このページでは、大田原氏(丹治氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大田原氏(下野国大田原藩主)の略系図

1 忠清→大俵忠清~大田原資清の系図
15 縄清→大田原縄清・晴清の系図
15-A 増清→大田原増清~清昭の系図
17 政清→大田原政清~清信の系図
22 扶清→大田原扶清・友清の系図
24 庸清→大田原庸清~一清の系図
大俵忠清~大田原資清の系図
大俵忠清(ただきよ)【?-1372】
先祖は在原業平の末裔であったが、姓を丹治に改めたという。武蔵国阿保に住んだ。
大俵常清(つねきよ)/忠明(ただあきら)【?-1382】
大俵元清(もときよ)/永忠(ながただ)【?-1380】
大俵長清(ながきよ)【?-1402】
大俵盛清(もりきよ)
『大田原家譜(下野大田原)』にはみえない。
大俵吉清(よしきよ)【?-1450】
大俵定清(さだきよ)【?-1486】
大俵重清(しげきよ)【?-1490】
大俵康清(やすきよ)
下野国那須郡に移り住んだ。
大俵信清(のぶきよ)【?-1493】
大俵次清(つぐきよ)【?-1502】
子 次清の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
大俵高清(たかきよ)
大俵胤清(たねきよ)【?-1514】
大田原資清(すけきよ)/貴清(たかきよ)【1486-1560】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 大関高増〔養父:大関増次〕→大関高増~増茂・増公~権之丞の系図
子 福原資孝〔養父:福原資郡〕→福原資孝の系図
子 縄清・孫 晴清→大田原縄清・晴清の系図
孫 増清→大田原増清~清昭の系図
子の夫 那須政資→那須政資の系図
大田原縄清・晴清の系図
大田原縄清(つなきよ)/綱清(つなきよ)【?-1590】
母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 胤清・父 資清→大俵忠清~大田原資清の系図
子 増清・孫 政継→大田原増清~清昭の系図
子の夫 福原資広→福原資広の系図
子の夫 大関清増→大関高清~政増の系図
大田原晴清(はるきよ)【?-1590】
下野国大田原藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 那須顕高の娘
妻の父 那須顕高→那須顕高の系図
子 政清・孫 高清→大田原政清~清信の系図
子 資清〔養子:大田原資世(→大田原政清~清信の系図)〕
子 久→福原資盛の系図
子 マス→大田原増清~清昭の系図
子 甲千代→岡本義政の系図
大田原増清~清昭の系図
大田原増清(ますきよ)【1570-1631】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 資清→大俵忠清~大田原資清の系図
父 縄清→大田原縄清・晴清の系図
妻 福原資孝の娘
妻の父 福原資孝→福原資孝の系図
大田原政継(まさつぐ)【1613-1683】
妻 大田原マス
大田原晴清(→大田原縄清・晴清の系図)の娘。
子 小長谷時光〔養父:小長谷時尚〕→小長谷時光の系図
大田原政増(まさます)【?-1684】
妻 大田原政清の娘
妻の父 大田原政清→大田原政清~清信の系図
子の夫 小長谷時知→小長谷時知の系図
大田原清勝(きよかつ)/政種(まさたね)【1668-1732】
実は大村純長(→大村純長~純富の系図)の子。
子 伊丹勝房〔養父:伊丹勝友〕→伊丹勝房の系図
子 西郷忠英〔養父:西郷寿員〕→西郷忠英の系図
子 清位〔養父:大田原清在〕
子 芦野資泰〔養父:芦野資親〕→芦野資泰の系図
子の夫 平岡頼雄→平岡頼雄の系図
子の夫 関本長英→関本長英の系図
子の夫 島田盛貞→島田盛貞の系図
大田原清在(きよあり)【1702-1747】
妻 大村純尹の娘
妻の父 大村純尹→大村純長~純富の系図
妻 福原資倍の娘
妻の父 福原資倍→福原資倍の系図
夫 日向正儔→日向正儔の系図
大田原清位(きよずみ)【1709-1787】
実は大田原清勝の子。
妻 大関増恒の娘
妻の父 大関増恒→大関増恒~増備の系図
大田原清貞(きよさだ)/資清(すけきよ)/清妙(きよただ)【1739-?】
実は大関増恒(→大関増恒~増備の系図)の子。
大田原清昭(きよあき)【1772-?】
実は細川興晴(→細川興虎~興貫の系図)の子。
妻 本多忠籌の娘
妻の父 本多忠籌→本多忠晴~忠籌の系図
大田原政清~清信の系図
大田原政清(まさきよ)【1612-1661】
大田原藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 縄清・父 晴清→大田原縄清・晴清の系図
