五島氏(清和源氏・義光流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、五島氏(清和源氏・義光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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五島氏(肥前国福江藩主)

五島氏の略系図

1 家盛宇久家盛~幡の系図
15 宇久覚~盛定の系図
18 純定宇久純定~五島玄雅の系図
22 盛利五島盛利~盛暢の系図
22-A 盛清五島盛清~運竜の系図

26 盛佳五島盛佳・盛道の系図
28 盛運五島盛運~盛徳の系図

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宇久家盛~幡の系図

宇久家盛~幡の系図

  宇久家盛(いえもり)/信弘【?-1190】(以下、『華族系譜』による。)
 平清盛の弟とも。宇久島に山城を築いたという。

祖父 信義 有義武田信義の系図


  宇久扇【?-1212】
 〔養父:馬場源三郎〕


  宇久太【?-1232】


  宇久進【?-1250】


  宇久競(きそう)【1234-1282】
 弘安の役で功をあげた。


  宇久披【?-1316】


  宇久実【?-1351】


  宇久覚【?-1388】


  宇久勝【?-1423】


  宇久基【?-1448】


  宇久儀【?-1466】


  宇久定【?-1482】


  宇久勝【?-1501】


  宇久幡
  宇久覚~盛定の系図

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宇久覚~盛定の系図

宇久覚~盛定の系図

  宇久覚【?-1507】

祖父  宇久家盛~幡の系図

 覚の娘【?-1521】

 玄重【?-1565】
曾孫 玄定【?-1592】


  宇久囲【?-1507】
 松浦大黒
 松浦弘定(→松浦正~興信の系図)の娘。


  宇久盛定(もりさだ)/盛貞【1507-1549】
 純定 純尭宇久純定~五島玄雅の系図
 盛重(もりしげ)【?-1595】
 盛長(もりなが)【?-1599】
孫の妻 宇久細子
 宇久純尭(→宇久純定~五島玄雅の系図)の娘。
曾孫 千世子孝子〔養父:五島玄雅〕→宇久純定~五島玄雅の系図

孫の妻 富永氏
曾孫 五島盛利〔養父:五島玄雅〕→五島盛利~盛暢の系図

孫の夫 宇久純尭宇久純定~五島玄雅の系図

曾孫 奈留政信
曾孫の妻 五島玄雅の娘【?-1652】
曾孫の妻の父 五島玄雅宇久純定~五島玄雅の系図

曾孫の子 末子五島盛利~盛暢の系図

曾孫 雅貞
 実は平田貞治の子。

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宇久純定~五島玄雅の系図

宇久純定~五島玄雅の系図

  宇久純定(すみさだ)【?-1587】

祖父  盛定宇久覚~盛定の系図

 定実〔養父:奈留氏〕
 五島玄雅〔養父:五島純玄〕
子の夫 大坪〓之介
 〓は「木」+「守」。


  宇久純尭(すみたか)【?-1587】
 キリスト教の洗礼を受けたが、後に棄教した。
 宇久盛重の娘【?-1615】
妻の父 宇久盛重宇久覚~盛定の系図

 細子宇久覚~盛定の系図


  五島純玄(すみはる)【1562-1594】
 肥前国福江藩主。豊臣秀吉に本領を安堵された。朝鮮出兵中に病死した。
 松浦鎮信の娘
 実は西郷純尚の娘。
妻の父 松浦鎮信松浦隆信~久信の系図


  五島玄雅(はるまさ)【1548-1612】
 福江藩主。実は宇久純定の子。キリスト教の布教を許していたが、関ケ原の戦いで東軍につき、棄教した。
 千鶴【?-1627】
 大浜玄義【?-1637】
 盛利 末子 盛次五島盛利~盛暢の系図
 盛清五島盛清~運竜の系図

