桜井松平家(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、桜井松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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桜井松平家(摂津国尼崎藩主)の略系図

桜井松平家の略系図

1 信定松平信定~忠吉の系図
6 家広松平家広~忠倶の系図
7-A1 忠直松平忠直~忠栄の系図
7-A2 忠治松平忠治~忠盈・忠輝~忠順の系図
7-B 忠久松平忠久~忠鎮の系図

10 忠継松平忠継・忠喬の系図
12 忠名松平忠名の系図
13 忠告松平忠告~忠興の系図

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松平信定~忠吉の系図

松平信定~忠吉の系図

  松平信定(のぶさだ)【?-1538】
 桜井松平家の祖。三河国碧海郡桜井に住んだ。

祖父 親忠 長親松平親忠~信忠の系図

子の夫 水野信元水野信元の系図
子の夫 松平親乗松平乗元~真乗の系図
子の夫 松平康忠→松平康忠の系図
子の夫 松平忠定松平忠定・好景の系図


  松平清定(きよさだ)【?-1543】
 織田信定の娘
妻の父 織田信定織田信定の系図

子の夫 松平好景松平忠定・好景の系図
 伊忠松平伊忠・家忠の系図


  松平家次(いえつぐ)【?-1563】
 忠吉〔養父:松平忠正〕
子の夫 菅沼定盈→菅沼定盈の系図
子の夫 竹田定加→竹田定加の系図


  松平忠正(ただまさ)/康信/忠次【1544-1577】
 久松多劫姫
 久松俊勝(→久松俊勝・定員の系図)の娘。
 保科正直保科国行~正直の系図
 家広〔養父:松平忠吉〕→松平家広~忠倶の系図


  松平忠吉(ただよし)【1559-1582】
 実は松平家次の子。
 家広 忠頼松平家広~忠倶の系図
 信吉〔養父:松平信一〕→松平利長~信吉の系図
 忠頼〔養父:松平家広〕→松平家広~忠倶の系図

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松平家広~忠倶の系図

松平家広~忠倶の系図

  松平家広(いえひろ)【1577-1601】
 武蔵国松山藩主。実は松平忠正(→松平信定~忠吉の系図)の子。

祖父 忠正 忠吉松平信定~忠吉の系図


  松平忠頼(ただより)【1582-1609】
 松山藩主・遠江国浜松藩主。実は松平忠吉(→松平信定~忠吉の系図)の子。
 織田長益の娘
妻の父 織田長益織田長益~長則の系図
 忠直 忠氏松平忠直~忠栄の系図
 忠治松平忠治~忠盈・忠輝~忠順の系図

 忠勝〔養父:松平定勝(→松平定勝の系図)〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠久 忠周松平忠久~忠鎮の系図
 忠好
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠利(ただとし)【1607-1657】

子の夫 木下延俊→木下延俊の系図


  松平忠重(ただしげ)【1601-1639】
 上総国佐貫藩主・駿河国田中藩主・遠江国掛川藩主。
 木下延俊の娘
妻の父 木下延俊→木下延俊の系図
子の夫 織田信勝織田信包~信勝の系図


  松平忠倶(ただとも)/忠政(ただまさ)/忠樹(ただむら)/忠親(ただちか)【1634-1696】
 掛川藩主・信濃国飯山藩主。千曲川の治水や新田開発などを行った。
 松平定行の娘
 実は阿部重次(→阿部重次~正邦・正容~正利の系図)の娘。
妻の父 松平定行松平定行・定頼の系図
 忠継 忠喬松平忠継・忠喬の系図

子の夫 水野重上水野重上~忠実の系図
子の夫 喜連川昭氏喜連川義親~茂氏の系図
子の夫 田中定賢→田中定賢の系図

松平忠直~忠栄の系図

松平忠直~忠栄の系図

  松平忠直(ただなお)【1602-1646】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 家広 忠頼松平家広~忠倶の系図
祖父 織田長益織田長益~長則の系図

 忠治 忠郷忠輝松平忠治~忠盈・忠輝~忠順の系図
子の夫 青山幸通青山幸通~幸発の系図
子の夫 武田信安武田信安~信誼の系図


  松平忠氏(ただうじ)
 浅野長重の娘
妻の父 浅野長重浅野長重~長矩の系図


  松平忠明(ただあきら)【1651-1716】


  松平忠福(ただよし)【1674-1725】
 実は稲垣正英(→稲垣正英の系図)の子。
子の夫 中島盛興→中島盛興の系図


  松平忠存(ただあり)【1708-1770】
 青木信祐の娘
妻の父 青木信祐青木信峯~信孝の系図


  松平忠義(ただよし)【1740-?】
 有馬純明の娘
妻の父 有馬純明有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
 大原在常〔養父:大原在行〕→大原在常の系図

