このページでは、溝口氏(清和源氏・義光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
溝口氏(越後国新発田藩主)の略系図

1 勝政→溝口勝政・秀勝・善勝~政親・信勝~勝明の系図
2-A 安勝→溝口安勝~勝雄・常勝~応勝の系図
3 宣勝→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
3-A1 宣秋→溝口宣秋~直道の系図
3-A2 直行→溝口直行~直静の系図
5 重雄→溝口重雄~直治・逸見元長~長祥の系図
8 直温→溝口直温の系図
9 直養→溝口直養~直正の系図
溝口勝政・秀勝・善勝~政親・信勝~勝明の系図
溝口勝政(かつまさ)【?-1573】
逸見義重(→逸見義重の系図)の末裔。尾張国溝口郷を領した。
溝口秀勝(ひでかつ)/定勝【1548-1610】
越後国新発田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。丹羽長秀・豊臣秀吉に仕えた。上杉遺民一揆を平定した。
子 宣勝・孫 宣直・孫 宣俊→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
孫 宣秋→溝口宣秋~直道の系図
子の夫 中院通村→中院通勝~通純の系図
溝口善勝(よしかつ)【1584-1634】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
越後国沢海藩主。
子 助勝(すけかつ)【1611-1636】
子 安勝・孫 友勝・常勝→溝口安勝~勝雄・常勝~応勝の系図
溝口政勝(まさかつ)【1608-1670】
沢海藩主。
妻 溝口宣勝の娘
妻の父 溝口宣勝→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
溝口政良(まさよし)/政胤(まさたね)【?-1683】
沢海藩主。
妻 池田長常の娘
妻の父 池田長常→池田長吉~長常・高島長親~千次郎の系図
妻 加藤明成の娘
妻の父 加藤明成→加藤明成の系図
夫 池田薫彰→池田薫彰の系図
溝口政親(まさちか)【1653-1693】
沢海藩主。実は加藤明友(→加藤明友の系図)の子。酒狂により改易された。
溝口信勝(のぶかつ)/之勝(ゆきかつ)【1622-1691】
妻 板倉重昌の娘
妻の父 板倉重昌→板倉重昌~重種の系図
子の夫 戸田光正→戸田光正~光陽の系図
子の夫 逸見義寛→逸見義寛の系図
溝口勝興(かつおき)【1661-1721】
妻 堀直行の娘
妻の父 堀直行→堀直行~直久の系図
子 加藤政峯〔養父:加藤秀邦〕→加藤政峯の系図
子の夫 溝口填勝・勝政→溝口安勝~勝雄・常勝~応勝の系図
子の夫 赤井公寛→赤井公寛の系図
子の夫 山下奉義→山下奉義の系図
溝口勝文(かつぶん)【1690-1744】
子の夫 小幡直羽→小幡重厚~直道の系図
溝口勝豊(かつとよ)/勝美(かつよし)【1728-1769】
妻 松平忠位の娘
妻の父 松平忠位→松平忠成~忠寧の系図
溝口勝徳(かつとし)/勝興(かつおき)【1753-1796】
妻 野一色義恭の娘
妻の父 野一色義恭→野一色義恭の系図
妻 松平忠孝の娘
妻の父 松平忠孝→松平忠成~忠寧の系図
夫 堀田一朝→堀田一朝の系図
溝口勝明(かつあきら)【1780-?】
溝口安勝~勝雄・常勝~応勝の系図
溝口安勝(やすかつ)/直勝(なおかつ)【1619-1694】
祖父 秀勝・父 善勝→溝口勝政・秀勝・善勝~政親・信勝~勝明の系図
妻 高林吉次の娘
妻の父 高林吉次→高林吉次の系図
子の夫 逸見義寛→逸見義寛の系図
溝口友勝(ともかつ)【1660-1716】
妻 高林利之の娘
妻の父 高林利之→高林利之の系図
子 勝豊〔養父:溝口填勝〕
溝口填勝(みちかつ)/勝封(かつあつ)【1681-1744】
実は高林利之(→高林利之の系図)の子。
妻 溝口勝興の娘
妻の父 溝口勝興→溝口勝政・秀勝・善勝~政親・信勝~勝明の系図
子 直季〔養父:溝口直武〕→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
妻 飯田直恒の娘
妻の父 飯田直恒→飯田直恒の系図
子の夫 小野高儔→小野高儔の系図
