丹羽氏(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、丹羽氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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丹羽氏(播磨国三草藩主)の略系図

丹羽氏の略系図

1 氏明丹羽氏明~氏次の系図
12 氏信丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図
17 薫氏丹羽薫氏・氏栄の系図
19 氏福丹羽氏福~氏中の系図

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丹羽氏明~氏次の系図

丹羽氏明~氏次の系図

  丹羽氏明(うじあきら)
 尾張国丹羽郡に住み、丹羽を称した。

祖父 氏兼 氏宗公深~一色詮範・直氏~長兼の系図


  丹羽氏時(うじとき)


  丹羽氏盛(うじもり)


  丹羽氏範(うじのり)


  丹羽氏従(うじより)【?-1497】


  丹羽氏員(うじかず)【?-1518】


  丹羽氏興(うじおき)【?-1536】


  丹羽氏清(うじきよ)【1485-1559】


  丹羽氏識(うじさと)【1497-1565】(以下、『丹羽家譜(播磨三草)』による。)
 近正〔養父:上田無仁斎〕
 氏常(うじつね)【?-1628】
 氏種(うじたね)【?-1629】
 氏俊(うじとし)【?-1647】


  丹羽氏勝(うじかつ)【1523-1597】
 織田信秀の娘【?-1568】
妻の父 織田信秀→織田信秀の系図

 氏重(うじしげ)【1569-1584】
 小牧長久手の戦いで岩崎城を守ったが、池田恒興らに攻められて戦死した。
 氏勝の息子【?-1576】
子の夫 柘植正俊→柘植正俊の系図


  丹羽氏次(うじつぐ)【1550-1601】
 三河国伊保藩主。
 酒井忠勝の姨母【?-1581】
 氏資(うじすけ)【?-1599】

 加藤忠景の娘【?-1642】
妻の父 加藤忠景→加藤忠景の系図
 氏信 氏定 信氏丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図

 丹羽氏次の従妹【?-1642】
 氏次の娘【?-1661】

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丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図

丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図

  丹羽氏信(うじのぶ)/氏重(うじしげ)【1590-1646】
 伊保藩主・美濃国岩村藩主。

祖父 氏勝 氏次丹羽氏明~氏次の系図
祖父 加藤忠景→加藤忠景の系図

 水野勝成の娘【?-1667】
 実は水野忠胤(→水野忠重の系図)の娘。
妻の父 水野勝成水野勝成~勝貞の系図

 勘十郎【?-1642】
 佐助【?-1678】
 【?-1636】
 喜意【?-1660】
 松平伊忠・家忠の系図
 【?-1669】
子の夫 渡辺綱貞渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図
子の夫 三枝守俊→三枝守俊の系図


  丹羽氏定(うじさだ)/氏憲(うじのり)【1606-1657】
 岩村藩主。
 高木正成の娘【?-1701】
妻の父 高木正成→高木正成の系図

 勘十郎【?-1654】
 【?-1683】
 土井利直~利豊の系図
 多安→加々爪直清の系図


  丹羽氏純(うじずみ)【1637-1674】
 岩村藩主。
 水野忠善の娘【?-1670】
妻の父 水野忠善水野忠善の系図

 数馬【1674】
 氏純の娘【1665-1666】
 氏純の娘【?-1707】
 土井元政に嫁いだ。


  丹羽氏明(うじあきら)/氏房(うじふさ)【1667-1686】
 岩村藩主。


  丹羽氏音(うじおと)【1678-1705】
 岩村藩主・越後国高柳藩主。実は丹羽信氏の子。家中騒動により転封となった。
 井上正任の娘【?-1736】
妻の父 井上正任井上正任~正経の系図

 薫氏 氏栄丹羽薫氏・氏栄の系図


  丹羽信氏(のぶうじ)/氏春(うじはる)【1634-1696】
 山田重恒の娘【?-1668】
妻の父 山田重恒→山田重恒の系図

 遠藤与五左衛門の娘【?-1712】
 氏音〔養父:丹羽氏明〕
 与喜→村上正邦の系図


  丹羽氏右(うじすけ)/氏真(うじさね)【1676-1718】
 松平近良の娘【?-1668】
妻の父 松平近良松平近良~近豊の系図
 薫氏〔養父:丹羽氏音〕→丹羽薫氏・氏栄の系図