 千世子【?-1658】
 実は宇久盛長(→宇久覚~盛定の系図)の娘。
子の夫 奈留政信宇久覚~盛定の系図

 大浜正重
 実は鳥山正継の子。
孫の妻 五島孝子【?-1646】
 実は宇久盛長(→宇久覚~盛定の系図)の娘。

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五島盛利~盛暢の系図

五島盛利~盛暢の系図

  五島盛利(もりとし)【1591-1642】
 福江藩主。実は宇久盛長(→宇久覚~盛定の系図)の子。藩政の確立に努めた。

祖父 純玄 玄雅宇久純定~五島玄雅の系図

 五島末子
 実は奈留政信(→宇久覚~盛定の系図)の娘。
妻の父 五島玄雅宇久純定~五島玄雅の系図
 盛利の娘【?-1630】

 七里梅子【?-1675】
 盛昭【?-1647】
 盛清 盛朗五島盛清~運竜の系図
子の夫 日向正春→日向正春の系図


  五島盛次(もりつぐ)【1618-1655】
 福江藩主。
 櫛笥隆朝の娘
妻の父 櫛笥隆朝櫛笥隆憲~隆方の系図
 盛次の娘【?-1657】

 有川五右衛門の娘
 盛次の娘【?-1707】


  五島盛勝(もりかつ)【1645-1678】
 福江藩主。叔父の盛清に3000石を分与した。
 奥平忠昌の娘
妻の父 奥平忠昌奥平貞能~忠昌の系図
 奥平昌章〔養父:奥平昌能〕→奥平昌能~昌敦の系図
 松平盛延〔養父:松平忠勝〕→松平忠利~忠幸の系図
 了順【1674-1698】
 鶴子【?-1679】
 百子【?-1673】

 盛真【?-1704】
 日向正竹〔養父:日向正春〕→日向正竹の系図


  五島盛暢(もりのぶ)/盛満(もりみつ)【1662-1691】
 福江藩主。
 本多重昭の娘【?-1686】
妻の父 本多重昭本多重能~重賀の系図
 吉子→米津政矩の系図

 松平定重の娘
妻の父 松平定重松平定重の系図
 本多助芳本多利長~助有の系図

 宮崎氏
 盛佳 盛道五島盛佳・盛道の系図
 本多成興〔養父:本多重益〕→本多重能~重賀の系図
 友子内田正長~正央・久世正広~広邦の系図

 盛宣【1691-1709】〔養父:七里玄義〕

五島盛清~運竜の系図

五島盛清~運竜の系図

  五島盛清(もりきよ)/盛法(もりのり)【1628-1679】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 藩主を継いだ甥の五島盛勝を後見した。

祖父 玄雅宇久純定~五島玄雅の系図
 盛利五島盛利~盛暢の系図

 津軽信義の娘
妻の父 津軽信義津軽信義の系図
 戸田氏春戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図


  五島盛朗(もりあきら)【1677-1726】
 筒井政勝の娘
妻の父 筒井政勝→筒井政勝の系図
 内藤種丈〔養父:内藤種元〕→内藤種丈の系図

 長谷川貞暁〔養父:長谷川貞重〕→長谷川貞暁の系図
子の夫 奥田忠英→奥田忠英の系図

 盛純の娘〔養父:奥田高甫〕


  五島盛尚(もりなお)【1695-1768】
子の夫 牧野成久→牧野成久の系図
子の夫 石尾氏封→石尾氏封の系図


  五島盛峰(もりみね)/盛蔵(もりまさ)【1726-1773】
 小笠原貞通の娘
妻の父 小笠原貞通小笠原真方~貞顕の系図
 小笠原長之小笠原広安~長重の系図

子の夫 奥田高武→奥田高武の系図


  五島盛恭(もりやす)/道村(みちむら)【1754-1789】
 実は五島盛道(→五島盛佳・盛道の系図)の子。
 奥田高甫の娘
 実は五島盛純の娘。
妻の父 奥田高甫→奥田高甫の系図

子の夫 長崎元居→長崎元居の系図
子の夫 稲葉正芳稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図


  五島運竜(ゆきたつ)/運朗(ゆきあきら)【1780-?】
 京極高文の娘
妻の父 京極高文京極高通~高典の系図

 林忠英の娘
妻の父 林忠英林忠英~忠崇の系図

 盛貫(『系図纂要』による。)
 実は松平維賢(→松平長孝・康哉の系図)の子。

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五島盛佳・盛道の系図

五島盛佳・盛道の系図

  五島盛佳(もりよし)/盛住【1687-1734】
 福江藩主。

祖父 盛勝 盛暢五島盛利~盛暢の系図

 堀田円
 実は堀田正休(→堀田正休の系図)の娘。
妻の父 堀田正虎→堀田正虎の系図

 久就【1714-1783】〔養父:太田就良〕
 秀政【1721-1791】〔養父:貞方暢義、養子:貞方道高〕
 景寿【1723-1779】〔養父:白浜久太夫〕
 嘉亮【1725-1798】〔養父:貞方久亮〕
 景春【1726-1774】〔養父:田尾茂清〕
 秀利【1727-1796】〔養父:松尾七郎左衛門〕
 幾子松平康政~康功の系図
 金子【1728-?】