 大沢信紀〔養父:大沢信容〕→大沢信紀の系図


  松平忠栄(ただよし)【1774-?】
 井上利恭の娘
妻の父 井上利恭→井上利恭の系図

松平忠治~忠盈・忠輝~忠順の系図

松平忠治~忠盈・忠輝~忠順の系図

  松平忠治(ただはる)/忠成(ただなり)【?-1690】

祖父 忠頼松平家広~忠倶の系図
 忠直松平忠直~忠栄の系図


  松平忠郷(たださと)【?-1735】
 森川氏知の娘
妻の父 森川氏知森川氏信~氏知・光房~長興の系図

子の夫 本多栄文本多重世~助佳の系図


  松平忠陣(ただつら)【1689-1736】
 森重正の娘
妻の父 森重正→森重正の系図

子の夫 鈴木安節→鈴木安節の系図
子の夫 小栗徳政→小栗徳政の系図


  松平忠暁(ただあきら)【1720-1767】
 松平乗南の娘
妻の父 松平乗南松平乗延~乗冬の系図
 松平乗梯松平乗延~乗冬の系図

 忠暁の娘〔養父:松平忠如〕


  松平忠如(ただゆき)【1746-1772】
 実は小栗徳政(→小栗徳政の系図)の子。


  松平忠光(ただみつ)/宏行(ひろゆき)【1747-?】
 実は佐野仲行(→佐野察行~貴行の系図)の子。
 松平忠如の娘
 実は松平忠暁の娘。


  松平忠盈(ただみつ)
 水野忠候の娘
妻の父 水野忠候水野重矩~忠貞・忠英・忠護の系図
 吉川従純→吉川従純の系図

 鈴木茂卿の娘
妻の父 鈴木茂卿→鈴木茂卿の系図


  松平忠輝(ただてる)【1670-1718】
子の夫 鎌田清豊→鎌田清豊の系図


  松平忠恒(ただつね)【1699-1769】


  松平忠香(ただか)【1725-1775】
 実は水野直具の子。


  松平忠順(ただゆき)【1765-?】
 実は壺井長敦(→壺井長敦の系図)の子。
 八木貴豊の娘
 実は村上貞暢の娘。
妻の父 八木貴豊→八木貴豊の系図

松平忠久~忠鎮の系図

松平忠久~忠鎮の系図

  松平忠久(ただひさ)/宗長(むねなが)【1605-1676】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 家広 忠頼松平家広~忠倶の系図
祖父 織田長益織田長益~長則の系図

 忠美/忠治
 忠一〔養父:酒井氏〕
 重好/重房〔養父:岩本重安〕


  松平忠周(ただちか)【1645-1711】
子の夫 徳永昌英→徳永昌英の系図
子の夫 大島義浮→大島義浮の系図


  松平忠敦(ただあつ)【1676-1746】
 石丸定勝の娘
妻の父 石丸定勝→石丸定勝の系図

子の夫 梶川忠灼→梶川忠灼の系図
子の夫 諏訪部堅雄→諏訪部堅雄の系図
子の夫 田中政昌→田中政昌の系図


  松平忠直(ただなお)【1709-1775】
 三枝守信の娘
妻の父 三枝守信→三枝守信の系図

 忠由
 実は河野通喬(→河野通重~通致の系図)の子。
 基春
 実は大沢基清(→大沢基清の系図)の子。


  松平忠菊(ただきく)【1746-1783】
 実は徳永昌寛(→徳永昌寛の系図)の子。
 三枝守知の娘
妻の父 三枝守知→三枝守知の系図

 村上正恒の娘
妻の父 村上正恒→村上正恒の系図
 坪内定香〔養父:坪内定明〕→坪内定香の系図

子の夫 布施重品→布施重品の系図


  松平忠鎮(ただつね)【1767-?】
 丹羽長裕の娘
妻の父 丹羽長裕→丹羽長裕の系図

 大田好行の娘
妻の父 大田好行→大田好行の系図

 忠光【?-1820】(以下、『系図纂要』による。)
 忠寛【?-1823】
曾孫 忠菊【?-1832】
忠光孫 忠栄【?-1835】

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松平忠継・忠喬の系図

松平忠継・忠喬の系図

  松平忠継(ただつぐ)【1652-1715】

祖父 忠重 忠倶松平家広~忠倶の系図
祖父 松平定行松平定行・定頼の系図

 本多康将の娘
妻の父 本多康将本多康長・康将の系図
 忠敏(ただとし)/忠樹(ただもと)【1672-1695】
子の妻 宗義真の娘
子の妻の父 宗義真宗義真~義方の系図
子の妻の夫 毛利高慶毛利高慶・高通の系図

