このページでは、安藤氏(清和源氏・頼清流)・重信流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
安藤氏・重信流(陸奥国平藩主)の略系図
1 重信→安藤重信・重長・重元~重武の系図
1-A 重矩→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
2-A 重広→安藤重広~広栄の系図
3 重之→安藤重之~信周の系図
7 信尹→安藤信尹~信馨の系図
10 信義→安藤信義~信勇の系図
安藤重信・重長・重元~重武の系図
安藤重信(しげのぶ)【1557-1621】
老中・下総国小見川藩主・上野国高崎藩主。
祖父 家重・父 基能→安藤家重~直次の系図
妻 大久保忠豊の娘
妻の父 大久保忠豊→大久保忠豊の系図
子の夫 本多正盛→本多正盛の系図
子の夫 松平成重→松平成重~近陣の系図
孫 一重→松平一重~近美の系図
子 重矩・孫 重玄・理兵衛→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
安藤重長(しげなが)/重貞(しげさだ)【1600-1657】
高崎藩主。実は本多正盛(→本多正盛の系図)の子。
妻 志水忠宗の娘
子 重之・孫 重博→安藤重之~信周の系図
子の夫 丹羽光重→丹羽光重の系図
子の夫 秋田盛季→秋田盛季の系図
妻 岡田六郎兵衛の姉
子 重広・孫 信富→安藤重広~広栄の系図
妻 渡辺八右衛門の姉
子 重常〔養父:安藤重元〕
妻 清光院
子 万之助【1646-1652】
母は『華族系譜』による。
子 大助【1642-1653】
母は『華族系譜』による。
子の夫 朽木稙綱→朽木稙綱の系図
孫 稙昌→朽木稙昌~稙綱の系図
孫 則綱→朽木則綱~綱弘の系図
安藤重元(しげもと)【1603-1668】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は本多正盛(→本多正盛の系図)の子。
妻 阿部正次の娘
妻の父 阿部正次→阿部正俊~正次の系図
安藤重常(しげつね)/重長(しげよし)【1638-1710】
実は安藤重長の子。
妻 安藤重矩の娘
妻の父 安藤重矩→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
安藤重武(しげたけ)/信周〔養父:安藤信友〕→安藤重之~信周の系図
後に宗家の養子になった。
安藤重広~広栄の系図
安藤重広(しげひろ)/重好(しげよし)【1634-1687】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 重信・父 重長→安藤重信・重長・重元~重武の系図
妻 内藤正重の娘
妻の父 内藤正重→内藤正貞~正博の系図
安藤信富(のぶとみ)【1652-1719】
実は安藤重矩(→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図)の子。
子 善之助・直規〔養父:安藤直利〕→安藤直利~直温の系図
子 広猛〔養父:安藤重向〕
安藤重向(しげあき)【1697-1720】
安藤広猛(ひろたか)/重恒(しげつね)/信名(のぶな)【1706-1760】
実は安藤信富の子。
妻 安藤信周の娘
妻の父 安藤信周→安藤重之~信周の系図
子 惟長〔養父:長昇〕
子の夫 山本正贇→山本正贇の系図
子の夫 坂井政宥→坂井政宥の系図
子の夫 酒依昌氏→酒依昌氏の系図
孫の夫 猪子一道→猪子一道の系図
安藤広峯(ひろたか)/信為(のぶため)【1730-1792】
妻 関政富の娘
妻の父 関政富→関政富の系図
妻 遠山景逵の娘
妻の父 遠山景逵→遠山景逵の系図
安藤広栄(ひろまさ)【1752-1830】
妻 内藤正興の娘
妻の父 内藤正興→内藤正敬~正誠の系図
夫 加藤泰豊→加藤泰豊の系図
子 広教【?-1818】(以下、『系図纂要』による。)
安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
安藤重矩(しげのり)/重住(しげすみ)【?-1684】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 基能→安藤家重~直次の系図
父 重信→安藤重信・重長・重元~重武の系図
妻 蔭山貞広の娘
妻の父 蔭山貞広→蔭山貞広の系図
子 信富〔養父:安藤重広〕→安藤重広~広栄の系図
子 内藤内匠【?-1669】
子の夫 大久保忠次→大久保忠次の系図
子の夫 水谷勝能→水谷勝能の系図
子の夫 安藤重常→安藤重信・重長・重元~重武の系図
安藤重玄(しげはる)【1644-1719】
妻 近藤用清の娘
妻の父 近藤用清→近藤用清の系図