 島田幸内の姉
 屋津→巨勢利啓の系図


  丹羽知氏(ともうじ)【1706-1718】

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丹羽薫氏・氏栄の系図

丹羽薫氏・氏栄の系図

  丹羽薫氏(しげうじ)/倚氏(よりうじ)【1695-1757】
 高柳藩主・播磨国三草藩主。実は丹羽氏右(→丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図)の子。

祖父 氏明 氏音丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図

 氏薫(うじしげ)/氏忠【1720-1802】
 巨勢利永〔養父:巨勢利啓〕→巨勢利永の系図
 一色又吉【1739-1747】
 屋津→巨勢利啓の系図


  丹羽氏栄(うじひで)/郡氏(くにうじ)【1716-1771】
 三草藩主。
 松平近朝の娘【?-1756】
妻の父 松平近朝松平近栄~近朝の系図

 別所盛純の娘
 六丸【1763】
 氏寿(うじひさ)【1765-1777】

 氏福 氏昭丹羽氏福~氏中の系図

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丹羽氏福~氏中の系図

丹羽氏福~氏中の系図

  丹羽氏福(うじよし)/勝道(かつみち)【1762-1843】
 三草藩主。実は巨勢利永(→巨勢利永の系図)の子。

祖父 薫氏 氏栄丹羽薫氏・氏栄の系図

 細川興文の娘【?-1800】
妻の父 細川興文細川興文の系図
 新助【1785】
 細川興譲〔養父:細川興徳〕→細川興虎~興貫の系図

 
 俊朝(としとも)/氏礼(うじひろ)【1796-1865】〔養父:森川俊世〕
 弘次郎【1798-1800】
 紳之助【1800-1803】
 氏武(うじたけ)【1808-1871】〔養父:大道寺直玄(→大道寺直玄の系図)〕
 祐直/氏靖(うじやす)【1812-1857】〔養父:伊東祐氏〕
 朽木智綱~綱泰の系図
 【1806-?】〔養父:依田守甫〕
 依田守〓(「金」+「昆」)に嫁いだ。

 
 蘇路【1798】

 
 英武(ふさたけ)/勝房(かつふさ)【1803-1825】〔養父:小出英亮(→小出英亮の系図)〕
 兼養(かねよし)/氏之(うじゆき)【1804-1856】〔養父:野々山兼儔〕

 美世
 【1807-1855】〔養父:松平忠侯(→松平忠馮~忠和の系図)〕

 ツヤ
 直智(なおとも)/勝用(かつもち)【1810-?】〔養父:戸田直義〕

 ミキ
 外也【1812-1817】

 
 清敦【1820-?】〔養父:石谷清倚〕
 寿【1818-?】〔養父:本多忠至〕
 喜久【1821-?】〔養父:平岩親仁〕


  丹羽氏昭(うじてる)【1783-1827】
 三草藩主。
 松平忠済の娘【?-1853】
妻の父 松平忠済松平忠順~忠礼の系図
 氏昭の息子【1804】
 靫負之助【1816-1818】
 【1805-1806】

 十代
 氏謙【1812-1855】
 福之助【1832-1833】
 玉之丞【1833-1836】
 氏脩(うじなが)【1842-?】
 氏中 〔養父:丹羽氏賢〕

 
 【1818-1819】
 屋津【1823】

 
 【1826】

 
 氏昭の息子【1827】


  丹羽氏賢(うじまさ)/氏哲(うじとも)【1811-1854】
 三草藩主。
 本多忠顕の娘【?-1872】
妻の父 本多忠顕本多忠典~忠直の系図
 勘助【1837-1838】

 
 鶴松丸【1854-1855】

 【1839-1862】
 実は丹羽氏謙の娘。


  丹羽氏中(うじのり)【1836-1884】
 三草藩主。実は丹羽氏謙の子。
 丹羽朔【1833-?】

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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