 勝千代【?-1713】
 忠継の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 永井直円永井直円~直国の系図
子の夫 菅沼定易→菅沼定易の系図


  松平忠喬(ただたか)/倶武(ともたけ)【1683-1756】
 飯山藩主・遠江国掛川藩主・摂津国尼崎藩主。
 戸田忠真の娘
妻の父 戸田忠真戸田忠昌~忠盈の系図
 忠名松平忠名の系図
 忠告松平忠告~忠興の系図

 忠喬の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 毛利広豊毛利広豊の系図
子の夫 松平親純松平重栄~親純の系図

 岩崎氏
 忠喬の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 安部信平→安部信平の系図
子の夫 松平昌信→松平昌信の系図
子の夫 飛鳥井雅重飛鳥井雅香~雅望の系図

 土屋氏
 忠義(ただよし)/忠頭(ただとう)【?-1771】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 忠喬の娘
 安部信平に嫁ぐ予定であった。
子の夫 喜連川茂氏喜連川義親~茂氏の系図
子の夫 三宅康高→三宅康高の系図

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松平忠名の系図

松平忠名の系図

  松平忠名(ただあきら)/忠貞(たださだ)【1715-1766】
 尼崎藩主。

祖父 忠継 忠喬松平忠継・忠喬の系図

 宗義誠の娘
妻の父 宗義誠宗義誠~義蕃の系図
 与七郎
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠告 忠宝松平忠告~忠興の系図
子の夫 脇坂安弘→脇坂安弘の系図

 久保氏
 加藤明尭〔養父:加藤明煕〕→加藤明尭の系図

 庄司氏
 土井利厚〔養父:土井利見〕→土井利厚~利与の系図
 忠名の娘(2人)
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 山下氏
子の夫 水野勝起水野勝前~勝寛の系図
子の夫 相良長寛相良長寛~頼基の系図

子の夫 本堂親房→本堂親房の系図

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松平忠告~忠興の系図

松平忠告~忠興の系図

  松平忠告(ただつぐ)/忠昆(ただすえ)【1743-1805】
 尼崎藩主。『寛政重修諸家譜』によれば、戸田吉を母とする娘が他に3人、田中氏を母とする娘が1人挙げられている。俳人としても活躍した。

祖父 忠喬松平忠継・忠喬の系図
 忠名松平忠名の系図
祖父 宗義誠宗義誠~義蕃の系図

 戸田吉
 戸田光雄(→戸田光雄~光和の系図)の娘。
 戌千代【?-1768】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 菅沼定賢〔養父:菅沼定前〕→菅沼定賢の系図
 忠得(ただあり)【1779-1806】
 外見松
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 相馬祥胤相馬祥胤・樹胤の系図
子の夫 松平信彰松平信直~信彰の系図
子の夫 米倉昌俊米倉昌晴~昌言の系図

 万木氏
 平岡頼暢〔養父:平岡頼長〕→平岡頼暢の系図

 忠栄〔養父:松平忠誨〕
 鈴丸忠告の息子 忠告の娘(6人)(『桜井家譜(摂津尼ケ崎)』による。)
子の夫 加藤明允→加藤明允の系図
子の夫 本多忠升本多忠永~忠貫の系図
子の夫 土井利位土井利厚~利与の系図


  松平忠宝(ただとみ)【1770-1829】
 尼崎藩主。
 土屋篤直の娘
 『寛政重修諸家譜』によれば、土屋篤直の娘を母とする息子が1人挙げられている。
妻の父 土屋篤直土屋陳直~泰直の系図
 忠宝の娘(2人)
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平乗全松平乗完~乗秩の系図

 雄之助忠告の息子(『桜井家譜(摂津尼ケ崎)』による。)


  松平忠誨(ただのり)【1803-1829】
 尼崎藩主。
 青山忠裕の娘
妻の父 青山忠裕青山忠裕の系図
 松浦曜松浦清~詮の系図


  松平忠栄(ただなか)【1804-1869】(以下、『桜井家譜(摂津尼ケ崎)』による。)
 尼崎藩主。実は松平忠告の子。
 小笠原鈴
 小笠原忠固(→小笠原忠苗~忠忱の系図)の娘。
 堀田正愛→堀田正愛の系図

 本庄絢
 本庄宗発(→本庄宗允~宗武の系図)の娘。

 忠愛【1841-1854】
子の夫 万里小路通房万里小路稙房~通房の系図
子の夫 小栗久敬(『華族系譜』による。)


  松平忠興(ただおき)【1848-1895】
 尼崎藩主。母は『華族系譜』による。桜井に改姓した。
 小笠原錦
 小笠原忠幹(→小笠原忠苗~忠忱の系図)の娘。
 戸田茅子
 戸田光則(→戸田光悌~光則の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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