溝口勝豊(かつとよ)【1702-1766】
実は溝口友勝の子。
妻 飯田直勝の娘
妻の父 飯田直勝→飯田直勝の系図
子 慎勝(ちかかつ)【1742-1763】
実は溝口直政(→溝口宣秋~直道の系図)の子。
溝口勝岑(かつみね)【1746-1785】
実は溝口直行(→溝口直行~直静の系図)の子。
溝口勝興(かつおき)【1755-?】
実は溝口勝盛の子。
妻 竹本長景の娘
妻の父 竹本長景→竹本長景の系図
子の夫 永井直陟→永井直元・直又~直陟の系図
溝口勝雄(かつたけ)【1772-?】
実は松平乗陣(→松平致乗~乗集の系図)の子。
溝口常勝(つねかつ)【1644-1722】
妻 川勝広氏の娘
妻の父 川勝広氏→川勝広氏の系図
溝口忠勝(ただかつ)【1689-1733】
溝口勝政(かつまさ)【1713-1795】
実は吉田郷直(→吉田郷直の系図)の子。
妻 溝口勝興の娘
妻の父 溝口勝興→溝口勝政・秀勝・善勝~政親・信勝~勝明の系図
子の夫 山本正逵→山本正逵の系図
溝口勝盛(かつもり)【1736-?】
実は溝口直政(→溝口宣秋~直道の系図)の子。
子 勝興〔養父:溝口勝岑〕
溝口応勝(まさかつ)【1762-?】
妻 蜂屋可護の娘
実は瀬名貞如(→瀬名貞如の系図)の娘。
妻の父 蜂屋可護→蜂屋可護の系図
夫 瀬名貞宣→瀬名貞宣の系図
溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
溝口宣勝(のぶかつ)/秀信(ひでのぶ)【1582-1628】
新発田藩主。
祖父 勝政・父 秀勝→溝口勝政・秀勝・善勝~政親・信勝~勝明の系図
妻 堀秀政の娘
妻の父 堀秀政→堀秀政の系図
子 宣秋・孫 宣就→溝口宣秋~直道の系図
子 宣知(のぶとも)【1618-1659】
子の妻 京極高通の娘
子の妻の父 京極高通→京極高通~高之・高重~高伴の系図
孫の夫 安部信厚→安部信厚の系図
孫の夫 山口直房(『寛政重修諸家譜』による。)→山口直房の系図
子の夫 溝口政勝→溝口勝政・秀勝・善勝~政親・信勝~勝明の系図
子の夫 長谷川正尚→長谷川正尚の系図
子の夫 徳永昌勝→徳永昌勝の系図
溝口宣直(のぶなお)/俊勝(としかつ)【1605-1676】
新発田藩主。
妻 稲葉一通の娘
妻の父 稲葉一通→稲葉貞通~一通の系図
子の夫 市橋政信→市橋長利~直方の系図
妻 森川重俊の娘
妻の父 森川重俊→森川重俊~俊胤の系図
子 重雄・孫 重元・孫 逸見元長→溝口重雄~直治・逸見元長~長祥の系図
妻 平松時庸の娘
妻の父 平松時庸→平松時庸~時春の系図
子 堀親行〔養父:堀親泰〕→堀親行の系図
子の夫 溝口宣就→溝口宣秋~直道の系図
子の夫 板倉重行→板倉重直~勝宦の系図
溝口宣俊(のぶとし)【1612-1669】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 井上庸名の娘
妻の父 井上庸名→井上庸名の系図
溝口宣鎮(のぶしげ)【1638-1679】
妻 仙石久邦の娘
妻の父 仙石久邦→仙石久邦の系図
溝口直武(なおたけ)【1674-1727】
実は溝口宣就(→溝口宣秋~直道の系図)の子。
妻 稲垣重昭の娘
妻の父 稲垣重昭→稲垣重昭の系図
子 直武の娘
溝口直季に嫁ぐ予定であった。
溝口直季(なおすえ)【1711-1794】
実は溝口填勝(→溝口安勝~勝雄・常勝~応勝の系図)の子。
子の夫 渡辺栄→渡辺進~久の系図
溝口直之(なおゆき)【1738-1798】
実は溝口直温(→溝口直温の系図)の子。
子の夫 堀直郷→堀直英~直郷の系図
子の夫 松平忠寧→松平忠成~忠寧の系図
子の夫 酒井忠頼→酒井忠成~忠徹の系図
溝口直旧(なおもと)【1763-?】
妻 松平信直の娘
妻の父 松平信直→松平信直~信彰の系図
溝口宣秋~直道の系図
溝口宣秋(のぶあき)【1609-1673】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 秀勝→溝口勝政・秀勝・善勝~政親・信勝~勝明の系図
父 宣勝→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
祖父 堀秀政→堀秀政の系図
妻 大久保教隆の娘
妻の父 大久保教隆→大久保教隆の系図
子の夫 永井茂虎→永井茂虎~弘道の系図
