平忠継・忠喬の系図

 親盈 親貞松平親盈~親貴の系図
 親章〔養父:松平勝房〕→松平重長~勝政の系図
子の夫 関政富関政富~長克の系図

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松平親盈~親貴の系図

松平親盈~親貴の系図

  松平親盈(ちかみつ)【1726-1800】
 杵築藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 重休 親純松平重栄~親純の系図

 永井直陳の娘
妻の父 永井直陳永井直陳~尚服の系図
 親賢〔養父:松平親貞〕
 親盈の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。水野忠実に嫁ぐ予定であった。
子の夫 牧野康陛→牧野康陛の系図

子の夫 佐竹義祇→佐竹義祇の系図
子の夫 木下利彪→木下利彪の系図
子の夫 松平勝政松平重長~勝政の系図
子の夫 最上義明→最上義明の系図
子の夫 小笠原長禎小笠原長為~貞孚の系図

 小笠原長計〔養父:小笠原長著〕→小笠原長臣~長著の系図

 親清の娘〔養父:松平親明〕


  松平親貞(ちかさだ)/親栄(ちかよし)【1751-1799】
 杵築藩主。麻田剛立を登用した。
 保科正富の娘
妻の父 保科正富保科正富~正益の系図
 本多忠直本多忠栄~忠鵬の系図

 親明〔養父:松平親賢〕
 大久保親知〔養父:大久保忠温〕→大久保親知の系図
 親貞の娘〔養父:有馬純長〕→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
子の夫 土井利豊土井利直~利豊の系図
子の夫 松平康任松平康定~康載の系図


  松平親賢(ちかかた)【1753-1802】
 杵築藩主。実は松平親盈の子。


  松平親明(ちかあきら)【1779-1825】
 杵築藩主。実は松平親貞の子。
 戸田忠翰の娘
妻の父 戸田忠翰戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図

 勝敬〔養父:松平勝応〕
 親淳【1812-1864】
 親直【1813-1859】
 親明の娘
 実は松平親清の娘。本多忠貞に嫁いだ。


  松平親良(ちかよし)【1810-1891】(以下、『松平家譜(豊後杵築)』による。)
 杵築藩主。
 松平乗全の娘
妻の父 松平乗全松平乗完~乗秩の系図

 永井直矢〔養父:永井直輝〕→永井直進~直諒の系図
子の夫 西尾忠篤西尾忠移~忠篤の系図


  松平親貴(ちかとう)【1838-1882】
 杵築藩主。
 松平乗懿の娘
妻の父 松平乗懿松平乗完~乗秩の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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