大関氏(丹治氏)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、大関氏(丹治氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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大関氏(下野国黒羽藩主)の略系図

大関氏の略系図

1 高清大関高清~政増の系図
19 高増大関高増~増茂・増公~権之丞の系図
23 増恒大関増恒~増備の系図
26 増輔大関増輔~増勤の系図

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大関高清~政増の系図

大関高清~政増の系図

  大関高清(たかきよ)

祖父 実光 実房丹治武峯の系図


  大関道安/光清


  大関道光/清実


  大関氏清(うじきよ)


  大関道旭/基清


  大関家清(いえきよ)【?-1355】


  大関増清(ますきよ)【1347-1412】


  大関広増(ひろます)
 26歳で自殺した。
 伯耆守 広増の娘(2人)(『大関家譜(下野黒羽)』による。)


  大関増信(ますのぶ)【?-1443】


  大関忠増(ただます)【1403-1459】


  大関増雄(ますお)【?-1485】
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  大関宗増(むねます)【1463-1544】


  大関増次(ますつぐ)【1518-1542】


  大関高増(たかます)【1527-1598】
 実は大田原資清(→大俵忠清~大田原資清の系図)の子。豊臣秀吉に従い、所領を安堵された。
 晴増〔養父:大関清増、結城義親〕
 資増〔養父:大関晴増〕
 茂直〔養父:浄法寺胤資〕
子の夫 千本資政→千本資政の系図
子の夫 芦野盛泰→芦野盛泰の系図


  大関清増(きよます)【1565-1587】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 大田原縄清の娘
妻の父 大田原縄清大田原縄清・晴清の系図


  大関晴増(はるます)/知縄(ともつな)【1561-1596】〔養父:結城義親(→結城義親の系図)〕
 実は大関高増の子。
 結城義親の娘
妻の父 結城義親→結城義親の系図
 政増〔養父:大関資増〕


  大関資増(すけます)【1576-1607】
 下野国黒羽藩主。実は大関高増の子。
子の夫 続谷(『大関家譜(下野黒羽)』による。)


  大関政増(まさます)【1591-1616】
 黒羽藩主。実は大関晴増の子。
 水野重央の娘
妻の父 水野重央水野重央・重良・良全~長啓の系図
 高増 増親 増公大関高増~増茂・増公~権之丞の系図
子の夫 那須資重→那須資重の系図

 増広(ますひろ)【1616-1634】

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大関高増~増茂・増公~権之丞の系図

大関高増~増茂・増公~権之丞の系図

  大関高増(たかます)【1611-1646】
 黒羽藩主。

祖父 資増 政増大関高清~政増の系図
祖父 水野重央水野重央・重良・良全~長啓の系図

 分部光信の娘
妻の父 分部光信→分部光信の系図
 増栄〔養父:大関増親〕
 増俊
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 屋代忠正→屋代忠正の系図
子の夫 村上正尚→村上正尚の系図
子の夫 神尾守好→神尾守好の系図


  大関増親(ますちか)【1635-1662】
 黒羽藩主。
 水野重良の娘
妻の父 水野重良水野重央・重良・良全~長啓の系図
 八木高豊→八木高豊の系図


  大関増栄(ますなが)【1639-1688】
 黒羽藩主。実は大関高増の子。
 小出吉重の娘
妻の父 小出吉重→小出吉重の系図
 右衛門【1674-1682】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 万治郎
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 伊丹勝守→伊丹勝守の系図
子の夫 神保親茂→神保親茂の系図


  大関増茂(ますしげ)【1662-1688】
 増恒 増興大関増恒~増備の系図


  大関増公(ますきみ)【1641-1685】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 天野長重の娘
妻の父 天野長重→天野長重の系図