子の夫 船越景次→船越景次の系図
安藤信賁(のぶよし)【1674-1733】
妻 滝川具章の娘
妻の父 滝川具章→滝川具章の系図
安藤信歴(のぶつね)【1698-1747】〔養父:安藤保教〕
実は蔭山広丈(→蔭山広丈の系図)の子。
妻 成瀬正起の娘
妻の父 成瀬正起→成瀬正起の系図
子の夫 松平忠直→松平忠貞~忠尭の系図
子の夫 斎藤総良→斎藤総良の系図
安藤信憲(のぶのり)【1731-1775】
妻 大久保忠躬の娘
妻の父 大久保忠躬→大久保忠躬の系図
子の夫 大久保忠章→大久保忠章の系図
子の夫 小栗忠近→小栗忠近の系図
安藤信姿(のぶたね)/信子(のぶたね)【1749-?】
実は安藤信尹(→安藤信尹~信馨の系図)の子。
子の夫 京極高亮→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
安藤信任(のぶとう)【1774-?】
実は米津田恒(→米津田恒の系図)の子。
安藤理兵衛【?-1692】
子 理兵衛の娘〔養父:安藤重玄〕
安藤千之丞【?-1715】
安藤保教【1695-1717】
実は小川保顧(→小川保顧の系図)の子。
子 信歴〔養父:安藤信賁〕
実は蔭山広丈(→蔭山広丈の系図)の子。
安藤重之~信周の系図
安藤重之(しげゆき)/重信(しげのぶ)【1623-1641】
母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 重信・父 重長→安藤重信・重長・重元~重武の系図
妻 藤堂高次の娘
妻の父 藤堂高次→藤堂高次~高敏の系図
子の夫 井伊直武→井伊直勝~直員の系図
安藤重博(しげひろ)/重貞(しげさだ)/重治(しげはる)/重孝(しげたか)【1640-1698】
高崎藩主・備中国松山藩主。
妻 戸田冨
戸田光重(→戸田宜光~光重の系図)の娘。
妻 井上十郎兵衛の姉
子 重博の娘(『華族系譜』による。)
妻 光寿院
子 重博の娘(『華族系譜』による。)
妻 安藤主税の姉
子 勝蔵(『華族系譜』による。)
子の夫 小出英益→小出英益の系図
妻 志水助右衛門の妹
子の夫 酒井忠寛→酒井忠寛~忠哲の系図
妻 大谷弥一右衛門の妹
子 重博の娘(『華族系譜』による。)
妻 大岡十右衛門の娘
子 半十郎【1683-1689】(『華族系譜』による。)
子 吉蔵(『華族系譜』による。)
実は宮崎茂右衛門の子。
子 重博の息子(『華族系譜』による。)
安藤信友(のぶとも)/重興(しげおき)/重行(しげゆき)/信賢(のぶかた)【1671-1732】
老中・松山藩主・美濃国加納藩主。母は『華族系譜』による。
妻 牧野忠成の娘
妻の父 牧野忠成→牧野忠成の系図
妻 木島新八の姉
子 信易(のぶやす)/信全(のぶよし)/信員(のぶかず)【1713-1726】
母は『華族系譜』による。
子 信友の娘【1709-1714】
母は『華族系譜』による。
子 信友の娘【?-1714】
母は『華族系譜』による。
子 松千代【1683-1689】
子 照子→大久保忠胤の系図
子 信友の娘【?-1714】
実は長島瑞得(→長島瑞得の系図)の娘。安藤信周に嫁ぐ予定であった。
子の夫 藤堂高朗→藤堂高治・高朗の系図
孫 高悠→藤堂高悠・高嶷の系図
安藤信周(のぶちか)/重武(しげたけ)【1687-1727】
実は安藤重常(→安藤重信・重長・重元~重武の系図)の子。
子 信尹・孫 信成→安藤信尹~信馨の系図
子 信周の娘【?-1710】
子 信周の娘〔養父:安藤信友〕
子 信周の娘【?-1717】(『華族系譜』による。)
子 信周の娘【?-1726】(『華族系譜』による。)
子の夫 安藤広猛→安藤重広~広栄の系図
子の夫 戸沢正勝→戸沢正庸~正良の系図
安藤信尹~信馨の系図
安藤信尹(のぶただ)【1717-1770】
加納藩主。母は『華族系譜』による。
祖父 信友・父 信周→安藤重之~信周の系図
妻 細川三千
細川宣紀(→細川宣紀~治年の系図)の娘。
子 吉五郎【1746-1747】
子 次猷〔養父:安藤寛長〕→安藤次由~次猷の系図
子 信姿〔養父:安藤信憲〕→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
子 信尹の娘【1753-1756】
子の夫 上杉勝承→上杉勝承の系図
子の夫 中山直寛→中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図
子の夫 西尾茂教→西尾茂教の系図
子の夫 中川忠英→中川忠英の系図
子の夫 京極高亮(『華族系譜』による。)→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
安藤信成(のぶなり)/信明(のぶあきら)/信成(のぶしげ)【1743-1810】