子の夫 徳山重俊→徳山重俊の系図
溝口宣就(のぶなり)【1639-1704】
妻 溝口宣直の娘
妻の父 溝口宣直→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
子 直武〔養父:溝口宣鎮〕→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
子の夫 土屋朝直→土屋之直~業直の系図
子の夫 大久保教福→大久保教福の系図
子の夫 戸田光直→戸田光直~光一の系図
溝口直道(なおみち)【1662-1731】
子 直行・孫 直寛→溝口直行~直静の系図
子 松平信晴〔養父:松平信望〕→松平信望~信弥の系図
子 直温〔養父:溝口直治〕→溝口直温の系図
孫 勝盛〔養父:溝口勝政〕→溝口安勝~勝雄・常勝~応勝の系図
孫 慎勝〔養父:溝口勝豊〕→溝口安勝~勝雄・常勝~応勝の系図
溝口直行~直静の系図
溝口直行(なおゆき)【1690-1763】
祖父 宣就・父 直道→溝口宣秋~直道の系図
妻 三枝守相の娘
実は三枝守常(→三枝守常の系図)の娘。
妻の父 三枝守相→三枝守相の系図
子 直福〔養父:溝口直寛〕
子 勝岑〔養父:溝口勝豊〕→溝口安勝~勝雄・常勝~応勝の系図
子の夫 大久保忠恕→大久保忠恕の系図
子の夫 秋元茂朝→秋元茂朝の系図
子の夫 久留島通虎→久留島通春・通貞~通在の系図
子の夫 多賀高当→多賀高当の系図
溝口直寛(なおひろ)【1731-1766】
妻 松平定章の娘
妻の父 松平定章→松平定長~定功・定章の系図
子 直寛の娘〔養父:溝口直福〕
溝口直福(なおとみ)【1735-?】
実は溝口直行の子。
子 直清〔養父:溝口直英〕
子の夫 堀利哲→堀利哲の系図
溝口直英(なおひで)【1756-?】
実は加藤泰衑(→加藤泰衑の系図)の子。
妻 溝口直福の娘
実は溝口直寛の娘。
子 直英の娘〔養父:溝口直清〕
溝口直清(なおきよ)【1768-1795】
実は溝口直福の子。
妻 木下俊胤の娘
妻の父 木下俊胤→木下俊胤の系図
溝口直静(なおつね)/忠厚(ただあつ)【1772-1826】
実は水野忠見(→水野忠見~忠順の系図)の子。
妻 溝口直清の娘
実は溝口直英の娘。
子 直正【?-1833】(以下、『系図纂要』による。)
孫 直徳/直達【?-1834】
溝口重雄~直治・逸見元長~長祥の系図
溝口重雄(しげかつ)/宣広(のぶひろ)/悠山(ゆうざん)【1633-1708】
新発田藩主。茶を怡渓宗悦に学び、越後怡渓流を創始した。
祖父 宣勝・父 宣直→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
祖父 森川重俊→森川重俊~俊胤の系図
妻 松平正綱の娘
妻の父 松平正綱→松平正綱の系図
妻 酒井伊与子
酒井忠勝(→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図)の娘。
子の夫 戸川安宣→戸川安宣の系図
子の夫 稲葉知通→稲葉信通~恒通の系図
子の夫 酒井忠予→酒井忠恒・忠予の系図
子の夫 松平定陳→松平定陳~定温の系図
妻 島氏
子 市橋直方〔養父:市橋信直〕→市橋長利~直方の系図
子の夫 宗義倫→宗義真~義方の系図
溝口重元(しげもと)/宣盛(のぶもり)【1680-1718】
新発田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 前田佐野
前田利明(→前田利治~利章の系図)の娘。
妻 中院通躬の娘
妻の父 中院通躬→中院通茂~通枝の系図
溝口直治(なおはる)/重貞(しげさだ)【1707-1732】
新発田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直温→溝口直温の系図
孫 直養→溝口直養~直正の系図
逸見元長(もとます)【1701-1760】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 六角広孝→六角広孝の系図
逸見副長(すけます)/元明(もとあき)【1733-?】
妻 松平定武の娘
妻の父 松平定武→松平定昌~定規の系図
夫 河野通秀→河野通重~通致の系図
子の夫 大久保忠侃→大久保忠侃の系図
子の夫 根来正聖→根来正聖の系図