祖父 那須顕高→那須顕高の系図
妻 織田長政の娘
妻の父 織田長政→織田長政~長明の系図
子 為清(ためきよ)【?-1682】
妻 織田永継の娘
妻の父 織田永継→織田敏宗の系図
子 資世〔養父:大田原資清(→大田原縄清・晴清の系図)〕
子 政康/三清
子 晴川/心清
孫 扶信〔養父:大田原清信〕→大田原扶清・友清の系図
孫 稲葉正親〔養父:稲葉正恒、稲葉正直〕→稲葉正親~正弘の系図
子の夫 堀田一幸→堀田一幸の系図
子の夫 宮城和充→宮城和充の系図
子の夫 大田原政増→大田原増清~清昭の系図
孫 清信〔養父:大田原純清〕
大田原高清(たかきよ)【1637-1698】
大田原藩主。
妻 牧野定成の娘
妻の父 牧野定成→牧野定成の系図
大田原典清(のりきよ)/長清(ながきよ)/雄清(かつきよ)【1657-1694】
大田原藩主。実は織田政時(→織田長政~長明の系図)の子。
子の夫 谷照憑→谷衛利~衛将の系図
子の夫 芦野資親→芦野資親の系図
大田原純清(すみきよ)【1677-1699】
大田原藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 朽木稙昌の娘
妻の父 朽木稙昌→朽木稙昌~稙綱の系図
夫 松平義尭→松平義尭の系図
大田原清信(きよのぶ)【1681-1702】
大田原藩主。実は織田吉清の子。
妻 松平昌勝の娘
妻の父 松平昌勝→松平忠昌の系図
子 扶清・孫 友清→大田原扶清・友清の系図
大田原扶清・友清の系図
大田原扶清(すけきよ)/命清(のぶきよ)【1689-1745】
大田原藩主。実は大田原晴川(→大田原政清~清信の系図)の子。
祖父 純清・父 清信→大田原政清~清信の系図
祖父 松平昌勝→松平忠昌の系図
妻 水野槌
実は水野勝直(→水野勝忠・勝岑・勝直の系図)の娘。
妻の父 水野勝政→水野勝種~勝庸の系図
妻 伊田氏
子 七之助【1708-1710】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 十蔵【?-1727】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 扶清の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 本庄道矩→本庄道章~道揚の系図
子の夫 前田房長→前田房長の系図
子 為次郎【?-1708】
子 建清(たてきよ)/繁清(しげきよ)【1710-1731】
子の妻 内藤政森の娘
子の妻の父 内藤政森→内藤政晴~政苗の系図
子の妻の夫 佐竹義道→佐竹義道の系図
子 藤蔵【?-1724】
大田原友清(ともきよ)【1720-1776】
大田原藩主。
妻 大村純庸の娘
妻の父 大村純庸→大村純長~純富の系図
子 寿清(ひさきよ)【1745-1756】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 庸清・孫 光清→大田原庸清~一清の系図
子 渡辺明〔養父:渡辺登〕→渡辺明の系図
子 清定/頼穏〔養父:多田頼顕(→多田頼顕の系図)〕(以下、『大田原家譜(下野大田原)』による。)
子 芦野資予〔養父:芦野資英〕→芦野資予の系図
子の夫 芦野資英→芦野資英の系図
大田原庸清~一清の系図
大田原庸清(つねきよ)【1753-1802】
大田原藩主。
祖父 扶清・父 友清→大田原扶清・友清の系図
妻 松平長孝の娘
妻の父 松平長孝→松平長孝・康哉の系図
夫 松平信有→松平信友~信謹の系図
子 庸清の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 愛清〔養父:大田原光清〕
孫 鑑之助・総之丞(『大田原家譜(下野大田原)』による。)
大田原光清(みつきよ)【1776-1821】
大田原藩主。
妻 浅野長員の娘
妻の父 浅野長員→浅野長賢~長厚の系図
夫 堀親民→堀親民の系図
大田原愛清(よしきよ)【1796-1847】(以下、『大田原家譜(下野大田原)』による。)
大田原藩主。実は大田原庸清の子。
妻 松平忠彊の娘
妻の父 松平忠彊→松平忠福~忠恕の系図
子 聡清【1819-1835】
大田原広清(ひろきよ)【1830-1851】
大田原藩主。
妻 黒田長韶の娘
妻の父 黒田長韶→黒田長邦~長徳の系図
大田原富清(とみきよ)【1836-1862】
大田原藩主。実は九鬼隆都(→九鬼隆貞~隆備の系図)の子。
子の夫 大関増勤→大関増輔~増勤の系図
大田原一清(かずきよ)/勝清【1861-1930】
大田原藩主。
妻 森伊代
森俊滋(→森俊滋の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。