  五島盛道(もりみち)【1711-1780】
 福江藩主。
 井上逵子【?-1787】
 実は井上正矩(→井上正長~正巳の系図)の娘。
妻の父 井上正敦井上正長~正巳の系図

 中村氏
 盛義(もりよし)【1739-1786】
 永之助【1764】
 秀三郎【1781-1786】
 里子【1766-1783】
 民子伊東長寛~長〓の系図
 亀子【1773-?】
 久里子【1778-1788】

 綾子松平康政~康功の系図
 久子伊東長詮の系図

 水口氏
 文吉【?-1741】
 八之助【1746-1749】
 捨三郎【1752-1754】
 盛恭〔養父:五島盛峰〕→五島盛清~運竜の系図
 繁子【1750-1752】
 元子【1755-1797】
 昌子石川総乗~総武の系図

 八尾氏
 盛運 盛繁五島盛運~盛徳の系図
 道高(みちたか)【1755-1819】〔養父:貞方秀政〕

 松子松平康政~康功の系図

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五島盛運~盛徳の系図

五島盛運~盛徳の系図

  五島盛運(もりゆき)【1753-1809】
 福江藩主。永富亀山を招き、稽古所を設立した。

祖父 盛佳 盛道五島盛佳・盛道の系図

 戸田加奈子
 戸田氏之(→戸田氏之~氏良の系図)の娘。
 郁子戸田氏之~氏良の系図

 土井三保子
 土井利里(→土井利益~利見の系図)の娘。
 土井利国土井利直~利豊の系図
 本多忠奝本多忠永~忠貫の系図

 西村氏
 八千子【1783-1784】
 貞子京極高栄~高厚の系図

 豊次郎【1771-1774】
 千熊【1780】
 鳥吉郎【1785-1786】
 運善【1793-?】〔養父:青方繁治〕
 運弘【1795-1815】
 政吉【1808】〔養父:七里権十郎〕
 運綱【1808-?】〔養父:田尾利幹〕
 民子伊東長寛~長〓の系図
 鎚子【1783-1784】
 長子【1789-1790】
 勝子【1790-1796】
 保子/寿子【1791-?】
 悦子【1794-1826】
 幸子【1798-?】
 建子【1799-1828】


  五島盛繁(もりしげ)【1791-1865】
 福江藩主。藩財政の再建に努め、藩校の規模を拡大し、育英館と改称した。
 松平礒子【?-1820】
 松平直恒(→松平明矩~直温の系図)の娘。

 盛保【1823-1868】〔養父:松平近信(→松平近形~近説の系図)〕
子の妻 早瀬氏
 千賀子【1841-1842】

子の妻 九山氏
 金八【?-1843】
 安之助【1844】
 忠泰 鏋子〔養父:五島盛繁〕
 盛保の娘【?-1846】
 雛子【1847-1848】

 久子【?-1862】
 金子〔養父:五島盛繁〕
 貞子【1866-?】
 梅子【1868-?】

 忠泰【1845-?】〔養父:牧野忠貞〕
 実は五島盛保の子。
 房子【1821】
 昌子本多忠可~忠明の系図
 昭子【1825】
 鏋子【1855-?】
 実は五島盛保の娘。
 金子【1864-1865】
 実は五島盛保の娘。


  五島盛成(もりあきら)【1816-1889】
 福江藩主。
 松平信行の娘
妻の父 松平信行松平信亨~信安の系図

 牧田氏
 艶子【1837-1853】
 悌子【1841-1842】

 井上氏
 次郎吉【1838-1839】
 朝子阿部正簡~正恒の系図

 田口氏
 祥作【1839-1840】

 土岐氏
 滝三郎【1848-1851】
 永子【1850-1851】
 興子【1853-1854】
 捨子【1855-1856】

 喜和
 万五郎【1852-1864】
 陽吉【1853-1854】
 左七郎【1854-?】

 清子→堀田正誠の系図


  五島盛徳(もりのり)【1840-1875】
 福江藩主。
 酒井忠器の娘
妻の父 酒井忠器酒井忠器の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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