逸見長祥(ますあきら)/直正(なおまさ)【1761-?】
実は溝口直養(→溝口直養~直正の系図)の子。
妻 池田政方の娘
妻の父 池田政方→池田政方・政香の系図
子 長道(『系図纂要』による。)
子の夫 徳永昌韶→徳永昌韶の系図
子の夫 山内豊武→山内豊泰~豊誠の系図
溝口直温の系図
溝口直温(なおあつ)【1716-1780】
新発田藩主。実は溝口直道(→溝口宣秋~直道の系図)の子。
祖父 重元・父 直治→溝口重雄~直治・逸見元長~長祥の系図
妻 松平信祝の娘
妻の父 松平信祝→松平信祝の系図
子 直経・幸之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直信〔養父:溝口直養〕→溝口直養~直正の系図
子の夫 毛利匡満→毛利匡満・匡芳の系図
妻 森氏
子 直養・孫 直侯→溝口直養~直正の系図
妻 杉浦氏
子 茂十郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 山口弘務〔養父:山口弘道〕→山口弘務の系図
子の夫 酒井忠起→酒井忠休・忠崇・忠起~忠恕の系図
子 直之〔養父:溝口直季〕→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
子 花子→鳥居忠意・忠見の系図
子の夫 本多正堅→本多正珍~正憲の系図
溝口直養~直正の系図
溝口直養(なおやす)/直範(なおのり)【1736-1797】
新発田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。藩校講堂や医学館を創設した。
祖父 直治→溝口重雄~直治・逸見元長~長祥の系図
父 直温→溝口直温の系図
子 直信(なおのぶ)/直堅(なおかた)【1756-1786】
実は溝口直温(→溝口直温の系図)の子。
子の妻 松平武元の娘
子の妻の父 松平武元→松平武元~武聡の系図
孫 直侯〔養父:溝口直養〕
孫 幾→前田利道~利考の系図
孫の夫 池田仲雅→池田澄時~徳澄の系図
孫 春→松平直周~直致の系図
子 逸見長祥〔養父:逸見副長〕→溝口重雄~直治・逸見元長~長祥の系図
子の夫 南部信房→南部信興~信順の系図
子の夫 水野忠韶→水野忠見~忠順の系図
子の夫 池田政恭→池田政弼~政礼の系図
子の夫 藤堂高崧→藤堂高悠・高嶷の系図
子の夫 堀直郷→堀直英~直郷の系図
孫 直皓→堀直皓~直明の系図
子 永之進(以下、『溝口家譜』による。)
孫 常太郎〔養父:水野源右衛門〕
孫 内記〔養父:溝口直徳〕
溝口直侯(なおよし)【1778-1802】
新発田藩主。実は溝口直信の子。
妻 相良長寛の娘
妻の父 相良長寛→相良長寛~頼基の系図
妻 久世通根の娘
妻の父 久世通根→久世栄通~通煕の系図
子の夫 毛利元寛→毛利元義~元敏の系図
子の夫 山内豊武→山内豊泰~豊誠の系図
溝口直諒(なおあき)【1799-1858】
新発田藩主。『報国説』などを著し、尊王や海防を唱えた。
妻 浅野斉賢の娘
妻の父 浅野斉賢→浅野斉賢~長勲の系図
子 本多忠穆〔養父:本多忠寛〕→本多忠永~忠貫の系図
子 勁蔵(『溝口家譜』による。)
子 豊子→内藤政樹~政挙の系図
子 重→戸田光悌~光則の系図
子の夫 大村純顕→大村純保~純煕の系図
溝口直溥(なおひろ)【1819-1874】(以下、『華族系譜』による。)
新発田藩主。
妻 松平愛
松平康任(→松平康定~康載の系図)の娘。
妻 土屋増
土屋彦直(→土屋英直~挙直の系図)の娘。
子 正治【1861-?】〔養父:増山正同(→増山正賢~正同の系図)〕
子 武五郎【1868-?】
子 源八郎【1870-?】
子 歓十郎【1873-?】
子 董子→熾仁親王の系図
子 銀→分部光謙の系図
子の夫 松平信古→松平信明~信古の系図
子の夫 加藤泰祉→加藤泰祉の系図
子の夫 南部利恭→南部利済~利恭の系図
子の夫 徳川茂承→徳川重倫~茂承の系図
溝口直正(なおまさ)【1855-1919】
新発田藩主。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わったが、後に新政府軍に従った。
妻 分部久爾
分部光貞(→分部光貞の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。