老中・加納藩主・陸奥国平藩主。母は『華族系譜』による。藩校施政堂を設立した。
妻 松平武元の娘
妻の父 松平武元→松平武元~武聡の系図
妻 後藤九左衛門の娘
子 信厚(のぶあつ)/信敬(のぶたか)【1766-1830】
母は『華族系譜』による。
孫 信義〔養父:安藤信馨〕→安藤信義~信勇の系図
孫 春田信瑞〔養父:春田久啓〕→春田信瑞の系図
孫 信厚の娘〔養父:安藤信馨〕
孫の夫 津田正発→津田正発の系図
子 信邦(のぶくに)【1770-1793】
子 亀之助【1773-1777】(『華族系譜』による。)
安藤信馨(のぶきよ)/重馨(しげきよ)【1768-1812】
平藩主。母は『華族系譜』による。
妻 久世広誉の娘
妻の父 久世広誉→久世広誉~広業の系図
子 信発【1795-1812】
母は『華族系譜』による。
子 信宝【1798-1811】
母は『華族系譜』による。
子 信馨の娘【1799】(『華族系譜』による。)
妻 内藤信凭の娘
妻の父 内藤信凭→内藤信興~信美の系図
夫 松平忠彊→松平忠福~忠恕の系図
夫 酒井忠懿→酒井忠助~忠懿の系図
妻 金古半平の娘
子 信由〔養父:安藤信義〕→安藤信義~信勇の系図
子 忠侃/信賢【1788-?】〔養父:松平忠幸(→松平忠利~忠幸の系図)〕
子 正供/信立【1792-?】〔養父:津田正発(→津田正発の系図)〕
子 信馨の娘【1789】(『華族系譜』による。)
子の夫 永見為寿→永見為寿の系図
子の夫 久留島通嘉→久留島通嘉の系図
子 信義・孫 信由→安藤信義~信勇の系図
安藤信義~信勇の系図
安藤信義(のぶよし)【1787-1843】
平藩主。実は安藤信厚(→安藤信尹~信馨の系図)の子。
祖父 信成・父 信馨→安藤信尹~信馨の系図
妻 津軽寧親の娘
妻の父 津軽寧親→津軽信寧~承昭の系図
子 信義の娘【1815】(『華族系譜』による。)
妻 安岡剛三郎の娘
子 信徴【1809-?】
母は『華族系譜』による。
孫 信徴の娘【1830】(『華族系譜』による。)
子 信義の娘【1813-?】
母は『華族系譜』による。安藤広敬・杉浦正利に嫁いだ。
妻 馬場林右衛門の妹
子 徳丸【1818-1819】
母は『華族系譜』による。
子 銑之助【1824-1826】(『華族系譜』による。)
子 信義の娘【1820-1841】(『華族系譜』による。)
妻 富田右膳の娘
子 銕次郎【1821】(『華族系譜』による。)
安藤信由(のぶより)【1801-1847】
平藩主。実は安藤信馨(→安藤信尹~信馨の系図)の子。
妻 松平信明の娘
妻の父 松平信明→松平信明~信古の系図
子 板倉勝成〔養父:板倉勝貞〕→板倉勝喜~勝弘の系図
子 仁三郎【1822】
母は『華族系譜』による。
子 利幾→内藤正敬~正誠の系図
子の夫 仙石久利→仙石久利の系図
子 栄五郎【1830-1831】(『華族系譜』による。)
子 銕之助【1832】(『華族系譜』による。)
子 喜久太【1833-1834】(『華族系譜』による。)
子 信典【1835-1851】(『華族系譜』による。)
安藤信正(のぶまさ)/信睦(のぶゆき)/信行【1819-1871】(以下、『華族系譜』による。)
老中・平藩主。老中として公武合体策を推し進めたが、坂下門外の変で失脚した。
妻 本庄宗発の娘
妻の父 本庄宗発→本庄宗発の系図
妻 川島秀保の娘
子 鈺→堀直著~之美の系図・京極高通~高典の系図
子 信正の娘【1853-?】
久世広文に嫁ぐ予定であった。後に竹本正誠に嫁いだ。
妻 藤倉忠大夫の娘
子 武丸【1855-1860】
子 信恭【1866-1880】
子 信正の娘【1856-1858】
子 雅之助【1844-1846】
子 鉚次郎【1845-1846】
子 寅二【1847-1848】
子 友之進【1856-1857】
子 信正の息子【1862】
子 信守【1865-?】〔養父:安藤信勇〕
子 信正の娘【1842-1844】
子 信正の娘【1859-?】
安藤信勇に嫁ぐ予定であった。後に石川正功に嫁いだ。
子 信正の娘【1860-?】
前田長善に嫁いだ。
子 信正の娘【1860-1862】
子 信正の娘【1862-?】〔養父:諸星佐七郎〕
安藤広勤に嫁ぐ予定であった。
子 信正の娘【1862-?】
子 信正の娘【1845-?】
実は板倉勝成(→板倉勝喜~勝弘の系図)の娘。
子 鉙【1864-?】
子 信正の娘【1871-?】〔養父:大野長左衛門〕
子の夫 内藤正誠→内藤正敬~正誠の系図
安藤信民(のぶたみ)【1859-1863】
平藩主。
安藤信勇(のぶたけ)【1849-1908】
平藩主。実は内藤正義(→内藤正敬~正誠の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。