このページでは、保科氏(清和源氏・頼季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
保科氏(上総国飯野藩主)の略系図

1 国行→保科国行~正直の系図
5 正貞→保科正貞~正寿の系図
5-A 正英→保科正英~正棟の系図
10 正富→保科正富~正益の系図
保科国行~正直の系図
保科国行
井上頼季(→井上頼季の系図)の末裔。
保科正則(まさのり)【?-1591】
保科正俊(まさとし)【1511-1593】
高遠氏に従っていたが、武田信玄の配下となり、高遠城主となった。
保科正直(まさなお)【1542-1601】
高遠城主。徳川家康に従い、小田原攻め等に加わった。
妻 久松多劫姫【1553-1618】
久松俊勝(→久松俊勝・定員の系図)の娘。
夫 松平忠正・松平忠吉→松平信定~忠吉の系図
子 正貞・孫 正景→保科正貞~正寿の系図
孫 正英→保科正英~正棟の系図
子 北条氏重〔養父:北条氏勝〕→北条綱成~氏重の系図
子 栄姫→黒田長政~光之・高政~長寛の系図
子の夫 安部信盛→安部信盛の系図
子の夫 小出吉英→小出吉英の系図
子の夫 加藤明成→加藤明成の系図
妻 跡部氏
子 正光(まさみつ)【1561-1631】
下総国多古藩主・信濃国高遠藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 真田昌幸の娘
子の妻の父 真田昌幸→真田昌幸の系図
孫 正之→保科正之・正経の系図
妻 小日向氏
子 正重
母は『寛政重修諸家譜』による。
保科正貞~正寿の系図
保科正貞(まささだ)【1588-1661】
上総国飯野藩主。
祖父 正俊・父 正直→保科国行~正直の系図
祖父 久松俊勝→久松俊勝・定員の系図
妻 舟橋頼賢の娘
妻の父 舟橋頼賢→舟橋頼賢の系図
子 正英・孫 正静→保科正英~正棟の系図
保科正景(まさかげ)【1616-1700】
飯野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平忠国の娘
妻の父 松平忠国→松平忠国の系図
子の夫 九鬼隆常→九鬼隆季~隆寛の系図
子の夫 戸田氏胤→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
子 宮之助【?-1656】
子 甚四郎【?-1661】
子 甚太郎【?-1667】
保科正賢(まさかた)/正祥(まさよし)【1665-1714】
飯野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 阿部正春の娘
妻の父 阿部正春→阿部正春~正実・正長~正保の系図
妻 森長俊の娘
実は森長継(→森長継の系図)の娘。
妻の父 森長俊→森長俊の系図
子 勝之助【?-1697】
子 鍋次郎【?-1705】
子 正寿・子 正賢の娘(2人)〔養父:保科正殷〕
子の夫 水野忠富→水野忠富の系図
保科正殷(まさたか)【1694-1738】
飯野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 青山幸覃→青山幸通~幸発の系図
子の夫 保科正勝→保科正英~正棟の系図
保科正寿(まさひさ)/正昭(まさあき)【1704-1739】
飯野藩主。実は保科正賢の子。
妻 津軽信寿の娘
妻の父 津軽信寿→津軽信政~信著の系図
夫 久世暉之→久世暉之・広明の系図
子 正富・孫 正率→保科正富~正益の系図
子 直次郎【1730-1744】
保科正英~正棟の系図
保科正英(まさふさ)【1611-1678】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は小出吉英(→小出吉英の系図)の子。
祖父 正直→保科国行~正直の系図
父 正貞→保科正貞~正寿の系図
妻 井上庸名の娘
妻の父 井上庸名→井上庸名の系図
子 小出英勝〔養父:小出吉英〕→小出英勝の系図
保科正静(まさやす)/正豊(まさとよ)/正峯(まさみね)【1653-1712】
妻 松平信重の娘
妻の父 松平信重→松平信重~信寅の系図
保科正純(まさずみ)【1677-1737】
実は岡部勝政(→岡部与賢~美勝の系図)の子。
妻 保科正静の娘〔養父:沼間清芳(→沼間清芳の系図)〕
実は沼間清氏(→沼間清氏の系図)の娘。
子 正倫〔養父:保科正勝〕
子 岡部経盛〔養父:岡部盛清〕→岡部与賢~美勝の系図
子の夫 大久保教房→大久保教房の系図
保科正勝(まさかつ)【1714-1738】
妻 保科正殷の娘
実は保科正賢(→保科正貞~正寿の系図)の娘。
妻の父 保科正殷→保科正貞~正寿の系図
保科正倫(まさしげ)/正常(まさつね)【1720-1746】
実は保科正純の子。
妻 小笠原茂武の娘
妻の父 小笠原茂武→小笠原茂武の系図
保科正盈(まさみつ)【1725-1781】
実は戸田氏常(→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図)の子。
妻 米倉昌倫の娘
妻の父 米倉昌倫→米倉昌仲~昌喜の系図
夫 本多正命→本多正之~正収の系図
子 山口光員〔養父:山口光包〕→山口光員の系図
子 小出尹要〔養父:小出尹充〕→小出尹要の系図
保科正恒(まさつね)【1751-1797】
子の夫 堀秀貞→堀秀貞の系図
保科正棟(まさたか)【1778-?】
妻 石川政本の娘
妻の父 石川政本→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
妻 保科正率の娘
妻の父 保科正率→保科正富~正益の系図
保科正富~正益の系図
保科正富(まさとみ)/正宜(まさよし)【1732-1797】
飯野藩主。
祖父 正殷・父 正寿→保科正貞~正寿の系図
祖父 津軽信寿→津軽信政~信著の系図
妻 永井直期の娘
妻の父 永井直期→永井直期・直行の系図
子 文之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正富の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松平親貞→松平親盈~親貴の系図
子の夫 本多忠直→本多忠栄~忠鵬の系図
子 九鬼隆晁〔養父:九鬼隆貞〕→九鬼隆貞~隆備の系図
子 大岡清定〔養父:大岡清宣〕→大岡清定の系図
子 黒田直儀〔養父:黒田直賢〕→黒田直儀の系図
子の夫 武田信親→武田信貞~信親・川窪信慈~信睦の系図
保科正率(まさのり)【1752-1815】
飯野藩主。『寛政重修諸家譜』によれば、内藤頼尚の娘を母とする娘が2人おり、高力長民の養女となった娘が1人いる。
妻 黒田長邦の娘
妻の父 黒田長邦→黒田長邦~長徳の系図
子 秀五郎【?-1781】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正温【?-1805】
子 豊→榊原政令の系図
子 正率の娘(『保科家譜(上総飯野)』による。)
子の夫 保科正棟→保科正英~正棟の系図
子の夫 伊東祐溥(『保科家譜(上総飯野)』による。)
保科正徳(まさのり)【1775-1844】
飯野藩主。
妻 内藤頼尚の娘
妻の父 内藤頼尚→内藤清枚~頼直の系図
夫 稲垣長続→稲垣長続の系図
子 貞明〔養父:石河貞大〕
保科正丕(まさもと)【1801-1848】
飯野藩主。
妻 松平鋭子
松平忠翼(→松平忠和~忠敬の系図)の娘。
子 徳五郎【?-1828】
子 煕姫→奥平昌高~昌邁の系図
保科正益(まさあり)【1833-1888】
飯野藩主。
妻 伊達宗紀の娘
妻の父 伊達宗紀→伊達村寿・宗紀の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。