子の夫 吉田盛昌→吉田盛昌の系図


  大関増直(ますなお)【?-1713】
 実は神谷長兵衛の子。
 西尾重次の娘
妻の父 西尾重次西尾重次~定省・重政~定誥の系図


  大関増武(ますたけ)【1692-1714】


  大関権之丞【1708-1715】

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大関増恒~増備の系図

大関増恒~増備の系図

  大関増恒(ますつね)【1686-1759】
 黒羽藩主。

祖父 増栄 増茂大関高増~増茂・増公~権之丞の系図

 戸田忠章の娘
妻の父 戸田忠章戸田忠章~忠偲の系図
 大助【1707-1715】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 小出英孫〔養父:小出英致〕→小出英孫の系図
 小出英敦〔養父:小出英孫〕→小出英敦の系図
 増恒の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 北条氏貞北条氏貞~氏恭の系図
子の夫 加藤泰広→加藤泰広の系図
子の夫 平野長賢→平野長賢の系図
子の夫 金田正蜂→金田正蜂の系図
子の夫 大田原清位大田原増清~清昭の系図
子の夫 増山正柱青木利長~増山正任・正元~正富の系図

 大田原清貞〔養父:大田原清位〕→大田原増清~清昭の系図
孫の夫 西尾教富→西尾教富の系図


  大関増興(ますおき)【1709-1770】
 黒羽藩主。
 六郷政晴の娘
妻の父 六郷政晴→六郷政晴の系図
 増副
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 分部光庸→分部光庸の系図

子の夫 大島義周→大島義周の系図
子の夫 瓦林嘉成→瓦林嘉成の系図


  大関増備(ますとも)【1732-1764】
 黒羽藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 池田政方の娘
妻の父 池田政方池田政方・政香の系図
 増備の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 増輔 増陽大関増輔~増勤の系図

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大関増輔~増勤の系図

大関増輔~増勤の系図

  大関増輔(ますすけ)【1762-1807】
 黒羽藩主。

祖父 増興 増備大関増恒~増備の系図

 六郷政林の娘
妻の父 六郷政林→六郷政林の系図
 船越景範→船越景範の系図
 中西元武→中西元武の系図

 増位(『華族系譜』による。)
子の夫 福原内匠三枝主計(『大関家譜(下野黒羽)』による。)


  大関増陽(ますはる)【1784-1814】
 黒羽藩主。
 松平近儔の娘
妻の父 松平近儔松平近形~近説の系図
 津田信富→津田信富の系図

 増儀〔養父:大関増業〕
 増陽の娘(『大関家譜(下野黒羽)』による。)


  大関増業(ますなり)/泰周【1782-1845】(以下、『大関家譜(下野黒羽)』による。)
 黒羽藩主。実は加藤泰衑(→加藤泰衑の系図)の子。藩校何陋館を設立した。
 堀田正敦の娘
妻の父 堀田正敦→堀田正敦の系図

 増充/基充〔養父:後藤半之丞〕
 昌滋〔養父:建部金十郎〕
 業宗/正宣〔養父:杉浦出雲守〕


  大関増儀(ますのり)【1811-1865】
 黒羽藩主。実は大関増陽の子。
 堀直庸の娘
妻の父 堀直庸堀直方~直弘の系図

 秋月種任の娘
妻の父 秋月種任秋月種茂~種殷の系図


  大関増昭(ますあきら)【1834-1856】
 黒羽藩主。
 戸田忠温の娘
妻の父 戸田忠温戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図


  大関増徳(ますよし)/増式(ますつね)【1839-1915】
 黒羽藩主。実は青山忠良(→青山忠良・忠敏の系図)の子。家老らと折り合わず、押込隠居に処せられた。
 (『華族系譜』による。)


  大関増裕(ますひろ)/忠道/忠徳【1837-1867】
 黒羽藩主。実は西尾忠宝(→西尾忠移~忠篤の系図)の子。陸軍奉行・海軍奉行などを務め、幕府の洋式兵制の整備に努めた。
 金十郎藤十郎(『華族系譜』による。)


  大関増勤(ますとし)【1852-1905】
 黒羽藩主。実は松平頼功(→松平頼永~頼策の系図)の子。
 鍋島敏子
 鍋島直与(→鍋島直恒~直紀の系図)の娘。
 大田原富清の娘
妻の父 大田原富清大田原庸清~一清の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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